第二百四十七話 マグロお届け
鈴音が式台の端っこに腰掛け靴を履いている間、烏天狗はチラチラと骸骨を見る。
見る。見る。何度も何度も見る。
「どないしたん?」
「ギャッ!」
立ち上がった鈴音に問われ、飛び上がる勢いで烏天狗は驚いた。
「べべべ別に?何も?」
「うわ、誤魔化すん下手くそやなー。何をそんなハラハラドキドキしてんのよ」
鈴音が半眼で溜息を吐くと、両手足をジタバタさせた烏天狗の抗議が始まる。
「だってビックリするだろ!死神だったしどう見ても!あんなデッカイ鎌見たら、あ、死んだ。ってなるだろ!」
「あー、確かに迫力あるけど。でもあんたの主様はぜーんぜん動揺してへんかったで?ほれ、ちゃっちゃと歩く」
「……あれホントだな?主様は平気だったぞ?何でだ?」
言われるがまま素直に歩き出しつつ、烏天狗は首を傾げた。
「そら、骸骨さんに敵意が無いの分かってたからやん。万が一死神やったとしても、自分を刈りに来た訳やないて分かるから」
当たり前のように言われ、『へぇー』と感心しかけた烏天狗は慌ててキリッとした顔を作る。
「うん、そうだろうと思ってた」
「はいはい。それに、私が嘘吐くメリットがひとつも無いからね。人手不足解消の為に力借りに来たのに、要らん嘘吐いてそこの大ボス怒らせるアホはおらへんよ。もしホンマに骸骨さんが死神なんやったら、正直にそない言うし」
鈴音の説明を聞き何度か頷く骸骨を見て、烏天狗は『それもそうかー』と納得した。
山道を下って魔界の出入口まで来ると、烏天狗は一度屋敷の方を振り返ってから、左右に首を傾げつつ鈴音に尋ねる。
「なあ、アイツらが人界の空飛んで大丈夫か?人の目に留まらないか?俺みたいに鳥の姿になった方がいいんじゃないか?」
自分が人界へ行く際は鞍馬天狗の妖力で小型の烏にされたのに、エリート達はあのままでいいのかと拗ねているのかと思いきや、どうやら純粋に心配しているらしい。
小さく笑った鈴音は大丈夫だと頷く。
「低空飛行せんかったら問題無い思うよ。人ってあんまり上見たりせぇへんから、高いビルとかタワー系の物に近寄らんようにしといたら、そもそも視界に入らへん思うわ」
「そうか!良かったー」
ホッと胸を撫で下ろし、烏天狗は人界への出口を開いた。
「そっちでアイツら見つけても苛めるなよ?」
「苛めへん苛めへん。ありがとうて拝んどくわ。ま、実際は人に化けられたらどれが天狗か見分けつかへんねんけど」
そういえばそうだった、と掌を拳でポンと打つ烏天狗に笑い、鈴音は骸骨と共に出口を潜る。
「影女さんの情報待ってるで。ほなねー」
「アー……、うん、そのうちになー」
面倒臭そうな返事に鈴音は笑顔で手を振り、骸骨はお辞儀をして、仲良く人界へ戻った。
そのまま休憩を挟む事なく、ふたりは音の速さで次の目的地まで真っ直ぐ移動。
鞍馬山から西へ県を2つ飛び越えて、十数分後には黄泉比良坂へと到着した。
連休中なので混雑しているかと思われたが、時間の関係か今の所はそれ程でもない。
しかし、骸骨からしてみれば冥界への入口に観光客が居るという謎の光景は衝撃的だったらしく、パカーと口を開け驚いた様子で周囲を見回している。
はたと我に返って石板に絵を描き、怖くないのだろうかと尋ねてくる骸骨へ、鈴音は顎に手をやりながら微笑んだ。
「たぶん、怖いもの見たさ、かなぁ。まさかホンマに死者の世界に通じてるとは思てないねんけど、でもひょっとしたら……?みたいな感じ」
どうやら骸骨の世界の人々にもそういった感覚はあるようで、成る程なと納得したように頷いている。
「パワースポット的な扱いにもなってるみたいよ?ナミ様は子宝を授ける神様としても祀られてるから、直接声を届けたい思て来る人もいてるかもね」
イザナミの名を聞いて骸骨は思わず姿勢を正した。
「あはは、早い早い。今から緊張しとったら身が持たへんて。まずはツシコさん呼ぶでー」
そう言うや否や、鈴音は観光客を避けつつ岩と岩の間へ向かって呼び掛ける。
「ツーシーコーさん!マーグーロ」
あーそーぼ、の音階でマグロとかました鈴音の声に、岩の間から『はーあーいー!』という返事と同時に黄泉醜女が飛び出してきた。
目の前に立った女神のそのニッコニコの顔を見て、昨夜はカレーやパンで皆のアイドルが大喜びしたな、と鈴音は察する。
「鈴音も骸骨ちゃんもいらっしゃぁい。いやーもぉ昨日はヒノ様がチョー可愛くて、あ、毎日すっごいカワイーんだけど、更に可愛くてさぁ」
案の定である。
一般人なら苦笑いしそうな言動も、猫を猫可愛がりする鈴音と骸骨には問題無く伝わった。
「カレーやら菓子パンやらがええ仕事したんですね」
「そぉなの!今日も朝ごはんにカレーパン食べて目ぇキラキラさしちゃって、かぁわいぃんだってもぉきゃはははは」
何かを招くように手を振る動作は大変オバチャン臭いが、わざわざ藪を突付く必要は無いので黙っておく。
代わりにするのはワタツミからの贈り物の話。
「マグロも子供は大体好きですし、また喜んで頂けそうですね。お刺身に握り寿司にちらし寿司に漬け丼に、ちょっと火ぃ通してタタキ風にしたりステーキにしたりしてもイケるし」
「うわチョー楽しみじゃん、早く行こ、早く早く」
素早く鈴音と骸骨の背後に回った黄泉醜女は、ふたりの背中を押して黄泉比良坂を下って行った。
奥へ進むにつれ、イザナミの神力というか圧力というか、本能が危険を訴える類の力が強まり、流石の骸骨も緊張を隠せない。
イザナミからその力を分け与えられ可愛がられている鈴音でさえ、未だに少なからず恐怖を覚えるくらいだから当然だろう。
あの虎吉がはっきり『怖い』と言い、近付く事も出来ない死の女神。
己に恥を掻かせ逃げた元夫を絶対に殺す、と公言している美しくも恐ろしき復讐者。
彼女に元夫たるイザナギを殺されては、日本の地で人が生まれなくなってしまう。
それを阻止すべく、人が滅びたらこんな美味しい物も面白い物も全部無くなっちゃいますよそれが嫌なら元旦那殺すのだけはやめませんかキャンペーン、を鈴音とワタツミが密かに展開している。
そう説明され理解していたものの、こんな凄まじい力を持つ神が相手では無理なのでは、と骸骨は鈴音を不憫そうに見やりつつ、黄泉醜女に続いて大きな部屋へと出た。
途端に聞こえてくる楽しげな声。
「きゃー!ヒノたん見て見て、ドクターイエローが来たぁ!」
「N700系とすれ違うよ母様!」
「カッコイーねぇ」
「うん!新幹線大好き!電車も大好き!」
巨大な室内では、洞窟然とした壁とは違う真っ平らな床にプラスチックのレールが敷かれ、新幹線や電車の玩具が複数、軽快に走っている。
立体交差や駅舎や高架橋等もあり、結構な金額が掛かっていそうな充実っぷりだ。
謎の単語を口にしながらキャッキャと喜ぶ母子と鈴音を見比べ、微妙な空気を漂わせる骸骨。
「……官房機密費を日本の未来の為に有効活用した結果ですよ、ええ」
遠い目をして頷く鈴音。
こうなった原因は最初に贈った図鑑だ。
乗り物に興味を持ったヒノが『動いてる所が見てみたいなあ』と言い、何とかならないのかというナミの視線を受け、何とかした結果がこれである。
勿論、これのミニカーバージョンもある。
時々ナミの力で新幹線や車が空を飛んでいるので、そのうち飛行機の玩具も贈る事となるだろう。
死の恐怖に晒されながら暗い洞窟を抜けた先が、まさかの乗り物パラダイス。
思てたんと違う、と言いたげな骸骨の様子など気にせず、黄泉醜女は母子に声を掛けた。
「ナミ様ヒノ様ぁ、鈴音と骸骨ちゃんが来ましたよー。ワタツミ様のマグロと一緒にぃ」
それを聞いてふたりの存在に気付いた母子が顔を上げ、お辞儀した鈴音を見て嬉しそうに笑いながら近付いて来る。
「鈴音!いらっしゃい!わあ、ホントに骸骨だ!こんにちは!」
「いらっしゃーい。カレーとかありがとねぇ」
悠然と歩いて来るナミから受ける圧力は凄まじいが、骸骨は今それに怯えている暇などなかった。
何しろ、小走りで近付いて来た子供が、自分を見上げて目をキラキラさせているのである。
死神だオバケだと泣かれる事はあっても、こんな風に笑顔で迎えられた事など生まれてこの方一度もなかった。
サッ、と懐から石板を取り出した骸骨は、神速で何かを描き上げヒノに見せる。
「あ、新幹線!すごいすごい!上手!」
手を叩いて喜ぶヒノの笑顔に万歳してくるくると回った骸骨が、この玩具は何処で買えるのかと石板を押し出しながら鈴音に迫った。
「ぎゃー、骸骨さん落ち着いて。日本のお金持ってへんし、お金持っててもお店で買い物は出来ひんやん?」
自世界の自動販売機や無人販売所以外での買い物は不可能。
その事実に気付かされた骸骨は愕然とした様子でゆっくりと床に落ち、バラバラになった。
「わ!!どうしたの骸骨、大丈夫?どこか痛い?」
驚いてしゃがみ込み、骨をくっつけようとするヒノ。
心配そうな顔を見て一瞬で立ち直った骸骨は、素早く元通りになりビシッと親指を立てる。
ホッとして笑顔になるヒノとご機嫌な骸骨を見比べてから、鈴音はナミへ視線を移した。
「骸骨さんがヒノ様の熱烈なファンになりました。地球人やったら玩具貢いでた勢いで。ヒノ様グッズあったら買い揃える勢いで」
「きゃはははは!そーりゃヒノたんチョー可愛いから仕方ないよねぇー」
「気持ちチョー分かるよ骸骨ちゃん」
ナミと黄泉醜女が大きく頷く中、骸骨はヒノに虎吉の絵を頼まれ描いている。
写真と見紛う出来栄えの虎吉に大喜びするヒノを幸せそうに見ていた骸骨はそこで漸く、自分がここへ何をしに来たのか思い出した。
ヒノを後ろから見守っているナミへ急いで向き直ると、ご挨拶が遅れましたとばかりゆらりと上下に大きく揺れる。
「ん、よく来たねぇー。そんな畏まんなくていーからねぇ?そのままヒノたん喜ばしたげてー」
微笑むナミを思わず拝む骸骨に、黄泉醜女が慌てて声を掛けた。
「あ、その前にマグロちょーだい。丸ごとだから捌いちゃわないと」
ポンと手を叩いて頷いた骸骨は、ローブの中から大きなマグロを引っ張り出す。
それを見たヒノがまた目を輝かせた。
「うわー、おっきい魚!」
自分が獲った訳ではないが何となく得意気に胸を張る骸骨と、このチャンスを逃すまいと笑顔で口を開く鈴音。
「海の神ワタツミ様を崇める漁師さん……魚を捕まえる仕事してる人が奉納したんですよー。こんな大きい魚が獲れるんもワタツミ様のお陰ですありがとうございます、て」
「へえー!こんなおっきい魚を人が捕まえるなんて、すごいねー」
ヒノは素直に感心する。
「凄いですよねー。漁師さん居てくれへんかったら、美味しい魚食べられませんもん」
「シーフードカレーも?」
「そうですよー?」
「漁師さん頑張ってー!」
両手指を組んで祈るヒノに鈴音は微笑み、ナミと黄泉醜女と骸骨が胸を押えて倒れた。
「むり。ヒノたんかわいすぎてむり」
言語処理能力にエラーが起きているらしいナミと、全力で同意している黄泉醜女と骸骨を見やり、ヒノは首を傾げている。
「ねえ鈴音、母様達、あんな風によく倒れちゃうんだけど大丈夫かな?」
見上げられた鈴音はしゃがんで目線を合わせ、爽やかな笑顔で頷いた。
「問題ありません。元気な証拠なんで、心配はいりませんよ」
「ホント?」
「はい。私も猫神様のそばでよう倒れます」
「鈴音も?そっか、じゃあ大丈夫だね」
図鑑等で色々な知識を齎した鈴音は信頼されているらしく、ヒノはすっかり安心したようだ。
その様子を見ていた黄泉醜女が、起き上がってゆるゆると首を振る。
「ヒノ様の笑顔その距離で見て平気な鈴音が怖いんだけどー。あと、マグロの捌き方とレシピ教えてー」
「前後の繋がりゼロな“あと”やな。マグロ関係は動画見るんが早い思うんで、外に出ましょか」
頷いた黄泉醜女はマグロを台所へ置きに行った。
それを目で追いつつ立ち上がった鈴音は、ナミに向き直って微笑む。
「ツシコさんにマグロ動画見て貰て、そのまま今日はお暇さして頂きますね」
「そぉ?鈴音も忙しいんだねぇ。骸骨はどうするぅ?もうちょいヒノたんと遊ぶー?」
ナミに問われた骸骨は音がする勢いで頷いた。
子供に懐かれたのがよっぽど嬉しかったんだなあと笑った鈴音は、ふとここのルールを思い出しナミを見る。
「そういえば、帰る時の儀式は骸骨さんにも適用されるんですか?それともあれやるんは地球の神様と人だけですか?」
追ってくる黄泉醜女に捕まる事なく、黄泉比良坂を駆け抜けなければ生の世界には戻れない。
今の所、逃げ切ったのはイザナギと鈴音だけだ。
「あー、そっかぁ。んー、骸骨ってぇ、異世界の黄泉醜女みたいなカンジ?普段住んでんのは死者の世界だよねぇ?」
その通り、と頷く骸骨を見て、ナミは親指と人差し指で丸を作った。
「じゃぁ問題なーし。フツーに出入りしていいよぉ」
「おおー、良かったね骸骨さん」
儀式云々については分からないが、ナミから出入り自由のお墨付きを貰えたと分かった骸骨は、ありがたやとお辞儀しておく。
そこへ黄泉醜女が戻ってきたので、鈴音はナミとヒノに会釈した。
「ほな今日はこれで失礼します。次はまたオモチャか本持って来ますね」
「いつもありがとねぇ」
「楽しみに待ってるね!」
笑顔で頷いた鈴音は骸骨に手を振り、黄泉醜女と共に広間を出て行く。
この後、マグロの捌き方やレシピを覚えようと黄泉醜女がスマートフォンを離さず、鈴音は観光客が入れ代わり立ち代わりやってくる黄泉比良坂前で、1時間ばかり空を眺めて過ごした。




