第二百二話 魔物を惹き付ける物
林から飛び出た瞬間、鈴音は目に見える範囲の魔物を一斉に氷漬けにする。
魔物は巨大船食いのそばに集まっていた為、シィは交戦せずに済んだ。本人はちょっと残念そうだ。
突如動きを止めて倒れる魔物に驚いた人々は、そこに巨大船食いを一撃で仕留めた大魔導士の姿を認めて歓声を上げた。
「き、来て下さったんですか!皆さん、港の英雄、大魔導士様が来て下さいましたよ!もう大丈夫!」
買取り所職員の声で、魔物狩り達も何が起きたか理解する。
「この数を一瞬か。噂通りとんでもねえな」
「味方で良かった……って、駄目だやっぱりまだ来るぞ!」
叫んだ魔物狩りが、林の遠く向かい側を指差す。
見れば森の中から、人の背丈程もあるウニのような魔物やら、大きな顎を持つ2メートル級のムカデっぽい魔物やら、人を丸飲みにしそうな毛虫風の魔物やらが、ワラワラと出て来てこちらへと突進していた。
「うわ、何なん!?普段こんなんちゃうから、ここを解体場所に選んだんですよね?」
船食いのそばに固まっている買取り所職員達に近付いた鈴音が尋ねると、皆一様に頷く。
「森とはそこそこ距離がありますし、平原に隠れる場所は無いですから、魔物なんて出ない場所なんです」
顔馴染みの職員の説明を聞き、鈴音は首を傾げた。
「ほな何でやろ。船食いの敵討ち、な訳ないな。知性が無い上に海の魔物と面識も無いやろし。うーん」
「なあ先生!難しい事は任せるからさ、魔物と戦ってみていい!?」
唸る鈴音の後ろから、シィが目を爛々とさせながら声を掛けてくる。
「あー、ちょっとだけ待って。もう来る筈やから」
鈴音がそう言うのとほぼ同時に、林から神官コンビが飛び出して来た。
「よっしゃ来た来た。ラーさんのそばでやったら戦ってもええよ。ほんでシエン様呼んでって」
「わかった!ラーさーん!」
保護者の許可を貰った子供宜しくシィがすっ飛んで行き、魔物の多さに唖然としている神官コンビに話をしている。
「虎ちゃん、何かおかしい思うとこある?」
その間に腕の中の虎吉に尋ねてみると、意外な答えが返って来た。
「おう。このデカいのんの腹ん中に何かあるで。原因それちゃうか?魔力……言うより負の感情に近いもんが薄っっっすら出とる」
「え!?そうなん!?気付かんかった……」
まさかこれほど簡単に原因らしき物が分かるとは思っておらず、呆気に取られた鈴音は虎吉と船食いに視線を幾度も往復させた。
「いかがなされた鈴音さん」
そこへやって来たシエンが、不思議そうに目をぱちくりとさせる。
「あ、いやその、この状況に関して何か知りませんかてお聞ききしたかったんですけどね?どうやら船食いの中に、原因らしい変な物がある、いう事が先に判明してしまいまして」
「なんと。では予想通り魔物を惹き付ける何かが実在し、海賊船を食したこの船食いの中に残っておるのでござりましょうか」
大層驚いた様子のシエンに言われて漸く、その可能性がある事に鈴音も思い至った。
「ホンマや。海賊船は食べられたから手掛かりは何もない思てた。そうか、口がデカいから小さいモンは粉々にならへんし、消化する前に氷漬けにしたから無事やったんや。いやー、全然思い付かんかった。ありがとうございますシエン様」
そうと分かれば直ぐに取り出して無力化しなければ、と買取り所職員を見やる。
「すんません、この船食いの中に魔物を引き寄せる物が入ってるみたいなんですけど、取り出せますか?」
船食いの内臓を指して尋ねる鈴音に、職員は驚きつつも頷いた。
「出来ます。大きいので時間は掛かりますが。どんな物を探せばいいですか?」
職員から尤も至極な質問が投げ掛けられる。
しかし鈴音はその答えを持っておらず、どう説明したものか悩んでいると。
「形は分からへんねん。けど、大体の場所なら分かるし、ちょっと開けてみてくれへんか?」
そう言って鼻でフンフンと船食いを嗅ぐ仕草をする虎吉を見て、職員は成る程と手を叩く。
「動物は嗅覚が優れていると聞きますし、鼻で探し当ててくれるという訳ですね?」
「そういうこっちゃ、任しとけ」
「任せました!ではどの辺りを開けますか」
他の職員達も立ち上がり、『流石、大魔導士様が連れてるだけあって優秀な動物なんだね』等と語り合いながら作業の準備に入った。
鈴音としては『逆ですよー、私が、偉い猫様の家来なんです』と言いたい所だが、混乱を招くだけなので黙っておく。
動き出す職員を見やり、今ここで役に立てる事は無いなと判断したシエンは、鈴音に礼をしてから魔物退治の援護へ向かった。
会釈を返した鈴音は、胃袋らしき物の上に飛び乗って捜索に入る虎吉にこの場は任せる事にして、魔物と戦っている筈のシィとラーを探して辺りを見回す。
すると、探すまでもなく2人の姿が目に飛び込んで来た。
何しろ魔物狩りの人々とは明らかに格の違う動きをしているので、非常に目立っているのだ。
例えて言うなら、草野球チームに現役のメジャーリーガーが紛れて居るような。
どうしても周囲と比較してしまう鈴音の視界で、2人は実に効率の良い動きを見せていた。
シィもラーも、まず風の刃を複数飛ばして向かって来る魔物の数を減らし、撃ち漏らしたものを剣で仕留めるという戦法をとっている。
他の魔物狩り達もやっている事は同じなのだが、魔法の威力と命中率が全く違っていた。
彼らの魔法も、一撃で倒すのは無理にせよ、当たれば確実に大ダメージを与えている。けれど残念な事に命中率が今ひとつ。
一応牽制にはなっているので多少の時間稼ぎにはなるものの、魔物の数が減る訳ではないので、結局は向かって来る全てを剣で斬り伏せるしかない。
そうなると対応し切れなかった魔物が横をすり抜け、戦闘力の低い買取り所職員達に襲い掛かったりする。慌てて助けに行けば、今度は自分が危険に晒される。
現在はすり抜けた先にシエンが居るので何の問題も無いが、先程までは確かに全滅を覚悟する状況だったろうなと、際限無く湧いて出る魔物を眺めつつ鈴音は納得した。
その時、魔物狩り達が『あの少年は何者だ』等と驚く声に含み笑いをして鼻高々だった鈴音の耳へ、『うぎゃー』という虎吉の悲鳴が届く。
「虎ちゃん!?」
目を見開いて振り向いた鈴音の視界に映ったのは、船食いの胃袋から流れ出る液体と、作業着を濡らしつつ驚いた顔をしている職員と、地面の上で『命からがら逃げ延びました』とでも言いたげな顔をしている虎吉。
自慢の長い尻尾が膨れ上がって、まるでアライグマのそれだ。
何が起きたか直ぐに理解した鈴音は、目尻を下げながら虎吉に歩み寄る。
「いや可愛いぃぃ、尻尾ボンボンやん虎ちゃん。えー、状況としては、職員さんが胃を開こうとしたら中身が予想外にドバーッと出てって、濡れるやないかい!てビックリして逃げて来た、で合うてる?」
笑いを堪えている様子の鈴音を、瞳孔全開の目で恨めしそうに見やり、虎吉は嫌そうに頷く。
「合うとる。思たよりブシャーッと出よってな。ボーッとしとったら頭から被るとこやったで」
やれやれ、と毛繕いでも始めそうな虎吉を抱え上げた鈴音は、申し訳無さそうな顔をしながら職員達へ近付いた。
「驚かしてすんません。虎ちゃんは濡れるのが何より嫌いなもんで」
突然虎吉が叫んで逃げ出した理由が解り、職員達はホッとした笑みを見せる。
「良かった、何か酷い事をしてしまったかと心配しましたよ。もう水分が飛び出る事はないので、改めて探し物の場所を教えて貰えますか」
そう職員が保証しても虎吉が降りるのを渋るので、そのまま鈴音が胃袋に近寄った。
「あ!汚れますよ!」
気遣ってくれる職員に笑顔で首を振る。
「大丈夫です。水分は弾こ思たら弾けるんで」
ほら、と胃袋に触れてから掌を見せると、一切汚れていない事に驚いた職員の目がまん丸になった。
「す、凄いですね」
「あはは、便利でしょ。ほな虎ちゃん、どこにあるか教えてー」
「おう。んー、やっぱり水が抜けたから移動したな。こっちに寄って来とる。ふんふん、大体この辺や」
虎吉の鼻が示す先を職員達が手際良く開けて、中にある物を慎重に取り出す。
水の流れで移動しそうな大きさだけを選んだ結果、船の破片に交じってツルリとした楕円形の石が出て来た。
「お、それやそれ。その赤黒い石や」
胃液と海水が混じった液体に濡れて陽光を反射するその石を、澱のような色だなと思いつつ鈴音が拾う。
掌に若干余るサイズのそれから伝わって来る嫌な感覚を、猫の耳専用の声量で虎吉にだけ話した。
「うん、成る程、負の感情や。色だけやのうて、触った感じもモロに澱な感じ。でも普段掃除してるやつとは微妙にちゃう気がする」
「ホンマか。ほな澱モドキやな。異世界やしな」
頷き合う鈴音と虎吉を、職員達が不安そうに見ている。
傍から見れば石を手に黙って固まっているだけなので、呪いにでも掛かったのかと心配になるのも当然だろう。
「あー、魔物が寄って来る原因はコレで間違い無いですね。けど何でここへ来て急にこんな事なったんやろ?」
貴重な手掛かりだが、この勢いで魔物を引き寄せるなら持ち歩くのは不可能だと困惑する鈴音に、呪われてなかったと安心した買取り所職員が、もしかしたらと口を開く。
「この船食いは魔導士様の魔法で凍っていました。凍っている間は効果が出ない、若しくは出せない仕組みなのかもしれません。魔法が解けた状態で魔物が多く生息する森の近くに来てしまった結果、効果が現れたのではないでしょうか?」
職員の推測に、もうそれ以外無いとばかり鈴音は大きく頷いた。
「きっとそうです。ほなこれだけ凍らしてみましょか」
言うが早いか石を凍らせると、嫌な気配は感じなくなる。
試しに解凍してみると、また元通り澱のような感覚が伝わって来た。
鈴音の魔法には神力が混ざっている筈なのだが、地球の澱と違って影響は無いようだ。
「謎の澱には神力混じってるらしいし、意外と複雑な作りなんかな澱って。まあ異世界やいうのもあるか」
呟きつつ再度石を凍らせて、シィ達の方を見た。
既に人を認識した魔物が退く事はないが、森から出て来る事はなくなったように思われる。
暫く待ってみても、やはり魔物の数は増えなかった。
その後、主にシィとラーによって次々と狩られた魔物は、昼を告げる12回の鐘が鳴り響く頃には綺麗サッパリ姿を消した。
「先生、師匠、見てこれ!凄ぇ狩れた!」
いそいそと戻って来たシィが、誇らしげに倒した魔物を指差す。
剣で仕留めた分は、頭を落とす事で損傷を最小限に抑えたらしい。ラーのアドバイスだそうだ。
因みにウニっぽい魔物には長いトゲが邪魔して剣が届かないので、全て風の刃で真っ二つである。
「おー!頑張ったやん。結構な稼ぎに……なりますかね?」
笑顔で褒めた鈴音が、そばに居る買取り所の職員に尋ねてみると、彼はざっと見回して幾度か頷いた。
「珍しい魔物は居ませんが、需要のある魔物ばかりですね。綺麗に仕留められているものしか買取れませんので、思った程にはならないかもしれませんが……それなりにはなるかと。敢えて言いますと、1番高く買取れるのは、魔導士様が凍らせた無傷の魔物達ですね」
職員の評価にシィが悔しそうな顔で頭を抱える。
「ズルいぞ氷の魔法!俺にも使えたらいいのにー」
圧倒的な力で魔物を片付けていたシィの子供らしい一面を見て、疲れ切った顔をしていた魔物狩り達にも笑みが浮かぶ。
「凄えもん見たな。ありゃきっと神の子だ」
誰かが呟き、魔物狩り達は深く深く頷いた。
そしてこの後は、巨大船食いの解体と倒した魔物の回収を並行して進める事と決まり、応援を呼びに職員の1人が街へ駆けて行った。
「私らはコレについて、創造神様の神官様に相談しに行きます。神託があるかもしれませんしね」
鈴音が赤黒い石を見せながら笑うと、買取り所職員が緊張した面持ちで頷く。
「魔導士様なら問題無いでしょうけど、お気を付けて」
「はい、気を付けます。もう魔物は出ぇへんでしょうけど、皆さんもお気を付けて。ほな失礼しますねー」
にこやかに会釈して解体現場を後にし、充分に離れた所まで来てから、創造神の神官であるシエンに石を見せた。
「凍らせたら無力化出来たんですけど、良くない感情の塊みたいな石なんですよね。こんな石の話聞いた事ありますか?」
石を睨みつつ、髭を触ってシエンは唸る。
「憎しみや恐怖が屍鬼や亡霊を生むとは言われておりまするが、石になるとは初耳の上、それが魔物を呼び寄せるなぞ、噂ですら聞いた事がござりませぬな」
そう言い切ってから、ふと何かを思い出したように顔を上げた。
「いや、噂というか、怯えている者の方へと魔物は向かい易いだとか、殺気を漲らせている者の方にこそ行くのだとか、要するにどういった者が魔物に襲われ易いかを題材にした酔っ払いどもの議論なら、幾度も耳にしましたな」
後頭部に突き刺さる『いつ何処で聞いたんですかクソ大神官様』というラーの視線は全力で無視して、何か参考になるだろうかと鈴音を見やる。
「んー、その手の話を真剣に研究しよ思た人が居ったんですかねぇ。魔物の王を作り上げる為に研究したんか、研究結果が出たから魔物の王を作ろ思たんか」
悩む鈴音の耳が、盛大に鳴る腹の音を捉えた。
振り向けばシィが腹を押さえて死にそうな顔をしている。
「えらいこっちゃ、本日の英雄が腹ペコで倒れそうや。まずは宿に戻ってリーアンさんの美味しいご飯食べましょ」
あれだけ暴れれば燃料切れになって当たり前かと納得しつつ、皆で宿へと急ぐ。
「シィ君、空飛ぶ?」
「飛ばねぇし!ラーさん、メシ食ったら直ぐ足が速くなる風の魔法教えて!」
急に元気になって慌てるシィに、大人達は顔を見合わせて大笑いした。




