第二百三十三話 悪魔召喚、ダメ。ゼッタイ。
円の中で伸びたり縮んだり増えたり減ったり、よく分からない動きをする悪魔を見ながら鈴音は首を傾げる。
「ソレは何でその円から出て来ぇへんのですか?結界ちゃうのに」
「ああ、円の中だけが魔界っていうルールだから」
事も無げに答える大嶽だが、明らかに説明不足だ。
「ちょっと何を仰ってるのか分からへんのですけども」
困り顔になる鈴音と、右に同じと頷く大上きょうだい。
「あー、説明しようにもそういう決まりだからねえ」
大嶽もまた困った様子で、腕組みをして唸る。
「……あ、私が会いたかったのはもっと上のランクの悪魔だから、キミに血はあげないよ?魔界へお帰り。天使も来てるし長居は無用でしょ」
説明より先に、シッシと手を振り『サヨナラー』と悪魔を追い払う大嶽。
その態度に怒ったようで、悪魔は不気味な音と共に一際激しく暴れたものの、誰にも危害を加える事なく帰って行った。
地面に吸い込まれるように真っ黒な物体が消え、後には円があるだけ。
その円も大嶽が足で砂を均す事で消えて無くなった。
すると上空で待機していた天使達も空の彼方へ帰って行く。
「ますます意味が分からん。出て来ただけで何もせぇへん悪魔?悪魔をやっつけんと帰る天使?」
眉根を寄せながら片眉だけ上げる、という器用な鈴音の顔を見て虎吉が笑った。
「オモロイ顔やなー。まあ悪魔は、大嶽丸の方が強いから勝ち目無い思て大人しぃに帰ったんやろ。天使はあれやな、魔界におる悪魔攻撃したら戦争仕掛けた事になってまうから、悪魔があの円の中に居る限り手ぇ出されへんねんな」
「その通りなんやろけど、地面に描いただけの円の中が魔界になる、いうシステムがまず分からへんねん」
「人界で言う所の、国の境目と同じちゃうんか?繋がっとる地面に線引いて、あっちとこっちで別や!て言うとるやろ?」
「あー……そうか。そういう。ははー、成る程」
顎に手をやり幾度も頷く鈴音。
「うん、お陰でスコーンと分かったわ、ありがとう虎ちゃん!スッキリした」
虎吉に頬擦りする鈴音を見やり、大嶽が頭を掻く。
「分かってくれてよかったよ。上手い説明が思い付かなくてね」
「今後は国境やて説明しはったらええですよ。めっちゃ可愛くて賢い猫神様の分身が教えてくれた、言うのは忘れたらあきませんけど」
一連のやり取りを聞いていた月子が首を傾げ、手を挙げた。
「鈴ねーさん質問」
「はい、何かね月子くん」
掛けてもいない眼鏡を上げる仕草をする鈴音へ、月子は素直に疑問をぶつける。
「あの円の中が、人界にある魔界の大使館扱いだっていうのは私にも分かった」
「お、国境より更に分かり易なってるやん」
「でもそれを、天使も悪魔も何で律儀に守ってるの?特に天使は、ここは人界だ!円の中が魔界だなんて認めない!って主張して攻撃してもよさそうな気がするけど」
尤もな意見に頷きつつ、鈴音は自説を口にした。
「多分、このルール作ったんが人やから、天使は守らざるを得んのとちゃうかなぁ」
「え、人が作ったルールなんか守る?自分の神様の言う事しか聞かないあの天使が」
鈴音の説に月子が驚き、陽彦も頷いている。
「その神様が、人界はそこに生きる者達の世界やから、彼らが決めたルールに従いなさい、とか言うてはるんちゃう?天使なら例えば、弱肉強食や自然淘汰に手心加えて捻じ曲げるような事も出来そうやん?気に入った動物や花だけ増やすとか」
「あー、位の高い天使なら出来そう」
「そういうのを防ぐ為に出した神の御触れが、この線の中は魔界!とかいう無茶なルールでも、人界に住む者が作ったんやから従わなアカンのやな、て天使達に思わせたんかなーと」
「そこはフツーに却下すればよかったのに。頭固過ぎじゃない?」
鈴音の説を採用して遠い目になる月子。
「天使のクソ真面目さを知ってて利用したんやろね、このルールを作った人物は。どーーーしても悪魔と契約したかったんやろなぁ」
「あ、そういう事か!」
「うん。当時はまだ人界へ勝手に出て来る悪魔も居って、彼らと話したいとかその力が欲しいとか密かに思てたんかも。でも人界に出るなり天使がすっ飛んで来るから、悪魔は直ぐ倒されるか帰ってまう。ほな天使が来ぇへん場所で悪魔に会うしかない、どこや?魔界や!けど行き方分からへんぞ?よし家の庭に魔界作ろう!」
「うわー、頭柔らか過ぎじゃない?その人」
月子がツッコむと鈴音は愉快そうに笑った。
「悪魔もそういう意味では頭柔らかそうやから、直ぐに理解したんやろね。人が魔界やと主張する場所に居る限り、天使からの攻撃は無い。おまけに人の方から霊力たっぷりの血ぃくれたり、死んだ後なら魂食べてもええでとか言う。契約さえしてまえば、人界へ出るんもオッケー。何でなら契約した人が『これは私の一部だ!』とか言うたら天使は手が出されへんから」
「……そんなのメンドクサイし、せっかく目の前にごちそうが居るんだから、契約する振りして線の中に引っ張り込んでサクッと食べちゃおう!とか思わないかな?」
「そないならへんように、『私が死んだ瞬間この線の中は人界に戻るから』て言うとくね私やったら」
右手を胸に当ててニヤリと笑う鈴音に、月子は納得の表情で頷いた。
「そっか、悪魔呼び出したら、さっきみたいに天使がそばに来るんだ。天使にも聞こえるように言っとけば、呼び出した人が殺された瞬間、悪魔は攻撃されちゃう。それは嫌かも」
「うん。後は、呼び出した悪魔がルール理解出来ひんアホやない事と、天使を怖がらんほど強過ぎひん事に賭けるしかないね」
「それか逆に……天使を蹴散らせる強さでも、こういう事を面白がる高位の悪魔が来てくれるか」
問題はそんな高位の存在が出て来てしまった場合、呼んだ本人が耐えられるのか、だが。
「うんうん、光る魂なら偉い悪魔も呼べるて鞍馬天狗が言うてたし。無いとは言われへんよね、ルール作った人が私みたいな奴で、最初に人と契約した悪魔が暇を持て余した魔王の誰か、いう事も」
それを見ていたから、魔界の有象無象も召喚のルールを理解した、と考える方が自然だなと鈴音は思う。
「じゃあ、エクソシストが生まれたのは、人と契約した悪魔には天使だと手が出せないからかな?人同士なら『これは私の一部だ』とか言われても、どこからどう見ても悪魔です。祓います。ってなるもんね」
「あはは!そうかもしらん!神様の苦肉の策なんちゃう?融通利かへん天使が納得する説明考えるより、人に悪魔祓いの力授けた方が早い思わはったんかも」
月子と鈴音が悪魔召喚の始まりを想像し盛り上がり陽彦が黙って頷く中、骸骨と黄泉醜女そして大嶽は気絶した悪魔女子を観察していた。
「どぉー?骸骨ちゃん、何かわかったぁ?」
少女から立ちのぼる赤黒い靄を見つめ考え込む骸骨に、黄泉醜女と大嶽が興味津々の目を向けている。
尋ねられた骸骨は頷きながら石板に絵を描いて見せた。
「へー、逃げた魂の気配がするんだぁ。じゃあやっぱ澱をドコで手に入れたのか調べなきゃだねぇー。……もしかして、あのコが触った澱もこれ系だったのかなー?」
あの子とは誰かと骸骨が石板で問い掛けると、黄泉醜女は眉を下げる。
「アタシが黄泉の国に連れてった元悪霊なんだけどねぇ?カワイソーなコでさぁ。大好きなミュージカルをすっごいイイ席で観られる事になってたのに、その日が来る前に交通事故で死んじゃったんだよねぇー」
それは気の毒過ぎる、と泣き顔を描く骸骨と、どこかで聞いた話だなと腕組みして首を傾げる大嶽。
「んで、臨死体験って分かるー?そそそ、あれだと思い込んでこっちに戻って来ちゃって、澱に触る羽目になったんだけどねぇー?その時のコト聞いてみたらさぁ、何か、変なカンジなんだよねぇー。ってこれを鈴音に教えに来たんじゃん!あとカレーおかわり!」
くわ、と目を見開いた黄泉醜女が鈴音を振り向くと、月子と2人何やら地面にガリガリと円を描いていた。
「なにしてんのぉー?」
「え?いやー、ツキと喋ってる内に、悪魔召喚試すなら今ちゃうか?いう話になって」
てへ、と可愛こぶる鈴音と月子。陽彦は無表情のまま頷いている。
「ふーん、そぉなんだぁ」
黄泉醜女や骸骨はこの程度の反応だが、大嶽は顎が外れそうな勢いで驚いていた。
「さっきの話の流れで何をどうしたらそうなるのかな!?オジサンさっぱり分からないよ!?」
「霊力の高い人の血の匂いと、悪魔に話し掛けてますいう意思表示と、悪魔にとっての安全地帯の確保、これが揃ってたら召喚出来るんかな?魔法陣やの呪文やのはハッタリいうか、演出?ホンマは要らんモノ?いう疑問が湧きまして。試したら分かるやんね、今なら最悪喧嘩なっても負けへんやろ、悪魔オタクの子以外は強いし虎ちゃんも居るし、いう流れです」
さらっと言って退ける鈴音に大嶽は頭を抱えた。
「試さなくてもその程度の事なら聞いてくれたら答えるから!仰る通り小難しい魔法陣も謎の呪文も演出だよ。そんなもの無くても呼べる。霊力の低い人の呼び掛けにだって気紛れに応える悪魔も居る。ただその後どうなるかはそこで気絶してる彼女を見れば分かるね?何にせよ、全てはアイツらの気分次第だって事だよ。分かったかい?」
鈴音達が描いた線を足でせっせと消しながら一気に説明する大嶽を見やり、陽彦が少しがっかりした表情になる。
「喋れる悪魔に会ってみたかったな……」
ゲーム等で親しんでいる陽彦らしい独り言だが、聞き逃さなかった大嶽は直ぐさまお説教モードの顔になった。
「人語を話す悪魔は人界でも名を知られているような有名どころだよ?要するに高位だよ?出て来ただけであの悪魔オタクの子は死んでしまうよ?」
そこは結界に頼るつもりだった、等と言ったら更に叱られそうなので陽彦は沈黙で応える。
「キミ達全員、悪魔から見たら物凄い御馳走なんだから、悪魔召喚ダメゼッタイ!魔王が出て来てこんにちは、何て事になったらそれだけで街ひとつ滅ぶからね!」
そこは魔王の方で調整して出て来るのでは、等と言ったら更にお説教が続きそうなので鈴音は大人しく頷いておく。
「すみませんでした。充分理解しました。召喚の方法が知りたかっただけで、悪魔自体に興味は無いので安心して下さい」
「うん、そうだね、夏梅さんとツキちゃんはそうだろうね」
鈴音の返答に頷きつつ大嶽は陽彦をじっと見つめる。
「や、俺も流石に、街ひとつ滅ぶって言われた事やらかす程バカじゃねーんで、大丈夫です」
陽彦は本心からそう答えたのだが、どうやら疑いは晴れていない模様。
やはり独り言が不味かったか、と薄っすら顔を顰めた所で、信用を得る殺し文句が頭に浮かんだ。
「俺が変な事しようとしたら黒花が絶対止めるし、大丈夫ですって」
これでどうだと大嶽を見れば、案の定ふっと表情が和らぐ。
「……それもそうか。ん、くれぐれもおかしな真似はしないようにね」
「はい」
内心『黒花グッジョブ!』とドヤ顔でガッツポーズを決めながら、実際の陽彦はいつも通り無表情で頷いた。
丁度その時、悪魔女子が小さく唸って身じろぐ。
「あ、起きそうだね。それじゃ浄化してから、もう一度どこで澱……というより彼女にとっては悪魔?に会ったのか聞いてみようか。答えないようなら、骸骨さんに過去視をお願いしても?」
大嶽の頼みに骸骨は胸を叩いて頷いた。
「ありがとうございます。よし、サクッと片付けようか」
そう言って大嶽は素早く霊力を高める。
すると、霊力が3本の刀のような形に変化して宙を舞い、結界に背を預けへたり込んでいる悪魔女子を容赦無く刺し貫いた。
途端に赤黒い靄が全身から噴き上がり、悲鳴のような音を立てながら空気に溶け込むようにして消えて行く。
「おぉー、絵面はエグいけど威力は抜群や」
「大嶽丸言うたら三明の剣やもんな」
虎吉の解説で、霊力が刀っぽいのは大嶽のご先祖に関係があるらしいと理解した鈴音は『そうなんやー』と頷いた。ここで詳しく尋ねたりすると大嶽が昔話を始めかねないので、さらっと流すに限る。
悪鬼の子孫が悪霊祓いをしている理由は気になっているが、それはまたの機会に聞かせて貰えばいい。
「はい、おしまい。これが悪霊ならすっかり大人しくなる筈なんだけど、生身の人だからねえ」
浄化を終えた大嶽が刀を消し、さてどうなるだろうと皆で様子を見守った。
「……う……」
僅かの後にゆっくりと目を開けた悪魔女子は、熟睡中に叩き起こされたかのような顔で辺りを見回す。
瞬きすること数回、自身に起きた出来事と現在の状況を思い出すと、慌てて顔を上げた。
夢でも幻でもなく、視界にずらり並ぶ化け物達。
「ひ……ッ!」
引き攣った表情で後退しようとするが、背後には結界があるので身動きが取れない。
先程までと違って戦う気力は湧いて来ず、ひたすら目の前の化け物達が恐ろしい。
どういう事だと自身の手へチラリと視線を下げれば、そこにあの赤黒い靄は無かった。
『嘘でしょ!?私の悪魔が祓われた!?エクソシストが紛れてたの!?それともルシフェルの契約者が何かした!?』
高位の悪魔の圧力で自らの悪魔が魔界へ戻されたのか、等と考え歯噛みする悪魔女子。
ずれた眼鏡の位置を震える指で直しつつ、次に考えるのは過去視についてだ。
本当に出来るのだとしたら、人を殺した事がバレてしまう。
『どうにかしてコイツらから離れて、もう一度悪魔を呼び出さないと……!』
再び悪魔と契約すればあの力が戻るのだから、どこか遠くへ逃げてそこで暮せばいい。
今はとにかく逃げる方法を考えなければ。
大嶽が呼んだ“本物”は見なかった事にして、自身に都合の良いものだけを信じ続ける悪魔女子は、黒く稚拙な思考を巡らせながら気力を振り絞り、憎き化け物達を睨み付けた。




