第二百十四話 彗星
太陽が目の前に現れたかのような鈴音の光に、その場に居る全員が思わず仰け反り、ポカンと開けた口から魂が抜ける勢いで驚く。
それもその筈、いくら魔法が存在する世界とはいえ、何の魔力操作も無く太陽のように光る人の話なぞ、誰も聞いた事が無いからだ。
ただ、人でなくてもいいのなら、思い当たる存在は居る。
恐らく全員の頭に浮かぶその存在を同じく想像しながら、シエンは鈴音の言動を思い出していた。
『神様から、邪魔する奴はブッ飛ばしてよし、言われてますんで』
確か、出会ったその日に言われたセリフだ。
ただの冗談だと思っていたが違ったらしい。
創造神が客人として扱う程気に入った女性であり、主の元へ通じる道などという現実離れした魔法を使う事から考えて、てっきり彼女が次の大神官になるのだなと理解していたのに。
この眩い姿は誰がどう見ても、仕える側ではなく。
「氷の女神……?いや、火の女神か……?」
大神官であるシエンの口から零れた言葉を耳にした全員が、やはりそうか、という顔をした。
何を司っているかは分からないが、神である事は間違い無いだろう。こんな光を放つ人など居る筈がない。
問題は、何故今ここで正体を明かしたのかだ。
そう思い皆が固唾を呑んで見守る中、鈴音は怒りに燃える目で魔導士と女王達を睨んでから、シエンへと視線を移す。
「港町へ行ってきます。こいつら逃さんとって下さい」
「は。心得ました」
胸に手を当て顎を引く礼をしたシエンへ頷いたかと思うと、次の瞬間鈴音の姿は跡形も無く消えた。
勿論、自らが空けた壁の大穴から走り出て行っただけなのだが、残された人々の目には光り輝く神の奇跡と映る。
鈴音が居た辺りを見つめ只々呆然と立ち尽くす悪党達へ向け、穏やかな表情でシエンが口を開いた。
「……さて。神官たる者、神の命に従う事こそが務め。よってそなたらは何があろうとここから出さぬ。ああ、そこな騎士は戻ってよいぞ」
シエンに声を掛けられた伝令の騎士は、我に返って直立不動。
「援軍を出せるなら出して国を守るよう、上の者に伝えるがよい。行け」
「はッ!!」
胸に手を当てた騎士は駆け足で出て行き、大扉が閉じられた謁見の間には大神官一行と悪党達が残された。
シエンの指示で神官が1人、壁に空いた穴の前に立ち、騒ぎ始めた外の者達への対応に当たる。
それを見届け、悪党達へ向き直ったシエンは厳しい表情を作った。
「そなたらに残された時間がどの程度かワシの知る所では無いが、何か言い置く事はあるか?」
遺言を聞いてあげよう、と言われた悪党達は俄に慌て出す。
「そんなご無体な!我々は何も……」
「処刑すると仰る!?罪など犯しては……」
「悪事を働いた訳でもないのに……」
一斉に喚き出した側近達を尻目に、シエンは女王と魔導士を見やった。
「神に、嘘が通じると思うか」
あんな光を目にした後では、観念して全てを白状すると思ったのだが。
「嘘も何も、私に後ろ暗い事などございません。有ると仰るのなら、証拠をこれへ」
女王は堂々とシエンの目を見返し。
「私も、子供らを買った罪は認めますが、それ以外に思い当たる節はありません。人身売買に対する我が国の罰は強制労働。死罪には当たりませんよね」
魔導士も気味の悪い笑みを浮かべ、正当性を主張するかのように胸に手を当てた。
森から生きて帰った子供がいたとて、それが石に結びつく事は無いだろうと高を括っているようだ。
その顔を見たシエンから表情が消える。
「……愚か」
只ひと言そう返すと、玉座前の段差に腰を下ろし黙って目を閉じた。
「魔導士達!無駄撃ちはするな!大牙玉だけを狙え!」
「魔導剣士達は暗闇虫を!火の魔法で焼き尽くせ!」
「影幽霊が来ている!馬が怯えて身動きが取れなくなるのだ、先に魔法攻撃を頼む!」
港町ガアンの魔力障壁沿い、暗影の山側。
強力な魔物達に襲撃されているという報せを受け駆け付けた辺境伯軍が、数の暴力に苦しめられながらもどうにか応戦している。
「援軍は!?」
後方で指揮を執る若き司令官の問いに、参謀らしき老紳士は首を振った。
「王都にも魔物が迫っているとの事で、期待は出来ません」
「そんな……一体何が起きているんだ」
「ラーン様、そのようなお顔をなさってはなりませんよ。皆の士気が下がります」
諌められたラーンは慌てて表情を取り繕い、咳払いをする。
「港側は大丈夫か?」
「警備隊と漁師達、戦力は申し分ないと言えますが、魔力障壁が無い分厳しい戦いを強いられています」
巨大船食い事件の後に計画された、海にも魔力障壁をという案は、まだ実行に移されていなかったらしい。
「くそ……ッ!大牙玉さえいなければ魔導士を港へ回せるのに!」
街の地図が広げられたテーブルを叩き顔を歪めるラーンを、老紳士もまた辛そうな表情で見つめていた。
港では、救護所として開放された街に近い位置にある倉庫へ、次々と怪我人が運ばれている。
海の魔物は水を使って攻撃して来るものが多い為、近接戦が殆どの陸に比べて怪我をしやすい。
それ故漁師の妻達は慣れたもので、軽い怪我なら手際良く消毒し包帯を巻いて、再度海へと送り出していた。
その中で、アイも物資の補充等の雑用として走り回っている。
最強の漁師である父リーアンは当然ながら戦闘に参加しているので、怪我人を見るたび不安そうに海へ視線を送った。
「鈴音さんがいてくれたら……」
海を凍らせて、魔物が出て来られないようにしてくれたかもしれない。
戦う姿を見たことはないけれど、父が凄いという大魔導士ならその位はしてくれそうだ。
そんな事を思いながら海を眺めていたアイは、沖の海面が山のように盛り上がる様子を視界に認め、驚きのあまり大声を上げた。
「な、何あれ!?」
その声に反応して出て来た漁師の妻達や軽傷の男達も、沖に現れた化け物を目の当たりにし悲鳴を上げる。
海を突き破るようにして姿を見せたのは、人の形をした赤黒い何か。その上半身。
両目の辺りが漆黒に落ち窪み、口は何かを叫ぶように大きく開かれている。
漁船など一掴みに出来そうな手で海面を叩いては波を起こし、天を見上げて吠えるような仕草を見せた。
沖に居るリーアン達は、化け物が暴れる度に起きる波をやり過ごし、上から降って来る悲痛な叫びに耳を塞ぐ。
そうしながら、初めて見るこの化け物の正体を直ぐに理解した。
「これは……海で死んだ奴らだ」
黒い雲や高い波を見た時に感じる胸のざわつき、嵐が起きた時の祈るような気持ち、そういった感情が化け物の叫びで呼び起こされる。
海に散った人の亡霊、その集合体。絶叫は嘆き。
リーアンにはそう思えた。
「こんなもん俺達の手にゃ負えねえぞ!神官様の出番だ!」
組合長シャンズの言う事も尤もだが、化け物が出たからといって魔物の数が減った訳では無い。
「誰か、神官様に事情を話しに行け!俺達はコイツから距離を取りながら魔物共を仕留める!」
どう考えてもそれしか方法が見当たらず、シャンズの指示で最も速く走れる船を港へ向かわせ、リーアン達は後退しつつ魔物の相手を続けた。
それから暫くの間、急に明るい海上へ出て混乱した様子の化け物は、その場で無闇矢鱈に暴れるだけだった。
しかし、時間経過と共に慣れた、若しくは何かを思い付いたのか思い出したのか。不意にピタリと動きを止める。
その後、ゆっくりゆっくりと顔を下へ向け、漆黒の眼窩を漁船に固定した。
漁師達に備わる野生の勘が一斉に警鐘を鳴らす。
「ヤバい!!みんな逃げろ!!」
シャンズの声で操舵手達は船首を港へ向け、全速力で化け物から遠ざかった。
すると化け物は、嘆きの声を上げながら両腕を伸ばし追い縋る。
「やめろ!!テメエを乗せてやれる船はねえんだ!!」
生きていたなら、いや、死体だったとしても見つけたなら引き上げてやる。
けれど、死者を乗せられる船はここには無いのだ。
そんなリーアンの叫びも化け物には届かない。
「クソ、振り切れるか?」
ガアンの漁船は速いので、化け物を振り切りその視界から外れれば、取り敢えず動きは止まるのではないかと踏んだのだが。
何かの力で活性化しているらしい化け物に、そんな作戦は通じなかった。
大波を立てながら、どこまでもどこまでも追って来る。
「まずい、もう港だ!!」
シャンズの怒鳴り声を聞いたリーアンは、視界に映る防波堤を前に顔を顰め、一度目を瞑った。
目を開くと小さく溜息を吐き、操舵手に声を掛ける。
「おい、止めろ」
「は!?」
何を言い出すのか、とリーアンへ視線を向けた操舵手は、その表情を見て目を見張る。
「リーアンおまえ……」
「ああ、俺がアレを引き付ける。悪いがお前は泳いであいつらに知らせてくれ。ここならまだ魔物も居ねえから大丈夫だろ」
このままでは化け物と魔物の両方が港に押し寄せ、確実に壊滅してしまう。
リーアンの言いたい事は解るが、操舵手は首を振った。
「神官様をお連れして戻りゃいい」
「大神官様ならともかく、神官様1人でどうにか出来んのかあんな化け物」
「じゃあ3人全員に来て貰えばいい!」
「バカみてえに揺れる船の上で、まともに祈れんのかって問題もあらぁな」
思い付きで言っている訳ではないのだと、リーアンの覚悟を知った操舵手は、泣き出しそうな顔でブンブンと頭を振った。
「あーーー!!クソ!!貧乏クジだ!!」
思い切り吠えてから、船首を化け物に向ける。
「あ!?何やってんだバカ、お前は……」
「うるせえ!!てめえ、俺だけノコノコ戻って、アイちゃんにどんな顔して会えってんだ、アア!?」
「いや……」
「キミのお父ちゃんがお前は戻れって言ったから、おいちゃんだけ逃げさせて貰ったよ、ごめんねえー、てか!?ふざけんなよ!!あの子とてめえが赦しても、俺が俺を赦せねえわ!!」
顔を真っ赤にして叫びながら、熟練の操舵術で波を乗り越え魔物を躱し、化け物へと船を近付けて行く。
操舵手の職人技に改めて感心しつつ、その心意気に感謝して、リーアンは笑った。
「そいつぁ悪かった」
「うるせえ!!ボーッとしてねえで魔物狩りやがれ!!」
防波堤近くまで戻ったシャンズは、化け物が追って来ない事に気付き、皆を一旦停船させる。
「……よし、ちょっと港に近えがここで魔物共を迎え撃つか。……ん?おい、リーアンどこ行った」
言われて初めて、皆は辺りを見回した。
リーアンは普段、突っ込む時は先頭を走り、戻る時は最後尾、いわゆる殿を務めてくれる存在だ。
要するに1番強い。だから巨大船食いならいざ知らず、この辺の魔物に負ける事はない。
化け物に追い付かれるような距離でもなかった。操舵手も1番上手いのだから、そんなヘマはしない。
「おい。おいおいおいおい!!アイツまさか!!」
真っ青になったシャンズが沖へ目を向け、遠見の魔法が使える漁師達が化け物のそばを探す。
「居た!!」
化け物の腕を掻い潜りながら、沖へ沖へと誘き寄せる小さな船。
神業を見せる操舵手と、水の魔法を連射して魔物を掃除するリーアン。
「呼び戻せ!!」
シャンズの怒声に応えて、風の魔法を使う漁師が声を張り上げる。
「戻れリーアン!!もういい!!戻れ!!」
届いている筈の声に、沖の船は反応しない。
「戻れ……って、どういう事?」
代わって顔色を変えたのは、漁師の妻達と共に岸壁に立っているアイだ。
神官を呼びに来た船に続き、次々と港近くへと後退して来る漁船団を見守っていたのだが、今の拡声魔法で父の船がそこに居ない事を知った。
「お父さん、あの化け物と戦ってるの!?」
その事実に愕然とし崩れ落ちるアイを、漁師の妻達が慌てて支える。
「し、神官様!!お父さんを助けて下さい!!」
支えられながら悲鳴のような声を上げるアイに、漁師に連れられ港に来ていた神官達は幾度も頷いた。
「直ぐに、直ぐに参りますから!」
迎えの漁船が神官達を乗せている間にも、漁師達がリーアンへ呼び掛ける必死の声が港に届く。
「リーアン!!早く戻れ!!神官様がそっちに行く!!」
漁師達の視界では、どうしても船を捕まえたいらしい化け物が、右手左手と交互に出しては空振りし、勢い余って海面を叩き大波を立てていた。
船は化け物の手から逃れながら不規則な大波もやり過ごさねばならず、流石の操舵手も捌き切れずミスが出る。
「うわ、ヤバいぞアレは!!」
「逃げろ!!逃げてくれ!!」
「ああクソ、誰か、誰か……!!」
悲鳴を上げる漁師達の目に、化け物の手が今にもリーアン達の船を掴もうとする様子が映る。
漁師達と違い様子は分からずとも、アイは祈った。
「神様……!!」
知っている。どんなに祈っても、神は都合良く人を助けてくれはしない。
知っている。祈っても母は死んでしまった。
知っている。
それでも。
その時。
空を滑る一条の光が人々の目に飛び込んで来た。
流れ星、いや彗星か。
どんどんと大きくなるそれは、まるで狙いを定めたように化け物へと向かって行く。
人々のどよめきに顔を上げ、涙に濡れた目を見開くアイの前で、星は勢いそのままに化け物へと直撃した。
星に貫かれ一瞬全身を輝かせた化け物は、驚いたような表情を浮かべながら爆散する。
その後、赤黒かった破片はキラキラと光る粒子に姿を変え、こうなった事を喜ぶかの如く、舞い踊るようにして徐々に天へと消えて行った。
悪夢から一転、幻想的な光景に呼吸すら忘れそうな人々の目に、更なる奇跡が映り込む。
リーアンの乗る船が、有り得ない速さで戻って来ているのだ。
まるでそこに超高速の海流でもあるかのように、とんでもないスピードでシャンズ達の船団に近付いて来る。
「り、リーアンてめえ……」
涙声のシャンズを遮り、謎の海流に乗って来たリーアンは緊迫した声を張り上げた。
「みんな港に戻れ!!どデカイ一発ブチかまして魔物を纏めて始末するってよ!!ここに居たら巻き込まれる!!」
「は!?何の話だ、どういう事だ!?」
目を白黒させるシャンズに、リーアンはこれ以上無い真顔で言い放った。
「姉ちゃんだ!!魔導士の姉ちゃんなんだよあの光る神が!!」
「……お前……さっきのアレで頭を……」
「何言ってるか解らんだろうが、とにかく戻れ!!俺にも何が起きてんのか解らん!!」
叫びながらリーアンの船は港へと突っ込んで行く。
理解不能ではあるが、リーアンが必死になるのは滅多にない事なので、恐らく一大事なのだと納得し漁師達も港に向かう。
全ての漁師が陸に上がった頃、晴れた空に稲妻が走り始めた。
直後、轟音と共に見た事も無い数の雷が一斉に海へ落ち、港へ迫っていた魔物の群れを一掃した。




