第二百七話 旅に出よう
城壁の跳び方は現地で教える、とシィにおあずけを食らわせた鈴音は、アイが運んで来たお茶を前に待て状態の神官へ、『どうぞ』と勧めてから地図を広げる。
「えーと、この港町からやとー……、真っ直ぐ北に行ったら王都があるんや」
シィは詳細な地図など生まれて初めて見たようで、鈴音の指の動きを追いながら目をキラキラさせていた。
「凄ぇ、こんなのわざわざ描いた人がいるんだ」
「ん?ああ、そうそう。こういう仕事してくれる人のお陰で、長距離移動ん時の安全性が向上してる訳やね。でも軍事的に重要な施設とか地形とかは、わざと描かんかったりもすんねん」
「そっか、他の国の奴に知られたくねぇんだ」
「そういう事」
空を通り越して宇宙に目がある現代の地球とは違い、この世界ではまだまだ有効な手だと思われる。
なので先程破かれたシエンの悪ふざけと違って、地図はきちんと返却しなければならない。
取り敢えず覚えられるだけ覚えておこうと、鈴音は街や村の名前と位置関係を頭に叩き込んだ。
そうして、指で港町と王都の距離や他の街との距離を測りつつ神官を見やる。
「風の魔法で速度を上げたとして、こっから王都まで走ってどの位掛かりますか?ラーさんの速さを基準にして貰えると助かります」
鈴音の質問に目を見張った神官は、カップを置いて考え始めた。
「筆頭……ラー様ですか。あの方ですと恐らく私の倍以上の速さですから……、休み無く走り続ければ半日で着くのではないでしょうか」
「半日ですか。ふむ、ほんなら明日の朝に出発したら充分間に合いますね」
「そ……うなのですか」
神の客人とその弟子だと聞いてはいるが、いくら何でも女性と子供の脚力で筆頭神官の速さを基準にしては駄目なのでは、と戸惑いを隠せない神官。
その顔を見て鈴音は楽しげに笑う。
「そうなんですよ、余裕です」
笑顔で言い切られてはそれ以上何も言えず、神官は只々頷くしかなかった。
「ほな後は、手紙を参考に動いて、現地集合いう事で宜しいですよね?」
地図を畳んで封筒へ戻し、神官へと渡しながら鈴音が確認する。
「はい、そのようにお願いします」
頷いた神官が懐へ地図を仕舞った所で、アイが料理を手に厨房から姿を現した。
お茶を飲み干した神官は丁度良いタイミングだと立ち上がり、胸に手を当て顎を引く。
「それではこれにて失礼致します。お茶、ごちそうさまでした。道中どうぞお気を付けて」
「はい。お気遣いありがとうございます。神官様もお気を付けて」
鈴音とシィも立ち上がって神官を見送る。
神官が宿の外へ出てから、アイがテーブルへ料理を運んで来た。
本日の昼食は、スパイシーなソースを絡めた肉と野菜の炒め物と、少し固めに焼かれたパンだ。
「うわー、食欲が刺激されるええ匂い!もうずっとここでご飯食べときたいけど、そういう訳にもいかんのですよねぇ。ついに出発の日が決まりました」
名残惜しい、という顔を向けた鈴音に、話が少しばかり聞こえていたらしいアイは寂しげに微笑む。
「明日の朝、ですか?」
「はい。朝食を頂いてから出ようと思います」
「分かりました。元気が出る料理を父に注文しておきますね」
「お願いします」
しんみりする鈴音とアイだったが、直ぐにそんな空気は吹き飛ばされた。
「肉美味いな!!んまいんまいんまい!!」
「美味いこれ!!パンと食ったらサイコーだ!!」
ガツガツと料理を口に運ぶ虎吉とシィの幸せそうな声で、鈴音とアイの顔に自然と笑みが広がる。
「虎ちゃん、野菜も食べなアカンよ」
「おかわり御用意してますから」
「食うたで野菜。肉だけおかわり」
「俺もおかわりー!」
「早ッ!!おかわり無くなるやん!負けてられへんわ!!」
カッと目を見開いた鈴音の参戦により湿っぽい雰囲気は綺麗サッパリ消え去り、食堂は暫し賑やかで楽しげな空気に包まれた。
その日の夜、部屋のテーブルでシィが難しい顔をしながら何やら作業している。
鈴音を呼んでは首を傾げ、作業をしては鈴音を呼び。
1時間程掛けて漸く完成したらしく、満足気な顔でベッドへ入り眠りに就いた。
翌朝、リーアンが獲って来た魚を煮たり焼いたり揚げたりした、とにかく魚尽くしの豪華な料理を大喜びで平らげて、今日までの代金を支払った鈴音達は宿の前に立っている。
「リーアンさん、アイさん、お世話になりました。部屋は快適やし、ご飯は美味しいし、最高の宿でした」
「うん。俺将来またこの街に来て、絶対泊まるってもう決めた」
鈴音とシィの挨拶に、見送りに出ているアイは嬉しそうな笑みを浮かべ、リーアンは照れ隠し丸わかりの仏頂面を作った。
「きっとまた来て下さい。虎吉も来てね、お魚とお肉用意しておくから」
ウィンクするアイに虎吉が目を細めて頷く。
ではそろそろ、と鈴音が締めようとした所で、慌ただしい足音が聞こえてきた。
誰かと思えば組合長のシャンズと警備隊のゴウだ。
「ふぅ間に合った。魔導士様、行っちまうんだな!港を救ってくれてありがとうよ!この恩は一生忘れねえし、語り継いで行くからよ、近くに来たらまた顔見せてくれ!」
「警備隊でも記録に残して、街ある限り忘れないと誓います。本当にありがとうございました」
断った筈の記念像がうっかり作られそうな勢いで感謝され、たじたじとなった鈴音は手と首を振りまくる。
「大した事ちゃうんで!忘れて貰て大丈夫なんで!貝と武器屋の紹介でお礼は充分頂いたんで!」
「忘れるなんてとんでもねえ!」
「ありえないですから!」
「ぎゃー、逆効果!アカン、逃げるでシィ君、先生は小っ恥ずかしぃて堪えられへん!」
慌てふためく鈴音を見てキョトンとしていたシィは、恥ずかしかったのかと解って大笑いだ。
「変なのー!いいじゃん伝説とかカッコよくて」
「無理!!そういうのはキミに任せる!っちゅう訳で、もう行きます!皆さんお世話になりました!ほなッ!!」
直立、お辞儀、直立、と機械仕掛けのように動き、皆に手を振るや否や地面を蹴ってその場から逃亡する鈴音。
「うわ、待ってよ先生!せっかちだなー。しょーがねぇ、俺も行くよ。リーアンさんもアイさんも、ホントありがと。絶対にまた来るから!おっちゃんと兄ちゃんも先生と仲良くしてくれてありがと。じゃ、みんなまたなー!」
「こっちこそありがとう、待ってるね!いってらっしゃい!」
大きく手を振って走り去るシィに、アイが声を掛け男達が手を振り返す。
マントの裾をはためかせて路地を駆けて行くシィの姿は、身体強化と風の魔法の使用で直ぐに見えなくなった。
「……はあ、行っちゃった。何だか居るのが当たり前みたいになってたから、夜になっても帰って来ないとか変な感じ」
シィが消えた路地の先を見ながら言うアイに、ゴウがしみじみと頷く。
「ここへ来る道で見掛ける事もないんだなって思うと、ちょっと寂しい……って、顔が怖いぞリーアン!」
気安くアイに話し掛けるな、という圧力を全身から出しているリーアンにゴウが怯え、シャンズがゲラゲラと笑う。
「ま、いつ戻って来てくれてもいいように、お前は治安維持を頑張れ。魔導士様がいなくなったら、ゴロツキ共がまた幅利かし出すぞ」
「巨大船食い事件以来大人しかったからなあ。迂闊な事したら氷漬けにされると思ってビビってたんだと思う」
「実際の無礼者は殴られてたけどな。魔導士様を手籠めにしようなんて企んで、死ななかっただけ儲けもんだぞ」
「そんな命知らずがいたのか」
流石に驚いて会話に参加するリーアン。
すっかり立ち話モードに入った男達を残し、アイはそっと宿に入った。
2階へ上がって、鈴音達が使っていた部屋に入る。
忘れ物は無いかと部屋を見回すと、テーブルの上に何かが置かれている事に気付いた。
「大変、忘れ物!?」
慌てて近付いたアイの目に飛び込んで来たのは、2枚の銀貨。
そしてその下に敷かれている紙。
紙には拙い文字が書かれていた。
『アイさんへ。よごれてたのに、とめてくれてありがとう。おせわしてくれてありがとう。げんきになったから、おかねがかせげました。これでおかしでもたべてください。シィ』
「えー……」
銀貨と置手紙を手にしたアイは、何度か読み返してから、シィがこれを書く様子を想像した。
恐らく彼は文字が書けない。
だから、鈴音に聞きながら、お手本を書いて貰いながら、ああでもないこうでもないと唸りながら、頑張って頑張って書き上げたと思われる。
銀貨の枚数も鈴音先生に聞いただろうか。
「ふふ、あの子が沢山置こうとして、鈴音さんが慌ててる姿が見える気がする」
『10枚ぐらい置こう』
『ええ!?そんな置いてったらアイさん困ってまうよ。2枚にしとき2枚に。お茶とお菓子買える位で丁度ええから』
『お礼なのに少なくない?』
『ええの。この位が。少ないなぁ思うなら、また泊まりに来たったらええやん』
『そっか、そうする!』
そんな姿が簡単に想像出来てしまう程度には、彼らと仲良くなっていたんだなあとアイは笑みを浮かべつつ目元を拭う。
本当に忘れ物が無いか隅々まで調べてから、綺麗に畳んだ手紙と2枚の銀貨を大事そうに胸に抱いて、眠るシィを起こさないようにしていた時同様静かに部屋を出た。
「また来てくれるかなあ……」
あの賑やかな3人、いや2人と1匹が既に恋しいアイは、何かを思い付いた様子で階段を駆け下りる。
「おとーさーーーん」
鈴音達が過ごした部屋のドアに、御予約済みの札が貼られたのはその日の夜の事だった。
褒め殺されるとばかり皆の前から逃亡した鈴音と、急いで追い掛けたシィが合流したのは、いつも使っていた街の入口辺り。
「なーんで逃げるかなー、子供じゃあるまいし」
「しゃあないやん苦手やねん尊敬の眼差しとかアカンねんそんなん向けられたらヒィーてなんねんこちとら庶民やねん」
「こそばい。そんな勢いで喋ったらこそばいて」
半眼の虎吉を吸いながら一息で喋る鈴音に、シィは呆れ顔だ。
「先生の弱点、変」
「変でええよ敵からは食らわへん攻撃やし」
「凄ぇ褒めてくる敵だったらどうすんの?」
「ムカつくだけや思うよ?」
「それもそうか」
うん、と頷いてから鈴音は街道の先を指差す。
「取り敢えずここまーーーっすぐ。その後分かれ道色々。お昼頃に小さい街に着く筈やから、そこでご飯食べて、夕方には王都に着くかな」
「わかった。昼メシ、美味いものあるといいな」
「せやなぁ、リーアンさんのご飯に慣れてしもたから、安くて不味い系は無理やな」
「俺もええ肉が食いたいけど、そこそこの肉でも特に問題は無いで」
「師匠はホント肉好きだよな」
呑気に昼食の話なぞしながら走り出した鈴音とシィは、そよ風とやや強い風を起こしながら、上手に商人達を避けて街道を北上して行った。
昼頃。鈴音の予想通り小さな街へ到着したが、これが大変残念な事に大ハズレだった。
料理が不味い程度ならまだ我慢も出来るが、食べたら腹を下すだろうなという、食材の扱いが不衛生な店しかなかったのだ。
「あの港町と全然違う」
「ホンマに。世界を旅するとなると、犯罪や差別以外にこういう事も起きるんやね」
「俺、王都まで我慢する。王都ならキレイなメシあるよね?」
「綺麗なメシ。うん、国の顔な訳やしマトモなお店が多い筈」
そうと決まれば長居は無用と、綺麗なご飯目指して再び駆け出した。
空腹でペースが落ちるかと思われたシィだったが、早く食事にありつきたい一心で寧ろ急加速。
どうにか燃料切れを起こす前に、王都の城壁が見える場所まで辿り着く事が出来た。
「よし、メシが見えてきた!」
「うんうん、あの中に綺麗なご飯があるね」
シィが指差す城壁は、神官が言っていた通り随分と高く造られている。ざっと30m位だろうか。
そんな城壁には東西南北4箇所に門があり、人々は皆そこに並んで審査を受けてから街へ入る決まりだ。
ただ、審査済みのハンコを押される訳でもなければ、街なかで身分証の提示を求められる訳でもないので、適当に入っていいよとシエンの手紙には書いてあった。
本当は大神官御一行として一緒に行動したかったのだが、神官に女性と子供はいないので無理だったらしい。
女王側に、気紛れ大神官の抜き打ちお城チェックと思って貰う為にも、神の客人等という怪しげな存在を連れ歩く訳にいかなかったというのもある。
「何にせよシエン様らより早よ着いたから、ご飯食べて観光でもしとこか。宿探さなアカンね」
「うん。それより先に、あの壁跳び越えなきゃなんだけどさ」
西門と南門の間、森を背に出来る辺りへ移動しながら、シィが不安そうに言う。
思っていたより遥かに高い壁だったようだ。
「身体強化使って思い切り跳んでも、壁の半分も行かない気がする」
「いや半分は行く思うけど、それでも足りひんのは確かやね。そこで出番になるんが風の魔法やねん」
「風の魔法?足が速くなる以外にも使えんの?」
不思議そうな顔をするシィに微笑んだ鈴音は、地面から水を出し膝の高さ位の噴水を作ってみせた。




