第二話 ぐるっと回ってにゃんこの目
振り向き見上げた先に現れたのは、短毛種の白猫。
但し五階建て建築物サイズ。
金色の目も美しいその姿を、あんぐりと口を開けた、いわゆる間抜けヅラで見上げながら、鈴音は問いかけた。
「ど、どちらさまで……?」
巨大な肉食獣を前にしている割に恐怖は感じない。それ故の発言なのだろうが、状況から察するに、どちら様と訊かれるべきなのは本来、鈴音達の方だろう。
それに気付いているのかいないのか、胸元に子猫を抱えたまま立ち上がった鈴音は、ただただ白猫に見惚れている。
そんな、お互いに相手の出方を見ているような何とも言い難い状況を、キラキラと目を輝かせた子猫が豪快にぶった斬った。
「カーチャン?」
これに白猫は小首を傾げ、我に返った鈴音は慌てる。
「え!?いやいや、なんか色々無理があると思うで?母ちゃんあんなおっきかった?」
「ンー?ンンー」
鈴音の問い掛けに、今度は子猫が小首を傾げた。
「な?おチビの母ちゃんは別の猫さんやわ。このおっきい猫さんはー……神様とかとちゃうかな」
「カミサマー?」
「そうそう。きっとおチビが心配で見に来てくれはったんや」
「おぉ、よう解ったな」
「せやろー?ほらみてみぃ正解やったー……て、誰!?」
突如会話に割り込む渋い声に、全力のノリツッコミを返し視線をそちらへやる。
鈴音の視界には、前足で何かを叩いて転がしながらこちらへ近付く雉虎柄の猫が新たに登場した。
「俺はあれや、この猫神さんの分身で使いいうか……まあ、猫神さんが喋らんから代わりに喋る、広報官みたいなもんや」
大きさはごく一般的な雄猫と変わらない。
だが喋る。
子猫よりも流暢に、何故か関西弁のオッサン風に。
そして大変不思議なのが、喋っていても口の動きは何故か『にゃー』のそれだという事だ。これは子猫にも共通している。声帯や舌を使わない、何か特別な力が働いていると考えるのが妥当だろう。
「よっ、こい、せ、っと。なぁこれ、お前さんの落としもんか?」
雉虎猫は前足をチョイチョイと動かし、虹色に揺らめく玉を鈴音の前に転がした。
因縁の“テニスボール大虹色玉”なのだが、鈴音の興味は今そちらに無い。
「か、かんんわぅいぃぃー!!」
「は?何語や?」
「触ったらあかん?あかん?」
「え?ああ、おお、まあ撫でるぐらいやったらかまへんけども」
「ぅありがとーぅ!!」
満面の笑みを浮かべてしゃがみ込んだ鈴音は、『わしゃわしゃー』等と効果音を付けながら、雉虎猫の顎あたりから撫で始めた。
完全に押しに負けた格好の雉虎猫だが、痒いところに手が届きまくりの“エステ鈴音”は思いの外気に入ったようだ。ゴロログルルと豪快に喉を鳴らしている。
「雉虎兄さん優しいなぁ。こんだけ触りたいオーラ出したら大概の猫さんはイラッとすんのに、黙って触らしてくれて。あぁ手が幸せ」
「断ったら断ったで、なんや面倒臭そうっちゅう勘が働いた。あー、そこそこ、そこや」
「はいよー、ここやねー」
「ズルイー、ズルイー」
エステというよりはマッサージ師と常連といった会話に、拗ねた子猫が鈴音の肩へよじ登って乱入する。
可愛い嫉妬に思わず『ぶふぉぁ!!』と鼻血でも噴きそうな反応を示した鈴音は、当然の事ながら子猫も構った。
両手に花ならぬ両手に猫で、溶けて無くなるのではないかと心配になる程にデレデレの鈴音。
その様子を見て、どうやら忘れられている、と感じたらしい白猫が動いた。
無視するな、と言わんばかりに高い声で一鳴きした白猫の大きな体が、風船から空気を抜くような速さで縮んで行く。
最終的に、大型の虎くらいのサイズで落ち着いた。
「わぁ、凄いな!!大きさは猛獣やけど見た目は猫て、めっちゃ不思議やわ」
目を輝かせて感心する鈴音の前に、ずい、と白猫の頭が付き出される。
「撫でろ、て言うてはるで」
「ホンマ!?ええの!?やったー!!おチビ、ちょーっと待っといてな」
雉虎猫の通訳に、両手をわきわきと動かして鈴音は大喜びだ。
子猫を優しく一撫でしてから、とても撫で応えのありそうな白猫へと手を伸ばす。
「ほあー、でっかいのに毛ぇフワッフワのスベスベやー、やっぱり猫やねんなー、気持ちええなあぁ」
気持ちいいのは白猫も同じらしい。耳を左右に大きく開いて目を細め、盛大に喉を鳴らす事で、機嫌が良いと伝えてくれている。
「んふふ、猫さん触らして貰てる時にいっつも思うねんけど、幸せよね、この信用されてる感じがね」
「そうか」
「うん。立派な牙がある見ず知らずの肉食獣に触れるとか、なかなか無いよ。猫以外には、ガブッといかれてあの世行きちゃう?」
楽しげに白猫の耳をマッサージしていた鈴音だが、あの世、という己の言葉に、はたと顔を上げ雉虎猫を見る。
「そういえば、あのー、めっちゃ今更ですけど、ここはドコでしょう?なんとなく、死後の世界とはちゃうような?あと、神様と神様の使いさんに敬語も使わんと、偉そうにすみません」
「……ぷっ。ホンマに今更やな。ああ、俺に敬語はいらんから気にせんでええ。痒なるわ」
「そっか、ありがとう。ほな遠慮なく」
「おう。んー、ほんなら説明の前にまず、この玉はお前さんの持ち物かどうか教えてんか」
「たま?いや、私のんやないけど……なんや見覚えあるような……あ!!コレかな頭に当たったん。なんかチラッとこんな色が見えた気がする」
己の額に触れた鈴音は、子猫保護の際の経緯を話した。退屈を訴える子猫と、撫で続けろと催促する白猫をそれぞれ全力で構いながら。
「成る程。やっぱり、狙ってここへ来たわけちゃうな。いやまあ猫神さんとも、そんな感じの反応やな、とは言うとってんけども。たぶん、偶然が重なってここへ入り込んでしもたんやな」
「偶然?」
「ん。ここは神界……神さんの世界な。その中にある、猫神さんの縄張りや。本来、お前さんら人界のもんがたどり着ける場所ではないねん。けどこの玉、どこの神さんのんかは判らんけど、神力の欠片みたいなんが入っとってなぁ。そのせいでコレが、人界と神界の壁に穴開けるキッカケになったんちゃうか、て思うねん」
「壁に穴!その巻き添えで私らまで?うわー」
何とはた迷惑な、という顔で虹色玉を見る鈴音に、雉虎猫は首を振る。
「いや、コレ単体で神界に来られる程の力は無いで?お前さんとぶつかった時に、魂と反応してこういう結果になったんやと思う。例えるとしたら、玉は松明、お前さんは火薬庫」
「火薬通り越して火薬庫!?大爆発するやん!!魂と反応……するとそんな凄い事になるん?人の魂てそんなチカラ持ってんの?」
「ん?あれ?お前さん気付いてへん?お前さんの魂、ちょっと特別製やで?」
「え?」
お互いにキョトンとした顔を見合わせ、暫し考え込んだ。
「……特別製、とは?ひとっつも心当たりが無いんですけども」
「ん、そうか。ああ、わかった、強すぎるんやな。ほんで何の疑問も無く普通の生活が送れとる、と」
思い切り首を捻っている鈴音と、納得の様子で頷く雉虎猫。会話になっていない、とばかり白猫が雉虎猫を長い尻尾で叩いた。
「痛っ。わかってますて。あー、どない言うたらええかな。お前さんの魂な、光ってんねん。光る魂自体は、そこまで珍しいもんでもないねんけど、その光り方がなー。普通の光り方がピカーやとしたら、お前さんのはビッッッカー!!ぐらいな感じやねん。こら相当珍しい言うか、初めて見たわ」
「ビッッッカー」
「そうや。そやから眩しすぎて、霊やら妖怪やらの怪異類が、一切近寄れんかったんやたぶん。会うたこと無いんやろ?」
「あ、そういうのって、ホンマにおるんですね。っていうレベル」
「そうなるよなぁ。本来、光る魂の持ち主は、子供の頃からそういうモンに出会うて、色んな体験して、なんや自分は他人とちょっとちゃうらしいぞ、と自覚すんねん」
暇潰しに時々、人界に遊びに行っているから知っている、と得意気な雉虎猫と、目を細める白猫。
鈴音としては、己の魂についての説明だと解ってはいても、今一つ自覚出来ぬまま、取り敢えず頷いておくしかない。
「ほんで、そういう体験すら出来へんくらい強い強いお前さんの魂と、神力宿した玉とがゴーンいって、強烈な力がガーッと生まれてドカーンいって、こっち側へスポーンと」
「ゴーンときてガーッでドカーンからのスポーン。成る程。いや、解るような解らんような?えーと、その玉だけでも私だけでも、ここへ来る事は出来ない。でも、偶然ぶつかったせいで、あー……、化学反応みたいなんが起きて大爆発、開いた穴からスポーンと抜けてこっちへ、みたいな感じ?」
「おう、そんな感じや」
「うわー、ごめんおチビ!!巻き込んだ犯人あの玉だけ違て私もや!!被害者はおチビだけやわ!!ホンマごめん!!」
何となくでも事実を理解した鈴音は、小さな子猫を両手で大事に持ち上げ、頭を下げて謝る。
よくわかっていない子猫はサリサリと鈴音の手を舐め、撫でて欲しそうに『ンー』と顎を出した。
「天使……ッ」
大変強いらしい鈴音の魂が、うっかりどこかへ旅立ちかけたのは言うまでもない。
「えーと、それで……勝手にお邪魔しといてあれやけど、ここから元の世界に帰るには、どないしたらええのかなとか、そもそも帰れるんかなーとか」
天使な子猫をひたすら撫でくりまわし、満足して幸せそうに眠る姿に目尻を下げてから、鈴音は恐る恐る雉虎猫に尋ねた。
「ああそれやったらー……」
言いかけた雉虎猫を遮って、何故か白猫が鈴音の前に座る。
おもむろに両前足で鈴音の顔を挟むと、こめかみ辺りを押し上げたり引き下げたり、ぐるりと回してみたり。
「わ、肉球の弾力。たまらん。……って、あれ?かみさま?もしもし猫の神様ー?あ、そうやお話しはらへんのやった。ほな雉虎兄さん、これはいったいなにごとー?」
突如始まった、謎の強制変顔披露に戸惑い尋ねるも、雉虎猫は顔を伏せて体を震わせている。笑っているのかもしれない。
「うわ酷ッ。けどプルプルしてる雉虎兄さん可愛い。……言うてる場合違うか。んー、でもこれ何か……覚えがある……?」
真顔で両前足を動かす大きな白猫を眺めながら、じっと考える。すると、動かされる顔のリズムに気が付いた。
「わかった!!あれや、上ぁがり目、下ぁがり目、ぐるっと回ってにゃんこの目っ」
前足のリズムに合わせて歌うと、ニッコリと目を細めた白猫が『にゃんこの目』の部分で鈴音の額に己の額をくっつけた。
わさわさとした額の毛の感触と、じんわりとした温もりに、なんのご褒美ですかと蕩けている鈴音の視界の端で、雉虎猫が幾度も頷いている。
「うん、賛成や。手ぇ、気持ち良かったもんな」
「おーい、全く話が見えませんよ雉虎センセー。勝手に納得しとらんと教えてー。てか猫神様が話しはらへんのは、何か理由があるの?声は出してはったもんね、高い可愛いのんを」
額が離れたので、今度は鈴音が両手を伸ばして白猫の頬を優しくマッサージ。
「猫神さんは横着やねん。他の神と喋る必要が出来た時に、自分で喋るん面倒臭いからて俺を生み出したんや。そっから俺は分身にもかかわらず、ただの広報担当や」
溜め息まじりの雉虎猫に向け、それの何が悪い、とでも言いたそうな白猫の長い尻尾がもこもこの地面を叩く。
「うひゃー、面倒くさがりかぁ。なんかこう、むっちゃ猫の神様ーて感じやね。女王様っぽくもあるかも」
「おっ!よう猫神さんが雌やて判ったな?けっこうな神々が、デカさだけで雄と間違うてシバかれよったのに」
「ふはは神様方も素人よのぅ。見たら判るやん、柔らかいもんねラインが」
得意気にふんぞり返る鈴音の頭を、白猫がヨシヨシと撫でた。一段と機嫌が良さそうだ。
「んふふ、撫でてくれはったー。あ、おチビも『母ちゃん』言うてたね。この子も賢いねー」
そういえば確かに、とばかり頷いた白猫が鼻先で子猫にキスをする。
「女神が天使にチュー……ッ、て、あっ!!しもた、猫神様この子まだノミダニ含めて何も検査してなくて、いや、密着しとった私がどっこも痒ないから、おらんとは思うんですけど」
万が一害虫等がいたら、と慌てふためく鈴音を再び白猫がヨシヨシと撫で、代わりに雉虎猫が答えた。
「もしおっても俺らに影響は無いし、そもそも神界には来られへん。卵もろとも全滅や。人も同じやで?今回巻き込まれたんが子猫やのうて人やったら、そいつはあの世の神さんと、こんにちは、や」
「……なにそれ怖ッ」
「普通の魂では、壁越えに耐えられへん。猫はみんな猫神さんの子孫やから平気やけどな。ほんで、猫の縁が俺らと繋がっとるから、一緒に居ったお前さんも猫神さんの縄張りに来られたんやで。せやから、子猫の縁を悪用したなんぞヤバい奴の襲撃か?て、最初は警戒したけどな。杞憂も杞憂やったな」
「そうなんや……。ちなみに、人から神になった方もいてはるけど、それでもアカンの?」
「人やから、いうデカい括りではアカンな。巻き込まれた奴がその神さんの子孫なら、そこへ辿り着けるやろけど。その後どないなるかは、神さんが子孫をどない思とるか次第やろ」
「そっかー、色々難しいねんなぁ。良かったぁ、他人様を巻き込まんで。あと、おチビと一緒で。私だけやったら、何の縁も無い怖い神様んとこ落ちてたかもしれんもんな」
おチビさまさまやわ、と安堵の息を吐いてから、一拍、二拍。
「……で、そもそも何の話してたんやっけ?」