第二百二十九話 陽彦と月子と、悪魔憑き?
眩い陽光が静かな街を照らす爽やかな朝。
ゴールデンウィークだ10連休だと騒いでいるのは大人ばかりで、カレンダー通りに学校へ行かなければならない高校生は今日も嫌々早起きだ。
鈴音が奉行所と呼んだ家でも、朝の攻防が繰り広げられている。
「お前の5分は一体何分なのだ!遅い!」
「うーるせーなー……起きたからいいじゃあぅぁんん」
「喋りながらあくびをするな!子供か!」
「子供だよ、まだ高校生だっつの」
黒い中型和犬に叱り飛ばされているのは大上陽彦、鈴音と同じく光る魂“輝光魂”の持ち主で、犬神の神使だ。
寝癖の付いた黒髪をワシャワシャと掻き乱し、美貌を歪めて大あくびしながら、のんびりと部屋から出て1階へと下りて行く。
その横を駆け下りた、こちらも犬神の神使である和犬“黒花”に急かされても慌てる事無く、完全にマイペースを貫いている。
対照的なのが妹の月子だ。
「あーもうこんな時間!?これじゃあんまり掃除出来ないし。また鈴ねーさんに差ぁ付けられちゃうじゃん悔しい!」
ブレザーの制服姿でせかせかと動き回る超絶美少女は、スウェットを捲り上げて腹を掻いている兄の横をすり抜ける。
「え、まさか神の眷属と張り合ってんの?犬神様の神使になったからって、眷属相手に勝てる訳なくね?」
陽彦に呆れ顔で問われた月子は、黒髪ポニーテールを揺らしながら振り向いた。
「別に張り合ってないから!ちょっとでも追い付きたいだけだし!」
「いやでも悔しいとか言っ」
「言ってないし!!」
カッ、と睨まれて兄はすごすごと退散する。
「月子は偉いな。犬神様もお喜びだぞ」
「えへへ、ありがとう黒花。いってきます」
「ああ、いってらっしゃい。気を付けてな」
廊下で挨拶を交わしダイニングへ入る黒花と入れ替わりに、和服美女が出て来た。
「ツキちゃん気を付けてね。変な魔法陣とか踏んだら駄目だからね?おかしな光に包まれそうになったら全力で逃げてね?勇者様だとか聖女様だとか呼び掛けられても応えちゃ駄目よ?」
陽彦と月子の母親である暁子が、真顔で不思議な注意をする。
「うん、分かってる、大丈夫だから。いってきます」
笑顔で頷く月子が心配で仕方ないようだが、暁子はどうにか微笑んで見送った。
「いってらっしゃい」
そんなやり取りを耳にしながら食卓で焼鮭を口に運ぶ陽彦の表情は、困っているような申し訳無さそうなそれでいて呆れているような、何とも形容し難いものになっている。
「あの注意はいつまで続くのだろうな」
部屋の出入口から頭だけを廊下に出して玄関を眺める黒花の声に、味噌汁を啜った陽彦はつい先日の出来事を思い出す。
澱掃除の最中に謎の光に包まれ、気付いたら黒花と共に異世界へ飛ばされていた。
その異世界と地球では時の流れが違ったようで、数時間しか滞在していない筈なのに地球では半日以上が経過しており、犬神様の神使が行方不明だと大騒ぎになっていたらしい。
中でも母の暁子は今にも倒れそうな程に心配し、状況を説明しに来た猫神様の眷属に泣きながら息子の救助を頼んだそうだ。
その猫神様の眷属に助けられてこちらへ帰って来た時、父と妹は心底安堵したといった感じだったのに対し、母は泣き崩れて気を失った。
母のそんな姿を見たのは生まれて初めてで、ショックのあまり呆然としていた記憶しかない。
その後、意識を取り戻した後の母は、何だかおかしな方向に強くなっていた。
というのも、2度目が無いとは言い切れないのだから、今後に備えて異世界転移に関する資料を見せなさいだとか言い出したのだ。
資料と言われても、異世界帰りの人のレポート等が存在する筈も無く。
手元にあるのは、もしかしたら実際に行った人の話も混じっているかもしれないが、基本的には地球人の想像力が生み出した架空のお話、漫画や小説だ。とても資料とは呼べない。
それでも読みたいと言うので、ハーレム設定、胸や尻が強調された女性キャラクター、小児性愛といった、母にとっての地雷になりそうな要素が出て来ない異世界転移作品を必死に探して、どうにか見つけた少女漫画を渡した。
結果、母はそれを足掛かりに様々な作品を読み漁り、ああいう注意をするまでになった。
「何で息子の体験談だけで納得してくれないのか激しく謎」
卵焼きを食べて溜息を吐く陽彦に、戻って来た暁子が首を傾げる。
「どうしたの?早く食べてハルも行かなきゃ」
「ん。分かってる」
残ったおかずとご飯を掻き込み味噌汁を飲み干して、陽彦は身支度に向かった。
「いい?1度転移したから終わりとは限らないから。2度目の召喚なんかもあるんだからね?油断しちゃ駄目よ?」
実の母に通学前の玄関で異世界転移について諭される件、と遠い目をしながら陽彦は幾度も頷く。
「油断しないし、神様も警戒してるだろうから大丈夫だって。遅刻したくないから行くよ?」
「ホントに分かってる?くれぐれも気を付けてよ?いってらっしゃい」
「はいはい、いってきます」
げんなりしながら軽く手を振って、見送る黒花に母を宜しくと頼む。
門から出て月子とは違う通学路を選んだ陽彦は、しっかりと澱掃除をしつつマラソン選手ばりのスピードで学校へ向かった。
陽彦と月子が通うのは、大学付属の中高一貫校だ。
部活動が盛んで広い敷地内に施設も充実している為、生徒数は多い。
当然陽彦の入学当初は、とんでもない美少年が入ったと大騒ぎになり、高等部の生徒が校舎の出入口まで見物に来たりもした。
しかしアイドルのような扱いは直ぐに収束する。
陽彦は心の中で喋っている事の100分の1も口に出さない上に、表情も殆ど変わらないので、数回見れば大多数の者は興味を失うのだ。
熱心なファンは根強く存在するようだが、陽彦にはどうでもいい事である。
1年後に月子が入学した際は、陽彦の妹とは思えぬ豊かな感情表現を見て皆大層驚き、フィーバーは随分長い事続いた。
そんな流れで月子の周りには常に誰かが居て賑やかだが、その中に本音を話せる相手、つまり友達が居るのか陽彦には分からない。
何しろ、同級生の誰1人として家に招いた事がないのだ。
それどころか、親が厳しくて、などと言って相手からのお誘いも全て断っている。
『ま、俺が言えた事じゃねーか』
陽彦自身もオタク仲間とオンラインでやり取りはするが、互いの家を行き来したりはしない。
友達だと思っていた相手に勝手に部屋の写真や動画を撮られてSNSに上げられたりしたらと思うと、とてもではないがそういった付き合い方は出来なかった。
『芸能人の流出画像とか大体友達ポジションから撮ったやつだしなー』
誰もが指先1つで世界へ映像配信出来てしまう時代に生きる以上、用心するに越した事はないと、陽彦は自らの考えに頷く。
校門で教師に挨拶し、まだ超絶美形に慣れない1年生達の視線を浴びながら、普段通り無表情に心の中でベラベラと喋り倒している陽彦。
そんな彼の耳が、校舎へ入り教室へ向かう途中、ヒソヒソと交わされる女子生徒達の会話を拾った。
「アヤカ昨日から帰ってないんだって」
「親が警察に捜索願い出したらしいよ?」
「卒業した先輩と付き合ってるんだっけ」
「付き合っては無かった気がする」
「けど何かそっちも行方不明みたい」
「マジか!ヤバくない?」
「あの子の親友が5組にいなかった?」
「ああ、眼鏡の?聞きに行ってみる?」
「行こ行こっ」
途中から犬の耳に切り替えて聞き続けた結果、どうやら女子生徒の誰かが行方不明になっているようだと分かった。
『俺みたいに異世界に飛んでたりして』
そんな事を考えたものの、『あの出来事で懲りた神々がセキュリティレベルを上げた筈の異世界に転移は無いな』と陽彦は表情を変えず心の中でセルフツッコミを入れる。
『家出か、何かの事件に巻き込まれたか……。まあ悪霊や妖怪絡みじゃなきゃ俺には関係ねーけど』
あくびを噛み殺しつつ1組の教室へ入り、クラスメイトと挨拶を交わして窓際最後列の席へ着いた。
今日もまたいつも通り、平和で退屈な学校生活が始まる。筈だった。
「ねねね、アヤカが家に帰ってないって聞いたんだけど、何か知ってる?」
教室の外で3人組の女子生徒に捕まり小声で話し掛けられたのは、昨夜廃墟ホテルに居た眼鏡女子だ。
「え、そうなの……!?」
そんな情報今初めて知りましたとばかり、眼鏡の奥の目を見開く。
「メッセージ送っても既読にならないから、具合でも悪いのかと思ってた」
そう言って3人組には親友を心配するような表情を見せつつ、内心では大笑いだ。
『悪魔の力で私がやったんだし知ってるに決まってんでしょ。何の連絡もして来ないし今頃はもう死んでんじゃない?ごしゅーしょーさまでーす!悪魔でごめぇーん』
心の声は当然聞こえず、薄っすらと立ちのぼる赤黒い靄も見えない3人は、真面目そうな悪魔女子の言葉を素直に信じる。
「うわー、心配だねー」
「彼氏とお泊りで寝坊しただけならいいけど」
「それなら笑える」
慰めるような3人の様子を見やり、悪魔女子は困り顔を見せた。
「彼氏は居ないんだよね……。アヤはあのマネキン王子の信者だから」
「あれ?そうだったんだ?」
「隠れマネキリシタン?」
「ぶっ、何ソレ」
行方不明事件から恋愛系の話へと移行しかけた所で予鈴が鳴る。
教室に戻らねばと慌てる3人へ、悪魔女子は微笑んだ。
「教えてくれてありがとね」
「や、こっちこそ。何でもないといいね」
「きっと今頃家ですっごい怒られてるって」
「王子の写真でも送って慰めたげなよ」
手を振りながら去って行く3人を見送って、彼女もまた教室へ入った。
『そっか、あのマネキン野郎の顔を見に行くのもいいな。信者が1人減ったけどどんな気持ちー?って』
席に着いて密かに口の端を吊り上げる。
そんなつまらない事さえしなければ、もう少しだけ悪魔の真似事が続けられたとも知らずに。
昼休み。
食堂や購買へ向かう生徒に紛れて、悪魔女子は1組の教室を目指していた。
マネキン王子こと陽彦が、昼は教室で弁当を食べるというのは有名な話なのだ。
『王子はブサイク達と同じ物なんか食べません。ママの手作り弁当じゃなきゃ無理でちゅー、的な?マジムカつくわ顔だけしかいいとこ無いクセに』
勿論、弁当組は陽彦以外にも大勢いる。
しかし彼女の中で美形は嫌悪の対象らしく、その象徴とでも言うべき陽彦だけが罵られていた。
「ぶえっくしょぃ!!あっぶね、鼻から米飛ばすとこだった」
そんな負の感情が届いたのか、大きなクシャミをした陽彦の声が教室の外まで聞こえて来る。
「大上氏、ティッシュはいかがでござる」
「おぉ、ありがとう心の友よ」
教室が笑い声に包まれる中、オタク友達からティッシュを貰った陽彦が鼻をかんだらしい。
「おまえー、外でかんで来いやメシ食ってんのに」
「スマンカッタ」
「棒読み!!」
また笑い声が漏れて来る。
女子達の話に出て来る孤高の王子様とは全く違った雰囲気に怪訝な顔をしつつ、悪魔女子はそっと教室を覗き込んだ。
「……眩し……ッ!!」
入口から顔を覗かせた途端、中の様子を確認する前に強烈な光で目が眩み、思わず大きな声が出る。
すると教室内の男子生徒らがゲラゲラと笑った。
「わざわざ見に来るって1年の子?」
「眩しいらしいぞ王子様!」
「こんな堂々と言う?」
「俺らは見えてないっぽい」
からかう声に『違う!!』と苛立ちながらも、眩しくてしっかり目を開けられない。何が起きているのかと細めた目でどうにか中を見れば、光の正体が人であると分かった。
よりにもよって、顔だけしか取り柄がないと思っていたあの男が、全身から光を放ち輝いているのだ。
『どういう事!?寒気するし足が竦む……もしかしてアイツ天使と契約してる!?え、天使ってこっちから呼べるんだっけ!?』
混乱する悪魔女子はそこで気付いた。
光り輝く陽彦が、己を睨み付けている事に。
『ヤバい。ヤバいヤバいヤバい!!逃げなきゃ、早く逃げなきゃ!!』
陽彦から目を逸らし、震える足を動かして必死にその場を離れる。
廊下を早足で歩きながら何度も振り返ったが、あの眩い光が追ってくる事はなかった。
『何で?もしかして私が悪魔と契約してるって気付いてない?昼休みを邪魔したブスにムカついて睨んでただけ?』
5組の教室へ戻り、入口を警戒しつつ考える。
『でもこんなに寒気がするとか、私の悪魔よりあっちの天使の方が階級が上ってこと?くっそ、あの程度の顔に釣られる天使なんかに負けたくないんだけど!!』
苛立ちを隠せない悪魔女子は、忙しなくスマートフォンを弄りながら取り敢えず早退する為の理由を探した。
一方陽彦も、スマートフォンを弄って月子に連絡をとっている。
『澱みたいな靄出してる女来た』
『詳しく』
『多分同じ3年でクラスは分からん』
『逃げそう?』
『俺見て眩しい言ったし逃げるかも』
『お父さんから学校に電話して貰おう』
『祖母が危篤で的な』
『それ』
『すぐ連絡する』
2人纏めて早退する為、父親を巻き込むようだ。
『生きてる人から澱みたいな力が出てるとか、多分あれ謎の澱だよな。だったら親父も協力してくれるだろ』
素早く打ち込んだメッセージを送信すると、短くひと言『了解』と返って来た。
10分後には担任がやって来て、お祖母さんが倒れられたそうだから帰りなさいと言われる。
心配してくれる弁当仲間達に大丈夫だと告げ、オタク友達に後で授業内容を教えてくれるよう頼んでから、陽彦は鞄を手に教室を出た。




