第三百二十九話 エテラ大陸へ渡るには
宿に着くと、辺りに漂う美味しそうな匂いに虎吉の鼻が忙しなく動き、鈴音を微笑ませる。
入口を潜り無人の受付から食堂を窺えば、骸骨達が食後のお茶を楽しんでいるのが見えた。
「遅かったか……!」
目をまん丸にしてショックを受ける虎吉の声に気付き、犬神の神使達が振り返る。それにつられて皆も。
「あ、おかえり鈴ねーさん。晩ごはん先に頂いちゃった、ごめんね?」
立ち上がろうとする月子を制し、鈴音は食堂へ入った。
「待っとかれたら申し訳ない事した思て焦るとこやったから、食べとってくれて助かったわ」
そう言って笑う鈴音を見た月子と皆は、『おー』と感心した様子で骸骨へ視線を移す。
注目された骸骨は得意げに胸を張った。
「あ、骸骨さんが言うてくれたん?ありがとう」
隣の席へ腰を下ろしつつ笑みを向けると、骸骨は親指を立てて応える。
従業員が厨房から顔を出し、鈴音が戻ってきたと知っていそいそと盛り付けを始めた。
「神様だけ先に食べて貰って私達は待とうって言ってたんだけど、骸骨さんがそれだと帰ってきた時ねーさんが慌てるって」
「うん、待たしてもうたー!てビビる。虎ちゃんもそんな事で怒ったりせぇへんし、最悪ここで食いっぱぐれても、後で美味しいお肉貢げば何とかなるから大丈夫」
鈴音の言い草に虎吉の耳が後ろを向く。
「鈴音、俺はそんな単純ちゃ……」
「虎ちゃん、宿の人が晩ごはん持ってってくれはったで、お肉やお肉」
「肉か!よっしゃ!」
厨房から現れた従業員が手にするステーキ定食らしい夕食を見るや、鈴音の膝から飛び降り目を輝かせて待つ虎吉に、皆は成る程なと納得した。
「早よ、早よ冷ましてくれ!」
虎吉のリクエストに応え、お膳代わりの箱の上に従業員が置いてくれた皿を鈴音が風の魔法で冷ます。
目をキラキラさせて待つ虎吉は大層可愛らしく、頭骨が落ちないよう固定しながら骸骨はゆらゆら揺れていた。
「すんません、お手数お掛けしまして」
鈴音の前に皿を置いた従業員は、頭を下げられ驚いたように両手を振った。
「いえとんでもないですぅ!まだ夕食の時間内ですしお気になさらないで下さいぃ」
「そうですか?ありがとうございます。いだきますね」
「はいぃ、ごゆっくりぃー」
照れたように笑った従業員は厨房へ引っ込み、『ここのオーナーは彼のお母さんだけど、今は腰を痛めて動けないから、彼がひとりで全部やってるんだって』と月子が教えてくれる。
それは大変だと頷きながら肉を切って口に運んだ鈴音は、カッと目を見開いた。
「うんま!美味し、何の肉?これ」
「なんやと!?あああ早よ冷めてくれー」
驚愕している鈴音と自分の皿を何度も見比べ、尻尾で床を叩く虎吉。
「この世界の牛らしいよ?なんだっけ」
「四つ目牛って言ってた。額の模様が目みたいに見える牛だって」
月子の視線を受け陽彦が続けた。
「へぇー、どんなんか見てみたいね」
「よし、もういけそうや!」
きょうだいへ微笑んだ鈴音は、虎吉の声を聞いて風の魔法を止める。
早速ガブリと齧り付く様子を眺め、感想を待った。
「んまい!!」
「はい猫神様のお土産に決定!お肉屋さん行かなあかんなー」
ひとつ頷き肉を食べパンを食べる鈴音と、肉だけをもりもりと食べる虎吉。皆はお茶のおかわりを貰っている。
「あ、そうそう、小悪党引き渡した後、組合で西の神殿の神官さんに会うてん」
コンソメ風スープで喉を潤した鈴音は、食事の合間に帰りが遅れた理由を話した。
探索者同士の喧嘩はサラッと、カーモス教団についてはじっくりと。
「うぇー、あの男みたいなんが山程おるんすか」
「困ったねー」
「徒党を組めるほど神に楯突く愚か者がいるとは」
話を聞いて茨木童子は驚き、虹男は眉を下げ、黒花は憤る。
「ね。神を恨むまではまだ分かるけど、そっから何で神を殺そう滅ぼそういう方向へ行くんかが分からへん。魔剣を新たな神様に、とか狂気の沙汰やで。アレが過去に何をしてきたか、知らん筈ない思うんやけどなぁ」
不満げに言いながら最後のひと切れを頬張り美味しい笑顔になる鈴音に、『食べるの早ッ!』と月子が目を丸くしていた。
「えーと、まあ何せそういう訳やから、虹色玉探しと並行して魔剣退治もやるつもりなんで、御協力お願いします」
「わかったー」
頭を下げた鈴音を見やり、虹男があっさりと頷いてお茶を飲む。
「鈴音と骸骨がいれば直ぐ片付くもんね?」
どうやら、以前虹男の世界に現れた魔剣カーモスがどんな目に遭ったか、しっかり覚えているらしい。
これには流石の鈴音も骸骨と顔を見合わせ笑うしかなかった。
「え、ねーさんと骸骨さん、魔剣に何したの?」
月子が問い掛け、皆も興味津々でふたりを見つめたので、どう答えればいいものかと鈴音は首を傾げる。
「連携プレーでボコボコ?」
鈴音が言えば骸骨も首を傾げてから頷いた。
聞いておきながら皆は『うわぁ』と引き気味だ。
「オーバーキルどころじゃない気がする」
遠い目をした陽彦に、鈴音は更に怖い情報を追加する。
「最後はシオン様が神界からレーザーで一撃必殺しはったわ」
「やり過ぎじゃね!?何かちょっとだけ魔剣が可哀相になったんだけど」
顔を引き攣らせる陽彦や、青褪める元悪党の茨木童子を眺め鈴音は笑った。
「まああの時とは事情が違うから、今回シオン様が直接手を下す事はない思うよ。可愛がってる聖騎士の活躍も見たいやろし」
ね、と骸骨を見て頷き合う。
シオンがカーモス信者に苛立って力加減を間違えうっかり大陸ごと消滅、なんて事になっては困るので、鈴音は先回りして釘を差しておいた。他の神々の目もあるし、これで参戦する恐れはないだろう。
「せやからまずは虹色玉探しつつ、魔剣の情報が入ったら捕まえに行って、シンハさんが来るまで時間稼ぎするんがええんちゃうかな?」
「うん、そうだね。神託の巫女の友人って立場使って、神殿とか治安維持隊とかから情報聞き出そう」
鈴音と月子の意見に皆が賛成した所で、茨木童子がポツリとひと言。
「ほんで、南の大陸てどないして行くんすかね」
「あ」
言われてみれば、と全員が固まった。
「忘れとった。交通手段の確認すらしてへんわ」
渋い顔で目を閉じた鈴音が、食器を下げに来た従業員に気付き表情を和らげて声を掛ける。
「あの、すんません。南の大陸に渡るにはどないしたらええか、ご存知ですか」
「南の大陸……、エテラ大陸でしょうかぁ?」
舐めたように綺麗な皿を見て微笑みつつの従業員に、その通りと鈴音は頷いた。
「それでしたらぁ、南部のハゥンという港町から船に乗るか飛竜に乗るかのどちらかかとぉ」
「港町ハゥン。こっから遠いですか?」
「馬車で2日だそうですよぅ?」
「そうなんですね、ありがとうございます」
従業員に笑顔で礼を言い、鈴音は膝に戻ってきた虎吉を撫でる。
「3日後に組合でお金受け取ったら、港町に移動で決定やね」
「うっす。因みに丸2日空くっすけど、何しますか」
お茶を持ってきてくれた従業員に会釈し、さっそくカップを口へ運びながら鈴音は唸る。
「んー、どないしよ。自由行動にする?虹男以外」
「えー!?何でだよう」
口を尖らせる虹男。『子供かッ!』というツッコみを月子や茨木童子はどうにか呑み込んだ。
すっかり慣れて無反応な鈴音を、ふたりは尊敬の眼差しで見つめる。
「虹男には私か骸骨さんが付かなアカンから。まあ猫神様へのお土産買うた後はあんたの行きたいトコに付き合うし、問題ないやろ?」
「なぁんだ、それならいいや」
納得した虹男から、鈴音は大上きょうだいへ視線を移した。
「異世界楽しみたいやろから、好きなトコ行ってええでって言いたいねんけど、あんたらだけにすると危ないのが辛いなぁ」
「それね。絶対絡まれるもん」
「多分みんなと別れたら秒で絡まれる」
たとえ黒花という“魔獣”が一緒でも、気付かず寄ってくる馬鹿はいるだろう。
「ほな俺が一緒に動くっす。別に行きたいとことかないんで」
茨木童子がそう言えば、骸骨も挙手して頷いた。
「あ、ホンマ?私らと来て貰おか思ててんけど、最初っから好きに動けるならそっちの方がええかな?」
大人達のやり取りを見て、月子が手を合わせる。
「ありがとうございまーす。雑貨屋さんとか行ってみたいでーす」
「武器屋と防具屋お願いしまーす」
真似して陽彦も拝みだし、大人達は愉快そうに笑った。
「よっしゃ、そしたらツキとハルと黒花さんは骸骨さんと茨木と一緒いう事で。お小遣いは後で骸骨さんに渡しとくね、落とす心配も盗られる心配もないから」
「うん!」
「ありがたや」
「助かります」
嬉しそうなきょうだいとホッとした様子の黒花に目を細め、鈴音はお茶を飲み干す。
「ほな予定も決まったし、部屋で休もか。どんな部屋割りになったん?」
「男子は1人部屋で、私と黒花、ねーさんと虎吉様と骸骨さんが一緒の部屋だよ」
この時間でよくそんなに部屋が空いていたなと思ったが、酒類を提供していない宿は探索者に敬遠されるのかもしれない。
そう考えた鈴音は月子が出してくれた鍵を笑顔で受け取る。
「ありがとう。明日に備えてゆっくりさして貰うわ」
そう言いながら立ち上がり、皆と共に従業員にひと声掛けてから食堂を後にした。
さて2階のツインルームに入った鈴音は、皆の部屋の扉が閉まった事を猫の耳で確認し、骸骨へ向き直る。
「行っとく?」
ニヤリと笑って盃を傾ける仕草をすると、万歳した骸骨が物凄い勢いで頷いた。
「ま、虹男も部屋で大人しぃしてるやろし、ちょっとした息抜きいう事で」
うんうん、と同意した骸骨はもう窓を開けている。
「ほな俺が留守番しといたろ。布団で長なりたかったんや」
言うが早いかベッドに転がり長々と伸びる虎吉。ずっと鈴音の腕の中にいるので、偶にはこうして伸びたくなるらしい。
「ぐぁッ、可愛いぃ……!」
ぐねぐねユラユラしながら、ピンと伸びた足とモフモフの腹毛を愛でた鈴音と骸骨は、ごちそうさまでしたと拝んだ。
「虎ちゃん、お散歩行ったりせんといてな?」
「せぇへんせぇへん。心配せんでええ」
「はーい。あんまり遅ならんようにするわ、行ってきまーす」
小声で告げて手を振り、鈴音が向かいの屋根に跳ぶと、後から出た骸骨がそっと窓を閉める。
屋根の上で合流して頷き合ったふたりは、旅人や探索者で賑わう夜の街へいそいそと繰り出した。
歩いて帰れる距離に宿がある安心感からか、道行く人や店にいる人の多くが中々ご機嫌に出来上がっている。
いくら骸骨が一緒だとはいえ、あまり泥酔者が多い店だと絡まれる可能性があるので、鈴音は周囲に視線を走らせ良さげな店を探していた。
「やっぱり表通りやと厳しいか……、ん?」
通り過ぎかけた路地に店を発見し立ち止まる。
行ってみようと指差して骸骨に合図し、四角い小窓から中が窺える扉の前へやってきた。
「どれどれ?おぉ、バーかな?席は空いてるけど、入れて貰えるやろか」
カウンター席だけの落ち着いた店内に客はまばらだ。
だが流行っていないのではなく、客を選んでいるように鈴音には見えた。
「ま、当たって砕けろや。行こ」
扉を引いて開けると、澄んだベルの音が響く。
「こんばんは、2名なんですがいけますか?」
こちらを向いたマスターへ、手で骸骨を示しながら尋ねた。
グレーの髪を後ろでひとつに束ねた60代くらいのマスターは、鈴音と骸骨を順に見てから小さく頷く。
「どうぞ」
「ありがとう」
やったねとばかり骸骨に微笑み、一緒に店内へ入った。
マスターが木製のコースターを置いてくれた席へ並んで腰を下ろす。
「ご注文は?」
問われて棚に並ぶ酒瓶のラベルを見た鈴音だが、直ぐに諦めた。
「あー、私ら田舎から来たばっかりでお酒の種類とか分からへんのですよ。なので、好みだけお伝えしてお任せいう訳にはいきませんかね?」
鈴音が素直に言うと、マスターの目元が少し柔らかくなる。
「期待に応えられるよう努力するよ」
「おお、ありがとうございます。まず私は仄かな甘味と酸味があって、でも後味すっきりキレのいいお酒が好きです。ほんで骸骨さんは……」
既に絵を描いてスタンバイしていた骸骨が素早く石板を見せる。
「火ぃ吹くぐらい強いお酒。でも無味無臭は寂しいから、個性的な味も欲しい。いう感じかな?」
鈴音の通訳に大きく頷き、ローブから専用の水筒を出した。
「それと、骸骨さんは普通のコップでは飲まれへんので、これに入れて欲しいんです」
両手を合わせている骸骨と通訳する鈴音を交互に見て、どこか感心した様子でマスターは頷く。
「少しだけ待っていてくれ」
水筒を手にそう言って、ずらりと並ぶ酒からふたりの注文に合うものを選び始めた。




