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第二百三十八話 妄想と現実

 ここまでの動きを見る限り、サタンを追い返すだけならそれほど難しくはないと思われる。

 どうやら彼は神をからかう事はあっても本格的にやり合う気は無いようなので、天使が攻撃態勢に入れば大人しく魔界へ帰る可能性が高い。

 サタンの魔力が溢れ出ている現在、このまま放っておけば天使は(すみ)やかに行動を開始するだろう。

「でもそれやとあの悪魔オタクがなー」

 うーん、と唸った鈴音は虎吉の頭から鼻を離し、取り敢えず魂の光を全開にした。


「うわ!まっぶしッ!何だ!?」

 ご機嫌斜めだったサタンの気を逸らす事に成功し、しめしめとほくそ笑んだ鈴音は手近に落ちている石片を拾う。

 そのまま素早く距離を詰め、コンクリート剥き出しの床にガリガリと線を描き始めた。

「ちょ、待て、眩しい眩しい!」

 顔を顰めて文句を言うサタンを無視して線を描き終えた鈴音は、石片を捨てて光を消す。

「っあー、眩しかった。何なんだお前……って、あれ?囲まれてんな俺」

 2、3度瞬きをしたサタンは、自身が床に描かれた円の中に居る事に気付いた。

「魔界ね。そこだけね」

 鈴音は悪ガキの笑みを浮かべて宣言する。

「あーはいはい、魔力漏れてたか。悪ィな。つか、これだとお前が魔王召喚したみたいになってっけど、いいのか神の使いのクセに」

 すっかり悪魔女子から鈴音へ興味を移したサタンに、虎吉が大あくびを返した。

「かまへんかまへん。しょっちゅう冥界に出入りしとる神使が魔王の1体や2体呼んだ所で、今更だぅぅぁぁあああーれも驚かへんゃむにゃ」

「ぎゃあああ可愛いぃぃぃいいい!!むにゃむにゃ言うてるぅぅぅううう」

 鈴音が小声で叫ぶという矛盾を成立させ、骸骨が密かに頭骨を落としかける中、サタンは唖然とした様子で目を見張る。


「冥界ってお前、そんな面倒臭ぇとこに出入りしてんのかよ」

「え?あ、うん。黄泉の国いう所の女王様とその御子息に可愛がって貰てんねん。因みにツシコさんはその女王様の眷属やで」

 鈴音の紹介を受けた黄泉醜女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「女王様って言ってもぉ、雇われだけどねー?黄泉の国は大国主様が治めてんだからさぁ」

「えぇー、雇われ店長ならともかく雇われ女王様て。神を産んだ神やのに残念過ぎる言われよう。よし、ナミ様にいいつけたろ」

 自身の右手に向かって話そうとする鈴音の背中に、黄泉醜女が神速で飛び付く。

「ちょぉーっと待って!!そんな電話みたいな機能付いてたっけその右腕ぇ!?」

「さあ?けどナミ様なら返事してくれそうな気ぃしません?」

「するけど。そしたらアタシ怒られるじゃん!そのまま封印しといてー!」

 悪い笑みを浮かべる鈴音と、その右腕を掴んで慌てる黄泉醜女。

 皆が何事だと見守る中、右腕に封印、関わっているのは死者の国の女王、と聞いてキラキラし始める者が1名。


「冥界の女神の力が封印された右腕……!新月の夜になると疼いたり暴走すると触ったもの全ての命を奪う力が発動したり。もしかして魔王を倒す為に封印を解いたら制御出来なくなって力に呑まれて次の魔王になる可能性もありますかコレ。幾度となく現れる魔王の正体は人々を救うため限界を超えて力を出した歴代の勇者達だった的な悲劇キター!?」

 競走馬の如き鼻息の陽彦が早口で何かを捲し立てている。

 冷たい視線を送る月子以外、サタンを含む全員が首を傾げた。

「勇者達て誰。鬼とかヤマタノオロチとか倒した人?」

「この国にゃそんな何回も魔王が出て来てんのか?物騒だなオイ。誰だよ俺以外の魔王」

 鈴音とサタンのズレた感想で、陽彦は自身の心の声が口から溢れ出ていた事に気付く。

 やっちまった、な顔をしたのも一瞬。何事も無かったかのように黙り込んで気配を消した。

 しかし時すでに遅し。

「いや待て気になんだろ誰だよ魔王って!」

 好奇心旺盛なサタンを一本釣りしてしまっていた。


 焦る陽彦を尻目に、鈴音は『この流れ使えるな』と小さく頷く。

 そして尤もらしい顔を作るとサタンへ向けた。

「この国で魔王言うたら信長が有名やで。他にも()るみたいやけど、有名なんは信長」

「ノブナガ?知らねぇな、そんな奴いたか?」

 サタンの興味が自分から離れホッとした陽彦に拝まれつつ、鈴音は笑う。

「まあ、魔王言われてるだけでホンマは人やからね」

「何だ人か。そりゃ知らねぇわ」

「うん。他に魔王呼ばわりされてるのもみんな人。せやからこの国の人は本物の魔王を知らんのよ。知らんから、呼び出して説得しようなんて思う」

 そう言ってチラリと悪魔女子を見た。

 釣られて見たサタンも成る程もいう顔で頷く。

「アンタも一応会話は成立するけど、悪魔やねんから本質は人の敵やもんね?世の中が混沌としてる方がオモロイから、人を(そそのか)して悪事を働かせるんやろ?」

「フハハ、まあな。神の使いだけあって良く分かってやがる」

「やっぱりねー。そうなると、人類皆殺しを熱望する堕天使なんかがこっちに来てまうと、おちょくって遊ぶ相手が()らんようになって困るんちゃう?」

「困りゃしねぇけど退屈んなるから嫌だわな。だからアレは人界に出らんねぇようにしてあるし、大丈夫だろ」

 サタンの口から楽観的な言葉が出た所で、鈴音は渋い顔を作って首を振る。


「いやいや。んなアホな、いう予想外な事やらかすんが人やんか。よう知ってるやろ?」

「んん?どういう意味だ?」

「自分の言葉にだけは堕天使が耳を傾けてくれる、と思い込んでる堕天使ラブな人が()って」

「ラブ……お、おう」

 自身を抱いてぶるりと震えたサタンを無視し鈴音は続ける。

「召喚しよ思たけど霊力が弱いから無理やった。でもどないしても会いたい。よし、霊力強い人を巻き込もう、とか思うかも」

「うーん?考え方は悪くねぇけど、霊力ある奴つったらそこのオッサンみたいな奴だろ?巻き込まれるかぁ?」

 笑われて終わりか、反対に説得されるかだろうと言うサタン。

「ところが、可能性がゼロとは言い切れへんのよ。……私は神託を受けた選ばれし乙女。魔王の呪いで自分を悪魔だと思い込んでいる天使を助けなければならないの。神の力を得た私の言葉だけは彼の耳に届く。彼を説得し改心させれば、人類にとって最強の味方になるわ。お願い、魔王の脅威から世界を救う為にあなたの力を貸して」

 いきなり始まった鈴音の演技を何事かと見守ったサタンだったが、直ぐにその理由を理解した。

「聖女キター!これは聖女が勇者を選ぶパターンですか興味深い。最終的には天使と勇者で聖女を取り合う少女漫画的展開が……」

「……あー、うん。あっさり引っ掛かりそうな奴も居るなそういえば」

 悪魔の王に遠い目をさせたとも気付かず陽彦の独り言は続いている。

 それに笑いながら鈴音は頷いた。


「別にあの子に限らず、嘘でしょ!?いう立場の人も釣れる思うで。そうやなかったら、カルトいわれる宗教が存在する訳がない」

「はいはい、俺を崇拝する奴らも居るなそういや」

「それならまだ分かるけど、ただの強欲な人やら猟奇殺人犯やらを崇拝してたりもするやん。あれはもう、アンタら悪魔もビックリな話術使(つこ)て、舌先三寸で丸め込むんやろねぇ。この悪魔オタクにその才能があったら、私みたいなんを洗脳して人界と魔界の境界をブッ壊すぐらいやるかもよ?」

「え、お前そんな事出来んの。神の使いヤベェな」

 唖然とするサタンへ、鈴音は曖昧な笑みを向けて誤魔化す。

「やった事ないから知らん。まあ私はヒーロー願望ないし大丈夫やけどさ、この先うっかり丸め込まれる強い人が出たらマズいやん?」

「まあなぁ。けど、あの氷の監獄を溶かせる奴が居るとも思えねぇけどなー」


 成る程、堕天使は氷に囚われているのかと頷いた鈴音は、右手に炎を出し一気に温度を上げた。

 恒星の如く青白い炎をサタンは黙って見ている。

 次いで鈴音が出したのは黒炎。

 阿鼻地獄の炎に匹敵するそれを揺らめかせてから、魂を含めた全ての物質を消滅させる漆黒の球を出す。

 まるでブラックホールのようなそれを鈴音が消すところまで見届けてから、サタンは口を開いた。


「よし、とっととその貧相なガキに諦めさせるぞ。どうやる?何かいい考えあんのか?」

 すっかりやる気になってくれた若干焦り気味のサタンへ、鈴音はニコニコと笑いながら頷く。

「堕天使の姿をこの子に見せたげたらええ思う。映像で魔界と繋ぐとか出来ひん?」

 神に近いスペックを誇る魔王なら簡単だろうと言いたげな鈴音に、サタンも当然だとばかり胸を張った。

「映像な。見るだけじゃなくて会話も出来るようにしてやんよ」

 凄かろうとドヤ顔を決めるサタンだが、異世界で全人類リモート会議を経験済みの鈴音と虎吉そして骸骨には大して響かない。

「そらええね、ありがとう。ほな念の為あれや、結界のレベル上げといて貰えます?」

 さっさと大嶽に向き直る鈴音の薄い反応に口を尖らせ、サタンは陽彦に声を掛けた。


「なにアイツ。ビビんだろフツー。何も無いとこに映像だけ出して会話する機械とか、まだ一般化されてねぇでしょうが」

 独りの世界に入っていた陽彦は視線を上げ、微妙な表情で首を傾げる。

「さすが悪魔、人界に詳しいな。でもあの人、異世界にも行ってるから。科学技術がスゲー進んでる世界とか魔法がスゲー世界とかで見たのかも。異世界の創造神とも知り合いみたいだし」

「……マジか。ヤベェな、やっぱ食いてぇな魂」

「腹壊しそう。やめとけ」

「は?……ブッハハハハハハ!!そ、そっち、そっちか!!仲間じゃなくて俺の腹の心配!!」

 急に腹を抱えて笑いだしたサタンを振り向いた鈴音は、会話相手らしい陽彦が一体どんなネタで悪魔のツボを突いたのかと驚いている。

 無表情を保った陽彦は絶対に黙っておこうと心に誓った。


「何がそんなにおもろかったんか知らんけど、準備出来たから映像繋いで貰てええかな」

 鈴音の声にまだ笑いながら周囲を見回したサタンは、自分が公園で魔力を出した時と同じく、街全体を守るような結界と、人を守る結界がそれぞれ最高レベルで張られているのを見て感心する。

「へぇー、スゲェ警戒だなぁ?映像だぞ?映像」

 ニヤニヤ笑うサタンへ鈴音はスナギツネ顔で首を振った。

「そう思わしといて、実は魔力も伝わってくるねんでーとか後で言いそう」

「チッ。何で分かった?お前ひょっとして悪魔なんじゃねぇか?」

「女神言われたり悪魔言われたり忙しいな私。簡単やん、強い妖怪や悪魔が必要以上に協力的なんておかしいし。そら疑って掛かるよ。代償も求めずに頼んだ以上の事をやってくれるとか、絶対なんか企んでる思うもん」

 自分を作った神以外に怖いもの無しなサタンが、悪魔女子を殺せば万事解決、と考えてもおかしくはない。

 たとえそれで鈴音達が怒っても、自分に勝てる筈がないと思っているのだ。

 虎吉が初めに言った、怒った鈴音に殴られれば腹に穴が開く、という警告など忘れたか信じていないかのどちらかだろう。


 悪魔の考えなんかお見通し、といった顔の鈴音と警戒心剥き出しの大嶽を眺め、サタンは肩をすくめた。

「ま、今日のところは負けといてやんよ。そのうち齧るけどな、お前の魂。んじゃ繋ぐぞルシファーと」

「齧らせへんけどな。よし来い堕天使」

 サタンと鈴音の会話を聞いていた悪魔女子は、腰を抜かし尻餅をついたままだったと気付いて急ぎ立ち上がる。

 ついに長らく憧れ続けた存在が目の前に現れるのかと、固唾を呑んで見守った。


 皆の視線が集まる中、サタンが掌を突き出す。

 するとその先の空間に歪みが生じ、縦長の白い楕円が浮かんだ。

 よく見るとそれは只の白ではなく氷の白だという事が分かる。

 一面氷の世界を暫く進むと、遠くに人影らしき物が見えてきた。

 それと同時に、地の底から響いているような低く恐ろしい声も聞こえてくる。

「うわ、獣が唸ってるみたいや」

「ホンマやな。激怒しとる獣やな」

 鈴音と虎吉が会話する間にも映像は人影へ近寄って行き、徐々にその姿をはっきりと見せ始めた。


 楕円に映し出されたのは、腰から下を湖のように広く平らな氷の中に閉じ込められた男。

 上半身裸で白く長い髪を振り乱しながら、空へ向けて両手を伸ばし藻掻いている。

 口から放たれる重低音をよくよく聞くと、サタンへの罵詈雑言と神への思慕が半々だった。

 年頃の少女が思い描く天使らしさなぞ欠片も見当たらない、筋骨隆々の猛々しい姿である。


「ぃよう、ダメ天使ー?聞こえるぅー?」

 明らかに馬鹿にした声音でサタンが呼び掛けると、カッと目を見開いたルシファーは勢いよく周辺へ視線を走らせた。

「サァァァタァァァンンンンッ!!薄汚い人もどきめ!!なり損ないめ!!何処に居る!!滅べ!!滅べ!!滅べ!!」

 ガンガンと氷を叩きながら叫ぶ様子は、天使というより悪魔というより、殆ど鬼だ。

「うわー、般若の人思い出したやん。怖いねんあの手の表情」

 鈴音に鼻を埋められながら、『キレたお前さんはあんなもんやないで』と遠い目になる虎吉。

 空に集結している天使達とは随分違うなあと皆が見つめる中、悪魔女子は小さく首を振り続けている。

「違う。あんなんじゃない。あれがルシフェルの訳ない。サタンの嘘だ絶対」

 拗らせた妄想と突き付けられた現実との落差に衝撃を受ける悪魔女子を見ながら、鈴音は虎吉の陰でしてやったりな笑みを浮かべていた。

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