第二百十六話 シャーッ!
魔力玉全てを魔力満タンにしてもまだ追って来る、魔力頂戴オバケな技術者から逃げ、鈴音は外へ飛び出す。
出入口付近に居る技術者までも『魔導士様の魔力を研究したい!』等と言い出していたので、外へ出るなり急いで屋根の上へと避難した。
「ふー。魔力オタク恐るべしやで」
「俺は小さないっちゅうのにホンマ腹立つ」
プリプリと怒る虎吉を撫でて宥め、今度こそ山側の魔物を倒しに行こうと屋根から屋根を走る。
途中、草原側の街の外れで、魔物狩りの人々と連携しながら戦う警備隊の姿を発見した。
「あ、ゴウさんが居る。おーい!」
屋根の上から声を掛けると、鈴音に気付いた警備隊のゴウが笑顔になる。
「鈴音さん!誰が魔力障壁を強化してくれたのかと思ったら、あなたでしたか!」
「私でした!港の掃除しといたんで、あっちは心配いりませんよ。こっちも大丈夫そうですね?」
「はい!そこまで強い魔物は居ないので、問題ないです。山の方をお願いします!」
「了解!無理はせんといて下さいね」
鈴音がゴウに笑顔で手を振って去った後、魔力障壁に突っ込んだ毛虫風の魔物が木っ端微塵になった。
「ははは、殆ど何もしなくてよくなったから、無理のしようがないんだよなあ」
困ったように笑うゴウ達は、偶に生き残る魔物を魔法で仕留めつつ、順番に休憩を回そうと相談する。
強さはともかく数が数だったので、そこそこ疲れてはいたのだ。
「わざわざ戻って来てくれるなんて。本当に、助けられてばかりだ」
頭が上がらないなと魔力障壁がある辺りを見たゴウは、偉大な魔導士に心から感謝した。
「わわ、何や重苦しい雰囲気になってった」
山側にある街の玄関口へ近付くにつれ、座り込んだ魔導士の姿や、鎧を脱いだ騎士の姿が目立ち始め鈴音は顔を顰める。
どうやらこの辺りに居るのは、魔力を使い果たしたり負傷したりして戦線離脱した者達のようだ。
真っ赤に染まった布を手に走る救護班の姿等もあり、相当厳しい戦いが繰り広げられているのだと分かる。
「何やっけ、大牙玉が大挙して押し寄せてるんやったっけ。ほら、空飛ぶ玉虫色のトラバサミ」
「ああ、あれか。昼間やし弱なっとる筈やけど、それでもアカンか」
鈴音と虎吉からすればスローモーションで動く雑魚だが、普通に考えれば昼間でも時速200km超えで動く魔物など人類にとって脅威以外の何者でも無い。
50mを1秒掛からず動く相手に何をどうしろと言うのか。
身体強化と風の魔法を使っても、その速さに対応出来るのは大神官シエンだけだろう。
「大牙玉は確か、硬すぎて魔法やないと通じひん魔物の筈やから、魔導士が疲れ果ててるんかな。一撃食ろたら即死や言うてたし、騎士の怪我はまた別の魔物の仕業やろか」
何にせよ急ごう、と屋根を渡って先へ進むにつれ、戦況が見えて来る。
辺境伯軍は、障壁の内側から魔導士が魔法を撃って大牙玉を仕留め、次の大牙玉が来る前に他の魔物を騎士や剣士が斬り伏せるという戦法を取っていた。
「魔力障壁が直ったから、ちょっとはマシになってんのかな?それにしても、魔物減らへんなぁ。石がこの街から移動して結構経つ思うねんけど」
「おう。海の魔物も多かったし、こっから北上してったのも居る言うてたし、やっぱり今回使われた石、前のんとはちゃうんやで」
「そうみたいやねぇ……。ほんならもう、石の呼ぶ声に耳貸されへんぐらい魔物に怖い思いさせるしかないね。森ん中から出たない!て思わせよ」
また雷でも落とすのだろうか、と首を傾げた虎吉を、鈴音は満面の笑みで見やる。
「頼みましたよ先生。ここが誰の縄張りか、篤と教えてやっておくんなせぇ」
「あ、成る程な、そういうことか。任しとけ」
時代劇ならこの流れで出て来る“先生”は主人公に斬られて終了だが、虎吉先生の場合そうはいかない。
但しこの先生、一声吠えると敵味方関係無く戦意喪失させてしまうので、取り扱い要注意なのだ。
「取り敢えず全員魔力障壁ん中に入って貰わなアカンけど、私が言うても聞かへんよね」
「せやな。偉いさん探して命令して貰わな無理や」
「後ろの方にタープ?言うんかな、布の屋根みたいなんあるやん?あっこに居りそうちゃう?指揮官」
「おう、いかにもやな。ほな鈴音、女神さんに化けて行こか」
虎吉の提案にキョトンとした鈴音だっだが、魂の光を全開にしろという意味かと理解し笑う。
「そうやね、只の魔導士よりその方が偉い人も言う事聞いてくれそうやわ」
虎ちゃん天才、と頬擦りしつつタープ目掛けてジャンプし、同時に魂の光を全開にする。
タープ周りに待機していた剣士達は、光り輝く何かが跳んで来る事に驚き、条件反射で抜剣した。
しかしそれが人、しかも女性だと分かると、明らかに困惑してオロオロし始める。
「何事だ!」
様子がおかしいと気付いた彼らの上官らしき剣士が、タープの下から厳しい声を発しつつ姿を見せた。
すると、精鋭部隊である筈の剣士達がへっぴり腰で見つめる先の人物と目が合う。
「え?神……」
「あ!たぶんこの国最強の剣士の人や!」
「へぇ、知り合いか?」
縞模様の獣を抱いた発光する女性、という訳の分からない存在に唖然とするも、その顔を見て直ぐに思い出した。
「酒場で我が主をお救い下さった、アル何とかの」
「はいはい、アルコールハラスメント警察ね。若様はお元気ですか」
「あー、そうかそうか、あの時のな」
シィの剣を買いに武器屋へ向かう途中、酒場で鈴音が下戸を助けた事があったな、と虎吉が頷く間に、奥から噂の主が小走りで出て来る。
そして皆と同じく鈴音の光にポカンとしてから、我に返って笑顔を見せた。
「アル何とかの君!またお会い出来て光栄です」
「なんか変なあだ名増えた!!……て、若様やん!ここに居る偉い人いう事は、もしかして若様が辺境伯の御子息?」
眩しいだろうかと魂の光を消しながら尋ねる鈴音に、若様は胸に手を当て頷く。
「ラーンと申します。まさか酒場で出会った命の恩人が、世を忍ぶ仮のお姿をなさった女神様だとは思いもせず、大変な御無礼を……」
どこぞの好角家の悪魔のような表現に笑いを堪えつつ、鈴音は若様ことラーンの堅苦しい挨拶を止めた。
「女神様ちゃうし御無礼働かれてへんから大丈夫です。そんな事より、山から溢れてる魔物退治したいから、戦ってる人ら全員障壁の内側へ後退するように命令して貰えます?」
「えっ!?女神様御自ら殲滅して下さるのですか」
驚くラーンと、何だか恐ろしげな単語が出たなあと遠い目になる鈴音。皆は固唾を呑んで会話の行方を見守っている。
「えー、まず。神様は私ではなく、こちらの猫、虎吉さまです。この虎吉さまがここいら一帯を縄張りとなさいますので、魔物は恐怖のあまり森から出られなくなります。つまり、殲滅ではなく撃退ですね」
鈴音の説明で皆の視線が虎吉に向いた。
最初は得意気に胸を張っていた虎吉だが、一向に外れない視線に耳を後ろへ向けて苛々し始める。
「皆さん、神様を凝視するなんて無礼千万ですよ」
そのひと言で皆慌てて目を伏せた為、虎吉の怒りを買わずに済んだ。
「よろしい。で、神様がここは俺の縄張りやぞーと主張する際に、真横から前方にかけて物凄い力が働きますので、巻き込まれへんように避難しといて欲しいんですよ」
「もし巻き込まれるとどうなりますか?」
不安気な顔をしたラーンの質問に、鈴音はとても気の毒そうな表情を作った。
「もう辺境伯軍の一員やなんて名乗られへんような、大の男が人に見せてしもたら立ち直られへんような、この上なく情けない姿をみんなの前で晒す事になりますね」
低めの声で告げられて、側近の剣士は嫌そうに首を振り、部下の剣士達は『何と恐ろしい』と一斉に青褪め、ラーンはそれは一大事とばかりいつの間にか後ろに控えていた老紳士に全軍後退を命令する。
老紳士が伝令に指示を出す様子を眺めつつ、鈴音はラーンに尋ねた。
「どの位で完了します?実は割と結構かなり急いでまして」
石を持って行った少年の身が心配なのだ。のんびりはしていられない。
「そうなのですか!ではもう直接私が命令しましょう。現在の敵は他国の軍ではなく魔物だ、問題はないだろう?」
鈴音の意向を汲んだラーンの確認に老紳士は頷き、伝令への命令を取り消す。
続いて右手を優雅に前へ出すと、風の魔法を使った。
「どうぞ」
老紳士に促されたラーンは堂々と胸を張り、凛とした声を響かせる。
「皆の者聞こえるか、ラーンだ。全軍、魔力障壁の内側まで後退せよ。繰り返す、全軍、魔力障壁の内側まで後退せよ」
風の拡声魔法に乗って、ラーンの命令は前線で戦う者達の耳に届いた。
すると騎士も剣士も目の前の魔物を無視して身を翻し、全速力で後退を始める。
「うわ、凄っ!理由とか要らんのや。速い速い。あと、イケ爺が使う風の魔法のレベル高過ぎ」
「おう、えらい広い範囲に声届けよったな」
「後でシィ君に教えたろ」
猫の耳専用会話を交わしながら待つ事数分。
「全軍、魔力障壁内へ後退完了致しました」
老紳士が胸に手を当て顎を引き、ラーンが頷く。
「神よ、ご指示の通りに致しました」
鈴音と虎吉に視線を往復させ、老紳士と同じく礼をした。
「ありがとうございます。よう訓練されたええ軍ですね。若様の人望も厚いし」
感心する鈴音にラーンは眉を下げて首を振る。
「私ではなく父や祖父が偉大なのです」
「ん?ひょっとしてヤケ酒の原因それですか?」
「ぅぐ」
言葉に詰まるラーンを見て、図星かと鈴音は笑う。
「年相応の人望はある思いますけどね。まあその若さで並ばれたら、お父様もお祖父様も面目が立ちませんやん。若様はこっからでしょ。それに多分、お父様もお祖父様もそのまたお祖父様も、若様ぐらいの時に同じ事言うてますよ」
鈴音に言われて初めて、父や祖父にも若い頃があったと知ったかのように、驚きの表情でラーンは瞬きを繰り返した。老紳士と側近の剣士は深く深く頷いている。
「ほな、せっかく物凄い速さで兵士の皆さんが引いてくれた事やし、ちゃっちゃと片付けて来ますね。あ、そうそう多分この先、人生引っ繰り返るような大事件が起きますけど、若様とそのご家族なら乗り越えてくれると信じてます」
「……え?それはどういう……」
何やら恐ろしげな予言に慌てるラーンの質問を許さず、鈴音は笑顔で手を振りながら魔力障壁へ向け地面を蹴った。
何の話だと首を傾げていた虎吉が、上空で『あ、そうか』と髭を広げる。
「あれか、女王クビにした後の国のトップの話か」
「はい正解。女王の子供は論外、女王の兄弟姉妹も今更、側近連中は一緒に腐ってたいうか首謀者の可能性もある、てなったらもう、ねえ?」
「そらもう、真っ先に名前出るなあ」
大神官シエンの采配次第だが、恐らく間違い無いだろう。
次の国王は辺境伯だ。
魔力障壁の外へ柔らかく着地し、鈴音は笑う。
「トップ不在やと国民が困るから、いうて臨時で引き受けて、辞めるに辞められんようになって新たな王家がここから始まる、に一票」
喋りながら、向かって来た大牙玉を右手で叩き落とす鈴音。それを、障壁の内側で整列している騎士と剣士が目を丸くして見ていた。
「今まさに歴史の転換点に居るんやな?この国は」
地面に降ろされた虎吉もまた、大牙玉を叩き落とし、忍び寄って来た影幽霊を爪で軽く引っ掻いて消し去る。
出鱈目な強さの1人と1匹の登場に、兵士達は後退命令が出た理由を理解した。
そんな彼らを尻目に、周囲の魔物を適当に消し炭にした鈴音は、即席の広場に虎吉を呼ぶ。
「いやー、歴史が動く瞬間とか、凄い時に来てしもたね。ほな先生、そろそろお願いしまーす」
「おう。歴史に気持ち良う動いて貰わなアカンからな、魔物は家に帰って大人しぃする時間や」
虎吉は頷き、ピンと立てていた尻尾を下げ、後ろに向けた耳を反らし、瞳孔を開く。
背後に立つ鈴音目掛けて殺到する魔物の中から、先頭の大牙玉に照準を合わせると、瞬時に瞳孔が細くなった。
そのままゆっくりと口を開き、自慢の牙を見せつける。
「ゴルァそこのトラバサミ共。誰の許可取ってこんなとこ出歩いとんねん」
すう、と鼻から息を吸って、口から思い切り吐き出した。
「ここは俺の縄張りじゃ、ナメとったらシバくぞボケェェェエエエーーー!!」
森がというより山が揺れる程の神力が放出され、魔物が纏めて吹っ飛ぶ。
前方に居た魔物はかなりの数が消し飛び、後方に居た魔物は絵に描いたような恐慌状態に陥った。
神力の影響を受けていない筈の兵士達も、圧倒的という言葉では足りない程の力を目の当たりにして、脚の震えが止まらない。
何だあの獣は、と畏怖する兵士達の目が、笑う鈴音を捉えて点になる。
「んふふふふ、ええシャー頂きましたぁー!出来れば正面から見たいけど、吹っ飛ぶんは嫌やしなー」
「吹っ飛ぶ以前に俺が笑てしもてシャー言われへん。そんな締まりのない顔目の前にして、どないして威嚇せぇっちゅうねん」
ヒョイと腕に収まって呆れる虎吉を、デレデレと目尻を下げながら鈴音は撫でる。
「虎ちゃんが戦意なくすとか、私ある意味最強?」
「いや、猫神さんやったらオモロがってちょっかい出しそうやから、引き分けやな」
「猫神様に構われたら私が戦意喪失やん。溶けて無くなってまうやん。引き分けやのうて私の負けやわ」
他者には理解不能な会話をしながら魔物の様子を観察し、全ての魔物が森へ消えたのを確認して鈴音は兵士達を振り向いた。
「終わりました。まさか後になって出て来るツワモノはおらん思いますけど、一応見とって貰えると助かります。ほな、若様によろしく」
そう言って会釈すると、幻だったかの如く一瞬で姿を消す。
残された兵士達は、緊張の糸が切れたようにその場にへたり込み、大きく呼吸して肩を叩き合い生きている事を確かめ合った。




