第二百九十六話 嘘が上手い理由
事情説明も終わった所で時計を確認した鈴音は、まだ14時半過ぎだと知り当初の目的通り鞍馬山へ向かう事にする。
「鞍馬天狗に鬼さんに教えて貰た影女さんの情報早よ伝えたいんで、今から山行って残った時間は澱掃除しよ思います」
「え、大丈夫か?疲れてへん?無理せんでええよ?」
異世界に行き慣れているのは知っているが、今回は急に引っ張り込まれたのだ。流石に疲れているのでは、と心配する綱木に鈴音は笑顔を返した。
「悪党騙したり化け物と戦うたワケやないんで、気力も体力も余りまくってます。お気遣いありがとうございます」
普段はそんな事をしているのかとスナギツネ顔になりかけた綱木は、どうにか踏み止まって咳払いの後に頷く。
「ほな止めへんけど、くれぐれも無理せんように」
「はい。行ってきます」
会釈して出て行く鈴音と、そっくり同じ動きをしてついて行く茨木童子。
見送った綱木は眉を下げて笑う。
「うーん、待っとっただけの俺が一番疲れとるんは何でや、歳か。……はぁ。延期した調査、明日にでも行ける言うとこ」
固まっていた身体を伸ばして解し、気合を入れ直してパソコンと向き合った。
走って跳んで鞍馬山へやって来た鈴音は、魔界への入口がある階段前に歩を進めようとして、ハッと茨木童子を見る。
「しもた。私は姿隠しのペンダントで誤魔化してるけど、あんたの姿が丸見えや。階段の前からこんな背ぇ高い男が急に消えたら流石に目立つわ、どないしよ」
「あー、確かにヤバいっすね。天狗の国は行った事ないから、俺が自分で通路開けるんも無理やし」
道の端で顎に手をやり考え込む鈴音と、腕組みをして小声で唸る茨木童子。
悩む事暫し。
「そうや、人目につかへん場所からダッシュして、開いた通路に飛び込むんはどない?」
「お、ええっすね。人の目に留まらん速さで駆け抜けたらええだけっすもんね?」
「うん。そうと決まれば早速アイツに声掛けよ」
アイツって誰だろうと首を傾げる茨木童子に、人目につかない所まで移動しろと合図しておいて、鈴音は階段前へ早足で向かった。
息を吸い、大きな声で呼び掛ける。
「たのもーう!猫神様の神使が来たでー、早よ開けな大事な結界突っつくでー」
言い終えるのとほぼ同時にバサバサと羽音が聞こえ、鈴音の目の前に通路が開いた。
「クァー!!普通に声掛けろ普通にッ!いちいち脅さなくてもちゃんと開け…………、今なんか通った?」
出迎えた烏天狗が文句を言っている隙を突き、茨木童子が風のように駆け抜ける。
烏天狗がキョトンとして振り向く間に鈴音も通路を潜り、素知らぬ顔で背後を指した。
「カラスー、通ったから閉めてー」
「あ、そうだった。けど今絶対お前以外にも何か通ったぞ?」
通路を閉じた烏天狗は周囲を見回し、訝しげに首を傾げる。
そこへ、木の陰から茨木童子が姿を見せた。
「クァやっぱり!誰だお前、鞍馬天狗様の領地に無断で入るとはいい度胸だな!」
羽を広げて威嚇する烏天狗を見ながら、茨木童子はどうしたものかと困り顔だ。
「姐さん、どないすんのが正解っすか?」
「え?あねさん?猫の使いの弟?似てなくない?」
鈴音と茨木童子を何度も見比べ、右へ左へ首を傾げる烏天狗。
そのコミカルな動きに笑いながら鈴音は手を振った。
「弟ちゃうちゃう。関係性で言うたら先生と生徒みたいなもん。人の社会に馴染む為の修行中やねん」
「ふーん修行中カァ。……って、コイツ人じゃないの!?」
パカッと嘴を開いて驚く烏天狗に、頷いた鈴音が正体を告げる。
「茨木童子。酒呑童子の弟分の」
「へー」
気の抜けた声を出して茨木童子を上から下まで見た烏天狗は、何度か瞬きしてからソロリソロリと後ろへ下がり、一転物凄い速さで木の陰に隠れた。
「別に怖くないけど!何でそんなヤバいの連れて来た!?別に怖くないけど!」
顔だけ覗かせて叫ばれ、鈴音は頭を掻く。
「ごめんて。そんな怖がる思てなかってん」
「怖くないけど!」
「いやほら、今も言うた通り修行中で、私の助手みたいなポジションなんよ。この先、もしかしたらお使い頼んだりするかもしらんし、ついでやから鞍馬天狗に話通しとこ思て」
「茨木童子がお使いとか怖ッ……くないけど、ビビッ……たりもしないけど、えーとえーと、何かモヤッとする?」
とにかく怖がっているとは思われたくないらしい。
思い切り首を傾げ『モヤッと?』と自分の言葉に疑問符を浮かべる烏天狗が愉快で、鈴音は必死に笑いを堪えた。
「だ、大丈夫やから。茨木には問題起こされへん事情があるし、私の言う事はちゃんと聞きよるから」
「えー、ホントにー?あの茨木童子がー?」
烏天狗が全く信じていない様子なので、茨木童子自身に説明させるべく手で促す鈴音。
頷いてから、ずい、と前に出た茨木童子が胸を張る。
「おう、ええか烏天狗、よう聞いとけよ」
「グァ!こここ怖くないけど!?」
縮こまって木の陰に引っ込んだ烏天狗は、そうっと片目だけ出した。
「ふん。確かに俺は兄貴以外に従う気なんかなかった。けどな!姐さんは凄いねんで?めっちゃ素早いし素手で俺の動き封じるし……」
「そりゃ猫の神の使いだからなー」
「嘘八百並べ立てて人を騙し切るし!」
「そりゃ猫の神の使いだ……ったらマズくない?神の使いが人騙したらマズくない?」
羽をばたつかせ慌てる烏天狗を見て、得意げに話していた茨木童子が口を尖らせる。
「悪事働く為の嘘ちゃうし、心配せんでもええやろ。その世界の田舎もんのフリして情報収集しただけやし」
「ふーん?田舎者のフリ上手いなって感動して、従う事にしたのか?変なの」
「誰が変や誰が!」
「グァーッグァーッ!!」
カッと目を剥く茨木童子に怯え、烏天狗はすっかり木の陰に引っ込んでしまった。
「ふん、あの見事な演技を目の当たりにしたら『何もんやこの人!』思て当然や。俺は変やない」
「そそそそうだな、うん、烏も変じゃないと思う。で、猫の使いは何者?演技って嘘吐く事でしょ?嘘吐くのが仕事の人?」
「ん?仕事は神の使いやろ?あとは解呪とか。あれ?言われてみたら確かに不思議やな。何であんだけスラスラと嘘が出てくるんすか姐さん」
目をぱちくりとさせた茨木童子が首を傾げて鈴音を見る。
「うわ何や変な流れ弾飛んでった。今まで誰もそんなん聞いてけぇへんかったのに」
驚いて顔を引き攣らせる鈴音を、茨木童子と烏天狗が見つめた。
「聞かれたらヤバい話なんすか」
「弱み?弱み?」
「ちゃうし!ワクワクすな!おもんない自分語りになるから嫌やねん」
関西人にとって自虐ネタ以外の自分語りなぞ、酔ったオッサンの『俺も昔は悪かってん』とかいう武勇伝くらいどうでもいい。
だが悪鬼と天狗は違うようだ。
「おもんなくてもええっすよ。俺が聞いたんやし」
「そうだそうだ。喋れ喋れ」
真顔で言う茨木童子の様子から、どうやら話さないという選択肢はないらしいと理解した鈴音は、溜息と共に渋々頷いた。
「ホンマつまらんから覚悟しぃや?えー、むかーしむかし、いうてもほんの15年程前やけど」
「俺にとったらついさっきっすね」
「烏も」
「せやろなぁ。でも私が15年遡ったら何と、子供になってまうねんで。怖いやろー」
ハッとして『そうや姐さんは人やった』だとか『猫の使い、人だったっけ』だとか、狙い通りに驚いてくれる御長寿さん達に笑って、鈴音は語り始める。
「まだ誕生日きてへんから実際は14年前になるんか。私が9歳ん時に、父親が突然病気で死んでしもてん」
「稼ぎ頭が逝ってもうたんすか。ヤバいっすね」
「そりゃキツそうー。子供間引くか売り飛ばす?」
「現代の話やからね、普通は殺さへんし売らへんね。お父ちゃんの代わりにお母ちゃんが頑張ってくれるんやね」
「まあ昔もそうやったっすよ」
「へー」
それなりに人と関わりがあったらしい茨木童子と、既に不可侵条約が結ばれ人界には殆ど出て来なかった烏天狗の反応の差が激しい。
面白いなと思いつつ鈴音は続けた。
「お母ちゃんは元々働いとったけど、私と弟が学校行ってる間だけやってん。それを、朝から晩までの仕事に変えて頑張ってくれたんよ」
保険金で家のローンは払えたが、生活費は勿論この先増える子供達の学費等を考えれば、母がフルタイムの正社員として働くしかない。
「幸い市内にお母ちゃんのお母ちゃん、私の婆ちゃんが住んでたから、家の事はしてくれてん」
学校から帰れば祖母が『おかえり』と迎えてくれ、猫も交えて一緒に時代劇を観ながら、家事をしたり食事をしたり。
鈴音には何の不満も無かったが、母は仕事仕事で子供達と一緒に居てやれない、という負い目のようなものを感じていたらしい。
「たまに休みがあったら『どっか行こか』とか『何か食べに行こか』とか、絶対しんどいやろに何をそない気ぃ遣いよるんかなぁ思て」
家族で出掛け、子供の成長記録として思い出の写真を残したかったのかもしれない。
ただ、鈴音や弟としては、休みの日は母にしっかり休んで欲しかった。
「だってお母ちゃんまでお父ちゃんみたいに、パタッと倒れてそれっきり、てなったら嫌やん」
なので鈴音と弟は作戦を練る。
「お母ちゃんの休みの日はお友達と外で遊ぶ約束があります作戦、を実行してんけど」
実際に友達と予定が組めた日はいい。しかし、友達に先約があった場合、1人で行動するにしろ弟と遊ぶにしろ、口裏を合わせて嘘を吐く必要が出てくる。
その際、出掛ける前の『誰と、何処で遊ぶん?』はクリア出来ても、帰宅後の『何して遊んだん?』で蹴躓いた。
姉弟で遊んでいた日など、内容がそっくり同じになってしまう。結果、揃って目が泳ぎしどろもどろになったのだ。
これはマズいぞと、何をして遊んだか、いつ誰が何をしたかまで細かく2人で考えた。恐らくこの時、様々な場面を想定する想像力が鍛えられたのだと思われる。
そうして、きっちり練り上げた台本通りスラスラと嘘を吐き、トドメに『楽しかった』と笑ったのだが、祖母は騙せても何故か母にはバレてしまった。
「きょうだいで遊びたかってん、でもそない言うの恥ずかしかってん、とか中々に意味不明な誤魔化し方して乗り切ったけど、お母ちゃんの鋭さには参ったわ」
そして姉と弟は悟った。自分達に必要なのは演技力だと。
「そっからはもう、ドラマも映画もじっっっくり見たし、友達とか先生とか周りの人もめっちゃ観察した。興奮したら早口になんねんなーとか、瞬き増える若しくは減るとか、目とか身体の動きとか」
上手い役者と下手な役者の違いはどこか、何故この役者を下手だと自分は思ったのか。
この人は嘘を吐いている気がする、では何故そう感じたのか。
それらを分析し弟相手に実践、弟もまた姉へ仕掛け、想定外に即興で対応出来る力を養った。勿論、バレなかった場合は嘘だった事を演技終了後に伝える約束だ。
そんな風に遊びながらきょうだいで競い合う内、弟が高学年になる頃には母でも子供達の演技を見抜けなくなっていた。
「いうても、ずーっと嘘吐いて休みのお母ちゃんを放っといたワケやないで?当然家族でお出掛けもしとったけど。疲れてんのに無理する気ぃやなー思た時だけ、ありもせぇへん予定をシレッと入れててん。な?オチも何も無いおもんない話やろ」
説明終わり、とつまらなそうに息を吐いた鈴音に、烏天狗の何とも言えない視線が刺さる。
「お前ひょっとして、すげーいいヤツなのか?」
「何をどない聞いたらそないなるん……。食いっぱぐれへん為に策略をめぐらした子鬼らの話やで」
「クァッ!そうか、一緒に遊びたい母親を仲間外れにしてた悪いヤツだな!?」
「そうそう。死なれたら困るからこっちも大変や」
悪い笑みを浮かべる鈴音に烏天狗は『子鬼めッ』とカァカァ言っているが、茨木童子は呆れたように笑っていた。
「母を思てガキん時から訓練した結果やったか。そらその辺の奴が見破れる訳ないな」
弟もあのレベルなら、きょうだいで詐欺師になれば無敵なのでは、と考え慌てて首を振る。
「悪事企むだけでも問題や思われたらどないすんねん」
思わず周りをキョロキョロと見回してから、誰の目もない事にホッとした。
そうして、烏天狗をからかって遊んでいる鈴音に声を掛ける。
「姐さん流石っす」
「はいありがとう。ほれ烏、早よ鞍馬天狗んとこに連れてってんか」
さらりと受け流した鈴音が道の先を指すと、烏天狗は『グァー』と嫌そうに鳴き歩き出した。
「あ、そうだ。今日は何の用で来たんだ?茨木童子を見せるのはついでだろ?」
振り向いた烏天狗の問いに鈴音は頷く。
「影女さんの事で……」
「クァ!それ言ったらダメなやつ!」
今度は烏天狗がキョロキョロと周囲を見やった。
「ソイツ、主様が呼んだのに全然来ないだろ?だから怒ってんの、物凄く怒ってんの主様。怖いんだぞ。その名前出さなきゃ大丈夫だけど、影って聞こえただけで怖い顔になるから物凄く怖い」
茨木童子に対しては怖くないと虚勢を張れても、怒れる鞍馬天狗にはそうもいかないらしい。
震え上がる烏天狗に鈴音は悪戯っぽく微笑む。
「取り敢えず怖い事だけは伝わったわ。でも今日でその怖い顔ともオサラバ出来るんちゃうかな?」
「え、そうなの?」
「閻魔様にお仕えする鬼さんが情報くれたからね。期待しとき?」
「良かっ……ハッ!嘘?嘘じゃない?嘘だったら烏泣いちゃうかも!?」
嘴を開いて閉じて、羽も開いて閉じてと忙しい烏天狗。
「嘘ちゃうよ。怒ってた鞍馬天狗がポカーンとして呆れそうな情報やで」
「呆れるのカァ。怒るよりいいから期待しとこう」
笑う鈴音に頷いた烏天狗は、どんな情報かなと色々な想像をしつつ、足取りも軽く神使と悪鬼という妙なコンビを屋敷へ案内した。




