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第二百三十二話 悪魔っていうのはねえ

 顔面蒼白で震えている悪魔女子を見やり、大嶽が溜息を吐く。

「あのねお嬢さん。悪魔と契約したとか言うけども、アレは素人がそんな簡単に呼び出せるモノじゃないよ?」

 穏やかに諭す大嶽と隣の鈴音以外を視界に入れないよう頑張りながら、悪魔女子は顔を上げ苛立ちを見せた。

「何その上から目線。オジサンには分かんないだろうけど、今はスマホで何でも調べられるの。正しい手順でやったから呼び出せたの。だから……」

 話しながら震える右手を突き出した悪魔女子は、大嶽へ向けて握り拳大の澱の結晶を複数飛ばす。

 彼女が天使と死神と信じる存在の他に女神まで居ると知って自棄になったのかと思いきや、その顔には愉悦の滲む醜い笑みが浮かんでいた。


「だから、天使は無理でも人なら殺……」

 殺せる、と言いたかったらしい悪魔女子が顔を引き攣らせて固まる。

「うんうん、普通の人なら死んじゃうねえ、こんな事されたらねえ。でもオジサン、この中では1番弱いけど人の中ではかなり強い方だから、死なないねえ」

 自身を結界で囲み澱の結晶を砕いた大嶽だったが、何故か急に凹んだ。

「まさか俺が1番弱いとか言う日が来るとはね……神と神使しか周りに居ないってどうなの」

 実は、孔雀明王、鈴音、鬼、と行動を共にした綱木も同じ経験をし殆ど同じ事を言っている。仲良しなオジサン達だ。

「コホン。えーとね、お嬢さん。キミが手に入れた力の源は悪魔じゃなくて、我々が澱って呼んでる、人が出す負の感情の塊なんだよね」

 気を取り直して大嶽が説明するも、悪魔女子が信じた様子はない。化け物を見る目で大嶽を睨むばかりだ。


「せやからさぁ、ウンコ身体中に擦り付けて喜んでるようなもんやで、て言うてんねん。分からんかなぁ?」

 進まない話に苛々してきたらしい鈴音が割り込み、身も蓋もない言い方をした。

「な、ウン……」

 呆気にとられた悪魔女子が言葉に詰まり、意味を理解した瞬間顔を真っ赤にして怒りを顕にする。

「私の悪魔に何言ってんの!?死ね!!」

 怒りで大量に溢れ出た赤黒い靄が槍の穂先のような形を取り、鈴音を蜂の巣状態にすべく無数に射ち出された。

 だが残念ながら、相手はこの中で女神に並ぶ力を持った危険人物である。

 魂の光を全開にして澱の結晶を消し飛ばし、鈴音は物凄く嫌そうな顔をした。

「直ぐ『死ね』とか言うんやめときよ?大人なってからうっかり出たらみっともないで?」

「あ……うあぁ……」

 防御する間も無く天使と呼んだ陽彦の光が霞む程の強烈な光を見る羽目になり、心身共に澱の影響を受けている悪魔女子は恐怖のあまり動けず目を逸らす事さえ出来ない。

 鈴音が光を消すと、呼吸を忘れていたと気付いたらしく咽るようにして肺へ酸素を取り込んでいる。


「うわあ可哀相に。それにしても夏梅さん、ウンコって」

 何故その喩えになるのかと微妙な表情の大嶽に、鈴音はあっさりと答える。

「天狗達が、汚いモンや汚いモンや言うてたんで。鞍馬天狗なんかもう、澱に触るんなんか街で犬のウンコ踏むんと同じぐらいの感じに扱いよるんですよねぇ。ま、こっちは掃除屋さんなんで、ウンコもきっちり片付けますけども」

 猫トイレの掃除で慣れている鈴音はそれで良いかもしれないが、大嶽や大上きょうだいは『ウンコには触りたくないなあ』と嫌な顔だ。

「妖怪達の感覚はまた独特だからね、人とは違うよね、うん」

 どうにか仕切り直し、大嶽は呼吸を整えつつある悪魔女子に目を向けた。

「まあ、ウンコかどうかは置いといて、悪い物である事は確かなんだよ。だからね、それを何処で見つけたか教えてくれるかな?」

 漸く本題に入ったが、悪魔女子は視線を地面に落とし口を開く気配がない。


「うーん。黙秘したところでキミのその澱は消すし、喋ってくれないと骸骨さんの過去視で全て見るしかなくなるんだよねえ。オジサンとしてはキミの口から事情を聞きたいなあ」

「私らはアンタ本人に興味無いけど、このままやとその力を手に入れたとこまでずーーーっとアンタの生活を遡って行く事になるで?裏アカなんかあったらバレてまうで?怖いやろ?」

 まるで補導員のような大嶽と、反社会的勢力のような鈴音。勿論そんな細かい部分まで見たりはしないので、鈴音のそれは只の脅しだ。

 そうとは知らず、2人の言葉に目を見開いた悪魔女子は勢いよく顔を上げた。

「過去視とかそんな事が出来……」

 出来る筈など無いと言い掛けてふよふよ浮いている骸骨が視界に入り、慌てて地面へ視線を戻す。

「出来るもんならやってみれば?」

 死神なら出来るのかもしれないが、ハッタリの可能性もあるのだ。それを見極めなければ、と悪魔女子は精一杯の虚勢を張った。


「んんー?何で言いたくないんだろうね?隠してるその場所じゃなきゃ、悪魔は呼び出せないとでも思ってるのかな?オジサン達にバレると場所ごと浄化されると思ってる?」

 首を傾げる大嶽をチラリと見る悪魔女子。

「ここで自分の中にいる悪魔を消されても、その場所に行ってまた呼び出せばいいやって考えなのかな?」

 大嶽の問い掛けに答えは返ってこない。

「ふーむ、これは根本から正してやらなきゃ駄目かなあ」

 腕組みして唸る大嶽を鈴音が不思議そうに見やる。

「もう面倒臭いし骸骨さんに過去視頼んだらええんちゃいます?何日分遡らなアカンか分かりませんけど、早戻しでも私らはついて行けるんで、場所突き止めてから課長呼ぶいう事も出来ますし」

「あー、確かに謎の澱に関してはそれでいいんだけど、このお嬢さんがねえ……。このまま浄化しただけだとまた悪魔召喚とかやりそうでしょ?」

「まあ、それは確かに」

「でも、そう都合良く謎の澱を拾える訳ないから、どう頑張ったって彼女の思う悪魔は手に入らない。で、何かが足りないって考えて、生贄捧げる方向なんかに走っちゃうかもしれない。そうなると、まず動物で試してその後に人殺……ヒィィ夏梅さん、顔、顔怖いから」

 悪鬼の子孫が両頬を両手で押さえ悲鳴を上げるような形相になった鈴音が、視線を落としたままの悪魔女子を睨んでいる。


「待って、これは私の予想でしかないから怒っちゃ駄目だよーハイ落ち着いてー猫が被害に遭った訳じゃないよーハイ深呼吸ー。ああ俺のうっかりさん……!」

 綱木から報告が上がっているので、猫殺しに対する鈴音の反応は理解しているらしい。冷や汗を流し一人称の使い分けに失敗するほど慌てながら、大嶽は必死で宥める。

 だが鈴音の表情は変わらない。

「既にやってもうてる可能性は?コイツ、悪魔が呼べた思てるんでしょ?もう何か殺した後なんちゃいます?それが猫やないて言い切れませんやんね?」

 殺した、という単語で悪魔女子の内心にヒヤリとしたものが走る。

「そ、そうか、しまった。えーとえーとそこはほら、猫神様の分身様に見て貰えば解決するんじゃないかい?」

 それもそうかと虎吉の顔を思い浮かべた途端、鈴音の表情は元に戻った。

「虎ちゃーん、ちょっと来てー」

 何も無い空間へ呼び掛ける鈴音をチラチラ見ながら、悪魔女子は怪訝な顔だ。

 しかし、何の前触れもなく空中からヌッと猫が生え、滑るように出て来て鈴音の腕に収まったのを見ると、この女には使い魔がいるのか、と驚愕した。


『マネキン野郎より格上の天使と契約してんのかと思ったのに、使い魔がいるってどういう事!?魔女?いや魔女があんな光を出すわけない。使い魔がいる高位の悪魔と契約してんの?でも悪魔は光なんか……あッ!!輝けるもの……ルシフェル!?あの女、ルシフェルの契約者!?』


 まさか、“厨二病患者が大好きなキャラクターTOP3”に入るであろう悪魔の契約者呼ばわりされている等とは露知らず、鈴音は虎吉に事情を説明していた。

「……そういう訳で、猫殺しかどうかチェックして欲しいねん」

「ふんふん、成る程な。どれどれ……て、なんやごっつい嫉妬の眼差しで見られとるぞ鈴音。犬神さんの神使とイチャイチャして煽ったんか?」

 虎吉の問い掛けには、鈴音だけでなく陽彦も物凄く嫌そうな顔をする。

「煽る必要があったとしても、未成年に手ぇ出したりせぇへんし」

「天狗の羽素手でへし折るゴリラとイチャイチャとか無理……」

「誰がゴリラや!」

 神速でツッコむ鈴音に月子は必死で笑いを堪え、骸骨は盛大に肩を揺らし、黄泉醜女は辺り構わず大笑いだ。


「何やすまんかったな」

「ホンマやで、惚れた覚えもないのに振られたがな」

「鈴音にはもっとエエ男が現れるで。知らんけど」

「知らんのかい!」

 これには流石に陽彦も笑いを堪えてプルプルしている。

 多分こんなやり取りをしているという事は、猫殺しの心配は無いのだなと大嶽も一安心だ。

 ただ1人、悪魔女子だけが『何なのこいつら』という顔で固まっている。虎吉の言葉が分からないので当然の反応だ。

「ああそれでな、猫殺しちゃうから嬲り殺しにする必要はないわ」

「了解。よかった、猫が無事で」

 こんな会話が理解出来ても寿命が縮むだけなので、分からなくて幸せだと思われる。

「ふー、何とか無事に乗り切ったね。ありがとうございます猫神様の分身様」

 笑顔の大嶽を見て虎吉は首を傾げた。


「誰や?」

「失礼致しました。わたくし、大嶽丸が子孫、大嶽(はじめ)と申します」

「私の上司」

 大嶽の挨拶と鈴音の補足を聞いて、虎吉は納得の表情を見せる。

「ああ、鈴音が漁船もごもご。あの大嶽丸の子孫かいな。鈴音と仲良うしたってな」

 ワタツミに大嶽という上司を説明する際、彼の先祖である悪鬼大嶽丸を知らなかった鈴音は、ナントカ丸という漁船のような名前だったと言ったのだ。

 それを思い出して話題にしかけた虎吉の口を指で押さえ阻止し、素知らぬ顔で微笑む鈴音。

 漁船云々を聞き取れなかった大嶽は、先祖の名が神の耳にも届いている事を喜び、満面の笑みで頷いた。

「大切に扱わせて頂きますので、今後とも何卒お願い致します」

「うんうん、お願いされたろ」

 大嶽の返事に満足した虎吉は目を細めてニコニコだ。可愛い可愛いと鈴音と骸骨が大喜びなのは言うまでもない。


「では、改めて」

 鈴音の激怒モードを回避しすっかり調子を取り戻した大嶽は、悪魔女子に向き直る。

「悪魔召喚の何たるかをオジサンがキミに教えてあげようね」

「はあぁ!?私の悪魔も見えないような奴が何言ってんの!?ちょっとでも魔法陣書き間違えたり呪文間違えたりするだけで命にかかわるんだから、素人は手ぇ出さない方がいいと思いますけどー!?」

 突如目を剥いて吠える悪魔女子に鈴音は唖然とした。

「なにごと?」

「……オタクは自分が1番詳しいと思ってるジャンルでマウント取られるとムキになりがち」

 陽彦がボソッと答え、全員が『あー』と納得の表情になる。

「ムキになんかなってませんけど!?何知ったかぶってんのバカじゃない!?」

「厨二病の悪魔ヲタ。ルシファーとか好きそう。こだわってルキフェルとかルシフェルとか呼んでそう」

「んな……ッ……ッ」

 珍しく滑らかな口撃を仕掛ける陽彦に、図星を突かれた悪魔女子は言葉が出てこない。


「ああそうなの、悪魔に憧れてるのかな?でも、本物の悪魔はそんなにいいものじゃないよ?」

 少し後退して皆の輪から離れた大嶽が、小石を拾って地面に円を描きながら淡々と言う。

「まあね、ルシファーぐらい高位になると見た目もひょっとしたら綺麗かもしれないけどね、そんなのが現れたらキミなんか姿を見る前に死んじゃうからね」

「は。これだから何も知らない人は。魔法陣の中に呼び出すんだからそんな事にはなりませんー」

 苛立った悪魔女子が馬鹿にしたように鼻で笑うも、大嶽は穏やかな顔で首を振る。

「なるよ」

 そう言って、陽彦にカッターナイフは無いかと尋ねた。陽彦が鞄を探りペンケースからカッターナイフを取り出して渡すと、礼を告げた大嶽は大きな溜息を吐く。

「あーーー、指先をちょんとやるだけなんだけど、結構痛いよねー」

「代わりましょか?」

 どうやら指を突いて血を出すようだと理解した鈴音が申し出ると、大嶽は慌てて手を振った。


「神の眷属の血なんか使ったら、それこそ魔王クラスが我も我もと来ちゃうから。気持ちだけ貰ってオジサンが頑張るよ」

 鼻から強く息を吐いて気合を入れた大嶽は、左手の薬指の先をナイフで突く。

 プクリと赤い血が盛り上がるのを確認し、陽彦にナイフを返してから、先程描いた直径1m程の円の中に左手を伸ばし入れた。

「おーい、悪魔やーい」

 棒立ちで、左手をプラプラさせながら、間の抜けた呼び掛けをするオジサン。

 魔法陣も呪文も無い、とても残念な絵面に鈴音達は絶句し、悪魔女子が激怒する。

「馬鹿にしてんの!?」

 無意識に放たれた澱の結晶は黄泉醜女が叩き落としてくれた。

「きゃはは、馬鹿になんかしてないよぉ?よぉーく見てなってー。直ぐ……来るからさぁ」

 ニタァと黄泉醜女が口角を吊り上げた時、周囲の空気が変わる。


 風もないのにザワザワと木々が騒ぎ、暑くもないのに陽炎が立った。

 大嶽が描いた円の中に、何処から湧いたのかわからないコールタールのようなものが踊る。


 何か、が姿を現す前に、空の彼方から二条の光が急降下して来た。

 上空20m付近でホバリングしているのは、一対の羽を持つ天使達だ。双方とも銀色に光る槍を携えている。


「キミが悪魔を呼んだ時、彼らは来たかい?天使は人界に出ようとする悪魔を見逃さないからね、キミの悪魔が本物なら会ったことがあるはずだよ?」

 コールタールのようなものを見つめながら言う大嶽に、悪魔女子は答えられない。

 勿論天使なぞ今初めて見たし、何より円の中を満たして行くソレが気持ち悪くて仕方がないのだ。

「キミの中の澱が、コレに引っ張られてるのかな?顔色が悪いね。まあ、人の出す負の感情程度じゃ、悪魔が出す負の力に勝てっこないからしょうがないねえ」

 笑う大嶽の左手目掛け、黒い何かが飛び掛かる。

 取り込まれる寸前でヒョイと手を引いた大嶽は、円の中で暴れるソレに微笑んだ。

「ははは、悪いね、力を借りたかった訳じゃなくて、ちょっと構って欲しかっただけだから」

 ソレはヌタヌタと形を変えながら、金属を引っ掻いたような気味の悪い音を出す。

 円の外にまで瘴気を溢れさせ、血が得られなかった事に腹を立てているようだ。


「何だろ、ドス黒いスライム?にしては水っぽいか」

 陽彦が言えば、鈴音と月子は首を傾げ、骸骨は興味深そうにスケッチしている。

「コレ、魔界では底辺の悪魔ね。コレの圧力に耐えられないんじゃ、他の悪魔が出てきたら確実に死んじゃうけど……やっぱりキミには無理だったねえ」

 笑う大嶽の視界では、悪魔女子が白目を剥いて気絶していた。

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