第ニ十五話 神殺し
「えーと、あれはいつ頃の事かな?わかんないから、まあちょっと前って事でいいや。僕は殺されたんだよ、僕が作った世界の人に」
表情はとても嫌そうなのだが、口調が大変軽い。まるで昨夜の夕食について話すかのように、神が人に害されたなどという重大事件を皆に告げる虹男。
当然再び、神々はざわめいた。ただし、声量は控えめで。
「そしたら、身体も力もバラバラになっちゃって、みーんなどっか飛んでっちゃったんだ。魂だけで居てもよかったんだけど、動物達と触れ合えないのはヤダからさあ、やっぱり身体取り戻そうと思って。どこにあるかなーって探しながら、あっちこっちの世界に行って、ちょっとずつ元に戻ってるところだよ」
死の概念とは、とスナギツネ顔になるのは人である鈴音のみだ。
平然と聞いている神々へ、これで全部話した、と言わんばかりにふんぞり返る虹男に、腕組みしたシオンが小さく息を吐く。
「やはりこの玉は、キミの身体や力の一部か。それでそもそも、殺される羽目になったのは何故だい?」
聞かれた虹男は不思議そうに首を傾げる。
「何でなんだろう?わかんない。とにかく、僕の動物達が放してある庭へ、勝手に入ってくる人が沢山居て、駄目だよって注意してたら、いつからか集団で来るようになったんだよね」
「……その動物達て、貴重な種類の子?例えば、毛皮が高う売れるとか、牙が薬になるとか」
思わず口を挟んだ鈴音に、虹男は現在とは逆側へ首を傾げた。
「人界に居る子達の元になった子達だから、貴重なのかな?値段とか僕にはわかんないけど、薬がどうとかは言ってた気がするかも」
鈴音と目を合わせたシオンは、親指を立てて頷く。良い質問だったようだ。
「貴重な動物を独占している、邪魔な存在だと思われたのかもしれない。迷宮の主のような。人が入ってくるような庭って事は当然、神界じゃあなく人界にあって、そこへ行く為にキミは何かに化けていたんだろう?そのせいじゃないか?」
シオンの指摘に、虹男は胸を張った。
「人界の山の上に、ずーっと春の場所を作ったんだ。そこへ行く時は、このまま人に化けたよ。力抑えてれば、人に見えるでしょ?だから、入って来たヤツに誰だ、って聞かれたら庭の管理人だよって答えてた」
ツッコミ所しかない虹男の返答にシオンが絶句してしまったので、代わりに鈴音が口を開く。
「なあ、虹男の世界の人て、そんなシャボン玉みたいにコロコロ色の変わる目ぇしとるん?」
「え?してないよ?」
「そうなんや。ほな、私がそこの住人で、間違うて庭に入ってもて、虹男に出会ったとしたら。……うわー、どう見ても人ちゃうのに、管理人とか言うとるで、ヤバいやっちゃ。何なんやろ、悪い霊とかやろか怖ッ!誰か強い人に教えよ!……てなると思うわ」
真に迫った鈴音の演技に、虹男は目を丸くし、シオン含めた他の神々は幾度も頷いている。
「貴重な生物の宝庫に」
「怪しい男がポッツーン」
「あれは邪悪だと喧伝し」
「それを倒せば富と名声一挙両得よねぇ」
「人の目は欲に眩み易いでの」
「どの世でも変わらぬか人の欲は」
「変わらないねぇ」
「変わんねぇなあ」
猫の耳が拾う神々の声で、なんだか申し訳無い気持ちになる鈴音の顎へ、気にするなとばかり虎吉が頭をスリスリと擦り付けた。
直ぐさま目尻を下げ、お返しに虎吉の顎を擦る鈴音に、白猫が頭突きを食らわせる。
慌てて白猫の頭を撫でた鈴音は、ご機嫌さんな笑顔を貰ってデレデレだ。
そのやり取りに神々が羨ましそうな顔をしているのを見て、『神様方も欲ありますやん』と思ったが、鈴音はそれを口に出すほど馬鹿ではない。
とにかくニコニコと微笑んでやり過ごした。
そこへ、我に返ったらしい虹男の声が届く。
「僕は悪霊だとか魔物だとか思われてたの?」
瞬きを繰り返す虹男に、白猫を撫でながら鈴音は頷く。
「えぇー?ちゃんと化けたつもりだったのに。あー、でもだからあんなにしつこかったのかあ。そういえば聖剣とか神剣とか持ってるヤツいたなー」
「聖剣神剣なんか効きやしないだろう、キミの力なんだし。そうキミは、殺された、ではなく、殺されてみた、と言った。別に、向かって来た者全て、無に返す事も出来ただろ?なんで態々殺されてやる必要がある?」
少し苛立った様子のシオン。やはり、創造主が創造物に殺されるなど、自身の事でなくとも腹立たしいようだ。
対照的に虹男は、先程までの嫌そうな雰囲気はどこへやったのか、もはや何とも思っていないようにも見える。
「一応最初の方はそうしてたけど、何回も何回も来るし、最近は魔剣みたいなのまで作って来てたし、なんかもう嫌になったっていうか、面倒臭くなっちゃって。まあ一回ぐらい殺されてみてもいっかーってなったんだよ」
能天気とも思える虹男の様子に、他の神々にも苛々が広がって行った。
確かに、まあいいか、で死なれたせいで、自らが作った世界に不具合を起こされたのでは、たまったものではないだろう。
そうは思うが、鈴音が気になったのは別の事だ。
「なあ、動物達はどうなったん?虹男が死んでしもたら、狩られてまうんちゃうの?」
「あ、それは平気。もう面倒だし殺されよって思った時に、もひとつ別の世界作って、そっちにみんな移したから。遊び場が広くなったーって喜んでた。もっと早くああすればよかったなあ」
「そら良かった。動物狙いの人らは、無駄に自分とこの神様殺してしもただけなんやね」
ホッと胸を撫で下ろしてから、『いやいや、アカンがな』と鈴音は目を見開いた。
「シオン様、自分らの手で、自分らを作った神様殺してしもたら、その世界はどないなるんですか?他の世界の被害どころの騒ぎちゃいますよね?」
虹男に聞くだけ無駄だろうと判断した鈴音の質問を受け、シオンは困ったような笑みを浮かべた。鈴音が人なので、言葉選びを慎重に行っているようだ。
「彼が唯一の神なら滅ぶね。他に神がいても、創造神が彼ならやっぱり滅ぶ。創造神が別に居たり複数居るのなら、いきなり滅ぶ事はないかな。まあ、災厄が降り注ぐ事は避けられないだろうから、うっかりすると滅ぶよね」
シオンの説明を聞いた瞬間、鈴音は虹男へ鋭い視線向ける。
「虹男、アンタとこ、どのパターン!?」
「ええ!?えーと、神は居るよ、僕の妻が。人を作ったのは妻で、動物達を作ったのが僕。他の、木とか川とか海とか?はそれぞれテキトーに」
「奥さん居るんや、変わった趣味……いや、我慢強い……いや、面倒見のええ方なんやろな。それはともかく、これは創造神が二柱居るいう解釈で合うてますか?」
何やら切羽詰まったような鈴音の表情に、肯定してから『どうしたんだろう』と首を傾げるシオン。
「ほな、いきなり滅びる感じではないと。虹男、アンタさっき庭の動物達は別に作った世界へ移した言うたけど、人界に居る動物達はそのままやんな?」
「あ!ホントだ。このままだと、動物達が酷い目に」
「そうやで。欲に目が眩んだ人がどないなろうと知ったこっちゃないねん、他所の世界の話やし。けど、動物は関係ないやん。完全な被害者やん。もしそん中に猫がおったら、アンタの顔の形わからんようになるまで、ボコボコに殴ってまう自信あるで私。何を呑気に殺されてくれとんねん、て」
真顔で拳を握る鈴音に、虹男のみならずシオン他、観客と化していた神々も慌てた。
「猫ちゃん!!なんてこった」
「そうだ、何故そこに思い至らなかった!」
「ちょ、いるの?いないの?」
「犬も好きなんだよ大丈夫かな!?」
「馬!馬は!?」
好き勝手に喋る神々に目を白黒させつつ、どうにか虹男は答える。
「猫って、その小さい方?大きい方?小さい方は居ないけど、大きい方に似たのは……いる」
そう言うや否や虹男は急いで頭を庇った。
その様子を半眼で眺め、小さい方呼ばわりにご立腹の虎吉を撫でて宥めながら、つまり大型の猫科動物が居るのだな、と鈴音は考える。
「アンタ素直やなあ。殴るで言うてる人に、猫っぽい動物が居るとか正直に」
鈴音が拳を解き虎吉を撫でる姿を見て、虹男は頭を庇っていた手を下ろした。
「どうにかして助けたいな。虹男の奥さんに頼まれへんの?僕が復活するまで動物お願いします、とか」
真剣な表情で問い掛ける鈴音に、虹男は唸る。
「頼みたいけど、僕、人界は渡れるけど神界の道を繋ぐ力が戻ってないから、妻の元に行けないんだ」
「それは別に、猫神様なりシオン様なり、神様ようさん居てはるから、誰か繋いでくれはる思うけど?アンタがここに居んねんから、世界自体は繋がっとるやんね?」
尤もだ、とばかり神々全員が頷いた。
それを見た虹男の目が泳ぐ。
「あれ?虹男君、自分の家と繋がったらマズイ事でもあんの?」
訝しむ鈴音や神々。
「妻が人を作ったと言っていたな」
「もしや、妻が仕向けたか?夫殺しを」
「のこのこ戻れば何をされるやら?」
「それは恐ろしい」
物騒な推理を口にする神々に、虹男は慌てて両手を振った。
「違う、ちーがーうってば!聖剣や神剣が効かない相手を殺そうとするなんて、私達への挑戦だ、失敗作だ、人は全部消して作り直す!とか言うから、それは面倒臭いだろうなと思って、僕は平気だよ大丈夫だよって言ってたのに、黙って殺されたから、多分すっっっごい怒ってると思ってそれで怖いし申し訳無いし」
ザ・しどろもどろ。取り敢えず、出て来た単語を繋ぎ合わせ各々で話を纏める。
鈴音も同じ作業をし、理解した。
「神様の関係者やて判る相手へ、それでも挑んでくるなんて失敗作確定全員コロス、てなってる奥さんに、平気平気キミは気にせんでええんやで、とかカッコつけときながら、結局面倒臭なって相談も無しに殺されてしもた。きっと今頃、人と虹男どっちに対しても激怒中。怖くてお家に帰れないよー。これで合うてる?」
うんうん、と頷く神々に混じって、虹男も大きく頷く。
「あははー、そっか怖いかー。て、なるかぁ!!行くで、奥さんとこ!!動物達と大猫の命が懸かっとんねん、ボコボコにされる覚悟で奥さんに頼んで!」
「えー!?いきなり神界で会うの!?無理だって、怖すぎるよ!!人界に行って、そこから庭の子達が居る世界に道を繋げて、動物達に自分で移動して貰おう!」
虎吉を抱いたまま迫り来る鈴音に、後退りしながら対案を示す虹男。
だがそれは、腕組みしたシオンによって否定される。
「キミの世界の動物達は、両手の指程度の数しか居ないのかい?違うだろう?大勢を移動させるのには現実的な方法じゃあないねえ。それに、もし人に見つかったらどうする?彼らも移動してしまうんじゃないのかい?キミのお気に入り達が居る楽園にさ」
「うー、ん、そう……かぁぁ」
反論出来ず項垂れる虹男を見つめるシオンのそばに、音も無く大型骸骨の神が近付いた。すぐ後ろに大鎌を持った骸骨もついて来ている。
「おや、どうしたんだい」
気付いたシオンが声を掛けると、骸骨の神はシオンが持つ自身の世界に落ちた玉と、虹男とを交互に指す。
「ああ、もしかして、ご褒美に使って構わないと?」
確認された骸骨の神はコクリと頷いた。
「ありがとう。おーい、勇気を出すならこの玉を返してくれるって言ってるよ」
顔を上げた虹男が、餌を前に待たされている犬のような表情を見せる。
「多分これは、重要な力が入った玉なんだろう。だから今もこうして動いて、本体へ帰ろうとする」
シオンが手の力を緩めると、逃げ出そうとするかのように、ユラユラと動いた。
「他のおとなしい玉は身体の一部だとか、そこまで強い力では無いものなんだろうね」
「はいッ!シオン先生!」
「なにかね、鈴音くん」
ビシ、と右手を挙げる鈴音にシオンは笑って付き合う。
「私や巫女さんや骸骨さんの職場やアーラ様の蛇さんに、玉がぶつかって来たのは何故ですか」
そういえばあの羽の生えた女神を見掛けないな、と思いつつ鈴音が尋ねると、シオンは深く頷いた。
「あくまでも俺の予想だけどね、玉は全て本体、つまりは虹男という神の元へ帰りたかったんだと思うんだよね。殺された時に飛び散った勢いで異世界へ出てしまって、元の世界にも神界にも戻れなくなった。なので、神に近い力を感じる所を探して向かったんじゃないかな?」
その予想を聞いた鈴音は虎吉を見る。虎吉も、納得の様子で幾度も頷いていた。
「私は光が全開やったから、思い切り勘違いされたんやな……あの時はまだ神性無かったわけやし」
「良かったね、当たったのがコレじゃなくて。この強いのが当たってたら、命が危なかったかもしれない」
罪を犯した魂を収容しておく施設を破壊する威力。それが額に当たる事を想像し、鈴音はぶるりと震えた。
「さて。どうするんだい虹男。観念して奥さんに会うかい?」
シオンが右へ左へ玉を持った手を動かすと、虹男の視線も同様に動く。
そうして暫く悩んだ後、大きな溜息と共に頷いた。
「頑張るよ。でも、また殺されて飛び散るのは嫌だから、助けてよね?」
言いながら虹男が見たのは、言い出しっぺの鈴音の顔だ。
うっかりすると殺される夫婦喧嘩か、と遠い目をしつつ、鈴音は大きく頷いた。




