第百九十五話 おはよう
貝を巡る虎吉と白猫の口喧嘩が始まって体感で5分程。
可愛らしい為いつまででも見ていられるが、そういう訳にもいかないので、仕方無く鈴音が間に割って入った。
「猫神様、また美味しいもん見つけたら持って来ますから、あと2つほど虎ちゃんに分けてあげてくれませんか?」
「……ニャゥー」
「うはは!ええぞ鈴音!」
物凄く渋々だが譲ってくれたらしい白猫と、大喜びの虎吉。
「ありがとうございます猫神様」
にこやかにお礼を言ってボウルから剥き身を2つ取り、虎吉用のボウルへ入れる。
テーブルへ移動するのも面倒臭いだろうなと察した鈴音は、その場でそれぞれの前へ出した。
「どうぞ、召し上がれ」
我慢の限界だったのか、語尾に被さる勢いで虎吉も白猫も食べ始め、驚く程の早さで平らげる。
先程の喧嘩は見間違いかと疑うくらい平和になった空気の中、虎吉も白猫も余韻を楽しむように何度も口周りを舐め、満足そうに洗顔を始めた。
「可愛い。安定の可愛さだ。口喧嘩しても可愛いなんて猫だけだ」
うっとりしながら頷いているウァンナーンを見ながら、神様だし可愛くない喧嘩を見る事が多いんだろうなと気の毒に思いつつ、鈴音は別の事を尋ねる。
「そういえばウァンナーン様。さっき組合長がマッチ使てたんですけど、みんながみんな生活に役立つ魔法を全部使える訳やないんですか?」
小首を傾げて聞いていたウァンナーンは、ああその事かと微笑んだ。
「昔は使えた。身体強化は今でも皆使えるが、時代が進むごとにそれ以外は1種類の魔法しか使えない者が増えて行った。だから、火の魔法や土の魔法が得意な者が知恵を出し合い、粉にした魔法石に魔力を溜めておいて、擦ればいつでも火がつく道具等を作り出した」
「へえー!そうか、マッチはマッチでも地球のとはまた違うんや。ほな、ランプなんかの生活道具もそうなんですか?」
「そう。火を使うのではなく魔法石を光らせる事で、随分と火事を防げるようになったらしい。コンロ等も火ではなく、魔力の込め方で温度が変わる魔法石が使われている物もある」
「IHヒーターや。最先端走ってますやん」
凄いなと感心してから、ふとシィが言っていた事を思い出した。
「……あれ?ほな、弱いけど火と風が使えるシィ君は、珍しい存在なんですかね?」
薪に火がつく程度とそよ風が吹く程度だと聞いたが、それでも2種類の魔法が使える事に違いは無い。
「割と珍しい。だからこそ目を付けられたのかもしれない。ただ、いつまで経っても小さな火とささやかな風しか出せないから、これでは意味が無いと捨てられたんじゃないか?」
「ははあ……、魔力の量までは分からんかったんですね。知ってたら手放す筈が無いですもんね。ざまあみやがれですね」
ボウルをテーブルへ置きに行く鈴音を見ながら、ウァンナーンが楽しげな笑みを浮かべる。
「あれだけ眠れば少年の疲れも取れただろう。いよいよ特訓が始まるのか」
「はい。起きたら魔法の練習からして貰います」
「楽しみだ」
言葉通りニコニコしているが、ウァンナーンが楽しみにしているのは復讐劇だ。それでいいのか創造神、と思ったものの口には出さず鈴音も微笑む。
「きっと本人も驚くぐらい強なって、宮廷魔導士とかいう奴をブッ飛ばしてくれるて信じてます。ほなそろそろ戻ろか虎ちゃん」
鈴音が呼ぶと、すっかりご機嫌さんになった虎吉が腕に飛び込んだ。
ヒョイと左前足を動かして通路を開く。
「あ、そうや猫神様、宿で通路を開くと人との距離によっては危ないみたいなんで、料理をそのまま持って来るんはやめて、今回の貝みたいに同じぐらい美味しい物を探して纏めて持って来るようにしたいんですけど……向こうの時間で2、3日に1回ぐらい。どないですか?」
白猫がニャーと返事をし、虎吉が『それでええよ、て言うてるで』と通訳する。
「ありがとうございます!ちょこちょこ戻って来ますんで、猫神様をお願いしますねウァンナーン様」
微笑んで頷いたウァンナーンに深々とお辞儀した鈴音は、桶を片手に通路を潜った。
港へ戻ると、シャンズが身構えたまま瞬きを繰り返している。
「おぉ、渦が消えた。いや今魔導士様も一瞬消えたよな?って、貝も消えてるじゃねえか!」
空になった大きな桶と鈴音へ視線を往復させ、何が何だか解らないという顔だ。
「ちょっと魔法で主の元へ行ってたんです。貝はとても喜んで貰えました、ありがとうございます」
何でもない事のようにさらりと告げて微笑むと、鈴音を見つめたシャンズは困り顔で混乱している。
「主の元へって、ええ?この一瞬でか?移動して土産渡して……ええ?」
「あははー、ほら、大魔導士ですから」
どや、と胸を張って自信満々の笑みを見せる鈴音に、そういうものなのだろうか、と不思議がりつつも頷くシャンズ。
「ま、まあ何にせよ喜んで貰えたなら良かったぜ」
「はい。組合長にはホンマに感謝してます」
「よせやい。元は港を救ってくれた礼なんだからよ」
「ふふふ、ほなお互い様言う事で」
「おう」
笑顔で頷き合って、桶をシャンズに返した鈴音は、明るくなった空を見上げる。
「そろそろ連れが起きるかもしらんので、宿に戻りますね」
「そうかい、送ろうか?」
「いえ、魔法使て一気にシュッと帰りますんで、お気持ちだけありがたく貰ときます。色々ありがとうございました」
「おお、こちらこそ。気いつけてな」
人好きのする笑みを浮かべるシャンズに手を振って、鈴音は地面を蹴り港を後にした。
宿に戻ると、外にまで食欲をそそる魚介出汁の良い匂いが漏れて来ており、鈴音も虎吉も幸せな顔になる。
「ただいまー。朝ごはんまだやんね?メッチャええ匂いしてるわー」
入って来るなり鼻から大きく息を吸う鈴音に笑ったアイは、食堂のテーブルを拭きながら頷いた。
「鐘7つまではもう暫くありますね。スープはおかわり自由ですから、お腹を空かせて待ってて下さい。寝てる彼の分も言って下されば直ぐに出来ますので」
「了解ッ!ほな早速、様子見てくるー」
アイに敬礼した鈴音は、スキップでもしそうなウキウキっぷりで階段を上って行く。
その様子を眺めるアイの顔はとても嬉しそうだ。
「うふふ、お料理を楽しみにしてくれる人がいるって良いなぁ」
やる気が出た分作業スピードも上がり、普段よりも早くテーブルを拭き終える。
バケツを片付け花を活け始めたアイから聞こえる鼻歌に、厨房のリーアンはスープを掻き混ぜつつ穏やかに微笑んだ。
部屋へ入った鈴音はカーテンを開け、ついでに窓も開けて空気の入れ替えをする。
すると、半日以上眠っていたシィが唸りながら大きく伸びをし、ぼんやりと目を開け瞬きをした。
「……んん……、ん?」
ここどこだっけ、から始まる記憶の旅に出たな、と窓際に立った鈴音が見守る事少々。
「んー……。ん」
何やら納得した様子で再び眠ろうとするシィを見て目が点になった鈴音は、条件反射でベタなツッコミを入れてしまった。
「いや何でやねん!」
「ぅわッ!?」
勿論大した声量では無かったが、シィの目を覚ますには充分だったらしい。驚きの声と共にバネ仕掛けのような勢いで飛び起きた。
「えーと、あれ?」
寝癖全開の頭に手をやりながら、部屋を見回し鈴音を見、4、5秒経って漸く現状を理解したというか、思い出したようだ。
「お、おはよう?」
「おはよう。体調どない?」
まだ夢か現かといった表情で首を傾げるシィに鈴音が尋ねると、両手を握って開いた後に顔や身体をペタペタ触ってから頷いた。
「もう何ともないと思う」
「よし、ほんなら朝ごはん頼もか。流石にそのまま食堂行くんはどうかと思うから、もう1回だけ部屋で食べさして貰お。その後にお風呂入って着替えておいで」
そう言いながら鈴音がベッドの上に置いた真新しい服と下着に、シィは目を輝かせる。
「やった!ありがとう!この服もうボロボロだし痒いし……、あれ?痒くねぇかもそういえば」
昨日はフラフラでそれどころではなかったからか、痒みどころか擦り傷1つ無い事にようやっと気付いたようだ。
「先生の魔法のお陰?」
「まあそんな感じ。私はアイさんに朝ごはん頼んで来るから、その間にトイレ行くんやったら行っとき?」
「うん。……色々ありがとう。あ、場所が分かんねぇや」
困り顔でベルトを締めてブーツを履くシィの視界に、目を爛々とさせ尻尾をピンと立てた虎吉が入って来た。
「俺が連れてったろ。弟子の面倒は師匠が見たらなアカンからな」
「おー、頼もしいッス師匠。お願いします」
ふたりのやり取りを見た鈴音は、師弟ごっこが楽しいらしい虎吉の可愛さにデレデレだ。
虎吉の為に扉を開けてやり、シィを伴って廊下奥の階段へ向かう後ろ姿を見送る。
自身はすぐさま食堂へ下りて、シィの朝食を頼んだ。
その後、部屋のテーブルで療養食を食べたシィが食休みを経て風呂へ入っている間に、鈴音と虎吉も食堂で朝食を取った。
葉物野菜と魚の切身が入ったスープが絶品で、鈴音は2度おかわりをし、虎吉は魚の切身だけをおかわりするという反則技を使いアイを笑わせている。
「あー、美味しかった。朝からガッツリいってしもたわ。スープ3杯て中々よね」
「ホンマやな。そない言う俺も魚が美味いから食い過ぎたで」
嬉しそうなアイに笑顔でご馳走さまを言っている所へ、シエンとラーの神官コンビが下りて来た。
「おはようございます鈴音さん」
にこやかな挨拶をして席へ着く2人に、鈴音も笑みを返す。
「おはようございます。昨日はどうでしたか?」
「ど、どうと尋ねられるような事は何も!?」
慌てて両手を振るラーへ、シエンが悪い笑みを向けた。
「何か情報はあるかと聞いておられるだけぞ?慌てる理由が解らぬなー」
「うぐッ」
真っ赤になって黙ってしまったラーにドヤ顔を決めながら、シエンは鈴音に昨夜得た情報を伝える。
「まず、酒場は昼でもそれなりに賑わっておるそうです。花街も営業しとりますが、夜ほど活気は無いようですな。賭場もまた同じく」
「あー、やっぱり。漁師さんも多いし、外国船とか到着時間がずれ込んだりしそうですもんね」
「然り。昼の客の殆どは漁師か船乗りで、夜になれば商人等も姿を見せるとの事。おなごの客も居らぬでもないが、やはり数少ない上に見るからに腕が立ちそうな風貌をしておると」
「ははあ、昼間やとしてもシィ君連れて私みたいなヒョロいのんが歩いとったら、絡まれる確率は高そうですねぇ」
要領良く報告するシエンを『誰だこの有能』という顔で見ているラーに笑いつつ、顎に手をやった鈴音は唸る。
「シィ君がどのぐらい酔っ払い嫌いか聞かなアカンなぁ。絡まれた瞬間キレる、とかいうんやったらもう、抱えて跳ぶしか……。でもそうなるとラーさんが来るまで武器屋ん中で待たなアカンしなー」
神の客人は空が飛べるのだろうか、と真顔で固まる神官コンビに、大きな独り言を零したという自覚のない鈴音が笑い掛けた。
「まずはシィ君に現状を伝えて来ます。急に旅仲間が増えてたらビックリするでしょうし」
「そ、そうですよね。後でご挨拶に伺います」
頷いたラーとシエンの元へ、アイが朝食を運んで来る。
「ほな夕食の後にでも部屋でお話ししましょか」
「うむ。では我々がそちらへ伺いますゆえ」
「分かりました。あ、そうやアイさん、お昼ごはん3食、内1食は療養食で作って貰えますか?」
立ち上がって虎吉を抱いた鈴音からの予約に、アイは満面の笑みで応えた。
「承りました!鐘12にはお出し出来るようにしますね」
「お願いします」
笑顔で会釈し鈴音は部屋へ向かう。
階段を上りつつ、シィはもう風呂から上がっただろうかと考えて、ふと気付いた。
「……そない言うたら、私も偶には着替えんかったら、きったない姉ちゃんや思われるやんね」
「うわホンマやな。異世界に居る時の鈴音は神界時間で生きとるから汚れへんとか、こっちのもんに分かる訳あらへんもんな」
「しゃあない、猫神様に美味しいもん持って行くタイミングで着替えよ。カットソーの3枚ぐらい縄張りに置かして貰てローテーションや」
「やれやれ、人は色々と面倒臭いなあ」
虎吉から憐れみの視線を向けられ、全く以てその通りと頷いた鈴音は、ノックして返事を待ってから部屋に入った。
室内では、窓際に置いた椅子に腰掛けたシィが、手から出したそよ風で髪を乾かしている。
「おー、手ぇがドライヤーとか羨まし過ぎ」
「どら……?」
聞き慣れない言葉にきょとんとするシィに何でもないと手を振り、鈴音はベッドへ腰を下ろした。
「髪の毛乾いたら、ちょっと話聞いて貰てええかな。シィ君が寝てる間に色々あって、実は旅仲間が増えてんねん」
「へ?仲間?俺、復讐しに行くんだけど……?」
「うん。それを解った上で、1人は剣の先生してくれるって。もう1人はまあ、うーん、魔法が得意らしいよ?」
鈴音の説明に首を傾げたシィは、とにかくさっさと乾かそうと魔法の出力を上げ、家庭用扇風機の強くらいの風を髪に当てる。
直ぐに粗方乾かし終え手櫛で適当に整えて、急いで自身のベッドへ移動した。
向かい合わせに座ったシィの顔色が良い事に安心しつつ、鈴音は彼が眠っている間に何があったかを話して聞かせる。
「……え、大神官様が一緒に旅する……?」
そう言って固まってしまったシィが復活するまで10分程の時を要する位、本来あの短めサンタ髭爺さんはとても偉い人物らしかった。




