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第三百十三話 どうぞお幸せに

 鈴音からここに別荘が出来た理由を聞いた居残り組は、金持ちの道楽じゃなかったのかと驚きつつ頷いている。

「そっか……旦那さんが奥さんの事を好きだったのと同じくらい、奥さんも旦那さんの事が好きだったんだね。旦那さんが居ないお屋敷には住めなくなっちゃうくらい、本当に好きだったんだ」

 気の毒そうな視線を廃墟と化した別荘へ送る月子の声に、陽彦と黒花が頷いた。

 茨木童子が理解するにはちょっと難しい感覚なのか、困惑気味の表情だ。

「あー、大丈夫大丈夫。仲良し夫婦やったんやな、て思といてくれたら問題無いから」

「うっす」

 素直に頷く茨木童子に微笑んでから鈴音は別荘を見つめる。

「ほな、こんがらがった記憶、戻しに行こか」

 ひとつ息を吐いて皆を見回し、玄関へ向かった。



 扉を開け中へ入ると、2階奥の部屋から悪霊こと女主人ブロムトゥが下りて来る。

 玄関ホールに立った彼女から敵意は感じられず、どちらかといえば好意的な雰囲気だ。

「強いのね、あなた達は。私では追い払うだけで精一杯の大百足を、あれ程簡単に駆除してしまうなんて」

 成る程、別荘を守った事が評価されているのか、と空気から棘が消えた理由に納得した鈴音は、営業用スマイルを見せる。

「ついでに三つ目の変なヤツも片付けときました」

「ええ、見ていました。あれは確か、灰の大鬼と言うとても厄介な魔物よ。この近辺には居ない筈なのに、どうしたのかしらね。倒してくれて助かりました、ありがとう」

 右手を胸に当て軽く膝を折る優雅な礼をして、ブロムトゥは鈴音を見た。

「お礼をしたいのだけれど、何かご希望の物はあるかしら?」

 こういった申し出は普段の鈴音なら全力で辞退する所だが、今日は違う。


「それでしたら、こちらを見学させて頂けませんか。こんな立派な別荘、我々庶民ではまず足を踏み入れる機会がないので」

「あら、そんな事でよろしいの?分かりました。もし途中で何か欲しい物を思い付いたら仰ってね?」

 微笑んでそう告げたブロムトゥが、こちらへどうぞと奥へ歩いて行く。

「ありがとうございます。お邪魔します」

 笑顔の鈴音がそれに続き。

 色々と思う所はあるようだが、黙ったまま皆も続いた。


 最初に案内されたのは、ダンスホールのような大広間。

「こんな山の上に大勢のお客様が来る筈もないのに、あの方はどうしてこんなに大きな部屋をお造りになったのか……」

 頬に手を当て困ったように笑うブロムトゥを見ながら、鈴音は彼女の夫ガーヴミルの気持ちを想像してみた。

「街でご子息のリーキさんにお会いして伺ったんですが」

「まあ。あの子に?」

「ええ。この別荘は奥様の療養の為に旦那様が建てられたとか?」

「その通りよ。空気が良い場所だからと」

 肯定するブロムトゥに微笑んでから、鈴音はダンスホールを見回す。

 今は壁も剥がれ落ち埃にまみれ見る影もないが、本来はおとぎ話に出てきそうな美しいホールだったのだろう。

「……きっと、踊りたかった……いや、踊るつもりだったんですね。元気になられた奥様と」

 そう言ってチラリと視線を向けると、ブロムトゥは目を見開いて呆然としていた。

 よしよし、と小さく頷いた鈴音は柔らかな声で呼び掛ける。


「奥様、どうかなさいましたか」

「えっ?あらいやだ、ごめんなさいね。次は中庭へご案内するわ」

 ぱちぱちと音がしそうな瞬きをしてから笑みを浮かべたブロムトゥが、そっとこめかみ辺りを押さえてからダンスホールを後にした。

 じっと、じーっと見つめてくる大上きょうだいと茨木童子に悪戯っぽく笑い、鈴音はブロムトゥについて行く。



 リビングか遊戯室だったと思われる部屋から、大きなガラスが嵌まっていた筈の引き戸を開けて中庭へ続くデッキに出た。

「夫がこの別荘で一番気に入っている場所なの。何としても維持しなくてはね」

 庭を見ながら穏やかな笑みを浮かべて言うブロムトゥの目には、色とりどりに咲く季節の花でも映っているのだろうか。

 勿論鈴音達が見ているのは、雑草に埋もれどこからどこまでが庭かも分からない、藪と呼んで差し支えない場所だ。

「旦那様はお花が好きやったんですか?」

「そうね、お花もお好きだったし、星空もお好きだったわ。この場所で見る星は最高だと仰って」

「奥様も一緒に御覧になってたんですね?」

「ええ、勿論よ」

 ふむふむと頷いた鈴音は、おもむろに振り向き虹男を見た。


「なあなあ虹男。サファイア様と綺麗な花、どっちが好き?」

「ええ?そんなの妻に決まってるよ」

 この会話にまたしてもブロムトゥが目を見開いて固まる。

「ほな星空は?サファイア様が、『あらあら、山の上だと星も随分と綺麗にみえるのね。宝石をばら蒔いたみたいね』なんて仰ったら何て答える?」

「キミの方が何っっっ倍も綺麗だよ。僕は星よりキミの事だけ見てたいなー」

 空に向かって歯の浮くような台詞を躊躇いも無く言って退ける虹男に、今ばかりはスタンディングオベーションしたい気分だった。

 実際心の中で『ブラボー!!』とやりながら、鈴音はブロムトゥへ向き直る。


「旦那様も似たような事を仰ってませんでしたか」

「……仰って……いたわ……キミと一緒に見る星は……普段の何倍も輝いて見える……」

 目を見開いたままポツリポツリ答えるブロムトゥ。

 そんな彼女を真っ直ぐ見つめ、鈴音は仕上げに掛かる。

「旦那様ガーヴミルさんは、別荘やのうて奥様、ブロムトゥさんを愛してらしたんですね」

 笑顔と共に放たれたその言葉は、まるで雷のように迷える魂を貫いた。


「……ああ……!そうよ、そうだった、あの方が愛した別荘だから守りたかったのではないわ!私が、私がこの場所であの方をお待ちしたかったから……!」

 ブロムトゥは両手で頭を抱え、蘇った記憶に衝撃を受ける。

 その姿がゆらりと揺れたのは、この場所に留まる信念が揺らいだ故か。

「はい落ち着いて、大丈夫ですよ、大丈夫。ひとつひとつ整理しましょ。ね?」

 ヒラヒラと手を振り自分へ意識を向けさせ、鈴音は優しく微笑む。

「そ、そうね、ええ、そうよ。慌てる事はないわ。私は死んでしまったのだし、あの方も……」

 そこで言葉を失い口元を覆うブロムトゥの表情は、悲痛としか言いようのないものだった。

「確か、旦那様が先に旅立ってしまわれたんですね?」

 鈴音の声にブロムトゥは幾度も頷く。

「そう。私がお支えしなくてはいけなかったのに……お仕事だけでなく屋敷内の事まで……」


 彼女が語るには、屋敷内の事を仕切るのは妻の仕事なのだが、病に倒れたせいでそれが満足に出来なくなったらしい。

 すると、代わりが出来る妾を作るでも、誰かを雇い入れるでもなく、夫がその分まで頑張ってしまった。

 病魔を撃退した妻がいつでも元の立場に戻れるように、と。

 しかしそのせいで多忙を極め、ついには倒れてしまったのだそうな。


「全て私のせいなのです。私が患ったりしたから」

「え、旦那様そない言うてはりました?」

 怪訝な顔をする鈴音に問われ、ブロムトゥは黙って考え込んだ後、ゆっくりと首を振った。

「命の灯火が消える直前にお会い出来た時、私の顔を見てただ優しく微笑まれました」

「ああ、最期に大好きな奥様に会えて嬉しかったんですね。そんな大好きな奥様が御自身を責めてると知ったら、どない思わはるかなぁ」

 鈴音が眉根を寄せると、口を尖らせた虹男が割り込む。

「悲しいに決まってるでしょ。そもそも、私のせいってなに?わざと病気になったの?」

「いいえ、まさか」

「だったら関係ないじゃん。キミも病気治そうと思って頑張ったんでしょ?で、夫も頑張った。悪い人なんかどこにも居ないと思うんだけど?」

 思わず『虹男のくせにやるやん』な目をした鈴音と、『流石は神』という皆の視線を受け、愛妻家の創造神は得意げに胸を張った。


「……ありがとうございます……」

 涙ぐむブロムトゥへ、鈴音は質問を続ける。

「奥様は悪人やなかった。愛する旦那様を亡くした辛さに耐えられへん、普通の妻やったんですね」

「……そう、耐えられなかったのよ。毎日決まった時刻に帰ってらしたあの方が、いつまで待っても帰らない現実に」

 毎日同じ時刻に朝食を取り、同じ時刻に仕事へ出掛け、同じ時刻に帰宅して、同じ時刻に夕食を取る。

「お墓でお別れを告げてからは、日常どこにもあの方がいない。体調が優れず食事の席につけなかった時でも、11回目の鐘が鳴り終わる頃にはお休みを言う為にお顔を見せて下さったのに、12回目まで待ってもいらして下さらない」

 ブロムトゥの伏せた目から涙が零れ落ちた。


「そうか、お屋敷に思い出が多過ぎるからいうんも嘘やないけど、どっちか言うたら普通に過ぎて行く日常が辛かったんですね。何も変わらへんのに、そこに旦那様だけが居てない。それを思い知らされるから」

 その感覚はよく分かると思いつつ頷く鈴音に、ブロムトゥは微笑んだ。

「ええ。だからこちらへ逃げ込んだの。ここなら、あの方に決まった行動なんか無い。それに、待つのも辛くないわ。夏の休暇の時期はいつも私が先に来て、後からあの方がいらしていたから」

「あー……」

 ただの非日常的な環境に逃げたのではなく、彼が来ないのはまだ休暇に入っていないから、と自分を誤魔化す為だったのか、と理解し鈴音は思わず虎吉の頭に鼻を埋める。

 愛猫を亡くした後、実は別の部屋で寝ているだけで、ヒョッコリと姿を見せるのではないか、等と考えた事を思い出し鼻の奥がツンとした為だ。

「ど、どうなさったのかしら」

「お気になさらず。ちょっとした発作です」

「にゃー」

 半眼の虎吉が面倒臭そうに棒読みのにゃーを繰り出し、皆を和ませる。


「ふー、失礼しました。ほんで、そのまま生活を続けて、最終的にこちらでお亡くなりに?」

「ええ。思い出しても中々に苦しい最期で。痛みと苦しみにのたうち回っている間に、自分で自分に吐いた嘘を本気で信じてしまっていたみたいね。私はここであの方を待たなければいけないの、死にたくない、死んでなんかいられないわ!って」

 のたうち回る程の苦痛を味わえば、そりゃあ錯乱もするだろうと顔を顰めて鈴音は頷く。

「そうして気が付いたら、こうなっていたのよ。あの方がいらっしゃるのだから、ここを守らなければ、という思いと共に」

「そうやったんですね。因みに今、奥様の目にこの別荘はどう映ってますか」

「……何とも言えないわ。守れていないじゃないの、としか」

 自嘲気味に笑う様子からして、現実が見えるようになったようだ。


「まあ、いうても幽霊ですしね、実体無い訳ですし。魔物寄せ付けへんかっただけでも凄い思います。後の事はリーキさんがしてくれるそうですよ。『大事な母をあんな寒い場所で逝かせてしまった』て、めっちゃ後悔してはりましたけど。そのせいでここによう来ぇへんみたいですけど」

 もう大丈夫そうだと判断した鈴音は、シレッと息子も心に傷を負っているぞと伝えた。

 思ってもみない事だったのか、ブロムトゥは口元に手を当てて大変驚いている。

「そんな……。これは私が望んだ事であの子には何の責任も無いのに」

「奥様と同じ行動を御自分の御両親が取ったとして、そない言われてハイそうですねて思えます?」

 鋭いツッコミを食らったブロムトゥが辛そうな表情になった。

「思えないわね。どうすればいいのかしら。あの子の傷を少しでも癒やしたいわ。でも、神の手を振り払ったこんなみっともない姿を見せたくはないし」

 この世界で悪霊になるという事は、創造神シオンの手を振り払うという事なのかと興味を引かれた鈴音は、脳内の豆知識メモに書き込んでおく。

 その後、解決方法のヒントを出した。


「お母さんは旦那様んトコ行って幸せに暮らすからもう気にせんでええよ、て伝えるのは簡単なんですけど、私が言うた所でホンマの意味では信じませんよね。慰めの言葉にしか聞こえへんでしょうし。お母さんからやで、て確実に分かる方法があればええんですけど」

「私だと分かる方法……」

 そう呟いて考え込んだブロムトゥは、ふと何か思い付いた様子で顔を上げる。

「銀星茶は水で出してから沸騰しないように温めるの。カップに注いだ後に、銀星の蜜を1滴だけ落とせば完成よ」

「えー……っと?」

「ああごめんなさいね。子供の頃、私の乳母が出してくれたお茶の話なのよ。よく眠れるようにって。それをあの子には私が入れていたのだけれど、うっかり誰にも作り方を教えていなかったわ」

「それや。それで行きましょ。紙に書くんでもっかい(もう一回)お願いします」

 骸骨に虎吉を預け、無限袋からメモ帳とペンを取り出した鈴音に、ブロムトゥが作り方を説明する。続けて息子への伝言も。


「よっしゃ完璧。これでリーキさんは自分で自分に掛けた呪いから解き放たれますよ」

 メモとペンを仕舞い虎吉を受け取った鈴音が笑うと、ブロムトゥも嬉しそうに微笑んだ。

「それじゃあ、そろそろ私は消えなければならないわね。思い残す事はなにもなくなったのだから」

「いやいやいや、嘘ばっかり。思い残してますーいう顔してはりますよ?後は何が気掛かりなんですか」

 またしてもツッコまれ、敵わないなというように眉を下げたブロムトゥが遠慮がちに言う。

「あの方の所へ行けないのが……」

「え?行かれへんのですか?」

「私は悪霊ですもの」

 目を伏せた悲しげな呟きに、鈴音は思い切り首を傾げた。

「悪霊ですかねぇ?人殺しました?呪いました?」

「い、いえ、どちらもしていないけれど」

「精々ここを見に来た人を魔力でおどかしたぐらいですよね?別荘に悪い事しに来たんや思て」

「え、ええ」

「それって罪になるんですか?愛する旦那様と離れ離れにされる程の、大きい大きい罪ですか?」

 木々の間に見える空へ鈴音は叫ぶ。


 すると、不思議そうな顔で鈴音を見ていたブロムトゥのそばに、天からキラキラと光の粒が降ってきた。

 光の粒はクルクルと旋回し、螺旋階段のような物を作り出して行く。


「おー、神様の許へ続く光の階段や」

 派手な演出好きのシオンらしい、と笑う鈴音と、呆気に取られ声もないブロムトゥ。

 ついでに大上きょうだいや茨木童子もポカーンと口を開けて光を見上げている。

「ほら、奥様。神様がお赦し下さいましたよ。遠慮せんと愛する旦那様んトコへ行って下さい」

 微笑む鈴音へ何か言おうとするも、驚き過ぎたブロムトゥは口をパクパクと開閉させる事しか出来ない。

「もー、アイツがいいって言ってるんだから、早く行きなよー。旦那さん待ちくたびれてるよ?ま、僕は妻の為ならいつまでだって待つけどさ」

 しゃがんで黒花を撫でていた虹男が惚気を混ぜつつ言うと、漸く我に返ったブロムトゥが幾度か頷く。

「は、はい。あの……あなたは、あなた様は」

「息子さんの依頼を受けた探索者その1です。はい、急いで。神様の気が変わらん内に」

 シオンがそんな無粋な真似をする筈は無いが、神の性格なぞ知る由もないブロムトゥは慌てて螺旋階段へ足を掛けた。


「……本当に、本当にありがとうございました!皆様の人生が幸せに満ちたものとなりますよう、心よりお祈り申し上げます」

 右手を胸に当て深く膝を折り頭を垂れたブロムトゥは、晴れやかな笑みを浮かべスカートを摘むと、まるで少女のように階段を駆け上がって行く。

 軽やかに、昼なお暗い森を抜け、高く高く。

 やがて光の粒と共に空へ溶け、その姿は見えなくなった。



「ふふ、どうぞお幸せに」

 死者に向けるにしてはおかしいか、と笑った鈴音は、虎吉を撫でる。

「シオン様にお礼せなアカンね」

「せやな」



「よし!!言質は取ったよ!楽しみ過ぎるじゃあないか虎吉からのお礼!!ハッハッハッハ」

「ゥアーォ」

「ごめんよ猫ちゃんうるさくしてごめんあー怒った顔も可愛いから困るねえ」

「……」

「あっ!?耳が後ろを向いて尻尾をバンバン叩きつけているけれども、これってどういう意味だったっけね?鈴音、虎吉、通訳しておくれ!?ちょ、猫ちゃ、猫ちゃん!?待っ、ぎゃーーー!!」

「フッ。眷属の願いを叶えた神にこの仕打ち。だがそれがいい」

「そう、それでこそ猫ちゃん」

「たとえ恩があろうとも気に入らなければ……って、何でこっちに来るんだお前は!!」

「幸せのお裾分けだよ!共にご褒美を貰おうじゃあないか!!」

「待っ、ぎゃーーー!!」



 勿論謎の声が耳に届く事はなく、鈴音は皆と一緒に別荘から登山道へ出ている。

「ねーさんてさぁ、創造神様まで操るんだね」

「は!?人聞きの悪い事言うたらアカンて。シオン様が協力してくれはっただけやし!」

「えー、そうかなー」

「そうやで!?怖いわー。あっ、ハルまでなんちゅう目で見よんねんな。て、茨木童子あんたもか!虹男、なんとか言うて」

「鈴音ならあるかも」

「ないわ!!」

 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら高速移動する集団は、ついうっかり街を通り過ぎ、そこで遭遇した運の悪い魔物を仕留めてから、またぎゃあぎゃあと戻って行った。

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