第三十一話 妻
もこもこ雲の縄張りに戻ると、神々から拍手で出迎えられた。
「な、何事ですか」
思い切り動揺した鈴音の光が、激怒モードから5段階の5になる。
「あれー、戻っちゃったねえ。強い光の方が派手でいいのにー」
楽しげに笑うのはシオンだ。
「豪快な方が愉快よな」
「私は今ぐらいの方が好き」
「先程の光を扱い切れておらぬのは勿体無い」
「大陸は無理でも島なら消せそう」
「何にせよ面白いよ」
好き勝手話す神々はどうやら、あちらの世界の様子を見ていたようだ。
「あの、見てはりました?」
「そりゃあ勿論見てたさ」
鈴音の問い掛けにシオンが胸を張る。
その後ろでは、大鎌を携えた骸骨が嬉しそうに揺れていた。
「えぇー……?こっからそんなしっかり見られるんなら、私が向こう行く意味……。ただのでしゃばり……?」
鈴音がスナギツネ化すると、シオンは手を振りながら笑う。
「ああゴメンゴメン。我々は見る事は出来ても、ここから声を掛けて何かを尋ねる事は出来ないんだよ。あの世界を作ったわけじゃあないからね。つまり、猫ちゃんを探したり動物を探したりするには、世界の全てを見なくてはならない。時間が掛かって仕方がないね?勿論、猫ちゃんの為なら頑張って見るし、何なら化けて降りてもいいけれど、それなら鈴音に行って貰った方が何倍も早いってわけさ」
「そうですか、そういう事なら、ゴフッ!」
納得したと言う前に、腹筋へ白猫の頭突きが入った。
中々強烈な一撃にも拘らず、いいなあという目で見る神々に、この方々の事は猫好きとしてありがたく拝んでおこうと心に誓う鈴音である。
虹男は怯えて引いているので、拝まれないだろう。
「猫神様、ただいま戻りました。ただ、お土産になる面白い物が無くて。すみません」
お辞儀して詫びる鈴音の手に、白猫は喉を鳴らしてスリスリと頭を擦り付ける。
「気にせんでええて言うてはるで」
虎吉の通訳に頷いて、求められているのは手だなと理解した鈴音は、白猫をせっせと撫で始めた。
左腕に虎吉、右手で白猫。代わって欲しそうな神々の視線で、鈴音に穴が空きそうである。
「さて、希望通り身体の一部も戻った事だし、猫ちゃんが満足した後はキミの出番だね虹男」
どうにか白猫と虎吉から視線を外したシオンが、虹男に微笑み掛けた。
虹男の方は何とも微妙な笑みを浮かべ、落ち着き無く身体を揺すっている。
この後の事を思うと、本当は鈴音の後ろにでも隠れたい気分だが、白猫がくっついているので恐ろしくて近寄れないのだ。
「家に帰っても、さっきの世界みたいに、僕には攻撃してこなかったらいいのに」
「ああ、奥さんがかい?そりゃあ無理だろうよ。あの世界でのキミは生物として認識されてなかったろうけど、奥さんはまあ、見りゃ分かるだろうしねえ?いやむしろ怒鳴られもせず『どちら様?』とか言われる方がよっぽど怖くないかい」
シオンの指摘に、虹男は自らを抱き締めて小刻みに首を振る。
「怖すぎる、っていうかそれ言う……!きっとすっごい綺麗な笑顔で言う……!」
頭を抱えしゃがみ込む虹男に、男神達から同情的な視線が集まった。皆それぞれ、思うところがあるらしい。
そんな男神達を残念そうに見る女神達の中から、赤髪の女神が手鏡のような物を手にスッと抜け出す。
「あら、集会終わったの?うん、こっちはまだ楽しんでるわ」
手鏡へ小声で話し掛けながら、赤髪の女神は鈴音にウインクして壁際へ歩いて行った。
多分あの手鏡は携帯端末のような物で、相手は先程まで居た世界を作った、鳥好きの神だろう、と会釈を返した鈴音は考える。
あれはきっと、うまい具合に伝えておくという意味のウインクだ。
あの世界と神の関係がどうなっているかは知らないが、コンピューターが神に間違われるような状況だけでも、改善されればいいなと鈴音は願った。
そうこうしている内に、目を細めた白猫が香箱座りでリラックスした様子を見せる。
見守る神々にも和やかな空気が流れ、ピクニックよろしく床に腰を下ろし、お茶やお菓子を取り出し仲良く楽しみ始めた。
「なるほど、こんな感じになるんか喫茶室猫神」
しゃがんで白猫の頭を撫でていた鈴音は、人界の花見を連想する。
「花見は花より酒になりがちやけど、こっちは完全に猫神様メインやな。流石です神様方」
うんうんと頷きながら視線を動かすと、楽しげな神々の中でやはり虹男だけは上の空だった。
シオンの近くには居るものの、会話に参加している様子は無い。
「うわぁ。怖がらんと早いこと謝っといたら良かったのに。なんや夏休み最終日の小学生みたいやなぁ」
鈴音が呟いたところで、白猫が欠伸をする。
「ん、気持ち良かった言うてはるわ。よし、次は何するんやった?」
虎吉の通訳が聞こえたらしい虹男が見事に固まった。
憐れだが仕方がない、動物達の命運がかかっているのだ。
「次は虹男の奥さんトコ行って、動物達をお願いしますて頼むねん」
「あー、そうかそうか。ついでにオモロイもん無いか探すんやったな」
鈴音と虎吉の会話に、驚いた顔の虹男が近付いて来る。
「もしもし?違うよ?まずは、妻の怒りを鎮めるの手伝ってから、そういう話になるんだよ?」
「あれ?そうやったっけ?」
すっとぼける鈴音に、両頬を押さえた虹男が『酷いよー!』と叫んでいる。
「あはは、冗談やって。手伝うんはええねんけど、その前に虹男に聞いとかなアカン事あんねん。ずーっと、妻、て言うてるけど、名前。奥さんの名前教えてよ」
虎吉を抱えて立ち上がった鈴音を見て、虹男は幾度か瞬きをし、視線を泳がせ始めた。
これはもしや、と鈴音が見つめる中、観念したらしい虹男が口を開くと、澄んだ音色が転がり出る。
ガラスに金属に焼き物に、様々な素材で出来た風鈴を一斉に鳴らしたような、高く涼やかな音だった。
「うわ、やっぱりか。発音出来ませんシリーズや。めっちゃ綺麗けど」
「あ、怒らないんだ。だったらもっと早く言えばよかったよ」
ホッと胸を撫で下ろした虹男だが、何かに気付いたらしく慌てて顔を上げる。
「でもあれだよ?言えないからって変なあだ名付けたら駄目だよ!?ただでさえ怒ってるのに、手がつけられなくなりそうで怖いから」
「失礼な。変なあだ名なんか付けた事ないで」
「え、いや、虹男……」
キリリとした顔で返す鈴音に、虹男はそれ以上何も言えなくなった。
「よーし、話は纏まったみたいだね?じゃ、サクッと行って動物達の助命嘆願よろしく」
お茶の入ったカップを上げるシオンに代わり、大型骸骨がドームの出入り口へ近付いてクルクルと指先を動かす。
するとそこに、白猫の縄張りには無い扉が現れた。
繊細な彫刻が施された白い扉だ。
「うぅ……ウチのドアだ……」
うめき声を漏らす虹男へ、さあどうぞと言うように大型骸骨が扉を手で示す。
「骸骨の神様ありがとうございます。虹男、早よ行こ?」
「早よ早よ」
鈴音にも虎吉にも促され、ノロノロと扉の前に立った虹男は、ノックしようと腕を上げるも、力無く下ろし、また上げては下ろした。
繰り返す事五回。
苛々し始めた鈴音が拳を握った頃、息を大きく吸った虹男は漸く扉を叩いた。
コツコツ、と硬い木を叩く音に、柔らかな声が応える。
「はぁい、どちら様?」
その瞬間、明らかに体重が後ろへ移動した虹男を見て、鈴音は躊躇いなく扉を開け、その背中を突き飛ばした。全て右手のみの早業である。
「わーーー!!」
情けない声を上げながら扉の向こうへ消えた虹男を追って、虎吉を抱えた鈴音も足を踏み出す。
いいぞ、という神々の喝采にお辞儀を返し、静かに扉を閉めて振り向いた。
そこに広がっていたのは、白と青を基調とした、ヨーロッパの王族が住んでいそうな部屋だ。
大理石を思わせる白い床、大きな窓にはレースとロイヤルブルーのカーテン。
ロココ調の家具は白で統一され、あちこちに花々が飾られている。
部屋の真ん中には、名乗りもせずに飛び込んで来られるとは思ってもみなかったのか、大変驚いた様子の美女が立っていた。
白い総レースのマーメイドラインドレスを身に纏い、パールブルーの長い髪をハーフアップにしたこの美女が、虹男の妻であろう。
「ほぁー、美ッ人……あ、人ちゃうわ、美女神?」
マーメイドラインなど体型に自信がなければ着られる服ではないので、当然そちらにも目が行く。
「おまけにナイスバディやで、こんな絶世の美女神が虹男の奥さんとか嘘やろ」
虹男と同い年くらいなのだろうか。
自身よりほんの少し年上に見える女神に見惚れる鈴音は、挨拶のひとつもしていない事に漸く気付いた。
小首を傾げて微笑む女神に、慌ててお辞儀をする。
「ご挨拶が遅れました!猫神様の神使で、鈴音と申します。こちらも同じく神使の虎吉です」
「虎吉や、よろしく」
揃って挨拶をすると、やはり喋る猫が珍しかったのか、女神は目を丸くしてから花が咲くような笑みを見せた。
「まあ可愛らしい。今日はどういった御用で?」
どこまでも優しく、優雅に椅子などを勧めてくれるのだが、鈴音にはそれが恐ろしかった。
御用も何も、視界に入っている筈なのだ。
突き飛ばされた勢いのまま入り、玄関先で固まっている男が。
それを綺麗さっぱり無視しての、この対応。
これは不味いぞ、と思う鈴音とは逆に、虹男は身体の力を抜き、ホッとした様子を見せている。
怒られずに済んだ、とかなんとか思っているのかもしれない。
『ちょ、何しとんねん阿呆、とにかく全力で謝らんかい!!』
そう叫びたいが女神の前で出来る筈も無い。
取り敢えずぎこちない微笑みを返しながら、虹色玉との経緯を手短に話した。
勿論しっかりと空気を読んだ鈴音は、虹男が居る理由はバッサリ省き、神々の総意でここへ来たと説明する。
「……なんてこと……。あなたにも皆様にも、そんなに迷惑を掛けたの。本当にごめんなさいね?」
「いえいえそんな。結果的に私は猫神様や虎ちゃんと出会えましたし」
「そう言って貰えると助かるわ、ありがとう」
悲しげな笑みを浮かべて、小さな溜息を吐く女神。
「本当に、死んでから他所様に迷惑を掛けるなんて、困った夫よね。まあ、もういないのだから、妻だった私が謝りに行かなくっちゃ」
どちら様、どころではない。
もう存在しないものとして扱っている。
どうやら虹男も気付いたようで、キョロキョロと目を泳がせてから、じっと鈴音を見た。
『いや何でやねん!!コッチ見とる場合か!!とにかく謝れ早よ早よ早よ!!』
くわ、と目を見開いて念じるが、そう都合よく通じるものでもなく。
虹男はただ挙動不審になっただけだった。
『何で解らんかな、隙作ってくれてはるのに!!』
存在しないものとして扱ってはいるが、態々それを本人の前で口に出したのである。
いや生きてるよ、とか何とか割り込んで対話に持ち込むチャンスではないか。
だがそれを察する事が出来るような男なら、そもそもこんな事態にはなっていないような気もする。
『しゃあない、手伝う言うたもんな……』
こちらもまた小さな溜息を吐いた鈴音は、全力の作り笑顔を女神へと向けた。
「しっかりした奥様ですね、旦那さんも誇らしい思いますよ。ちなみに旦那さんてどんな方やったんですか」
一緒に入って来ておいて、白々しいを通り越して阿呆らしい限りだが、女神も付き合うつもりらしく笑顔だ。
「可愛かったわ。無邪気で子供みたいで、守ってあげたくなるの」
その言葉に虹男はデレッと表情を崩し、それをうっかり視界の端に捉えてしまった鈴音は『デレとらんと謝れ!!』とイラッとするが顔には出さない。
「それはそれは。ほな、守り切れずに失ってしもた時は、さぞお辛かったでしょう」
「ええ、本当に。本当に本当に驚いて悲しくて辛かった。だって、彼を殺したのは人よ?私が作ったのよ?私のせいで彼が死んでしまった……耐えられると思う?」
「あー、それは耐え難い苦痛いうか、自分を責めて責めて、それでもまだ足りんくらいの絶望ですかね」
「ええ。絶対大丈夫だって言ってたのに。あんな言葉信じないでさっさと滅ぼしておけばよかった。私が馬鹿だったわ」
女神から笑みはとうに消え、その目には怒りと悲しみの涙が滲んでいる。
ここまでの会話とこの顔を見て尚、何も解らないのならあの男は終わりだな、と虹男を見れば、幾度も瞬きをし、口を開きかけては閉じて、必死に言葉を探している様子だった。
「ご、ごめん!!」
結局ただ一言そう叫び、虹男は女神に駆け寄って抱き締める。
「もう!!なによ!!生きてるならどうして早く帰って来ないのよ!!」
泣きながら抱き締め返す女神。
虹男も喋らなければ美系なので、身に纏っているのがボロ布な事を除けば、大変美しい光景だ。
「なんや?丸ぅ収まったんか?」
「みたいやねー。何やねん、別にそこまで怖ないやん」
世にも美しい抱擁を眺めながら、犬も食わぬという奴を食わされてしまった、胸焼けがする、と鈴音がうんざりしていると、何やら妙な音が聞こえて来る。
メキメキ、という音は虹男からしているようだ。
「ぐぁ、痛たたた、ちょ、助け」
「こ……っの……馬鹿あああぁぁぁあああーーー!!」
ドスのきいた叫びと共に、ベキ、と圧し折れた虹男が、壁に向かってぶん投げられた。
「えええ!?」
「おおお!?」
突然の出来事に鈴音は目を点にし、虎吉は目をまん丸にして総毛立っている。
「どれだけ、どれだけ心配したと……思ってんのよーーー!!」
吠える女神の周りに、強烈な神力を凝縮した光球が幾つも現れ、それら全てが何の迷いも無く真っ直ぐ虹男に放たれた。
「ぎゃーーー!!」
轟音と共に砕け散る壁と虹男。
例によってスプラッタな状態にはならないが、バラバラ死体のような見た目は非常に衝撃的である。
そのバラバラ虹男に向けて今度は雷が落とされ、稲光と雷鳴が消えた後には黒焦げの何かが残った。
「いーやー!!夢に出るわあんなん!!」
「こっっっわ!!あの女神こっっっわ!!」
「見てないで助けてー!!」
転がった頭に助けを求められ、鈴音は全力で首を振る。
「無理!!」
その後も暫く女神による攻撃は続き、虹色玉になって飛び散る事は無かったものの、虹男の身体はあちこちに散らかった。
地獄のような光景の中、鈴音は先程放った、怖くない、という己の発言を撤回する。
「奥さん、めっっっちゃ怖いわ色んな意味で」
散らかったモノが視界に入らないよう、遠い目をしながら虎吉に鼻を埋める鈴音。
虎吉も気持ちは理解出来るのか、スナギツネ顔ながらも黙って吸われていた。




