第二十話 女神アーラと声の大きな男神
出入り口の壁際に縮こまって立っている少女を、鈴音はまじまじと観察した。
見た目の年齢は十代後半くらい。
ギリシャ神話に出てきそうな、白いロングドレス風の服を着て、羽と同じ銀色の髪を肩で切り揃えている。
伏せられた大きな目には憂いの色が宿り、今にも泣き出しそうな表情だ。
「ここに居るって事は、神様?」
虎吉に質問したつもりが、反応したのは少女だった。
「そ、そうです。すみません、私が未熟なせいで、あなた達に迷惑を……っ」
重ねた手をギュッと握り締め、声を震わせている。人に涙など見せられぬ、という神の矜持でもあるのか、ギリギリ踏みとどまってはいるが、殆ど泣いているに等しい。
「え!?いやいや、えー……と?」
少女いや女神が話し始めた途端に、白猫の尻尾が不機嫌そうに揺れ出したのを見て、鈴音は事の成り行きを察する。
虎吉へチラリと視線を送ると、面倒臭そうな顔でコクリと頷き返して来た。
「もしかして、鳥ちゃんの世界を作らはった神様ですか?」
「鳥……ちゃん?」
顔を上げ不思議そうにする女神へ、鈴音は母鳥に貰った羽根を振って見せる。大きいからか、軽い割に団扇のような良い風が出た。
「まあ……!風の精霊王が親愛の証を?」
「かぜのせいれいおう。……て何やろか虎ちゃん」
目を丸くしている女神の言葉が咄嗟に理解出来ず、ほぼ吐息だけで虎吉に尋ねる鈴音。
「風の神さんみたいなもんちゃうか?ごっつい暴風やったし」
「あー、なるほど」
口を殆ど動かさないヒソヒソ会話を終えて、女神へ笑顔を向ける。
「王様やったんですか、鳥ちゃんのお母ちゃん。強そうやなぁとは思いましたけど」
「えっ!?お母ちゃん……?雛に会ったのですか!?」
「会いました、いうよりずっと一緒に居りましたよ?離れたタイミングて、虎ちゃんが蛇さんと喧嘩してる時、お母ちゃんが蛇さんと戦うてた時、荷物探してる時の、それぞれほんのちょっとの間ぐらいで」
指折り数える鈴音の言葉で、女神が頭痛でも覚えたようにこめかみを押さえた。
「精霊王の協力を得る為には子供の力が必要、なんて事にしたかったのですが、そんなに簡単に雛に出会えてしまうとすると、試練にはなりませんね……もう少し考えなくては」
「あー、今後あの世界に住む人向けの決まり事ですか?」
「ええ、まだまだ先の話ですが。……つまり私は、あなた方がほんの少し雛と離れた瞬間を見たのですね。風の精霊王が地の精霊王と戦っている場面でしたので」
蛇もやはり神のようなものだった、と鈴音は冷や汗をかく。
「その地の精霊王とやらの口から、けったいな玉が出てってんけど、神さん何か知らんか?」
黙ってしまった鈴音に代わり、虎吉が尋ねた。その、けったいな玉、という言葉に白猫が反応し、尻尾をブンブン振り始める。
「ご、ごごごごめんなさい、よくわからなくて、ええと、どんな玉でしょう?」
白猫の様子を見て顔色を失う女神に、『めっちゃ怒られたんやろな、言葉解らんし怖かったやろなぁ』と鈴音は気の毒そうな視線を送った。
「鈴音、現物見したって」
「はいはい。……?あ、置いて来てしもたかも……。拾た記憶無いわそういえば」
「えぇー」
「拾っ、拾ってきます!!」
バサ、と羽を広げた女神が大急ぎでドームの出入り口に通路を開き、飛び出して行く。
「ちょ、待っ……そない慌てんでも。ここにもソックリな玉あるから説明出来るのに」
困ったように笑いながら白猫を見ると、嫌そうに尻尾を振った。
「あの玉は嫌いなんやて。まあ、鈴音にぶつけかけたもんなぁ」
呑気に言う虎吉に『誰のせいだ』と言わんばかりの視線が突き刺さっているが、本猫は知らん顔で欠伸をしている。
「それにしても、鳥ちゃんのお母ちゃんと蛇さんが戦っとる辺りで私らを見つけたんやとしたら、そっから猫神様が通路開けてくれるまで意外とかかりましたね?」
鈴音の素朴な疑問で、白猫が眉間に皺を寄せて鼻で溜め息を吐いた。
「世界同士を繋ぐ大元の道作んのに、向こうがだいぶ手間取ったらしい。若い神さんやし、慣れてなかってんやろなぁ。猫神さんは世界が繋がって直ぐに通路開けてんけど、早よせんかい、てイライラしとったから、あんなズレた高さに開けてしもてんて」
「へえぇー。神様でも手こずることあるんやね。あ、ちょっと失敗する猫神様も可愛いから問題無いですよー、んふふ。……そういえば、あっちの世界に猫神様出てしもたけど、大丈夫なんかな?前足だけやけど」
羽根と荷物を脇に置いて座り、白猫の頭を撫で、耳をマッサージしながら尋ねる。マユリが、神力の強い神が降臨すると天変地異が起きてしまう、と言っていたのを思い出したのだ。
「なんぼ作りかけの若い世界やからいうて、足一本から出る神力なんかで、どないかなっとったらアカンやろー。それより、創造神やからいうても、あの神さんが降臨する方が問題ちゃうかー?」
「あ、ホンマや。拾て来る言うてはった。大丈夫なんやろか」
鈴音が言い終わらぬ内に、バサリ、と羽音を立てて女神が帰って来た。ボサボサの泥塗れのずぶ濡れ姿で。
「ど、どないしました?」
慌てて膝立ちになった鈴音は、今まさに話していた内容から何となく予想はついたが、一応確認する。
「うぅ……低地が沈む程の豪雨と全ての火山の噴火と大陸一つ飲み込む竜巻が……地の精霊王は海まで流されているし……。あちらへ降りるにあたって、世界に影響を及ぼさないように、鳥に化けて力を抑えたのですが……」
蛇が流されたのはあのボディブローのダメージのせいかな、と遠い目をしてから、鈴音は虎吉へ視線を移した。
何かを誤魔化すかのように、全身をせっせと毛づくろいしている。白猫もまた同様に。
「うわぁ、転位行動しとるがな。天変地異の犯ニャンが誰か自白してもうとる」
女神には聞こえぬよう吐息でツッコミを入れ、表情を作り直す。
「た、大変でしたね。まだ他の生き物が居らんかったのが、不幸中の幸いですね。鳥ちゃん達は無事ですか?」
「ええ、精霊王と精霊王の子ですから、命の危険はありません。それであの、仰っていた玉というのは、これですか?他に怪しい物はなかったので……」
ヨロヨロと膝をついた女神が差し出したのは、紛れも無くあの虹色玉だった。
「そうです、これです!これが何なのか、ご存知ないですか?」
鈴音の問いに、手に持った虹色玉を見ながら、女神は首を振る。
「地の精霊王が、日光浴していたら舌に何かが当たって、その後訳の分からない力が湧いてきて、思わず暴れてしまった今は反省している、と言っているだけで……」
「そうやったんですか。舌に当たった時に壁に穴空いて、玉を飲み込んだから神力の影響受けて凶暴化、が正解なんかな?でもその時はまだ世界は繋がってなかってんから……やっぱり私と虎ちゃんにも原因はありそうやなー……」
偶然が重なった、事故のようなものだと理解した鈴音は、女神に謝罪した。
「何ていうか、随分色々ご迷惑を……」
「え!?いえいえ、壁が脆弱だったから穴が空いてあなた達を巻き込んだわけだし、猫神様に叱られたのも私がモタモタしていたからで、猫神様のお力を見誤って『前足ぐらい平気よね』と思ったのも私が悪いのであって……」
天変地異の原因はバレていたか、と鈴音は頭を下げ、白猫と虎吉は洗顔を始める。
「こういう言い方が合っているのかどうか……あの、恨みっこなし、という事でどうでしょう」
恐る恐るといった様子の女神の提案に、後足で頬を掻いた白猫が可愛らしい声で鳴いた。
「じゃあそれで。て言うてはるで」
虎吉の通訳に女神は胸を撫で下ろし、鈴音は笑いを堪える。
自分のせいだとは一切認めない白猫に、さすがは猫の神様だ、と笑える程に感動したのだ。
虎吉のようなイレギュラーは別にして、本来猫は反省などしない。謝るのは召使いたる人の仕事なのである。
見事な猫っぷりに嬉しくなった鈴音は、思わず白猫を両手で撫でくり回す。白猫は目を細めて、機嫌よく喉を鳴らして応えた。
白猫の機嫌がすっかり治った事に安心した女神が、どういう原理か分からないが、手をかざす事で見た目を綺麗に戻して行く。
元の美しい女神に戻ると、虹色玉をもこもこの地面に置き、それを見ながら呟いた。
「でもこれ、一体何なのでしょうね?」
「どっかの神さんの物やろな、としかわからんよなぁ」
虎吉と女神が虹色玉を前に唸り、鈴音が白猫をマッサージしていると、ドームの入口から音がした。次いで、重低音が響き渡る。
「ねーこちゃーーーん、いるかーーーい?」
「居るで、入りや」
冷静に返事をする虎吉に、鈴音と女神は顔を見合わせ首を傾げた。
「お邪魔しまーす。……おや、猫ちゃん以外にも綺麗どころが二柱。ん?キミは人か。そうか、キミが噂の神使か初めまして!」
のしのしと入って来たのは大柄な青年だ。
短い金髪に薄紫の目、黒いチュニックのようなものと、白いゆったりとしたパンツという服装。目の色を除けば、強そうな欧米人男性にしか見えないが、言動といいここに居る事といい、神で間違い無いのだろう。
「初めまして。猫神様の神使、鈴音です」
立ち上がってお辞儀する鈴音に、男神はニコニコ顔だ。
「猫ちゃんが猫ちゃん以外の神使を作ったって言うからさー、どんな子かと思ってたら、礼儀正しくて可愛い良い子じゃないか。鈴音ね、覚えた」
「……猫ちゃんと猫ちゃん」
女神が白猫と虎吉を順に見て困惑している。
「そうやった、俺には名前がついてん。虎吉やで、ちゃんと覚えや?」
白猫から2メートル程距離を取って、もこもこの地面に腰を下ろしながら、男神は虎吉を見て笑った。
「いいね!虎吉か、覚えた覚えた。俺の名前は言えるようになったかい」
悪ガキのような笑みを浮かべる男神に、虎吉は尻尾を振る。
「発音出来へんのやて何回言わすねん」
「え、発音出来へん名前?どんなん?」
「出来へんもんをどない教えたらええねん」
虎吉と鈴音の会話に笑った男神は、波音と風が木々を揺らす音と落雷の音を混ぜたような音を口から出した。
「俺の名前だよ?解ったかい?」
ポカンとして頭上にクエスチョンマークを大量に飛ばしている鈴音に、男神はやはり楽しげに笑う。
「無理」
衝撃のあまり二文字で片付ける鈴音を無礼者扱いするどころか、腹を抱えて笑う男神。
まさかあなたも、と言う顔で見つめられた女神は、慌てて手を振った。
「わ、私の名前は大丈夫な筈ですよ。アーラと申します」
「アーラ様!良かった言える!」
「おう、そんくらいでええねん名前は」
喜ぶ鈴音と尤もらしく頷く虎吉に、女神アーラは微笑むが男神が不満そうだ。
「そこはさー、意味不明な音被せて更に驚かさないと!」
「ええ!?何故!?」
楽しければ何でも良いらしい男神と、真面目なアーラ。
正反対のタイプだな、と白猫を撫でながら神々を眺め、特訓中はドームの外に居たので気付かなかったが、時折こんな風に、誰かが遊びに来ていたのだろうなと想像する。
「あ!!それ!!」
そんな楽しげな空気の中、突然男神が大声を上げたので、虎吉は飛び上がり白猫も体をビクリと震わせ、アーラは縮こまった。
「神様、声デカいです。猫の前で大声禁止」
真顔で鈴音に注意され、男神は頭を掻く。
「ゴメンよー。これだから中々猫ちゃんが好きになってくれないんだなあ。解ってるんだけど難しい」
腕組みして唸る男神へ、驚いて膨らんだ尻尾を元に戻しつつ虎吉が問い掛けた。
「ほんで?デカい声出したんはなんでや」
「おー、そうだった。それだよ、それ。その変な玉。それ、猫ちゃんの?アーラちゃんの?」
男神の太い指が虹色玉を指す。
「え?私の物ではないです。私の世界に勝手に入って来た物ではありますけど……」
「ウチにもそっくりな玉がひとつあるで。人界で鈴音にぶつかって、一緒に落ちてったんや」
アーラと虎吉の返答に、男神は瞬きを繰り返した。
「驚いたな、ウチもそうなんだよ。ウチの神託の巫女に、変な玉が空から突っ込んで来てさ。護衛の聖騎士が叩き斬ったんだけど、斬れなくて叩き落とした形になったんだって。祭壇に捧げられたから回収したけど、巫女が狙われたーって大騒ぎになってんだよねえ。因みにコレね」
男神が手のひらを差し出すと、その上に虹色玉がフッと現れる。
「うわ、イリュージョンや。アーラ様も神様もイリュージョニストやな」
神の力を目の当たりにし、取り敢えず現実逃避しておく鈴音。綱木ではないが、短時間に色々有り過ぎたので、脳内の整理整頓時間が必要らしい。
「鈴音に蛇に神託の巫女か。なんぞ狙われる法則みたいなんがあるんやろか」
唸る虎吉に、男神も虹色玉を消し腕を組んで息を吐く。
「どうなんだろうなあ。けどこうなってくると、他にもあるって考える方が正しいと思うな。知り合いに出来る限り確認してみようか」
「せやな、悪いもんて感じでは無いけども……」
「うん。確かに邪悪さは無いけど、気持ち悪い、放って置くのは。そうと決まれば俺は戻るよ。何か判ったら伝えに来るから、またねー」
大きな手を振り振り、大急ぎで帰って行く男神を見送り、アーラも頷く。
「では、私も知り合いに聞いてみます。……あまり居ませんけど」
あとお片付けもしなきゃ、と遠い目をするアーラを、どうにか頑張ってという思いを込めて鈴音は拝む。
「何か掴めたらお伝えしますし、情報が入ったら教えて頂けると嬉しいです」
「おう、任しとけ」
「ありがとうございます。それでは皆さん、また後日」
優雅な礼をして、アーラも帰って行った。
「うーん、ほな私も今日は取り敢えず帰ろかな?ウチの猫達とおチビも気になるし」
白猫を撫でながら告げる鈴音に虎吉も頷く。
「それがええわ。色々あって疲れたやろし、明日は明日でまた話せなアカンねやろ?」
「あ、そうやった。て、そうなんですよ猫神様、就職決まったんです!いや、ちゃんと採用して貰えるんは明日かな?うん、明日またきちんと報告しますね」
当初の目的を今頃思い出した鈴音を、白猫は頷きながら優しく目を細めて見ている。照れたように笑い、鈴音は立ちあがって荷物を持った。
「この羽根、大きいて人界では目立ち過ぎるから、置いといて貰てええかな」
「かまへんで」
「ありがとう。よっしゃ……あ、ボウル持って帰んの忘れとった」
特訓を挟んだので遠い昔のように感じるが、白猫と虎吉にオヤツを振る舞ったのは、今朝の出来事だ。
もこもこで作ったテーブルからボウルを回収する鈴音を、真ん丸な目で虎吉が見つめている。
「鈴音、えらいこっちゃ。穴に落ちたせいで、オヤツ買い損ねとるーーー!!」
虎吉の魂の叫びに白猫も加わり、大騒ぎになった。明日持って来る、いや今日だ、の応酬。
オヤツは人界時間の一日に一度とどうにかこうにか説得し、鈴音は漸く解放された。
明日は少し多めに持って来ようと誓い、通路を潜り我が家へ戻る。
人界はちょうど、オヤツの時間を迎えた頃だった。




