第二百九十一話 猫パンチ(但しメガトン級)
鈴音が異世界へ連れ去られたから探すのを手伝ってくれ。
虎吉からそんな連絡を受けた白猫ファンで猫馬鹿の神々は、大層驚きながらも直ぐに動いた。
ただ神界ではつい先日、とある神が身勝手な理由で異世界人を許可なく召喚し、多くの神々を怒らせる事件が起きたばかりだ。
罪を犯した神が消滅し問題の世界が原始に戻る事になった大騒動。
そのほとぼりも冷めていないこの時期に、他所の世界の住人に手を出そうなどと考える神は、バレても乗り切れる自信があるか、事件を知らないかのどちらかだ。
これはどっちにしろ骨が折れるぞ、と思いつつも、愛する白猫の為に猫馬鹿の神々は頑張った。
「虎吉、怪しい神みつけたぞ」
もこもこドームの入口から現れた少年神が言い、頷いた虎吉がその神と共に入口を通って怪しい神の縄張りへ行く。
行った先で匂いを嗅ぎ、骨董屋の前で覚えた神力と一致するか確かめた。
「ちゃうな。ここの神さんではないわ」
「そうかー、仕方ない戻ろう」
連れ立って白猫の縄張りに帰ると、虎吉は入口付近で待機する。
ネタ切れの少年神は『役に立てなくてゴメンな』と謝りながら、同じく知り合い全てを回り終えて渋い顔をしている神々の方へ向かった。
「充分助けられとるで、ありがとうな」
虎吉のお礼に少年神が照れ笑いを浮かべたすぐ後、入口から今度は男神シオンが現れる。
「虎吉。友達の友達の知り合いの知り合いの知り合いの知り合いの……」
「遥か遠い全く知らんどっかの誰かやな?」
「そうだね、そのどこかの誰かに繋がったよ。来ておくれ」
「よっしゃ行こ」
神様数珠つなぎで怪しい相手を見つけてくれたシオンに続き、虎吉は入口を潜った。
異世界の街道脇を非常識なスピードで走っていた鈴音達は、ほんの5分程でエベレスト級の山の麓にある村まで辿り着く。
村といってもしっかりとした石垣に囲まれており、この辺りも安全ではない事を示していた。
更に今は軍が駐留している為、随分と物々しい。
「あれが死の山で、この村に軍隊とか魔王の首を狙う荒くれ者が集まってんねんな」
村の手前で立ち止まり様子を観察する鈴音に倣い、茨木童子も目の上に手でひさしを作って眺める。
「そこそこデカい村っすね。けどさっきの街みたいに潜り込むんは無理っすかね」
「そうやね、こんな奴ら居ったか?て思われそうや。特に私がアカンな。女が魔王退治やなんて目立たん訳がない」
「ほなどないするんすか?」
「この村は無視して山越えよか。目的地は魔王の城なんやし、無理に入らんでもええやろ」
成る程と頷いた茨木童子に対し、口元にほんのりと笑みを浮かべどこか楽しげなサタンはヒラヒラと手を振った。
「じゃあここでお別れだ。俺は運命の神とやらに用はねぇからな。この村で遊んで行く」
明らかに何か企んでいると分かるものの、鈴音には止める理由も義理も無い。
「そう?うーん、責任あるんは悪魔の王を呼び込んだ神様で、この世界の人らは何も知らんねんから、御手柔らかにな?」
「ククク、どうなるかは人の行動次第だ」
口角を吊り上げた実に悪魔らしい笑顔のサタンと村を見比べ、最後に空を見上げた鈴音は、やれやれと溜息を吐いて軽く手を挙げる。
「わざわざ迎えには来ぇへんから、通路繋がるようになったら勝手に帰ってな」
「ああ、飽きたら帰る」
遊ぶ気満々のサタンを残し、鈴音と茨木童子は死の山目指して走り出した。
「ふぅ。何度も神の使いが『コイツは悪魔だ魔王だ危険だ』っつって警告してやってんのに、この世界の神は無反応だな。さては見てねぇな?そりゃそうか、呼び付けた奴が録画映像だったぐれぇだしな」
既に山裾の森に消えた鈴音達から視線を外し、村を見ながらサタンは笑う。
「そんじゃ、神がナメたマネしてる間に遠慮なく遊ばして貰おうか。あー……ここには賞金目当ての野郎共が集まってんだったな……ククク」
両手をコートのポケットに突っ込み、ちょっと勢いよく入れ過ぎて右手が痛んでプルプルしつつ、のんびりと村へ近付くサタン。
入口を警備する2人組の兵士がその姿に気付き、何者かと鋭い目で観察した。
「ぃよう、魔王討伐に行くんだろ?俺も交ぜろや」
立ち止まったサタンの胡散臭さに兵士達は顔を見合わせる。
何しろこの男、武器をひとつも持っていない。
馬も馬車も見当たらないという事は徒歩でここまで来たのだろうが、そうすると尚更、丸腰なのはおかしいのだ。
「おいお前、武器はどうした」
「身分証を出せ」
警戒する兵士達に『まあ待て』と左手を翳したサタンが、微量の魔力を出す。
「俺は前からここに居ただろ?ちょーっと気分転換に外へ出ただけだ」
「……ああ、そうだったな」
「そうだったか?ふーむ」
頷いたり首を傾げたりする2人組の横を通り過ぎ、サタンはあっさりと村へ侵入した。
兵士に会う度に武器は武器はと言われるのも面倒なので、短めの剣を作り出して腰から下げておく。
「んで?血の気の多い野郎が集まってんのはドコだ」
畑を抜け村の中心部へ向かうにつれ、兵士の数も増えてきた。
目抜き通りに出ると、薬屋と思しき店の隣にある建物へ、村人とは明らかに違う雰囲気の男達が出入りしているのが見える。
「あそこか」
ニヤリと笑って近付けば、どうやら集会所のようだと分かった。
サタンは扉が開け放たれている入口から堂々と中へ入る。
長机が幾つかと簡素な丸椅子が雑多に並ぶ室内は、銃だの剣だの槍だのを携えた、いかにも腕に覚えのありそうな男達でごった返していた。
「お?見ない顔だな、新入りか?」
適当な椅子に腰を下ろしたサタンへ、すぐ近くで革袋入りの酒を飲んでいる男が声を掛ける。
「まあな。今どんなカンジだ?」
問われた男は口角を下げて肩をすくめた。
「もう山越え出来るって聞いて来たのによ、今日で3日、足止めされてらぁ。まだ道の掃除が終わってねぇんだとよ」
「へぇー、そんなにややこしいのか?」
「魔物はあらかた片付けたけど、落石があってそれを退かすのに手こずってんだと」
「ふーん」
兵士を動員しても排除に時間が掛かるような落石か、と頷いたサタンの目によろしくない光が宿る。
「……それはもしかしたら神の御慈悲かもしんねぇな」
ぽつりと呟くサタンを、男は驚いて見つめた。
「神の御慈悲?どういうこった?」
「わざと道塞いで、俺らに魔王の城へは行くな、つってんじゃねぇのか?開通直前にデカい石が降るなんざおかしいだろうが」
別におかしくはない。そんな偶然もある。しかし静かに語るサタンの声音には、妙な説得力があった。
「賞金が出るっつーから来てはみたけど、どうにも妙だとは思ってたんだよなぁ」
「な、何がだ」
「どの辺が」
「詳しく教えろ」
酒を飲んでいた男だけでなく、聞き耳を立てていたらしい他の男達もサタンの周りに集まる。村に娯楽は殆ど無く、暇を持て余していたようだ。
期待に応えてやるべく頷いたサタンは、実に滑らかに嘘を吐き始めた。
「攫われた姫を取り返しに行く、ってのがもうおかしいんだよ」
「普通だろ、どこぞの村娘とは訳が違う」
「そう、村娘じゃねえのよ。姫ってのは政略結婚の大事な道具だ。分かるか?他所の王族やら貴族やらに人質として嫁がせて、国同士の結び付きを強くする為だけの存在だ」
それくらい知っているという顔をする男達に、まだ分からないのかとサタンは溜息を吐く。
「だから、キズモノに用は無ぇって話だよ」
「へ?あー……!」
「マジか、いや、そうか」
「うわ言われてみりゃ確かに」
いつの間にか集会所中の男達が聞いていたようで、ざわめきながら顔を見合わせていた。
「な?キズモノ云々以前によ、どこの世に魔王に攫われた女なんか貰う男が居る?訳の分からん呪いにでも掛かってたらどうすんだ?お前だったら貰ってやるか?」
サタンと目が合った男はブンブンと勢いよく首を振る。
「そんな厄介な女を助け出して城に戻してみろ、他に姫が居たらそいつらの価値も無くなるぞ?」
「何で?ヤバいのは攫われた姫だけだろ?」
「いやいやいや、仮に姫が3人居たとして、どれがどれか見分けつくかお前」
言われた男はキョトンとしているが、理解出来た男達は事の重大性に目を見開いていた。
「他所の国の姫の顔なんざ、ロクに知らねぇんだよ王族も貴族も。その状態で、攫われたのは長女でしてこれは次女ですから問題ありません、とか言われて信じんのかって話よ」
サタンの説明に手を打ったり頷いたり驚いたり、あちこちで声が上がる。
「魔王に攫われた事を隠すべきだったな」
「公表しちまった以上、姫は魔王に殺されたとすんのが最善だろ」
「そうか、下手に助け出したら、歳の近い他の姫まで攫われた姫なんじゃねぇのかって疑われるのか、顔知らねぇから」
「それどころか、王族全体に魔王の呪いが掛かったんじゃねえか、なんて噂が出そうだぞ」
険しい顔で語り合う男達。
投げた小石が上手い具合に波紋を広げたな、とサタンはほくそ笑む。
直ぐに表情を引き締め、咳払いをしてから口を開いた。
「つまりな、姫を助けるなんてのは嘘だ。目的は他にあるってこった」
「どんな!?」
「俺らに何をさせる気だ?」
入口に誰も居ない事を確認してから、声を潜めてサタンが語る。
「魔王を倒させたいのは本当だろうよ。問題はその後だな。魔王亡き後あの場所はどうなる?」
土地勘の無いサタンは、具体例を出さず尤もらしい表情で皆を見回した。
すると、勝手に解釈した男達が口々に言い募る。
「隣国を攻める拠点として使うのか!」
「そうか、今までは魔王の領地が邪魔で海を渡る必要があったが……」
「魔王さえ居なくなりゃ突っ切れる!」
「それに貴重な金属類も埋もれてるって噂だぞ」
「おいおい、国王は笑いが止まんねぇだろそれ」
成る程そういう位置関係かと理解したサタンは、暗い笑みを浮かべて皆を見た。
「……で、賞金で釣ったお前らに魔王を倒させた後は、生き残った奴を兵士達に殺させるんだろうな。もちろん姫も殺して『勇敢なる男達は姫を助ける為に戦い、無念にも姫と共に散ってしまった』とか言う、と。そんで姫と彼らを弔う為にとか理由付けて石碑でも建てて、速攻で実効支配」
「……マジか……」
すっかり何の根拠も無い話を信じ込んでしまった男達が、硬い表情で拳を握る。
「それを防ぐ為に、神が石を転がして警告してくれたのかなーっと思ったんだ。行ったら死ぬぞ、ってな。っつーワケで俺は帰る。兵士に後ろから撃たれるのは真っ平ゴメンだ」
言うだけ言って立ち上がったサタンは、まだ頭の整理が追い付いていない男達を残し、集会所を後にした。
その頃神界のとある縄張りに建つ西洋風の宮殿では、長い金髪の女神が広い部屋の窓際で溜息を吐いていた。
「早く運命の書を持ってきてくれないかしら。このままじゃ世界が滅茶苦茶になってしまう」
庭を見るともなしに見ながらそう呟いた時、不意に物凄い速さで接近する神力に気付く。
「え!?な、なに!?」
余りにも強大な力に面食らっている内に、それは直ぐそばまでやって来た。
直後。
フッと何かが頭上を横切ったと思った瞬間、視界から天井が消え、代わりに青空が映った。
何が起きたのか分からず唖然としている女神を、上空から白い獣の顔が覗き込む。
「はや、速いよ猫ちゃん!!流石だね!」
「うわ1階の天井から上が無い!猫パンチで吹っ飛ばしちゃったかー、寧ろ手加減出来て偉いなあ」
「猫ちゃんを怒らせた馬鹿はどこ!?ぶん殴ってやるわ!!」
「それにしても、猫ちゃんって本気出したらこんなに大きくなるんだね」
「モフり甲斐がありそうだ、いつか触らせて貰いたいものよな」
獣に続いて現れた神力も軒並み強大で、訳の分からない事を賑やかに喋っていた。
ただ混乱するばかりの女神の前に、巨大な獣の頭から小さな獣が降ってくる。
くるりと回転して見事な着地を決めたのは、耳と目が特徴的な縞模様の獣だった。
「おう、アンタかウチの大事な眷属に手ぇ出してくれたんは。覚悟は出来とるんやろな、オォ!?」
黒目がちな可愛い顔からは想像出来ない重低音を轟かせ、鼻筋に皺を寄せて鋭い牙を見せる獣。
白い獣や外に居る者達程ではないが、それでもとんでもない強さの神力を迸らせながらの威嚇だ。
「ま、まま、待って!?何の話!?」
命の危険を感じた女神は必死に声を張り上げる。
「眷属だとか手を出したとか、何の事だか……」
「往生際の悪いやっちゃ、もうええ、踏み潰そ」
小さな獣の言葉に合わせて、大きな獣が右前足を上げた。
「えええ!?ちょ、待って待って待って」
「そうだね虎吉、ちょっとだけ待っておくれ。権限はいつでも乗っ取れるけれども、一応話は聞いてやろうじゃあないか」
壁をふわりと飛び越えて入ってきた、短い金髪と薄紫の目をした男神が獣達を止める。
話が通じそうな相手が現れた、と男神を見る女神だが、彼の目に凄まじい怒りの炎を認め愕然とした。
男神の後からゾロゾロと入ってきた神々もまた、呑気な会話をしていたと思えぬ怒りを纏っており、女神を更に混乱させる。
「わ、私の屋敷に入る許可は出していませ……」
「先に手ぇ出したんそっちやろが!!」
「落ち着いて虎吉。キミもね、火に油を注ぐような事を言うもんじゃあないよ。死にたくないならね」
いつでも飛び掛かれる体勢で唸っている獣と、穏やかに見えて物凄い圧力を掛けてくる男神の迫力に、混乱したまま女神は頷いた。
「まず答えて貰いたいのは、何故異世界から人を攫ったりしたのかという事だね。ついこの間、神界中を騒がせた異世界人誘拐事件は知らないのかな?犯行に及んだ神が死ぬ羽目になったんだけれどね」
薄紫の目に射抜かれて、女神は息を呑む。
「神が……死……?そ、そんな……」
口元を手で覆いガタガタと震えだした。
「ふむ、知らなかったのか。まあだからと言って、勝手に異世界の住人を自世界に連れて行った事が赦される訳ではないね」
「……それは……」
「しかも神の眷属で神使をだ」
「ええ!?そ、そんな、そんな筈ない!!だって転移の条件は“神を恐れぬ者”だもの!!」
女神の叫びを聞いた男神は首を傾げる。
「確かにその条件なら鈴音は当て嵌まらない。けれども実際に攫われてしまったのさ。そばに居た“神を恐れぬ者”とやらの転移に巻き込まれてね」
「え……?」
「対象者1名と範囲指定したのかい?虎吉曰く合計3名が転移したそうだよ?」
呆れた様子の男神から視線を外した女神は、額に手をやり考え込んで、目を見開いた後に冷や汗を流し始めた。
「あれ、やらかしたわね」
「うわー、寧ろ3名で済んで良かったね」
「近くには鈴音の上司も居たのだろう?」
「巻き込んでたら鈴音がキレて向こうで大暴れしてたに1票」
「不幸中の幸い?」
ヒソヒソ話す神々の声に居たたまれなくなったのか、女神はその場に両膝をついて項垂れる。
それを見ながら男神は冷たく言い放った。
「さて、理由を話して貰おうか。誤魔化しや言い訳は要らないよ」
「……わかりました……」
獣達と男神を筆頭とした刺々しい神力に晒されながら頷いた女神が、何ゆえこのような暴挙に及んだかを震える声で語り始める。




