第二百七十五話 お金は大事
神官長達は、神がゴシックドレスの少女人形に化けて降臨したと思っているようだが、鈴音が見れば全身黒ずくめに着替えたビーダが小型化しただけだと分かる。
そして大変お怒りだという事も分かる。
尻餅をついたまま顔を引き攣らせている院長を見る目に、感情らしきものがまるで無い。
その代わりに、空からは重低音の雷鳴が絶え間なく轟いている。
吹き荒れる強風もまた、ビーダの心情を表しているのだろう。
鈴音としては、これは創造神が降臨するような案件ではないと思っているのだが、喋る許可を貰っていないので大人しく口を噤んでいた。
勿論、神官長達は頭を垂れたまま動かないし、勝手に喋るなと言われた院長も黙っている。
辺りに漂う緊張感がピークに達しようかという時、マントから顔を覗かせている虎吉が口を開いた。
「おーい女神さん、わざわざ何しに来たんや?」
この問い掛けを耳にした神官長達は大きく身体を震わせ、『もうだめだ』と死を覚悟する。
院長は人形と、それを女神と呼ぶ魔獣へ視線を往復させ、混乱を隠せない表情になった。
肝心の、遠慮の欠片も無い質問を受けたビーダはといえば。
マントの間から顔を出している虎吉の可愛さに目を細め、レースの手袋に包まれた人差し指を口元に当て小首を傾げている。
「悪いコをやっつけに来たんだよ?私、お金を盗んで遊んでいいなんて、言ってないから」
「そ……っ、それはっ」
微笑んでいたビーダが、院長が声を出した瞬間、表情を消して絶対零度の目で見下ろす。それと同時に稲妻が複数走り、雷鳴が一際低く轟いた。
言い訳が通用する相手ではないと理解した院長は、震えながら再び黙る。
それをチラリと見やってから、虎吉も小首を傾げた。
「まあコイツが神官やから腹立つんやろうけど、女神さんが出て来るようなアレやないで。なあ?」
虎吉が同意を求めて見上げると、鈴音は口を噤んだまま頷く。
「ん?どないした鈴音。具合でも悪いんか?」
黙って首を振る。
「な、なんや?聞かれてへん事まで喋り倒すんが鈴音やのに、黙っとるとか怖過ぎるで!?」
しれっと酷い。でも事実だなと思いつつ、鈴音は猫の耳専用会話を使った。
「喋る許可貰てへんから」
「……あー!成る程な。女神さん、鈴音喋ってもええか?」
虎吉に問われキョトンとしたビーダは、直ぐに自身の言葉を思い出し口元に手を当てる。
「あれは悪いコに言っただけ。鈴音には言ってないよ?喋って喋って?」
お許しが出たので、ホッとして鈴音は口を開いた。
「ふー、ありがとうございます。ほな喋り倒しますね。まず、その男は殺したらダメです」
院長へ視線をやった鈴音の意見に、ビーダは少しだけ驚いた顔になる。
「どうして?神官はみんなのお手本なのに、これ、悪いコだよ?」
「はい、悪い奴です。でも人殺しではありません。泥棒です。子供達の為の大事なお金で遊んだクズ野郎です」
真っ直ぐ突き刺さる視線を見返す事も出来ず、院長は気まずそうな表情で目を伏せた。
クズ野郎と聞いて、ビーダは不思議そうに小首を傾げる。
「ゴミなら消して綺麗にしなきゃ」
「いえ、消したらそれで終わってまうんです。盗まれたお金が戻って来ぇへんのですよ」
「お金」
「はい。お金です。人々が労働の対価として手にした中から、苦労してる子供らの為に、て優しい気持ちで寄付してくれた大事な大事なお金です」
クズだゴミだ殺すだ消すだと物騒な言葉ばかりが聞こえ、頭を垂れたまま震えていた神官長達だったが、この時ばかりはその通りだと幾度も頷いた。
「下げたくない頭を下げ、笑いたくもないのに笑い、毎日必死で働いて得たお金をくれた人も居るでしょう。それは、子供らが少しでも楽になったらええないう思いからであって、怠けたオッサンを賭け事で遊ばしたる為やないんですよ絶対に」
「うん」
「ここでビダちゃんがこのクズ野郎を消すと、コイツは盗んだお金で好き勝手遊んで、ええ思いだけしてサクッと消えるいう、何かのご褒美かな?みたいな事になってまうんですよ」
「うん……それはダメ」
ちょっと困った顔で頬に手をやるビーダに鈴音は頷く。
「なので、その男への罰は労働がええと思います。勿論、稼いだお金は食費以外、全額孤児院へ」
「そっか、盗まれた分を取り返すんだね」
「はい。死んだら元も子もないんで食費は渡しますが、最低限です。自分が子供らにした事をそのまんま味わって貰いましょう」
「それは……いいね」
うんうんと頷いたビーダだったが、ふと口元に人差し指を当て小首を傾げた。
「どんなお仕事させたらいい?」
この質問にはさしもの鈴音も一瞬黙り、目をぱちくりとさせる。
「重労働やけど高収入みたいな仕事がええんですけど、すんません、私この世界の仕事よう分からへんので……」
「あ、そうだった。ねえ、そこのコ達。重労働で高収入なお仕事ってなあに?」
微笑んで誤魔化し、ビーダは神官長達に声を掛けた。
大きく肩を震わせた神官長が頭を垂れたまま慌て、チラリと鈴音を見る。
だが『いや待てこちらも身分が高いのでは?』というような顔をして、何やら困り果てていた。
「んー?あ、もしかしてあれか、直接答えたらアカン思て困ってはります?」
まさにその通り、とばかり何度も頷く神官長。
何しろ相手は神なので、直接の会話は不敬にあたるだろうと考えたらしい。
その様子に、人は思ってもみない出来事が起きると混乱するんだなあ、と鈴音は微笑んだ。
「あの、神に仕える職業やねんから普通に答えたらええんちゃいます?喋るな言われた人以外は」
神にかしこみ申し上げるのが仕事だろうとツッコまれた神官長は、今初めてそれに気付いたかのような顔をして幾度も頷く。
一度ゴホンと咳払いをして、頭を垂れたまま口を開いた。
「神よ、畏れながら申し上げます。我々の知識では、そのような条件に当てはまる職業は思い浮かびません」
重労働の仕事は思い付いても、それが高収入かどうかは知らないのだ。
「そうなの?じゃあ、どうしよう」
神官長の答えを聞いて困ったビーダが鈴音を見る。
「うーーーん。……あ。居てます居てます、その手の仕事に詳しそうな人」
ポンと腿を叩いた鈴音にビーダは目を輝かせた。
「ホント?どこに居るの?」
「要塞に」
キョトンとするビーダを案内すべく、魔力で作り出した縄を飛ばして院長を縛り上げると、鈴音は神官長達へ笑顔を向ける。
「神殿へ帰って待っとって下さい。この男は私が責任持って仕事に就かせますんで。稼いだお金は孤児院の口座に振り込むようにしたらええですか?」
「ははーっ、そのようにお願い申し上げます」
ビーダを愛称で呼び普通に会話したせいで、鈴音まで神の如き扱いだ。
「え、あ、はい。あー、私は只の人なんで、畏まる必要ないですよー」
一応言ってみたが、やはり効果はほぼ無く『ははーっ』と返された。マントの中に引っ込んだ虎吉が『言うたそばから畏まられとる』と笑いを堪えてプルプルしている。
「ぐぬぬ虎ちゃんめ。まあええわ、ほなビダちゃん行きましょか。危うく風の神様に壊されるトコやった、王様の要塞に」
悪ガキの笑みを浮かべた鈴音のヒントで、ビーダにも答えが分かったようだ。
「うん、行こう。もうちょっと近付いて?」
そう言うと、寄って来た鈴音と縛られた院長と自らを透明な球の中に纏めて入れて、フワリと空へ舞い上がる。
「おー!ご案内するつもりやったんですけど、連れてってくれはるんですか」
「うん。まかせて」
「うはは、ええ眺めやな」
喜ぶ鈴音と虎吉とは正反対に、何が起きたか理解出来ない院長は悲鳴を上げていた。
「うるさいよ?」
眉を顰めるビーダは怖い、でも地面から足が離れているのはもっと怖い、という訳で悲鳴は止まない。
「まあ普通はこうなりますね。空に浮いてますからね。しゃあないんで放っといて行きましょ?ちょっとの我慢です」
苦笑いの鈴音に頷いたビーダが、透明な球を街外れへ向けて進める。
上から声が聞こえる事に驚いて顔を上げた神官長達を残し、創造神様御一行は高速飛行で森の奥にある要塞へと移動した。
17時半を回り、そろそろ一息入れるかと席を立ち扉を開けた犯罪王スーデルの耳に、手下達の騒ぎ声が届く。
何事だと険しい顔をしていると、1人がすっ飛んで来た。
「ななななんか飛んで来ます!」
「何かじゃ分かんねぇだろうが」
チッと舌打ちしたスーデルだが、嫌な予感しかしないというか、多分あれだなと確信してしまうというか、実のところ『なんか』だけで大体分かってしまっている。
「取り敢えずあれだ、逆らうな。じっとしてりゃ勝手にここまで来るからほっとけ」
「ぅえ、わ、分かりました」
うちのお頭は何でもお見通しなのか、という驚きの顔で走り去る手下に溜息を吐き、スーデルは部屋へ戻る。
「空まで飛べんのか。やっぱ神の使いか?」
呆れたように笑う主に、腹心の部下は首を振った。
「まあなぁ、神の使いがこう何度も悪党に会いに来てちゃ駄目だわなぁ」
椅子に腰掛けテーブルに肘をついたスーデルが言うのと同時、扉を叩く音がする。
部下が扉を開けると、やはりそこに立っていたのは犯罪王が唯一恐れる化け物だった。
部屋へ入った鈴音は、放心状態の院長を床へ降ろす。
するとスーデルはどっちからツッコむべきかという顔で視線を動かし、結局は院長を指差した。
「何だソレは」
「ん?あれやん、私腹を肥やしてた神官。ごめんな、証拠掴んで強請って骨までしゃぶりつくすつもりやったんやろ?ただ、横領してたんが孤児院に行くお金やったから、見逃されへんかったわ」
悪徳神官の存在を教えてくれたスーデル相手に、このセリフは必要ない。
では誰の為かと言えば勿論、目を見開いて鈴音を見ている院長の為だ。
「おや?気付いてへんかったん?アンタ犯罪王に狙われとったんやで?神官が賭け事にハマって横領しとる、こらええ金ヅルんなるで!て目ぇ付けられててん」
それを聞いた院長は、テーブルの向こうにいるのが犯罪王だと知って更に驚くと共に、何故そんな男の屋敷に連れてこられたのか分からず落ち着きを無くす。
「……で?横取りした獲物を見せびらかしに来た訳じゃねぇんだろ?」
溜息混じりのスーデルが言えば、鈴音は満面の笑みで応じた。
「さすが話が早うて助かるわ。コイツの働き口紹介して?」
「……はあ?」
「しもた、また端折り過ぎた」
頭を掻いた鈴音は、先程のやり取りを話して聞かせる。
「……っちゅう訳で、重労働で高収入を希望」
どや、と胸を張る鈴音を半眼で見たスーデルは、大きな大きな溜息を吐いた。
色々言いたい。物凄く言いたいが、言っても無駄だ。無駄な事はしない主義なので、大人しく従うのが正解だ。
分かっている。分かってはいるが溜息は出る。
「はー。重労働で高収入な。金鉱山でどうだ?危険な重労働、その代わりガッツリ稼げるぞ」
「ほなそれで。給料は最低限の食費以外、全額孤児院の口座へ振り込みで」
「飯場で寝泊りする事になるから引くのは食費と家賃だ。まあ微々たるもんだから気にする程じゃねぇ。残りを口座へ入れる。それでいいか?」
「ええよー」
勝手にどんどん進んで行く話に顔を引き攣らせ、院長が割り込む。
「ま、待って下さい。金鉱山?無理です!私は腰が悪いんですから!」
「知らんがな。……て言いたいトコやけど、鉱山行くのに腰悪いんは話にならへんね。治そか」
言うが早いか無限袋から女神サファイアに貰った万能薬を出すと、鈴音の肩口辺りに浮いているビーダがポンと手を打った。
「それ、私がやる。サファイアちゃんの万能薬は勿体ないよ?」
ビーダの声にスーデルと鈴音が驚く。
スーデルは勿論『浮いてるだけでもおかしいのに喋るのかその人形』だが、鈴音は『あのサファイア様をちゃん付け!!怖ッ!!』である。
だがそんな事はおくびにも出さず、笑顔で会釈してみせる。
「ありがとうございます。お願いします」
微笑んで頷いたビーダは院長の方へ滑るように移動し、頭上から赤く透き通った液体を垂らした。
黒ずくめのビスクドールから赤い液体が出る様は中々にホラーだ。しかし院長が断末魔の叫びを上げるような事はなく、一瞬全身が光っただけだった。
「はい、終わり。全部治ったよ?」
戻って来たビーダに再び会釈して、鈴音は院長へ悪い笑みを向ける。
「身体が軽なったやろ。悪いトコはみーんな治してくれはったで。つまり、腰が痛いから畑仕事は出来ません、とかいう嘘臭い言い訳ももう使われへんいう事やね。まあ、あの子らの顔見る事ももうないねんけどね」
何故それを、とでも言いたげな顔をしている院長を鼻で笑い、スーデルに向き直った。
「ほなコレ預けてってええ?」
「ああ、明日にでも鉱山行きの馬車に乗せる」
「よろしくー」
「そ……そんな……」
荷物でも預けるかのような簡単なやり取りを聞きながら、院長はこの先の生活を想像し絶望する。
「そんな顔すんなよ神官サマ。どっちみち行き先は同じだったんだからよ。金の振り込み先が俺か孤児院かの違いだけだ」
テーブルの向こうで身を傾けて院長を見やり、スーデルが笑う。
「良かったじゃねぇか、孤児院相手なら何年か働きゃ返済完了で解放されるぞ?まあ、そん時まで命があればの話だけどな」
犯罪王にトドメを刺され、院長は声もなく項垂れた。
「よし、用事も済んだし今日は帰るわ」
「今日は、つぅか二度と来なくていいぞ?」
引き攣った笑みを見せるスーデルに鈴音はチチチと人差し指を振る。
「ちゃんと搾り取ったお金を孤児院に振り込ませてるか、とか。私のお気に入りな人らに手ぇ出してへんやろな、とか。見に来なアカン理由がありまくりやから」
「振り込ますし手は出さねぇよ。勝てねぇ相手に逆らうような馬鹿に見えるか?」
「見えへんね。アンタはね」
暗に手下の教育もしっかりね、と言われたスーデルは、肩をすくめ『分かった』とばかり軽く手を挙げた。
「ほな、後は宜しく。またねー」
ヒラヒラと手を振り部屋を後にする鈴音を黙って見送り、扉が閉まるや本日最大の溜息を吐くスーデル。
「気付いてたか?あの女、敬語だったぞ」
不思議そうな顔をする部下に、自身の肩口辺りを指して見せる。
「人形だ人形。あいつ、自分より恐ろしい奴が居るっつってたな?」
ハッと目を見開いた部下へ大きく頷く。
「アレがそうだ多分。本体はどっか別に居て、魔法で人形操ってんのか?何にせよ化け物には違いねぇ。関わらんよう幹部連中に言い聞かせる必要があるな」
面倒臭そうに顔を顰めたスーデルは、またしても大きな溜息を吐いた。
「どうして私を見ても何も言わなかったんだろう」
空を飛んで街の中心部へ戻りながら小首を傾げるビーダを見やり、鈴音は困り顔で笑う。
「考えるだけ無駄や思て諦めたんちゃいますかねぇ。ビダちゃんが何なのか分からんでも、取り敢えず犯罪王に不利益は生じひん訳ですし」
「ふーん。そういえば、鈴音はあれを狩らなかったね?」
「あー、あの手の大物が消えると後がややこいんですよ。ある種あの男の魅力で手下を惹きつけてるトコもありますからね。捕まえたら武装して取り返しに来るでしょうし、死んだとなったら組織がバラバラんなって犯罪の火種があっちこっちに飛ぶ事になります。いずれにせよ普通に暮らしてる人らに被害が出ますから、今の所はあんまり追い詰めん方がええ思います」
「そっか。じゃあこのままにしておくね」
「はい、お願いします」
そんな話をしている内に、神殿が見えてくる。
「うふふ、あのコ達に、ちゃんと頼んできたよって教えてあげなきゃ」
「え、あー、ビダちゃんも神殿へ?入る。あー、入りますか。はい、わっかりました、頑張ります」
当然、という顔をしている女神に営業用スマイルを向け、どうすれば人々の目を逸らせるかと脳をフル回転させる鈴音だった。




