第三百十二話 悪鬼、本領発揮
一方、山の中腹にある別荘前では。
「ギャーーー無理無理無理無理!!」
「もー、ハルうるさい!」
悲鳴を上げ逃げ惑う陽彦を尻目に、月子と黒花と茨木童子が大暴れしている。
相手は勿論、真っ昼間だというのに何故か次々と姿を見せる大百足だ。
月子は頭を狙って踏み付け、黒花は胴体に噛み付いて振り回し、茨木童子は文字通りちぎっては投げちぎっては投げ。
わざわざ森に入ったりはせず、敵が別荘周りの草むらに入った時点で片付ける事にしよう、と決めて実行しているのだが。
「これ、変っすね?」
「やっぱりそう思う?」
「ああ。夜行性の生物が取る行動ではないな」
陽彦が騒ぐので大百足の死骸を森へ放り投げつつ、訝しむような表情の茨木童子が振り返ると、月子と黒花も周囲を警戒する様子を見せていた。
「何ぞ強いヤツから逃げてきよるんか……?」
呟くように言った茨木童子へ月子が頷く。
「多分それ。魔力みたいなのは感じないけど」
「この大百足と同じく、弱い魔力しか無いのではないか?近くまで来てやっと感じ取れる程度なのかもしれん」
黒花の説が正しそうだ、と目線で茨木童子と頷き合った月子が口を開きかけた所で、背中に恐慌状態の陽彦が取り憑き、いや取り付き、会話は中断した。
「ハル邪魔」
「無理。もう無理。草がカサッていうだけで死にそうになるんだけど」
「そんなんで人は死なないから。邪魔」
肩に置かれた兄の手を容赦無く払い、月子は溜息を吐く。
「何か強そうなのがこっちに向かってるみたいだから、そんな風に目ぇ瞑ってたら危ないんじゃない?攻撃が当たっても死なないだろうけど、もっとデッカい虫だったらどうすんの?」
「もっ、デッ、はあ!?ちょ待て待て待てムカデの天敵っつったらカマキリとか大型の蜘蛛とかだよなカマキリは上半身はともかく下半身がキモくて死ねるし蜘蛛なんか論外だココはどうにか鳥とか獣系の天敵であれそれならちょっとビビらして森へお帰り作戦で行けそうな気がするし」
「ウザーーーい」
真顔で早口な陽彦へ月子が心底嫌そうな表情を見せている間にも、茨木童子と黒花は大百足を3体ばかり仕留めていた。
「きょうだいでじゃれ合うのはその辺にしておけ、雰囲気が変わってきたぞ」
「確かに、ムカデの数が減っとる。ここに逃げ込んでも無駄や思て行き先変えたな」
黒花の真剣な声に続いた茨木童子は、鈴音が居ないので気が緩んだか敬語を忘れ、慌てて語尾に『……です』と付け加えている。
序列に拘る黒花はともかく、大上きょうだいは敬語かどうかなぞ気にしないので、何が近付いているのかと耳を澄まし周囲の音を探り始めた。
だが直ぐに陽彦が身体を掻き毟るような仕草をして耳を塞ぐ。
「カサカサカサカサ嫌な音しかしねーし!鳥肌、もう全身鳥肌」
両腕を擦り幾度も首を振る兄へ半眼を向けておいて、月子は引き続き怪しい音を探す。
「ねえ黒花、二足歩行してるのがいるっぽいんだけど、違うかな」
「ああ、いるな。随分と重そうな足音だ。これは人が出すそれではないな」
月子に答える黒花の耳は、別荘と麓を結ぶ登山道の方へ固定されていた。
「どうやら森から道へ出て、こちらへ登って来ているようだ」
「帰ってくる鈴ねーさん達と鉢合わせない?」
「この速度なら凡そ5分でここへ来る。いくら鈴音様でもまだお戻りにはならんだろう」
因みにこの時の鈴音は、依頼者リーキの屋敷に招き入れられた辺りだ。戻るにはまだ早い。
「じゃあ私達が相手していいんだ」
「そうだな。敵意が無ければ黙って引き返すやもしれんし」
そんな事を言いつつも黒花は完全に警戒態勢だ。
木々や草が取り除かれた登山道などという、ほぼ確実に人が通ったと分かる場所をわざわざ登って来る魔物なぞ、友好的であろう筈がないと考えているらしい。
「あ、そうや。もしシバき合いになっても、神力は出さへん方向でお願いするっす」
緊張感漂う黒花と月子へ、いつの間にやら黒のジャージ上下に服装を変化させていた茨木童子が肩を回しながら告げる。
「なんで?って、着替えてるし!魔法?」
目を丸くする月子へ茨木童子は笑って手を振った。
「服は妖力で拵えてるんで、好きに変えられるだけっす。んで神力に関してはあれ、悪霊が消えたら困るんで」
親指で背後の別荘を示され、黒花が首を傾げる。
「悪霊が消えて何故そなたが困るのだ?」
「そら、姐さんが敢えて消さんかったもんを勝手に消したらアカンでしょ」
そう言われて全員がハッと目を見張った。
「確かに、鈴音様なら即座に浄化出来たのになさらなかった。何か意味があるのだな」
「そだね、帰ってきて悪霊いなくなってたら鈴ねーさんショック受けるかも」
「殴られたくないから神力は出さない」
頷く皆を見て満足そうな笑みを浮かべた茨木童子は、好戦的な目を登山道へ向ける。
何者かはかなり近付いたようで、魔力も感じ取れるようになってきた。
「どんなんや?俺と遊べるヤツ来い」
嬉しそうに待ち構える茨木童子の耳にも、パキパキと木の枝を折るような音が届き、ドスドスと地面を踏む重そうな足音も聞こえてくる。
「来るぞ、構えろ」
黒花の鋭い声に続いてゆっくりと姿を現したのは、身の丈4mはあろうかという三つ目の大鬼だ。
薄っすら緑がかった灰色の肌と格闘家のような筋肉、人で言う生え際辺りに角が1本あるが髪は無い。
3つの目玉をギョロギョロと動かし周りを見ると、建物の前に人が居る事が分かったようで、口の端を吊り上げ不気味な笑みのようなものを見せた。
「ギャーーー、最悪!何持ってんの食ってんの意味分かんねーんだけど!」
陽彦の悲鳴も今回ばかりは仕方がない、と月子は遠い目になっている。
何しろ大鬼は両手に大百足を持ち、口の端からその一部を垂らしているのだ。月子だって心の中では『ギャー』である。
「捕食者と被食者の関係性だったか。ムカデが逃げるのも無理はないな」
動じないのは黒花だけで、茨木童子はちょっと嫌そうに顔を顰めていた。
「ところで大鬼、私の言葉が分かるか?」
冷静な黒花が声を掛けるも、大鬼は特に反応するでもなく、右手に持った大百足に齧り付きムシャムシャと咀嚼する。
その後、もう用は無いとばかり両手に持っていた死骸を背後へ放り投げ、3つの目で月子を見た。
「うわ多分ロックオンされた。おんな子供を食べるタイプの鬼なのかな」
険しい顔になった月子が言うと同時に怒りの表情を見せた陽彦が飛び出し、一蹴りで大鬼との距離を詰める。
驚いた大鬼が防御の体勢をとる前に、陽彦の右拳が3つの目を結んだ三角の真ん中を打った。
神力は出ていないものの、神使による手加減無しの鉄拳が人で言う眉間に叩き込まれたのだ。
遥か後方へ吹っ飛ぶかと思われた大鬼はしかし、2、3歩よろけただけで踏み止まった。
「チッ!物理耐性か!」
舌打ちして飛び退った陽彦が皆のもとへ戻る。
「神力無しの物理オンリーだと削り切るのに時間掛かる系だ多分。魔法なら通ると思うんだけど」
先を越された上に分析までされてしまった茨木童子は、半眼にへの字口で随分と悔しそうな顔をする。
「何でそんなん分かるんすか」
「ゲームだと大体そうだから。この世界も神が管理してるなら、魔物にも何かしらの弱点は作ってると思うんだよね。あんだけの物理耐性があるのに魔法にも強いって事はないと思う。じゃなきゃ人類滅亡してそうだし」
顔を押さえて『グオォ』と吠えている大鬼を見ながら、あっさり答える陽彦。
「ふーん……。魔法の方が効きそうってだけで、殴る蹴るが効かへん訳やないんすね?ほな姐さん帰ってくるまでシバき続けといたらええんや」
そして陽彦の答えに対し独特な解釈をする茨木童子。
「シバき続けるって、殴ってもあの程度のダメージだから直ぐ復活するよ?危なくねーの?」
大鬼は顔から手を下ろし3つの目で陽彦を睨んだ。
「大丈夫っす。おたくらと違て俺は全力出せるんで。なんせ妖力浴びるだけなら悪霊は消えへんし。消す気で攻撃したらまた別っすけど」
「えぇー、何それズリぃわー」
羨ましそうに言う陽彦の前で、茨木童子が立派な2本の角を出し妖力を解放する。
あまりに強烈な妖力に森が、山が震え、今にも走り出そうとしていた大鬼の動きがピタリと止まった。
自分が捕食者だと思い込んでいた大鬼は、牙を剥き出しにして笑う化け物を前に、どうやら大きな勘違いをしていたようだと悟る。
逃げろ、と全力で叫ぶ生存本能に従い体重を踵へかけた瞬間、化け物の姿が視界から消えた。
「どぉーこ行く気ぃやデカブツ。俺と遊んでくれるんちゃうんか、アァ?」
背後から聞こえた声にギョッとして振り向けば、そこにはニヤニヤといやらしく笑う化け物が。
頭がスーッと冷たくなるような、心臓が体の外へ飛び出して行きそうな謎の感覚に混乱し、大鬼は化け物へ向け拳を振り下ろす。
人はそれを恐怖と呼ぶのだが、魔術を使う魔物さえ避けていれば無敵だった存在に分かろう筈もない。
「オオオォォォオオオ!!」
3つの目を剥いて吠えながら、幾度となく左右の拳を叩きつける。
地面が凹む程の威力に、これを受けて無事でいられるのは飛竜くらいのものだろうと自信を取り戻しかけた大鬼だったが、そこで漸く違和感を覚えた。
自身の半分近くの大きさはある生き物を潰した筈なのに、そんな手応えは無かったぞと。
恐る恐る手を止めて確認するも、やはりそこに化け物の死骸は無い。
固まってしまった大鬼の耳に、呆れ返った様子の声が届く。
「何がしたいねん。地面凹ましたら何かええ事あんのか?ワケ分からんわー」
声がした方へ3つの目を順番に動かした大鬼は、腰に手を当て首を傾げる化け物を見た途端、何が何でも逃げようと森へ向けて一歩踏み出した。
だが踏み出したと同時に顔面へ途轍もない衝撃が走り、後方へ吹っ飛んだ。
背中で着地したのは別荘と登山道の丁度中間辺り。
逃げられないと理解した大鬼は、このままじっとしていれば瀕死になったと思って攻撃して来ないのでは、と考えた。
ここには魔術を使う者が居ないようだし、打撃だけを続けるのは疲れるだろうと。
まあ確かに普通の騎士や兵士ならそうしたかもしれないが、残念ながら大鬼が相手にしているのは普通という概念から思い切りはみ出た伝説の悪鬼である。
「あ?何やもうオネムか?ほな起こしたるわ」
言うが早いか地面を蹴って大鬼の腹に降り立つと、両足揃えて勢いよくジャンプした。
月子のような美少女がやると可愛らしさもある動きだが、厳つい角と爪を生やした大男が牙を剥き出しにしながらやるともう、暴挙に出る悪役レスラー丸出しだ。
踏まれた大鬼はといえば、体をくの字にして身悶えている。
「ギャー何やってんのバカなの!?口から何か出たらどーすんの!?腹はやめろ腹は!」
悪役レスラーではなく“口から出るかもしれない何か”に怯える陽彦の声に成る程と頷き、茨木童子は大鬼の足側に立った。
「よし、逃げられへんように足からいっとこ」
とても良い考えだとでも言いたげに頷き、茨木童子は大鬼の膝へ集中攻撃を開始する。
喜々として殴る蹴る踏むねじるを繰り返す黒ジャージの悪鬼を眺めつつ、黒花は地面に寝そべってリラックスモードに入り、月子はそんな黒花を撫でながら鈴音はまだかなと耳を澄まし、陽彦は大百足以外の虫が出やしないかと周囲を警戒していた。
「いやー、詰所での手続きも簡単で良かったよねぇ。これで後はブロムトゥさんを成仏さしたげるだけやなー……て、なにアレ!?」
骸骨と虹男と共に別荘へ戻ってきた鈴音は、巨大な何かが庭に転がっているのを見て目が点である。
小1時間ばかり離れていただけで何が起きたのかと近付いて行くと、どうやら灰色っぽいそれは魔物らしいと分かった。
「おっ!姐さん、お疲れ様っす!」
魔物の陰から姿を見せた茨木童子が、爽やかな笑顔でお辞儀する。
「あ、うん、お疲れー。これなに?」
「鈴音様、お帰りなさいませ」
「はい、ただいま戻りました。因みにこれ……」
「ねーさんお帰りー!」
「ただいま、これ……」
「消して、直ぐ消して、何か吐く前に」
「せやから何やねんなコレ!?」
くわっと目を剥いて大鬼を指す鈴音に虎吉が大笑いし、キョトンとした茨木童子が首を傾げる。
「何なんすかね?よう分からんけど、大百足食うバケモンみたいっす。人も食うっぽかったんでシバいときました」
どや、と胸を張る茨木童子の説明は微妙だったが、何となく理解した鈴音は頷いた。
「何か吐く前にの意味が分かった。シバいて正解。けど、消してしもてええんかな?こんなん出たよ、やっつけたよ、て治安維持隊に報告しといた方がええんちゃう?」
「じゃあ首だけ持ってく?」
超絶美少女が恐ろしい事を言うと、嫌そうな顔をしたのは意外にも茨木童子だ。
「首だけはちょっと……。それやったら角なんか取っといたら分かるんちゃうっすかね?」
「あぁ、角か。そうやね、角持ってって目が3つある化け物でしたて言うたら通じるかな」
頷いた鈴音は思い出した。酒呑童子も首を斬られたのだ。
彼を敬愛する茨木童子からすると、角あるものの首を取るのはそれを連想して嫌だったのだろう。
「よっしゃ、ほんなら角切ってくるわ」
骸骨に虎吉を頼み、白目を剥いている大鬼の顔に近付いた鈴音は、無限袋からナイフ型の神剣を取り出す。
根元から何の抵抗も無く切れた角を手に戻ると、皆の目がナイフ型の神剣に注がれた。
「あ、これ?猫神様ファンの創造神様方が作ってくれはってん。めっちゃあるから日替わり状態で使えんねんで、贅沢やろ」
「へー」
スケールの違う話に薄い反応しか返せない一同へ笑い、ナイフと角を無限袋へ仕舞った鈴音は魂の光を全開にして大鬼を殴る。
軽く光って霧散した大鬼と鈴音を見比べ、茨木童子は『流石や』と目をキラキラさせていた。
「よし、そしたら変更になった依頼内容やねんけど」
骸骨から虎吉を受け取った鈴音へ皆が注目する。
「悪霊は依頼者のお母さんやったから、説得して成仏して貰うわ」
そう結論を述べてから、ここまでの経緯を掻い摘んで説明し始めた。




