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第二百八十六話 魔女と魔女

 あっさりと使用許可が下りたので、鈴音達は事務所を出てリハーサル室へ歩を進めている。

 施設使用料はその場で昌乃(まさの)が支払ってくれた。喫茶店で済む筈の所をゴネたのは自分なので、だそうだ。

 申請すれば経費で落ちそうな気もするが、税金は出来るだけ節約した方がよかろうと考えた鈴音は、有名女優の顔を立てるという(てい)でありがたく払って貰った。



 専用入口の鍵を開け中へ入ると、廊下の先にもう1つ扉がある。それを開けるとそこは、歌也(かや)達が立つ舞台程の広さがある板張りの部屋だった。

 鈴音はスイッチに手を伸ばし灯りをつける。

「ほな山本さんとアイツ呼んできますんで、ここで待っといて貰えますか。椅子でもあったらよかったんですけど……」

 振り向いた鈴音へ頷き、昌乃は入口付近で靴を脱ぐと奥の収納を開けてパイプ椅子を出してきた。

 勝手知ったる劇場らしく、壁際に椅子を置きにっこり笑ってから座る。

 座ると同時に小さなバッグからスマートフォンを取り出し、せっせと指を動かし始めた。

「うん、自由。流石や女優。えーと、鬼さんは誰も入らんようにドアの外で見張っとって貰てええですか?」

「任せて下さいー」

「お願いします」

 胸を張る鬼に微笑んで会釈し、鈴音は楽屋口へ急ぐ。


 楽屋の扉をノックすると、良子オバちゃんが顔を出した。

「あれ?もう片付いたっすか?」

 小声での問い掛けに鈴音は首を振り、チラリと部屋の方へ視線をやる。

「山本さん居てる?」

「うっす」

「あんたと山本さんにちょっと来て貰いたいねん。犯人からのお呼び出しや。すぐ行ける?」

「兄貴は舞台袖に行ったんで、問題無い思うっすよ」

 そう言って良子オバちゃんは振り向き、山本に声を掛けた。

「山本さーん、何や今回の事で話があるみたいよー?ここやとあれやから、場所変えたいねんて」

「お話ですか?あ、夏梅さん」

 顔だけ覗かせた鈴音に気付いて、山本は不思議そうな表情だ。

 とても呪いを掛けられる程の恨みを買った人物には見えない。昌乃との間に何があったんだろう、と思いつつ鈴音は微笑む。

「ここのリハーサル室をお借りしましたんで、貴重品だけ持ってついて来て貰えますか」

「え……」

 山本としては何故そんな場所で今なのかと聞きたかったが、鈴音は既に顔を引っ込めているので、仕方なく言われた通りに歌也の物も含め貴重品を持った。

「ほな行きましょか」

 山本が楽屋を出るや背を向け歩きだす鈴音。

 良子オバちゃんと一緒について行きながら、山本の顔には怪訝な表情が浮かんでいた。



 リハーサル室へ到着すると、鈴音がどうぞと入るよう促す。

 それに従い靴を脱いで中へと進んだ所で、山本は入口側の壁際に居る人物に気付いた。

「あなたは……」

 驚いて目を見開く山本に対し、昌乃はゆっくりと立ち上がって艶やかに微笑む。

 中へ入って鍵を閉めた鬼が門番宜しく扉前に陣取り、鈴音は何かあったら即座に対応出来るよう靴を脱いで壁際へ寄っておいた。良子オバちゃんには自身の隣を示して手招きする。

「これはどういう事でしょうか夏梅さん」

 困惑しているような迷惑しているような顔で鈴音に問う山本へ、昌乃が艶やかな笑みのまま口を開いた。

「私が頼んだんだけど?あなたと……あれ?この人の味方になった凶暴な男は?」

 男ではなくオバちゃんが居る事にきょとんとしている昌乃と、話がサッパリ見えず眉間に皺を刻む山本。

 小さく溜息を吐いた鈴音は、良子オバちゃんに告げる。

「元の姿に戻ってええで」

「うっす」

 頷いた良子オバちゃんは煙に包まれ、一瞬で背の高いアスリート風のイケメンに変わった。


「は!?」

 山本は何が起きたのか分からず眉間に皺を寄せたまま固まる。

 昌乃は唖然としながらも、呪いを信じるだけあって然程動揺していないようだ。

「成る程ね、そんな不思議な事が出来るなら、もっと凄い事も出来るって訳だ?」

「まあそういう事です。怒らせたら面倒なんで、彼の事には触れへん方向でお願い出来ませんかね」

 鈴音のお願いに昌乃は頷くが、山本はそうもいかない。

「ど、どういう事!?何がどう……本当は男性だったって事ですか!?歌也の着替えの時も楽屋に居ましたよね!?」

「後ろ向いとったしええやろ別に」

 面倒臭そうに答える茨木童子を睨み山本は首を振る。

「そういう問題じゃないでしょ!?歌也のそばに男が居たなんてバレたらどんな噂になるか……」

「誰がどう見ても人の良さそうなババアやったやろが。どこのどいつが騒ぐねん。お前が黙っといたらええだけやろアホか」

 フンと横を向きご機嫌斜めな茨木童子を見て、言い返せない山本は拳を握ってプルプル震え、昌乃は楽しげに肩を揺らした。


「ねえ、何でその人の味方になったの?」

 この態度の悪い男に興味を持ってしまったらしい昌乃が尋ねると、茨木童子は物凄く嫌そうな顔をする。

「別にこの女の味方なんかしてへんで?俺は兄……」

「歌也さんを気に入ったらしいんですよ」

 神速で割り込んだ鈴音が胡散臭い笑みを浮かべた。

「山本さんが狙われると歌也さんにも害が及ぶんで、結果的にどっちも守る形になったんです」

 やはり歌也に下心を、と怒鳴りかけた山本だったが、『山本さんが狙われると』という鈴音の言葉で思いとどまる。

「私が狙われるって……どういう事ですか。まさか藤原さんが?そんな筈ないですよね」

「藤原ぁぁぁあああ!?」

「うっさい黙れシバくで」

「うっす」

 茨木童子の殺気立った大声に山本も昌乃も身を震わせて驚いたが、鈴音には逆らえないらしいと分かってホッとした様子だ。


「すんませんね、話の腰へし折って。えー、分かってる事だけ簡単に説明しますと、山本さんあなた彼女に呪われてたんですよ」

 簡単過ぎる説明に山本の目が点になる。

「はい?呪われてた?」

「そうです。歌也さんが感じてた怪しい気配も悪意ある視線も、全部山本さんを(ねろ)た呪いやったんです。お2人が首から下げてるペンダント型の御守りが、それを防いでくれてたんですね」

 にわかには信じ難いのか、片手を頬に当て山本は困惑の表情を浮かべた。

「え……でも気配を先に感じたのは歌也で……」

「そらあっちは人気もんの女優さんですからねぇ。変な視線や気配には敏感でしょ。と、まあ私に分かるんはここまでなんですよ。後は御本人さんに聞かな、何でこんな事したんかなんて分かりません」

 視線を山本から昌乃に移すと、それはそれは綺麗な笑みが返ってくる。

「理由なんて簡単簡単。嫉妬よ嫉妬」

 笑ったままの告白に、山本は何を言われたのか分からないという顔をした。


「嫉妬?何であなたが私に?」

「そりゃあ愛する夫を寝取られたからに決まってるじゃない」

 さらりと言ってのけた昌乃に、その場の全員が驚く。

「不倫!?有名女優の夫と他の女優のマネージャーが!?芸能界こっわ!!」

「その派手な女捨てて地味な女に乗り換えたんか!うわー、俺には意味分からへん」

「綱木さんの予想的中でしたねー。見事に男女関係のもつれですー」

 口々に言い募る鈴音達へ、山本が首と手を振った。

「違います違います!!ここの夫婦関係は破綻してるんです!!」

 必死の否定に一瞬納得しかけ、いやいやと我に返った鈴音がツッコむ。

「不倫には違いないですやん。離婚してへんのやったら」

 確かに、と頷く鬼と茨木童子。

 それでも山本は首を振る。

「彼は離婚したいのに、彼女が体裁を気にして嫌がってるだけなんです。夫婦関係はもう無くて、別居中だそうですし」

「でも不倫ですよ。離婚するまでは」

「ああもう、だったらそれでいいです。戸籍上の妻は彼女ですけど、あの人が愛してるのは私だという事です。彼女も彼への愛は無いので、嫉妬なんかする筈ありません、以上!」

 話が通じない相手への説明を諦めたと言わんばかりの態度を見せる山本から、昌乃へ視線を移す鈴音。


「……らしいですけど?」

「ふふ、じゃあ何で私は呪いなんかかけたの?」

 笑っているし声に妙な震えも無く冷静に見える昌乃だが、埋もれるのではないかという勢いで負の感情を溢れ返らせている。

 問われた山本はと言えば、渋い顔で考え込んでいた。

「夫を他の女に取られた事が世間にバレて、恥を掻くのが嫌だったから……?」

「世間ねぇ。その世間様が思う私のキャラクターなら、浮気夫に三行半!縋り付くのは性に合わない、さっさと次の恋を探すわと大笑い!女は強し!みたいなのの方が似合ってると思うけど?」

 派手で艶やかな見た目やサッパリした言動から、女優藤原昌乃といえばサバサバした姉御肌だと思われている。

 本人の言う通り、不倫した夫をポイと捨てて見せる方が寧ろイメージに合っていて、『本当は傷付いてるのにそれを見せずに笑うとかプロだよねカッコイイ』等と女性から支持を集めそうだ。

 指摘を受けた山本は反論出来ず口籠る。

 それを見て昌乃が冷ややかな笑みを浮かべた。

「可哀相に。あの人の嘘を真に受けて、自分が奥さんになったつもりだったんだ。でも残念、あの人は私の夫なんだよね」

 完全な、上から目線というやつである。しかも冷笑のオマケ付き。鈴音がよくやる煽りと同じだ。


「かっ、可哀相なのはあなたでしょ!別れたがってる人を縛り付けて何がしたいの?自分のキャラクターが分かってるなら早く離婚しなさいよ!」

 悔しそうな顔で山本が言い返す。

 大人しく流れを見ていた鈴音は、もうどうでもいいから帰りたい、と思い始めていた。

「あのー、ええですか?」

 鈴音が挙手して口を開くと、皆の視線が集中する。

「旦那さんの心が、ふじわ……昌乃さんにあると言い切れる理由というか根拠というかを突き付けたら、山本さんは身を引くしかない思うんですけど」

 名字を呼ぶと茨木童子が苛立つので名前で呼んでみたが、昌乃は気にしていないようだ。

「呪いを使(つこ)た理由が嫉妬やて判明したんで、私らとしては『今後一切呪いの類には頼りません』いう約束さえ貰えたらそれでええんですよね。その為には山本さんの思いを断ち切るんが手っ取り早いんちゃうかなぁと」

 上演中のミュージカル顔負けの愛憎劇は他所でどうぞ、と言外に匂わせた。

 すると昌乃が困ったような顔で笑う。


「あ、ごめんね。早く帰りたいよね」

 そこで笑みを深くして幸せそうに続けた。

「実は私、妊娠したんだ」

「……は?」

 ポカンとする山本へ向き直り、これ見よがしに腹部へと手を当てる。

「まだ2ヶ月なんだけど。長年待ち望んでやっとだから、夫婦で大喜びしちゃった」

 大変おめでたい事を笑顔で告白する昌乃。

 だがそれだけに、鈴音は背筋がゾッとして鳥肌が立った。

 これが本当なら、待望の妊娠で母になろうかという女が、負の感情を溢れ返らせ呪いで人を殺そうとしていた事になる。

「えぇー……?子供の事考えたら、呪いとか使われへんのとちゃうん?変な影響あったらどないしよとか思わへんもんなん?」

 独り言に近い鈴音の疑問に昌乃は首を傾げた。

「だから赤の他人に頼んだでしょ?」

 自分の手は汚していませんが何か、といった表情を返され鈴音は絶句する。

 そこへポンと手を打った山本が割り込んだ。

「ああやっぱり。嘘なんですよ、子供が出来たなんて。だから平気で呪いだなんて怖い事が出来るんですよ、ね?」

 何故か同意を求められたが、鈴音は否定も肯定もしない。

 それをどう取ったのか山本は昌乃を指差し非難する。


「彼を繋ぎ止める為に子供が出来たなんて嘘吐いたんでしょ?そういう、誰かを傷付ける嘘はやめた方がいいですよ?」

 呆れ顔で首を振る山本を見ながら、昌乃が実に楽しげな笑みを浮かべていた。

「本当の事だけど?妊娠したのもあの人が喜んだのも」

「じゃあ托卵ですか、最低だわこの人」

「ねえ、あの人は喜んだんだよ?意味分かってる?身に覚えがあるから喜ぶんだよね?無かったら誰の子だってその場で言うよね?」

 笑顔の昌乃に畳み掛けられ、わざと気付かない振りをしていたらしい山本は一旦黙るも、直ぐに復活した。

「もうやめましょうよ。何で興味なくした相手にそんなに執着するんですか?捨てる気だったけど他人のものになったら急に惜しくなった、とかですか?」

 やれやれ、等と口に出して言いそうな山本と、負の感情を出しながら笑っている昌乃の不毛なやり取りに、鈴音は我慢の限界を迎える。


「も、どっっっちでもええわ鬱陶しい!子供出来たのに人を呪うアホと、不倫の分際で盗人猛々しいにも程があるクズのやり取りなんか誰が興味あんねん」

 突然キレた鈴音にギョッとして、昌乃も山本も顔を強張らせた。

「あ、話聞かせろ言うたん私や。まあでもこんなアホらしい流れなる思わへんやん?」

「うっす」

「ですねー」

 茨木童子と鬼はかなり高レベルな“空気を読むスキル”を持っているようだ。

「浮気相手呪うぐらいやったら旦那をシメたらええやんか。ほんで盗人にはガッツリ慰謝料請求かますとか。ほんならナンボかスッキリするんちゃうの?なんや自分は呪いに手を染めた訳ちゃうから大丈夫、とか思てるみたいやけど、そんだけ真っ黒な感情垂れ流し続けてたら悪影響出るで赤ちゃんに」

 頭の先から爪先まで視線を動かして顔を顰める鈴音の様子に、何かが見えているようだと理解した昌乃は不安げな表情をする。


「苛々しだしたのはこの2週間くらいで、もうすぐスッキリ出来る筈なんだけど、手遅れかな?」

 全く予想外の事を言われ、目をぱちくりとさせた鈴音は思わず鬼の方を見た。

「手遅れですか?」

「どうでしょうー。悪意が赤ちゃんに向いていなければ大丈夫な気はしますけどー……」

「ええ大人が身から出た錆でどないなろうと知ったこっちゃないけど、まだ2ヶ月の赤ちゃんには関係無いですもんねぇ。無事を祈っときます」

「僕も地蔵菩薩様にお祈りしますねー」

 鈴音と鬼がそんな会話を交わした時、施錠してある扉を叩く音が聞こえてくる。

 すると、不安げだった昌乃がホッとしたように微笑んだ。

「来た来た、入れてあげて」

 誰がだと疑問には思ったものの、自分が出ると胸を叩いた鬼が鍵を開け、扉から顔だけ出して様子を窺う。

 廊下に居たのは、スーツを着た40代前半くらいの男性だった。

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