第百九十九話 アルハラ警察出動
テーブルを挟んで向かい合う男達と若様の間にレフェリー宜しく割って入った鈴音が、厳しい顔で双方を見やる。
「はいどーもー、アルコールハラスメント警察です」
いきなり現れた女に謎の言葉を真顔で言われ、男達も若様も怪訝な顔だ。
「え……?」
「ある……けー?何だそりゃ」
「姉ちゃんにゃ関係ねえ、引っ込んでろ」
体格と強面を活用して凄む男をギロリと睨み返し、鈴音は首を振った。
「殺人未遂は見過ごされへん」
「……は?殺人未遂?何がだ。俺らはこの坊っちゃんに酒を奢ってやっただけだ。殴りつけた訳じゃねえ」
「そうだぞ姉ちゃん。コイツのツラが凶悪だからって、言い掛かりは良くねえなあ」
何を言い出すのだと半笑いの男達へ、鈴音は盛大に溜息を吐いて見せる。
「お酒飲まれへん言うてる人に、飲め!て強要するんは殺そうとしてんのと同じやで?」
「はあ?何言って……」
「顔。若様の顔見てみ?赤いやろ?ちょっとしか飲んでへんのに赤なるんは、身体がお酒を受け付けへん人の特徴。こういう人にとって、お酒はホンマの意味で“毒”でしかないねん。解る?毒やで、毒」
毒、と強調され若様は自らの赤い頬に触れて眉を下げ、男達は何か言い返そうと言葉を探した。
しかし酔った頭が反論を思い付くより先に、当然の如く鈴音が畳み掛ける。
「ほんのちょびっとであの反応やろ?こんなコップ一杯に飲んでみ?呼吸おかしなって、食べたもん飲んだもん全部吐き出して、意識は朦朧、体温は低下、呼び掛けにも無反応なって、息してへんて気付いた頃には心臓も止まって、あーあ、可哀相に。二度と起きる事のない眠りに就いてしまわれましたねぇ。……っちゅう事になるけども」
指折り数えて症状を説明し、冷たい目で男達を見た。
「見るからにええトコの子な若様殺して、あんたらは生き残れるやろか。お供の目ぇがもう怖いなぁ」
言われて男達が視線を移せば、若様のお供が剣の柄に手を掛けている。
「い、いやいやいや待て待て待て待て!別に殺そうだなんてそんな、酒飲んで死ぬ奴がいるなんて思わねえだろ!?」
「あのガキが貧乏人が飲む酒はマズいとか言うから!ムカついてちょっとからかってやろうと思っただけだ!」
ちょっとからかった、のはお供も同じだったようで、既に剣から手を離し知らん顔だ。
それに気付かず慌てる男達に、鈴音はこうなった原因を聞く。
「若様が貧乏人の酒はマズいて言うたん?」
「そうだ!金持ちがわざわざこんなとこまで来て、安酒飲んで『マズい』だぞ?喧嘩売られたと思うだろ!?」
「お坊ちゃんのお上品なお口に合うようなモンが、こんなとこにある訳ねえのは分かり切ってんだしよ」
成る程と頷いて鈴音は若様を見やった。
「反論はありますか?」
問われた若様は表情に出すまいと努力しているようだが、どこかバツが悪そうなのが見て取れる。
「勿論、喧嘩を売るだとかそんなつもりは無かった。それに貧乏人とは言っていない。市井の人々はこのような物を飲んでいるのか、とは言ったけれど」
「マズい、言いました?」
「……言った」
コクリと小さく頷く若様に、残念そうな表情を作った鈴音が首を振った。
「アウト」
またしても謎の言葉が出て来て若様はきょとんとしている。
「あのね若様。ここは社交界のお食事で出されるような高級酒を楽しむ場所ちゃうんですよ。命懸けで海を渡って来た船乗りや、1日頑張った庶民が仕事終わりに1杯引っ掛けて帰る為の、懐に優しーい酒場が集まってる所なんです」
「うん。……あ、いや、うむ」
素が出てしまったのか、威厳を出そうと取り繕う推定10代後半。
笑いを堪えつつ、鈴音は世間知らずの若様に語って聞かせる。
「みんな、もっと美味しいお酒があるんは知ってます。でもここら辺で飲むお酒かて、値段の割には充分美味しい思て飲んでるんです。お酒作ってる職人さんもそうですよ?庶民が買える値段で、どないかして美味しいお酒作ったろ思て、一所懸命努力してくれてはるんです」
「努力……」
「そう。みんな金貨を好きなだけ使えるなら、高くて美味しいお酒飲みたいし、作りたい。けど無理やから、手の届く範囲で工夫して楽しむし、精一杯努力する。そんな庶民のささやかな幸せと、職人さんの努力の結晶を、『マズい』の一言で貶したんです若様は。『でしょうね!さっさとお屋敷帰って金貨何枚もする高い酒飲んだらよろしいやん!』てなりますよ私らからしたら」
演技も交えた鈴音の語りに男達が幾度も頷き、若様は表情筋の制御に苦労している。申し訳無さで一杯なのを、表に出さないようにしたいらしい。
「配慮が足りなかった事を認める。市井の人々はこのような場で嫌な事を忘れると聞いたから、試してみたくなったんだ。無粋な真似をして悪かった」
本人は威厳ある表情で大人の謝罪をしているつもりのようだが、鈴音には叱られた犬がしょんぼりしているようにしか見えなかった。
どうやら男達にも同じように映ったらしく、『まいったな』と言いながら顔を見合わせている。
「おウチで何か嫌な事あったんや若様」
「そうなん……いやいやいや、無い。何も無い」
鈴音は『素直か!』とツッコミたくなったし、男達は笑いを堪えるのに必死だ。
これが若様の通常運転なのか、お供は平然としている。
もうちょっと突付いて遊びたかったが、シィ達を待たせているのでそうもいかない。
「まあ、あれやん。お兄さん方も、もうええよね?謝ったし、嫌味やのうてお酒の味に慣れてへんかっただけやし」
鈴音が微笑んで言うと、男達は溜息と共に頷いた。
「ああ。こっちも熱くなり過ぎた。悪かったな」
「おう、悪かった」
矛を収めた男達を見て、若様が嬉しそうに顔を輝かせる。
本人は無表情を貫いているつもりなのだろうな、と小さく笑いながら鈴音は皆に向け手を振った。
「ほな私は行きます。お酒は乾杯の時に舐める程度にね若様。お兄さん方は飲み過ぎん事と、飲まれへん人に無理強いせぇへん事。お酒は楽しく!」
「わかった、ありがとう」
「肝に銘じとく。ありがとよ姉ちゃん」
「凄んで悪かったな」
ちょっと寂しそうな若様と、コップを掲げる男達。若様の後ろでは、お供が僅かに顎を引いている。会釈を返した鈴音は、笑顔のラーと不思議そうな顔をしているシィの元へ戻った。
「お待たせしました、行きましょか。ん?どないしたんシィ君」
頷いたラーの後に続いて武器屋へ向け歩き出しながら、シィの視線に気付いた鈴音が首を傾げる。
「酔っ払いが暴れなかった。何か仲直りしてたっぽいし」
「うん、ちょっとした行き違いがあっただけやから。あの2人もまだそない酔うてなかったし。あれがもうちょいお酒入っとったら、殴り倒さなアカンかったやろね。まあその場合、私の出番は無かったやろけど」
素知らぬ顔で佇んでいたあのお供は、明らかに只者では無かった。
ひょっとしたらこの国一番の剣士なのでは、等と考える鈴音の耳に、シィの小さな小さな声が届く。
「そうなのか……。言葉、通じるんだな」
寂しげにそう言った後、酒乱若しくは依存症の父親を思い出したのか、顔を曇らせ溜息を吐いた。
先生としては、ここで何か気の利いた台詞でも言うべきなのだろう。
だが、細かい事情を知らない者に半端な慰めの言葉など掛けられても、只々鬱陶しいだけだと思われる。かといって黙ってこのまま流すのも嫌だ。
さてどうしようと悩んだのは一瞬。
「うわ、うわわ、何だよ」
鈴音は空いている右手でシィの頭をワシャワシャと撫でくり回した。
「ええ剣買おな、火の魔法で『炎の剣!』とかやっても焦げへんやつ」
「え、そんな事出来んの!?」
やはり男子、炎の剣と聞いてシィの目が輝く。
「出来る出来る。何も無いとこに火ぃ出すよりよっぽど簡単や思うわ」
「やった、凄ぇ楽しみになってきた!」
大喜びのシィと楽しげに笑う鈴音の前を歩きながら、ラーは『どうやったらそんな事が出来るんだろう』と密かに物凄く興味を引かれていた。
その後はこれといったトラブルも無く飲み屋街を抜け、次に見えて来たのはちょっと派手な宿屋風の建物群。
鈴音の腕の中でウトウトしていた虎吉が、眉間に皺を寄せながら目を覚ます。
「臭い!!鼻が曲がる!!」
人の鼻では分からないが、どうやら様々な香水の匂いが虎吉の鼻に届いているようだ。
「ありゃー、えらいこっちゃ。さっさと抜けな」
「ええ!何なら走りましょうか!」
虎吉を撫でて宥める鈴音に思い切り同意したのはラーだ。
それに対してシィは残念そうな顔をする。
「せっかく来たのに?」
「子供にはまだ早いです!!」
くわ、と目を見開いて主張する大人。
「あはは、シィ君の方が遊び慣れた大人みたい」
「おう。けどそれどころやないねん鼻曲がんねん早よ逃げようや」
心底嫌そうな虎吉の声に、ラーで遊んでいる場合ではないと理解したシィも頷いた。
流石に走り抜けるのは失礼だし、何事か起きたのかと勘違いさせてはいけないので、不自然でない程度の早足で進む。
おんな子供連れのラーに声を掛ける客引きはいなかったが、頑なに前だけ見て歩くその姿を、店先や窓辺から女達が興味深そうに眺めていた。
「もしもしラーさん、前しか見てませんけど、道こっちでしたっけ?何かちゃう気が……」
地図をぼんやりと思い出し心配になった鈴音が尋ねると、前を向いたまま答えが返って来る。
「大丈夫です。路地を3つ過ぎて次の角を曲がっ」
「路地4つ通り過ぎましたけど?」
「え?」
驚いて振り向いたラーの視界に、店から出て来た客と、胸元が大きく開き脚の付け根までスリットの入ったドレスを着た女が映った。
次の約束を取り付ける為か、豊満な胸を客に押し付けてしなだれ掛かる様子をバッチリ見てしまい、一瞬で真っ赤になるラー。その赤面っぷりたるや先程の若様の比ではない。
事態を察し素早く振り向こうとするシィの頭を右手で固定し、鈴音はラーを気遣う。
「大丈夫ですかラーさん。お姉さんが引っ込んだら教えますんで、下向いとって貰てええですよ」
「いや、でも、女性にそんな」
「別に素っ裸ちゃうでしょ?あ、はいはい、あの程度なら問題無いです」
どこかのゴージャス姉妹なら普通に着ていそうな服だ、と思いつつ横目で眺める鈴音を前に、ラーは地面にめり込みそうな程に落ち込んでいた。
「ああ、女性にあんな……あんな……うぅ情けない」
「いやいや、女同士やから平気なんですって。男の人がパ……下着姿で立ってたら私かて引きますよ」
引きつつ見るけど、と心の中で付け加える。
「私の故郷では女の子が脚出して歩くんは普通やし、暑い季節はもっと露出度上がりますから、あれくらいどうっちゅう事ないです。せやから気にせんといて下さい」
「あし……ッ!?ろしゅ……!?」
「え、先生の故郷に行ってみたい」
日本の普通に衝撃を受けて固まる真面目神官ラーと、素直な欲望を口にする健全な男子シィ。
「対照的過ぎておもろいなー」
「鈴音、まだか?鼻がどないかなりそうやぞ」
「あ、ごめんやで。んー……、よし。お姉さん引っ込んだんで行きますよー」
シィの頭を離し、ラーを促して来た道を少々戻る。
「この角をどっちですか?」
「右です」
「はいよー」
いつの間にやら鈴音が先頭に立ち、店先に人の気配がしたら神速でシィの目を塞ぎつつ進んでいた。
目を塞いで貰えないラーは、ひたすら鈴音の背中だけを見ている。
そのまま早足で派手な建物の間を行くこと暫し。
「おっ、何か雰囲気違う店がある。花街も終わりっぽいし、あれが武器屋かな?」
店の前へ急ぎ看板を確認すると、“武器屋ジェン”の文字が刻まれていた。
「着いたで虎ちゃん。はい、お邪魔しまーす」
扉を開けて中に入ると、陳列台や壁にビッシリと武器が並ぶ、主に男の子大喜びの世界が広がる。
「おー!凄ぇ!」
パッと顔を輝かせたシィに、入口近くのカウンターに居る、店主らしき品の良いおじ様が愛想良く笑った。
「いらっしゃい。女性に少年とは、珍しいお客さんだ」
「あ、私居ます、一応ここに成人男性が居ますよ」
鈴音の後ろでそっと挙手するラーを発見し、店主は咳払いで誤魔化す。
「ちゃんと保護者付きだったんだね、安心したよ。さて、今日は何をお探しだい?」
立ち上がって尋ねる店主に、漸く鼻が落ち着いたらしい虎吉を撫でながら鈴音が答えた。
「この子の短剣を。扱いはこちらの彼が詳しいそうなんで、2人に色々と見せてあげて貰えますか」
「ほうほう、短剣だね。じゃあこちらへどうぞ」
シィとラーへ道を譲り、後は店主に任せる事にして鈴音は適当に壁の武器を見学する。
「わー、何や見た事ないもんがいっぱいや」
「ホンマやな。こんな曲がった剣で斬れるんか?」
「鬼の金棒が丸なったみたいなんもあるよ」
「殴るんやろなあ。力技丸出しやなあ」
興味津々で使い方の解らない武器を眺める鈴音と虎吉の後ろでは、すっかり復活したラーが興奮気味に店主が出して来た短剣を手に取っていた。
「鉄の国の剣じゃないですか!はー、憧れですよねー」
「こっちは大牙玉の牙が混ぜ込まれている品だよ」
「それは凄い!いかにも斬れそうですね!」
楽しそうなラーとは違い、横で聞いているシィは今ひとつピンと来ていないようだ。
「鉄の国ってどこだろ。大牙玉は先生が無傷で倒すし。何かコレだってのが無ぇかも」
呟いてから顔を上げると、鉄格子で守られた奥の壁に掛かる剣に視線が吸い寄せられた。
「おじさん、あの剣は?」
シィが指差す先を見た店主は、ああ、と申し訳無さそうな顔をする。
「あれはちょっと……いやとても高い代物でねえ。まあ、見るだけ見てみるかい?」
そう言って鉄格子の鍵を開け、無駄な装飾が一切無いシンプルな剣を取って来た。
「はい、どうぞ」
そっと渡してやると、シィは嬉しそうに剣を抜く。
すると、鏡のように美しい剣身が仄かに光を帯びた。




