第二百七十四話 今、あなたの後ろにいるの
通行人に神殿の場所を尋ね、屋根から屋根を跳んで到着。
階段の先にある重厚な建物の入口は誰でも礼拝出来るように開け放たれており、中へ入ると天井の高い巨大な空間が広がっていた。
最奥にある祭壇には女神像が祀られており、人々はそれに祈りを捧げている。
「似てへんなー。ビダちゃんあんな大人ちゃうし」
「おう。想像で作ったんやな」
「創造神だけに?」
「しもた!ちゃうで、これはちゃうんや!忘れてくれー!!」
半笑いの鈴音を見て、不慮のオヤジギャクで事故を起こした虎吉が瞳孔を全開にして慌てた。
尚、神界では大爆笑が起きた模様。
「虎ちゃん可愛いなぁ。さてと、誰に話したらええんかな。ビダちゃんの“目”はここに居てはるやろか」
赤髪の女神テールのように、そうとは知らせず人界の様子を知る為の目として使っている場合もあれば、白髭の神のように神人なる地位を作って、本人にも周囲にも分かるようにしている場合もある。
ビーダがどっちのタイプか聞いていなかったし、よく考えればそういう立場の神官は総本山的な神殿に居そうだ。
だったら誰でもいいかと周囲を見回し、壁際に居る神官へ狙いを定めると、等間隔に並ぶ円柱の間を通り近付く。
「すみません、お尋ねしたいんですが」
「はい、どうなさいましたか」
鈴音が声を掛けると、孤児院のツェウェル神官に似た柔らかな笑みが返ってきた。
「神官さん方は、賭け事をして遊んでも宜しいんですか?」
真顔で問い掛けられ、ふざけている訳ではないようだと理解した神官は、真剣な表情で首を振る。
「禁じられています。そのような事をしている暇があるのなら、子供に……いえ、学習の機会が無かった方々に文字を教えるなど、出来る事は沢山ありますので」
「そうなんですね。ほな、あの神官さんは何で闘技場になんか入ってったんやろ?わざわざ服着替えてまで」
不思議そうに首を傾げた鈴音の大きめの独り言を聞き、神官が怪訝な顔になった。
「どういう事でしょう、神官を闘技場で見掛けたという事でしょうか。服を着替えたとは?」
心の中でニヤリと悪い笑みを浮かべ、鈴音は軽く嘘を混ぜて事情を話す。
孤児院の前を通り掛かったら、院長が出ていく所だった事。
その後、人との待ち合わせ時刻に闘技場を訪れた際、院長を偶々見掛け、さっきと服装が変わっているなと不思議に思った事。
「14時半ぐらいやったかなぁ、偉い神官さんでもこんな陽の高い内から遊びはるんやなぁ思てから、あれ?賭け事ってしてええんやった?て疑問に思たんです」
口元を手で覆った神官は、何と愚かなとでも言いそうな表情で緩く首を振っている。
「あそこの孤児院、生活費だけでいっぱいいっぱいで、壊れた物は直しもって使いよるんですよね。もうひとりの神官さんは、年にいっぺんぐらい子供らに新しい服とか買うてやりたいなぁ、言うてしょんぼりしてはりましたわ」
そんな孤児院の院長が闘技場に出入りしているのは何故だ、と目だけで訴えた。
すると、顔を引き締めた神官が少し離れた位置にある扉を手で示す。
「申し訳ありません、神官長へ今のお話をもう一度お願い出来ますか」
「勿論かまいませんよ」
そう答えてから、鈴音はふと懐かしさのような感覚を覚えた。
「ああそうか、虹男の世界でも神殿で似たようなやり取りしたわ。カンドーレさんとジェロディさん元気かな」
虎吉だけが独り言を聞き取り、目を細める。
「直ぐ泣くけど強い神官の兄ちゃんと、虹男に神剣貰て1人で戦争止めた神官長やな?」
「ぶふふ、そうそう。カンドーレさん、サファイア様の事が好き過ぎてお姿目にしただけで泣いとったよね」
皆と再会の約束もしているし、虹男に世界の様子を聞いて落ち着いていたら骸骨と一緒に遊びに行こう、と微笑みつつ神官の後を追った。
拝殿の荘厳さとは違い、頑丈そうだが質素な造りの部屋へ通された鈴音は、孤児院の場所も含めて神官長へ話して聞かせる。
応接セットの向かいに腰掛けた老年の神官長は厳しい顔で何度も頷き、深い溜息を吐いた。
「何ともお恥ずかしい。子供達がその姿を見たら何と思うか、少しも心が痛まないのかと問い詰めねばなりません」
「全くです。謹慎処分に相当するのでは?」
案内してくれた神官共々とても衝撃を受けているようだが、問い詰めねばならないのはそこじゃない、と鈴音は遠い目になる。
「あの、神官さんのお給料て、真っ昼間から遊んでて大丈夫なぐらい沢山あるんですか?」
「えっ?いえ、まさか。寄付金から必要最低限を頂戴するのみです」
ここまで言っても、元々汚い考えを持たない彼らにはピンと来ないらしい。
小さく息を吐いた鈴音は、鋭い視線で神官長を見据える。
「孤児院の財政は火の車、子供に服の1枚も買われへん。遊ぶ金なんか無い筈の院長は隠れて賭け事。ここから導き出される答えは?あの孤児院へ分配した寄付金の額と、使た事になってる額が分かる帳簿はありませんか」
静かな怒りを燃やす鈴音の迫力に息を呑み、神官長達は漸く事の重大性を理解したようだ。
「まさか……まさか」
驚き過ぎて言葉がまともに出てこない神官長は、立ち上がって執務机の後ろにある書棚へ向かうと、ぎっしり詰まった冊子を指で辿って何冊かを抜き出し、急いで戻って来る。
持って来たのは帳簿らしきノートで、2冊を選んで並べ緊張しているのか震える手でそれぞれを開いた。
「この月は60万金貨が渡され、食費は勿論、日用品、農具や備品、服等の購入でほぼ使い切っております」
「へぇー。野菜は自前の畑で収穫して、服はご近所さんのお下がりでしのいで、壊れた椅子は直して、傷がいった玩具は鉋かけて使てる子供10人程の孤児院が、ひと月で60万使い切りましたか、成る程」
青褪めた神官長は他の月や年度も調べ、額に手を当て項垂れる。
「あなたは孤児院が貧困に喘いでいると仰る。それが本当なら、この帳簿がおかしいという事になります。しかし、ここまで堂々と嘘を書き込むものでしょうか?」
ショックのあまり部外者の前で帳簿を開いてしまったものの、直ぐには信じられないのか信じたくないのか、鈴音の話の信憑性を疑う神官長。
まあ正しい反応だなと思った鈴音は、孤児院へ確認に行くよう促そうとしたのだが。
それより早く轟音と共に神殿へ雷が落ち、執務室の窓ガラスが弾け飛ぶようにして割れた。
悲鳴を上げて伏せる神官長達。
「うわわ、ビダちゃん我慢の限界?グダグダ言うとらんと早よ孤児院に居る清廉潔白な神官に確認せんかい、てお怒り?」
鈴音が顔を引き攣らせつつ呟けば、ポトリとピンクの薔薇が降ってくる。正解だと言っているらしい。
あまりにもタイミングの良過ぎる雷と、どこからともなく降ってきた花。ガラスを失った窓からは強い風も吹き込んできた。
神官長は、それら全てをローテーブルに載る帳簿や自身の発言と結びつけたようで、憐れな程に顔色を失う。
「うーん、神界まで説明に戻る必要なさそうやなぁ。ここまでの流れ全部見てはるやん」
「せやな。鈴音が止めるから我慢しとるだけや」
猫の耳専用会話を交わす鈴音と虎吉の前で、2冊の帳簿を小脇に抱え神官長が立ち上がった。
「今から孤児院へ確認に参ります。あなたもご同行願えますか?」
こう言えば、噓吐きなら理由をつけて逃げるだろうと考えたらしい。
「いいですよ」
そう頷いた鈴音は、ピンクの薔薇を手に立ち上がる。
何の裏もなさそうなその態度に絶望を隠し切れない神官長は、頭痛を堪えるかのようにこめかみへ手を当てつつ部屋を後にした。
辛そうな神官長達の背中を眺め、鈴音は小さく笑う。
「私が孤児院側と結託して院長を陥れようとしてる、とか言われるか思たけど」
「言わへんやろ。それやとどっちみちもう1人の神官が噓吐きやいう事になるし」
「そっか。私がストーカーみたいに一方的に院長への思いを拗らして、周りを巻き込む酷い噓を吐いたとか考える方がしっくりくるんかな?」
「せやろな」
背後でこんな会話が交わされているとは露知らず、神官長は急用で孤児院へ出向く事を別の神官に伝えていた。
鈴音が最初に声を掛けた神官は、成り行きで事情を知ってしまったので、神官長のお供をして最後まで見届ける事になったらしい。
通用口から、暗雲が垂れ込め強い風が吹き抜ける街へ出ると、一度振り向いて会釈した神官長が帳簿をしっかり抱え直して歩き始めた。
神殿から20分程で到着した孤児院では、神官長の訪問に驚いていたツェウェル神官が、案内した応接室で帳簿を見せられ固まっている。
神官長達は神官長達で、質素な花瓶に生けられたピンクの薔薇を見て固まっていた。
「この帳簿は……」
「この花は……」
ほぼ同時に口を開き、どうぞどうぞと譲り合う。
「お花はコレと同じで空中から降ってきたんですよ、大量に。まるでこちらの神官さんを応援するみたいに」
右手に持った薔薇を見せつつ鈴音が代わりに説明すると、神官長は薔薇、ツェウェルの順に視線をやって重々しく頷いた。
神殿を出るまでの、鈴音が噓を吐いているのではという疑いはとうに消えている。
理由はとても簡単で、この孤児院の玄関にも応接室にも、真新しい物は何1つ無かったからだ。
応接セットなど、神官長の執務室の物より遥かに年季が入っていそうである。
畑仕事で爪に入り込んだ土を落とし切れていないツェウェルの手を見ながら、申し訳無さそうな顔をした神官長は帳簿を手で示す。
「今も申し上げた通り、こちらの帳簿はこのモドゥ西孤児院のものです」
そう言われたツェウェルは困惑した様子で首を振った。
「違います。私共の院はこんなに沢山の寄付金を頂いていませんし、こんなに沢山の物を買ったりもしていません」
「……そのようですね。ですが、帳簿上ではそうなっているのです」
「仰っている意味が分かりません。何を幾つ買ったかは院長がいつもきちんと……」
この辺りで漸くツェウェルにも話が薄っすら見えたようだ。
しかし先程までの神官長同様、いや神官長以上に信じ難いのだと思われる。呆然とした表情で何度か首を振り、頭に手をやって抱え込むようにしてからまた首を振った。
そんなツェウェルを気の毒そうに見つめた鈴音は、神官長へ視線を移し口を開く。
「もう、院長に聞いた方が早いんで、闘技場まで迎えに行くか、自宅前で待ちませんか?明日まで先延ばしにするんは、こちらの神官さんも辛いでしょうし」
頷いた神官長が応えるより先に、目を丸くしたツェウェルが割り込んだ。
「と、闘技場とは?院長と闘技場に何の関係が……」
「偶然、院長さんが闘技場に入ってくトコ見てしまいまして。あれ?神官さんは賭け事してよかったっけ?思て、寄付の前に聞いとこうとこちらの方にお尋ねしたんです」
説明した鈴音に手で示され、お供してきた神官が会釈する。
「その結果、ちょっとおかしいんちゃう?いう話になって、今に至ると言いますか」
「……そう、だったんですか……」
魂が抜けたかのような顔で肩を落とし、焦点の定まらない目で帳簿を眺めるツェウェル。
憐れに思ったらしい神官長はそっと帳簿を閉じて小脇に抱え、お供してきた神官に頷いて立ち上がった。
「後は我々が尋問して処分を決定します。子供達には、院長は別の国の神殿へ移動になったとでも伝えて下さい」
そう告げて立ち去ろうとする神官長を、我に返ったツェウェルが呼び止める。
「待って下さい、私も行きます」
「いやしかし……」
神官長と神官が顔を見合わせ迷っているので、鈴音がきっぱり断った。
「駄目です。あなたには子供らを守る義務がある。嵐になるかもしらんのに、頼れる大人が誰も居らへんなんて、どんだけ不安や思います?」
ハッとして窓を見たツェウェルは、院長を問い詰めたい思いと子供達を守らねばという思いの間で揺れ動いているのか、苦しげに眉根を寄せる。
なので、鈴音は持っていたピンクの薔薇を彼の目の前に差し出した。
「これを下さった方があなたに期待してるんは、怖い顔して誰かを問い詰める事やない思いますよ」
おずおずと薔薇を受け取ったツェウェルに、神官長も頷く。
「私が責任を持って対応してきます。あなたは子供達を安心させてあげて下さい」
じっと薔薇を見つめていたツェウェルは幾度か頷き、眉を下げた少し情けない顔で微笑んだ。
「分かりました。お任せします」
ツェウェルの答えに安堵した神官長が胸に手を当て真剣な顔で頷いてみせ、神官も会釈し、応接室を出て行く。
鈴音も微笑んで会釈してから2人を追った。
風が強くなり時折雲の中に稲光も見える外へ出ると、神官長が鈴音へ頭を下げる。
「疑って申し訳ありませんでした。ここからは我々だけで……」
「いえ、お供します。闘技場から出て来る大勢の人を見分けて院長探し出すんは、普通の方には無理や思うんで」
鈴音の言葉に合わせ、虎吉がマントから顔を出した。
「匂いで判別出来る彼の力が必要かと」
本当はこんな強風の中では厳しいが、公然とついて行く為の理由が要る。
すぐそばに待機していないと、もしもビーダが力加減を間違えた時、2人を庇う事が出来ない。
ツェウェルとの対話で院長の黒がほぼ確定したので、既に我慢の限界を超えている女神が罰を与えるのは時間の問題だろう。
鈴音の申し出を聞いた神官長は、申し訳無さそうな顔で会釈した。
「お気遣い感謝します。魔獣殿もご協力ありがとう」
「おう、かまへんかまへん」
そういえば神官は魔獣の言葉が分かるんだった、と感心しつつ、鈴音は2人と共に闘技場へ向かう。
闘技場近くまで来ると、空を気にしながら足早に帰って行く人の波に呑まれた。
17時前なのでまだ試合は残っている筈だが、雷の危険性を考慮して中止になったのかもしれない。
これなら自宅前に居た方がよかっただろうかと思いつつも、一応は闘技場前の広場を目指す。
一行が辿り着いた頃には、周辺はガランとしていた。
「だいぶ前に中止んなって、払い戻しとお客の退場が始まってたみたいですね」
勝者予想券の払い戻しは明日まで有効、と書かれた張紙を見ながらの鈴音に、神官長達も頷く。
「この天気ですから当然の判断でしょうね」
「こうなったらもう、院長の自宅へ……」
そう言いかけた鈴音の目が、闘技場からノロノロと1人だけ出て来る人物に釘付けとなった。
神官長達もそちらへ視線をやり、目を丸くする。
眠そうに大あくびしながらこちらへ歩いて来るのは、紛れもなく院長だった。
「……え?寝てた?闘技場で?そんな奴おる?もしかして、ビダちゃんが何かした……?」
その呟きに答えは返ってこない。
代わって、こちらに気付いた院長が、一瞬無表情になってから目を見開く、という大変分かり易い驚愕の表情を浮かべていた。
「し……神官長、こ、これはあの、いや、違います」
口を開いたかと思えばしどろもどろの院長を、何がどう違うのかと神官長が厳しい目で見つめる。
その時不意に、小さく空間が歪んだ気配がして、全員が怪訝な顔になった。
皆でキョロキョロと周囲を見回し、首を傾げて視線を戻した直後、院長以外の3人が固まる。
3人の視線が自身の頭上へ固定されている事に違和感を覚えた院長は、何か居るのかと空を見上げた。
何も居ない。
だが3人の視線はやはり上だ。
苛立った院長は上を向きながら振り向く。
「うわぁッ!?」
そこには、黒薔薇で飾られた小さな帽子を頭にのせ、足首まで隠れる艶のない漆黒のドレスに身を包んだ少女人形が浮いていた。
長い睫毛に縁取られた大きな目が、冷たく院長を見下ろしている。
「な、何……人形!?」
院長が声を上げた途端、少量の、だが人を威圧するには充分過ぎる神力が人形から溢れ出た。
「喋っていいって、言ってないよ?」
可愛らしい声とは正反対の凄まじい圧力。
これまでの流れから人形の正体に気付いた神官長とお供の神官が、震えながら両膝をついて頭を垂れる。
訳が分からない院長は、腰を抜かして呆然と人形を見上げるばかり。
鈴音と虎吉はツッコミも忘れ、只々唖然としていた。
怒れる創造神、痺れを切らしまさかの降臨である。




