第二百六十一話 魔獣と会話しよう
鈴音の腕から軽やかに跳んだ虎吉がフィールドに降り立ち、前足を突っ張って尻を突き出す伸びと大あくびをかます。
虎吉の小ささとコミカルで愛らしい動きに、金持ちが連れて来ているらしい女性客から歓声が上がった。
「やだカワイイー」
「私もあのコ欲しーい!」
それと同時にあちこちから呆れたような笑いも漏れている。
「いや、魔獣は魔獣なんだろうけどさ」
「何であれで勝てると思った?」
「飼い主はかなりイカれてるな」
「あんなの戦わせるとか酷ぇ女だ」
鈴音の株がストップ安級の大暴落だ。
「あっはっは、全部聞こえてんでー。散々やなぁもう。ま、サクッと黙らしてんか虎ちゃん」
やれやれと首を振って呟いた鈴音へ頷き、虎吉が目を爛々とさせ前へ出る。
向こうも熊が動くのかと思いきや、何故か魔獣使いシャワルが前へ出た。
「ん?」
「何や?」
鈴音と虎吉が首を傾げる中シャワルはローブの前を開け、腰に装備していた長い長い鞭を解いて手にすると、既に勝利したかのような笑みを浮かべる。
「悪く思うな、身の程知らずの挑戦者よ。そんな貧相な魔獣を潰したのでは、俺の魔獣の価値が下がるのでな。お前らの相手はこの俺だ!」
どうやら、小型の魔獣と華奢な女なら自分でも勝てると踏んだらしい。
初めて見る珍しい状況に、場内が静かになりシャワルへ注目が集まった。
「貧相……へぇ……貧相。もしかしてあれかな、強いのは魔獣で本体は弱い的な言われようを気にしとったんかな。自力で勝って女子に構て欲しいとか?」
無表情で首を傾げたまま、鈴音は目をぱちくりとさせる。
「そうなんか。ほな貧相な俺はじっとしといたるから、お望み通り女子が構たれ」
カカカッと後足で首の辺りを掻きながら適当な指示を出す虎吉と、口角を吊り上げる鈴音。
「りょーかーい」
悪役丸出しの笑みを浮かべ前へ出た鈴音を見て、シャワルは何かを感じたのか一瞬怪訝な顔をしたが、下がろうとはしなかった。
「魔獣をけしかけて来ないのか?俺に女を嬲る趣味は無いんだがな」
口ではそんな事を言っているが目には喜色が宿っている。
それを見て取った鈴音は、嗜虐趣味の変態かと大きな溜息を吐いた。そしておもむろに口を開く。
「ピーーーチクパーチクやかましなぁ。アンタみたいなんを口だけ番長言うねん。でっかい魔獣に隠れて『やれ!』言うたらええだけの簡単なお仕事ばっかりしてたらそないなってまうんかねぇ?何が『女を嬲る趣味は無いんだがな』やねん。趣味が無かったらそもそも出て来ぇへんわそんなセリフ。変態趣味のド貧相なオッサンが無理してカッコ付けるからそんなんなんねん。自分に酔うて周り見えへんとかホンマ恥ずかしいわー」
静かになっていた場内に響き渡る、立て板に水な鈴音の煽り。
虎吉を貧相と言ったばかりにド貧相呼ばわりされる羽目になったシャワルは、咄嗟に何を言われたのか分からなかったようだ。
ポカンとしている所へ場内の一部から忍べていない忍び笑いが聞こえ、それが全体へ広がった辺りで漸く、挑戦者である筈の女に物凄い勢いで馬鹿にされたのだと理解した。
「き……っさまあぁぁぁあああ!!」
一気に顔を紅潮させ叫んだかと思うと、走って距離を詰めて躊躇いもなく鞭を振る。
硬さとしなやかさを兼ね備えた鞭は実に正確に鈴音の顔を狙って飛んできた。
これが普通の人の頬にでも当たれば痛々しい音が響き、肉が裂け鮮血が散るのだろう。
ただ鈴音の場合は当たっても何ともないどころか、寧ろ鞭の方が傷む可能性が高い。
だからこのまま立っているだけでも問題は無いのだが、何と言っても攻撃してきたのは虎吉を貧相と言った男だ。鈴音の中に“攻撃を受けてやる”という選択肢は存在しない。
依って、接近して来る鞭を一瞥すると、黙ったまま左手で先端部分をしっかりと掴む、という行動に出る。
その振動が伝わり、顔を防御しようと反射的に出した手に鞭が巻き付いたと勘違いしたシャワルは、そら来たとばかり怒りに任せ思い切り引っ張った。
が、当然ビクともしない。
「っ?」
状況が理解出来ず怪訝な顔をした瞬間、シャワルの身体は前方へと飛んでいた。
鈴音が左手に握った鞭を軽く引っ張ったからである。
引っ張った本人はちょっとのつもりだろうが、一般人からすれば馬に全力疾走された位の勢いだ。
全く反応出来ず物の見事に飛んだシャワルは、無様にも顔から地面へ滑り込んだ。
乾いた音が静かな場内に響き、次いでシャワルの悲鳴が響く。
「っあああ!!ぐぅうッ顔がッ……ぅああッ!!」
左手をついて身体を起こし、鼻血が溢れ擦り傷だらけになった顔を右手で触るシャワル。
それを見ながら鈴音は鞭をブチブチと引き千切った。
「笑われとったなぁアンタ。私の煽り聞いて怒る人だぁれもおらんかったなぁ。最初に聞こえた拍手や歓声はアンタへ向けられたんと違て、魔獣に向けられたもんやってんなぁ。色んな珍しい魔獣見してくれてありがとうド貧相なオッサン、てみんな思てたんやわ。それを……ぶふっ、自分の人気か何かみたいな顔して、ぶふふふ。なあ、どんな気持ち?貧相な魔獣しか相棒に出来ひん女の前に鼻血流しながら這い蹲って、今どんな気持ち?」
嫌味な笑みを浮かべ全力で煽り倒す鈴音の策にまんまと嵌まり、シャワルは何も考えず脊髄反射宜しく叫んでいた。
「殺せ!!殺せ殺せ殺せぇぇぇえええ!!」
目を血走らせて叫ぶシャワルの異常さと、彼が口にした単語で観客達は眉を顰めている。
銅鑼が鳴り、進行担当が声を張り上げた。
「故意の殺人は規定違反です!!失格負けになりますよ!!」
「黙れ!!お前も殺すぞ!!」
正気を疑う表情で凄まれ、進行担当は竦み上がる。
「さっさと殺せ!!」
鈴音を指差しながらの指示に反応し、ついに熊の魔獣が動き出した。
熊はアフリカゾウ並の巨体に似合わぬ素早さで鈴音の前に移動し、四つん這いのまま右前足を振り上げる。
「おお!肉球デカっ!爪はやっぱり熊やなぁ」
驚くでも怯えるでもなく前足の観察なぞする女に唖然とした次の瞬間、物凄い衝撃を横から受けて吹っ飛んだ。
壁に激突し観客席に小さな揺れを起こした熊は、ブルブルと頭を振って身を起こす。
何が起きたのかと先程まで自分が居た辺りを見れば、暗い縞模様の魔獣がちんまりと座っていた。
巨大な魔獣がフィールドの中央から壁まで吹っ飛ばされるという常識では考えられない事態に、シャワルも観客も進行担当も阿呆のように口を開けたまま固まっている。
「いやー、的がデカいと体当たりのし甲斐があってええなあ。毛ぇが柔らかかったらもっとええねんけど熊やししゃあないな」
長い尻尾でゆっくりと地面を叩きつつ、虎吉が笑った。
「……本当にあんたが私に?」
もう一度頭を振ってからのしのしと歩き出した熊の声に、虎吉は小首を傾げる。
「なんや?お前には他に何ぞ見えるんか?俺しか居らへんやろに。今のんで頭打ったか?いや、こんな貧相な男なんか相棒にしとるヤツやし、端からおかしいんか」
虎吉の煽りを聞き流している風だった魔獣が、最後の一節を耳にした瞬間激怒した。
「こんな男に好き好んで従う訳ないでしょ!?」
叫ぶや否や虎吉目掛けて突進し、爪を立てた右前足で薙ぎ払う。
小指が掠った地面が抉れる程の威力だが、当たらなければどうという事もない。
「うはは!そうやったそうやった、コロッと忘れとった」
熊の頭の上に乗った虎吉が、その場で軽く毛繕いして誤魔化すように笑う。
そして鈴音もまた、『あははははー』と困り顔で笑いつつ頭を掻いていた。
どうやら揃いも揃って、本当に“ド派手に勝つ”つもりだったらしい。熊の本音を聞いた事で漸く、自分達が何をしに来たのか思い出したようだ。
だが事情を知らない熊からすれば、コンビで馬鹿にしているようにしか見えない。
「降りろこのチビ!!」
なので、頭の上の虎吉を払い除けようとしながら禁句を叫ぶ。すると当然。
「だ……誰がチビじゃゴルァア!!」
一瞬で沸点に到達してしまった虎吉が頭を蹴り飛ばして前方へ着地し、地面へ顎をしたたか打ち付けた熊を睨んで毛を逆立てた。
「もっぺん言うてみぃ、シバくぞボケェエ!!」
お怒りモードの虎吉も可愛いなあと思いつつ、『もうシバいてるよね』と心の中でツッコむ鈴音。
虎吉にシャーッとやられてしまった熊はと言えば、完全に勢いを失い耳を伏せて縮こまり小刻みに震えていた。
「なん、何なのあんた、何なのよ。違う、私達とは違う」
魔獣である熊には、虎吉の背後に金色の目を光らせる巨大な白い影が見えている。
「あの変なヤツといいあんたといい、何なの一体」
怯える熊の口から出た『あの変なヤツ』という言葉が気になった鈴音がそれについて尋ねようとすると、唖然呆然の硬直状態から復活したシャワルが遮るように叫んだ。
「貴様それ以上喋ったらどうなるか分かっているんだろうな!?」
チンピラ紛いの恫喝。熊とこの男が良好な関係を築けていない事が、観客にも伝わっただろう。
今までにない失敗をするのは動揺している証拠。今が潮時だと鈴音は攻める事にする。
「虎ちゃん、事情聴取お願い。私コイツの気ぃ逸らしとくから」
「おう」
猫の耳専用会話を交わした直後、鈴音は地面をひと蹴りしてシャワルの目の前へ移動した。
「ひ!?うわあぁあ!!」
有り得ない速度で距離を詰められ動転したシャワルは腰を抜かし、尻餅をついたまま必死に後退する。
「えー、何で逃げるんー?お前らの相手はこの俺だキリィッてカッコつけてたやーん。ほれほれー、私を殺すんやろー?」
ニコニコと胡散臭い笑みを浮かべ殊更ゆっくり迫る鈴音と、顔の傷に冷や汗がしみる痛みにも気付かずひたすら逃げる事に集中するシャワル。
「よし、鈴音の事しか見えてへんな。おい熊、お前も耳はええんやろ?小声で会話すんで」
壁の方へと追い詰められて行くシャワルを尻目に虎吉が言うと、熊は怯えつつ首を傾げる。
「か、会話?私に何か聞きたいの?」
「おう。お前、セルーン村て知らんか」
単刀直入な問い掛けに、熊の耳がピクリと動いた。
「確か、私の縄張りの中にそんな村があった筈」
その答えに虎吉の黒目が全開になる。
「ひー!ななななに?怒ったの!?」
「いやビックリしとんねん。一発目でビンゴや、鈴音はやっぱり引きが強いで」
「びん……?」
「何でもない。そのセルーン村の奴らがお前さんを探し出して助けてくれ、て鈴音に頼んだんや」
「え……」
熊の瞳孔も広がり、きょとんとした顔になった。
「助けて……って、私が自分から出て行ったんじゃないって分かったの?」
「おう。足跡やら何やらで。フツーにやり合うて魔獣が人に負ける訳あらへんから、子供を質に取られたんやろ、とも言うてたで」
「……そう、そうなの、そうなのよ……!」
巨大な犬歯を剥き出しにしながら熊は地面を叩く。
「私の可愛い娘に魔法使いと魔法剣士が攻撃した!別の場所に潜んでるなんて普段なら直ぐに分かるのに……」
「雨で耳も鼻も役に立たんかったんやな」
熊は悔しさをぶつけるように何度も地面を叩き頷いた。
「あんな奴らこの手を振れば一撃なのに……っ」
「子供の命がかかってんねん、堪えたお前さんは偉い。ほんで、子供が閉じ込められてそうな場所に心当たりないか?母親の勘とかいう奴でもかまへんで」
虎吉に褒められて少し落ち着いた熊はうーんと唸る。
「私が居る場所の近くから匂いはしないから、別の広い場所なんだろうけど……」
困った様子の熊の言葉で、虎吉は肝心な事を聞き忘れていると気付いた。
「お前さんは何処に居るんや?」
「スーデルとかいう男の巣よ。その地下に檻が並んでて、似たような境遇の魔獣が何体も入れられてるの」
「ほうほう。そこに何か変なヤツも居るんか」
「あ、そうなのよ!言葉が通じないの。みんなお互いの姿は見えなくても会話はするじゃない?でもソイツだけ何言ってんのか分かんなくて。あと、魔力も何か変なの」
「変な魔力の持ち主で言葉が分からん魔獣な」
耳を倒して鼻から溜息を吐く熊に頷きつつ、虎吉はもうひとつ聞いておくべき事を思い付く。
「子供らの大きさは?デカいんか?」
「ウチの子は私の半分ぐらいよ。私の向かいの檻にいるのは私より一回り大きい種族だから、もう少し大きいかも」
「そうか。ほな子供らが居るんも広い場所やな」
手に入った情報を整理し、大体こんなものかと頷いた。
「よし、後は俺らに任しとけ。子供ら助けたら直ぐ教えたるから、それまでは黙って爪研いどくんやで」
「分かった。魔獣使いが居ない時に他のみんなにも話しておく。どうか、どうか子供達をお願い」
「おう、お願いされたる」
そう言った虎吉が尻尾をピンと立てて胸を張った時、鈴音対シャワルに動きがあった。
「おかしい、こんな筈はない、俺の魔獣があんな貧相な魔獣に……」
「なんっべん貧相言うたら気ぃ済むんじゃこんっっっのアホンダラーーー!!」
鬼の形相で吠えた鈴音がシャワルの両足首を掴み、投網のようにぶん投げる。
綺麗な放物線を描いたシャワルはまたしても顔から着地し、前歯の何本かと鼻の形が変わってしまった。
「虎ちゃんの高貴さが分からんとか目ぇどないなってんねん。熊かてそもそもアンタの魔獣ちゃうやろ!」
フンッ、とふんぞり返る鈴音を眺め、虎吉は熊に指示を出す。
「俺がシバく振りするから、やられた振りせぇ。降参なんかしたら後でアレに何言われるや分からんやろ?」
「ありがとう。吹っ飛んで引っ繰り返るわ」
目だけで頷き合い、お互いに牙を見せて右前足を振り上げた。
同時に振り下ろした直後、予定通り熊が横に飛んで転がる。そしてそのまま目を閉じ動かなくなった。
「お、おい。おいおいおいおいウフォだろ!?」
静まり返った場内に鼻血塗れなシャワルの鼻声だけが響く。
「あははははー、魔獣対決は私の相棒の勝ちやねぇ?どうするー?まだやるー?殴る蹴る等の暴行を加えられたいー?」
「ヒイィィィ!!」
満面の笑みを浮かべながら近付いて来る鈴音を見て恐慌状態に陥り、シャワルは高速で首を振った。
「そうなん?やらへんの?ほなそういう時は何て言うん?ここ闘技場やし、対戦相手が元気な間はこっちも手ぇ緩められへんやん?」
悠々と歩いてきた虎吉を左腕に迎え、鈴音が相変わらずの笑顔で首を傾げる。
「こ、こここ降参ひまふ。参りまひた」
「はい、よくできました」
鈴音の教師のような声が響くと同時に銅鑼が鳴った。
「決着!勝者、挑戦者鈴音!!」
進行担当の宣言を聞き、鈴音が右手を挙げて見せると、まずは警備隊の面々が『本当に勝ったー!!』と興奮しながら拍手。
するとそれが周囲に広がり、あっという間に万雷の拍手となる。
「あれ?あっち側だけ何か静かやね?」
シャワルにもファンが居たのかと拍手が聞こえない席を見れば、綺麗に一区画だけ観客が気絶していた。
「……あー……、虎ちゃん吠えたなそういえば」
熊に怒ってシャーッとやった方向と完全に一致する。
「わ、わざとやないで」
マントの中に隠れてせっせと毛繕いする虎吉に笑い、鈴音は気絶中の観客に頭を下げておいた。




