第二百三話 四次元ポ……ゲッホごほ
宿で昼食を済ませた後、鈴音は魔法の練習をするシィ達と別行動を取って、街に出ている。
魔法の練習も大事だが、白猫への貢物を探すのも大事なのだ。
美味しい加工肉を扱っている肉屋をアイに教えて貰ったのでまずはそこへ行き、次いでリーアンの魚をよく競り落としてくれるという魚屋に行く。
その後、海賊船が沈んだ時の状況を見ていた人がいないか、漁業組合の組合長シャンズに聞きに行く、という予定である。
「ベーコン的な物と、牛系の肉と、マグロっぽい魚が欲しいね」
「せやな、宿で食うたメシに入っとったんは、大体そんな味やったな」
虎吉と会話しつつ必要なものを指折り数えて歩く内に、市場へと到着した。
昼食後ののんびりとした空気が流れる通りへ足を踏み入れ、目的の店を探す。
「えー、肉屋さん肉屋さん。お、アイさんが言うてた肉の絵の看板発見」
流石に動物が入るのは不味かろうと頷き合い、虎吉は店先で待つ事にした。
ちょんと座った虎吉の愛くるしさに、グネグネしそうになるのを必死に堪えながら鈴音は店に入る。
「いらっしゃい!」
店内には木箱に並んだ肉や吊るされた加工肉等があり、店主が愛想良く迎えてくれた。
「今日は何をお求めで……って、あれ?もしかして……港を救った大魔導士様!?」
にこやかだった店主の表情が驚きに変わるのを見て、鈴音は素早く困り顔を作る。
正体は隠しているのになあ、とでも言いたげな顔だ。
すると狙い通り、店主はいかんいかんと首を振ってから笑顔に切り替える。
「いやーははは、何でもないです。今日は何をお求めで?」
「ふふふー。リーアンさんの宿で使てる加工肉と、そこの箱に入ってる赤身肉が欲しいです。どっちも塊で」
同じく笑顔に切り替えた鈴音の注文を聞き、店主はテキパキと動いた。
「リーアンさんのとこだと、こっちの燻製だね。どの位の大きさが欲しいんだい?」
問われた鈴音は、吊るされているベーコン風の塊の中から2kg程の物を選び、赤身肉1kg程と合わせて購入する。締めて銀貨13枚。
「ありがとうございましたー!」
満面の笑みを浮かべた店主の挨拶に会釈を返し、バナナの葉のような物で包み紐で括った肉の塊2つを手にして店を出る。
軒先で風景と同化している虎吉をデレデレしながら回収し、次の店へ向かった。
暫く進んだ先にあった魚屋は、店の前にずらりと魚を並べるスタイルだった為、虎吉を抱いたまま近付く事になる。
当然、お魚天国に浮かれた虎吉の目はキラキラだ。
「肉は勿論、魚もええよなあ。美味そうやなあ」
舌舐めずりする虎吉に目尻を下げながら、鈴音は店主に声を掛けた。
「すんません、火ぃ通したら肉みたいな食感になる白身魚はどれですか?」
「へいらっしゃい!肉みたいな魚っつったらコイツ!」
ブリのような魚を手で示して顔を上げた店主は、『あ!大魔導士様だ!』という表情をしたものの声には出さず、只々ニコニコと微笑んだ。
ありがたい対応だと感謝しつつ、その魚を貰う事にする。
「え、1尾丸ごとお買い上げ!?あざーすッ!!」
大喜びの店主に銀貨8枚を支払い、尻尾に縄を括り付けたブリ風の魚を受け取った。
肉と合わせて右手だけで約10kgを軽々と持った鈴音は、魚屋に会釈して意気揚々と街の外へ出て行く。
そうして大牙玉という恐ろしい魔物が出る方の森の近く、シィ達からは遠く離れた場所までやって来ると、見つけた適当な岩を炎で殺菌し肉と魚を置いた。
「魚と赤身肉は塩を擦り込んで焼き、ベーコン的な肉は軽く炙ろうと思います。如何ですか虎吉先生」
キリ、と凛々しい顔を作った鈴音に問われ、虎吉は鷹揚に頷く。
「うむ、良きに計らえ」
「ははーッ!」
謎のごっこ遊びをしてから、虎吉を地面に降ろした鈴音が作業に入る。
ジャケットを脱いで袖を捲ると、おもむろに手から塩を出した。
「ん?待て待て、何やそれ。どっから出したんやその塩」
目をまん丸にした虎吉を見やり、鈴音が困ったような笑みを浮かべる。
「いやー、出来たね、出来てしもたよね。いちいち海水出して分離すんの面倒臭いし、もう塩だけ出ぇへんかな、思たら出来てしまいましたよ」
「そらまた、便利言うか出鱈目言うか」
「ワタツミ様もビックリやろなー」
蒸留しなくても真水と塩が手から出るようになりましたよ、と遠い目をしながら心の中で報告しておく。
「さて、気ぃ取り直して下拵えや」
肉と魚に塩を擦り込み、馴染んだ所を海水で洗い流す。道具要らずの自分に笑ってしまいつつ作業を進めた鈴音は、岩をフライパン代わりにして焼こうと考えてから手を止めた。
「肉と魚の焼けるええ匂いに釣られて、森から魔物が出てったりせぇへんやろか」
「魔物が鼻に頼っとるんか謎やから分からんけど、もし出てったらシバいたるし心配せんと焼いたらええがな」
確かにもし大量に出て来ても虎吉がシャーと威嚇すれば終了だなと納得し、鈴音は安心して手から火を出す。
「ほなお願いね虎ちゃん」
「おう、任しとけ」
胸を張る虎吉を頼もしく見やってから、まずは魚を焼き始めた。
然程時間を置かず、香ばしく焼ける脂の良い匂いが辺りに漂い出す。
するとやはりと言うべきか、こちらへ近付いて来る魔物の気配が森から感じ取れた。
「うはは、さあ来い、どっからでも来い」
今か今か、ウキウキと待ち構える喧嘩番長。
しかしいくら待っても魔物は森から出て来ない。
「んー?何や?直ぐそこに居んのに、何で来ぇへんのや?」
ちょこんと座って小首を傾げる虎吉の大きな目が見つめる先では、暗い森の中を魔物が10体程ウロウロしている。
「何してんねん。掛かって来んかい!」
尻尾を振り振り同じようにウロウロし始める虎吉。
そんな挑発が効いたのかどうか、我慢出来なくなった1体の魔物が森から飛び出した。
一撃必殺のスピードスター大牙玉だ。
人類が間合いに入ってしまったら一巻の終わりだと言われているその速さはしかし、森を抜け日向に出た瞬間目に見えて落ちた。
それでも新幹線並のスピードを出し、牙を見せつけるように口を開けて突っ込んで来るメタリックな魔物を、虎吉は実につまらなそうに眺める。
「なんやねん」
呆れたように呟いて2m程の高さまでジャンプすると、物理攻撃が殆ど効かない筈の大牙玉を一撃で地上へ叩き落とした。
「しょーーーもな。何で急に遅なったんや?」
地面にめり込んでいる大牙玉を見やって首を傾げ、森へと視線を移す。
虎吉の強さに恐れをなしたのか、集まっていた魔物達は蜘蛛の子を散らすように森の奥へ逃げて行った。
「あー、もしかしてあれか。明るいとこがアカンのか」
派手な見た目の割に地味な弱点があるのだなと納得した虎吉は、漂う良い匂いに舌舐めずりしながら鈴音のそばへ寄る。
「なあ、あの玉虫みたいな色したトラバサミな、明るいトコに出たら弱なるみたいやぞ」
集中して魚を焼いていた鈴音は、言われて初めて虎吉が大牙玉を仕留めた事に気付いた。
「え、そうなん?」
「おう。他の魔物も日が照っとるとこには出て来ぇへんかったで」
「確かに森ん中は薄暗かったもんねぇ。こっちの森の魔物は暗ないとアカンのか」
魚の腹を開けて中もじっくり焼きながら、鈴音は空を見上げる。
「ほな夜にこの森の近くに居ったら危ないね」
「そうやな。街道は結構離れとるけど、用心するに越したことないやろな」
「まあ、どの街でも日暮れ前に入るんは常識か。現代日本とちゃうもんね、城壁がある街は門が閉まるやろし。野宿になったら命に関わる」
実際異世界でテントを張って野宿して、盗賊に狙われた経験があるのだが、鈴音も虎吉も思い出さなかったらしい。ふたりにとっては余りにも些細な事だったのだろう。
「よーし、魚がバッチリ焼けました。次は肉を焼きましょう」
皮はパリッと身はふっくら、美味しそうに焼けた魚を脇に避けて、今度は肉を焼き始める。
神界では菌もウィルスも虫も存在出来ないので、多少は赤味が残っても良いだろうと、ミディアム位の焼き加減になるようにした。
続いてベーコンを焦げ目が付く程度に炙る。
「ええ匂いやな!な!」
立て続けに耳と鼻を刺激され、虎吉は舌舐めずりが止まらない。
「アカンで虎ちゃん、これは猫神様のんやから。虎ちゃんはまた美味しい晩ごはん食べられるやん」
「うぅ、そうやな、うぅ」
残念そうな虎吉が可愛過ぎてデレデレの鈴音が火を消し、少し冷めるのを待ってから完成だと頷いた瞬間に、神界側から通路が開いた。
「あはは、今回もお待ちかねやった」
ニュッと出て来たボウルに肉とベーコンを重ねて置き、魚は手掴みで失礼して、虎吉と共に鈴音は白猫の縄張りへ向かう。
神界では、もこもこ床ではなく既にテーブルで待機している白猫の可愛さに先制パンチを食らい、再びデレデレしながら肉と魚を運んだ。
「こうなって来ると、やっぱり大きいお皿も必要やなぁ」
もこもこを捏ねれば皿になるが、神界の素材を人界に出すのは危険である。
ボウルにどかんと重なった肉の塊の不格好さと手掴みの魚を見やって唸りつつ、白猫の前に差し出した。
「お待たせしました猫神様、美味しい魚と肉です」
キラキラと目を輝かせ頷いてから、白猫は肉に齧り付く。
流石は肉食獣というワイルドな食べっぷりに目を細め、邪魔しないよう鈴音はウァンナーンの方へ寄った。虎吉は白猫を見ないようにしながら毛繕い中だ。
白猫と虎吉を眺めて幸せそうな顔をしていたウァンナーンだが、そばに鈴音が座ると何とも言えぬ表情を見せた。
「どないしましたかウァンナーン様」
「……私に子供はいない」
神の口から出た唐突な言葉に、果たしてこれは問い掛けに対する答えなのだろうか、もしや御告げか何かか、と鈴音は困惑する。
「子供……ですか」
「いない」
「はい」
「なのに、あれは神の子だ、等と言う」
何の話だ、と脳をフル回転させた鈴音は、そういえば魔物狩りの誰かがそんな事を言っていたかと思い出した。
「シィ君ですか」
ウァンナーンはこくりと頷く。
「確かに近い将来世界に並ぶ者無き存在になるだろう。でも私の子ではない」
「あー、はい、まあ、あれですよ、凄い才能の持ち主に対しての褒め言葉です。まさかそれ言うた人もホンマに神様の子供やとは思てませんから大丈夫です」
神童だ、とか言われた子供は沢山居るだろうに、そういう場面を初めて見たのかと驚いた鈴音は、続くウァンナーンの言葉で更に驚く。
「そうか、褒め言葉か。ならいい。神官が私の子だ等と思われては色々と面倒だ」
「あはは……はい?神官?」
「そう。比類なき者になるなら神託の神官にしなければ。神官が最も強くなければ、利用されるかもしれないだろう?」
それが理由であの不真面目大神官が誕生したのか、と鈴音は遠い目になった。
「何年か後に、今の大神官様と世代交代みたいな形になるんですか」
「そうなるな。お陰で代替わりの時期を過ごさなくて済む。良い人材を育ててくれて助かった」
何やらニコニコ笑顔で喜ばれたが、もしシィがあのまま死んでいたら、一体どうするつもりだったのだろうという疑問が湧く。
だが直ぐにその疑問は消えた。
どうするつもりも無いのだろうなと気付いたからだ。
今と同じように世界を眺めながら、神官に相応しい人物が現れるまで只々気長に待つに違いない。
この神は神託の神官を自らの手で育てたりはしないのだ。
つまり鈴音が虎吉にホタテを食べさせ、白猫が拗ねて貝を要求し、そこへウァンナーンが現れるという一連の流れが成立していなければ、シィの命は無かったという事。
「いやー、シィ君て強運の持ち主なんやろうけど、お陰で人生波乱万丈やな」
まさか自分が大神官になる等とは思ってもみないだろうシィ少年の、物凄く驚いた顔を想像して鈴音は笑った。
そんな会話をしている内に、肉と魚を綺麗に平らげた白猫がやって来て、鈴音の顔にご褒美だとばかり頬擦りをする。
「うひゃひゃ、スリスリ、猫神様のスリスリー」
デレッデレになって白猫を撫でる鈴音を、ウァンナーンはひたすら羨ましそうな目で見ていた。
「また美味しいお肉とお魚買うて来ますね」
白猫と額同士を擦り合わせて微笑む鈴音の言葉で、何かを思い付いたらしいウァンナーンがポンと手を打つ。
「そうだ、いい物をやろう。次の神官を育ててくれた礼と、猫ちゃんの為にもなる物だ」
「え?いい物?」
何だろう、と目を見張る鈴音は勿論、白猫と虎吉にも興味津々の表情で見つめられウァンナーンは実に嬉しそうだ。
「この……、巾着袋を持って行くといい」
そう言って笑顔で掌に出したのは、エンジ色の口紐で閉じられた生成り色の小さな巾着袋。
「ありがとうございます」
受け取った鈴音が、小銭入れ位には使えそうかなと思いながら口紐を解いて中を覗くと、生成り色である筈の袋の中に謎の暗闇が広がっていた。
真顔になり黙ってキュッと口紐を引き、目だけで『これは……?』とウァンナーンに問い掛ける。
「無限袋だ。何でも入る。中は神界と同じ造りだから、新鮮な肉や魚を直ぐに調理出来ない場合等に重宝するだろう?」
珍しく得意気なウァンナーンを見て、成る程これはシィを育てた礼というより、白猫に褒めて貰いたくて出したんだなと鈴音は理解した。
なので、願いを叶える為にも盛大に喜ぶ事にする。
「そうなんですか!猫神様、凄いですよコレ。新鮮な食材もやけど、調理した後の物も運べますよ。つまり、私の両手じゃ持ち切れへん量の肉の串とか、焼魚の串とか、美味しそうな食べ物どっさり詰め放題!今までは虎ちゃんだけやったけど、猫神様にも現地のグルメを持って帰れますね!」
大喜びな鈴音の説明を聞き、白猫の目がそれはもう分かり易くキラキラと輝いた。
「ニャー!」
高い声で可愛く鳴いた白猫は、ズイと頭を差し出す。
鳴き声だけで顔が溶けそうになっていたウァンナーンが、差し出された白猫の頭を見て固まった。
口の動きだけで『撫でても……?』と尋ねてくるウァンナーンに、鈴音は大きく頷く。
その答えに息を呑むと、呼吸を整えるべく深呼吸を繰り返し、震える右手を何度か左手で押さえてから、ウァンナーンはそっと白猫の頭を撫でた。
「…………っふ」
目尻を下げ口角を上げ、これ以上無い程幸せそうな笑みを浮かべながら、ウァンナーンがもこもこ床へとスローモーションのように倒れて行く。
「ぎゃー!!ウァンナーン様お気を確かにー!!」
「大丈夫や、死なへん死なへん」
慌てふためく鈴音と、スナギツネ化する虎吉。
白猫は目を細めつつ、鈴音に何をリクエストしようかと心躍らせていた。




