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第百九十四話 焼き貝は難易度が高い料理だった

 日が落ちて鐘が7回鳴った後もシィは熟睡していたので、夕食は必要無い旨をアイに伝え鈴音もベッドで横になる。

 鐘が8回鳴って暫くした頃に神官コンビの足音が聞こえ、10回鳴る頃にはアイもリーアンも休んだらしく宿は静まり返った。


「この宿、門限は9時ぐらいなんかな。自分が寝てる時間にアイさんだけを受付に置いとくとか、リーアンさんがする筈無いもんね?」

 猫の耳専用の小声を出し腹の上を見やると、箱座りで目を細めていた虎吉が頷く。

「酒飲んで帰って来る奴の相手なんか、絶対させへんやろ。それも流行らん理由のひとつかもわからんな」

「そうやんねぇ。魔物が出る道中を無事に乗り切って、商談も終えて、よっしゃ酒飲んで花街で羽伸ばすでー!思たら門限9時です。うん、敬遠する人多そう」

 鈴音は門限の話をされていないが、たぶん体調不良のシィを連れていた為だろう。それに、飲む打つ買うが主体の盛り場以外に遊べる場所など無いから、女性が遅くまで出歩く事自体が想定されていないのかもしれない。

「ま、酔っ払い嫌いのシィ君の為にも飲み屋街は昼間に抜けるし、私らには関係無いな」

「おう。まず大事なんは明日の朝の貝やしな!」

「その通り!猫神様喜んでくれはるかなー」

 数時間後に思いを馳せつつ、虎吉を撫でた鈴音は目を閉じた。




 目を瞑っているだけで眠っている訳ではない鈴音の耳には、様々な音が聞こえて来る。

 リーアンが宿を出てから鐘が2回鳴り、4回鳴った後にはアイが起きて掃除等を始めたようだ。

 シィの夕食は要らないと伝えに行った際『朝食は鐘7つから』だと聞いていたので、そろそろ漁を終えたリーアンも戻って来るかもしれない。

 予想通り、鐘が5回鳴る頃に足音が聞こえて来る。

 ただ、鈴音の耳にはもう1つの足音とチャプチャプという水音、複数の硬い物が擦れ合う音も届いていた。

「来たで虎ちゃん、貝や」

「おう、貝やな」

 目を合わせて頷き順番に伸びをし、まだ暗い部屋から足音を忍ばせて廊下へ出ると、虎吉を抱えた鈴音は軽やかな足取りで階段を下りていく。


 明かりが漏れている厨房へわざと足音を立てて近付き、鈴音は顔だけを覗かせた。

「おっ!魔導士様おはよう!」

「おはよう、鼻が利くじゃねえか姉ちゃん」

 中に居たシャンズとリーアンが直ぐに気付いてくれたので、笑顔で挨拶を返す。

「おはようございます。貝を()うて来てくれはったんですね?」

「勿論!きっちり最高級品を集めてやったぜ!」

 胸を張って大きな桶を指差すシャンズ。

 桶には黒い布が掛けられており、中は見えない。

 ああしておかないと貝が暴れたり、攻撃して来たりするのだろうか、では目利きはどうやるんだろう、等と鈴音は興味津々だ。

「どんな貝なんか見る事は可能ですか?」

「あー、桶ん中は水流が無えからなあ。ランプ消しちまえばまだ暗いから大丈夫かもしんねえが、布巾取った途端に水の玉が飛んで来ねえとも言い切れんし、お勧めは出来ねえなあ」

 シャンズの答えで暗さと水流が鍵なのかと理解する。


「成る程、魔法で水流を作った水槽か何かの中におる貝を目利きするんですか。暗いとこか水の流れのあるとこならジッとしとると。ん?ほな料理する時は?」

 首を傾げた鈴音にリーアンが答えた。

「このまま水を切って、熱湯の沸いたデカい鍋にドボンだ」

「そっか、それなら安全なんですね。……という事は、焼いたりはせぇへん言うか、出来ひん?」

「ああ、無理だな。コイツらが出す水で周りがエラい事になっちまう」

 それは困ったぞ、と鈴音は顎に手をやる。

 白猫が食べたいのは、水煮ではなく焼き貝だと思われるからだ。虎吉が食べた焼きホタテに似た物を出さないと、恐らく満足してくれない。

「んー、水の攻撃は私が防ぐんで、どっか外でいっぺんに焼ける場所無いですか?主は焼き貝を御所望なんで、何としても焼きたいんです」

 拳を握ってやる気満々の鈴音に、シャンズもリーアンも驚いているようだが、恩人の願いを叶えねばと真剣に考えてくれた。


「港の竈がいいんじゃねえか?」

 シャンズが言えばリーアンも頷く。

「そうだな。あれならこの量も一気に焼ける」

 何それ詳しく、な顔をしている鈴音にシャンズが説明してくれた。

「年に1度、港で祭りがあるんだ。そん時に魚を焼くのに使うデカい竈があるから、それを使おう」

「おー!ありがとうございます!では直ぐにでも向かいたいんですけど、宜しいでしょうか」

 明らかにウズウズしている鈴音を見たシャンズは愉快そうに笑い、大きな桶を抱えて外を指す。

「じゃあ行こうぜ魔導士様。大通りに荷馬車停めてあっから」

「分かりました!荷物取って来ますんで先に出て下さい」

「おう」

 2階へ走り去って行く鈴音を見送り、リーアンに片手で挨拶してシャンズは勝手口から出て行った。

「焼き貝ねえ……そんな事出来んのか?いや、あの姉ちゃんならやるだろうな」

 厨房に残ったリーアンは、前代未聞の調理法を見られないのが残念だと緩く首を振り、朝食の支度に取り掛かる。

 いつの間にか外に出ていた鈴音が、表を掃除していたアイと交わす挨拶の弾んだ声に目を細めつつ、魔導コンロに火をつけた。



 先に大通りへ出た鈴音は、荷馬車のそばでまだかまだかとそわそわしている。

 そこへ、大事そうに桶を抱えたシャンズがランプを揺らしながらやって来た。

「おぉ!?早えな魔導士様!明かりも持たねえで」

「あはは、逸る気持ちが抑え切れず」

「そうかそうか、じゃあ急がねえとな」

 荷車に桶と鈴音達を乗せ、シャンズは御者台に座る。

「んじゃ行くぞー!」

「おー!」

 ご機嫌さんな鈴音と虎吉を乗せた荷馬車は、白み始めた空の下を港へ向け出発した。



 港に着くと、漁船用の桟橋がある方へとシャンズは進んで行く。

 その先に漁業組合の事務所があり、前を通り過ぎて奥の方に、レンガ積みで横に長い竈が幾つか並んでいた。

「焼き網は倉庫の中にあるんだ。取ってくるからちょっと待っててくれ」

「はーい」

 竈のそばに桶を置いて、シャンズが近くの倉庫へ走って行く。

 貝からの攻撃があってはいけないと桶を触らせなかったり、代金を払うと言ったら恩人への礼なので受け取れないと言ったり、荷馬車でのシャンズとのやり取りを思い出した鈴音は、何とも義理堅い人だなあとその背中を見つめた。

「ああいう人やから組合長なんやろねぇ」

「ん?ああ、性格か?せやろなあ。熊蔵(リーアン)もええやつやけど、愛想の良さがちょっと足りてへんな」

「リーアンさんはナンバー2タイプなんかな。見た目は1番目立つけど」

「うはは!鬼瓦熊蔵やもんな!」

 そんな会話をしている内に網を持ったシャンズが戻って来て、テキパキと竈の準備を始める。

 薪を並べた竈には魔法で火をつけるのかと思いきや、マッチが使われていた。


「組合長、竈に火ぃつけても構いませんか?」

 鈴音が指先に火を灯しながら尋ねると、何本目かのマッチを擦っていたシャンズは目を丸くする。

「うお!?流石は大魔導士様だ、水と氷以外に火まで使えるのか!凄えなあ。あ、火ぃつけてくれると助かる。マッチは風に弱くてよ」

 身体を壁にしても海風の強さには勝てないようで、お手上げポーズのシャンズが眉を下げて笑った。

 お任せあれと胸を張った鈴音は、並べられた薪へ順番に火をつけて行く。

 見る間に薪は赤々と燃え始め、ついに貝を焼く為の準備が整った。

「ぃよーし、ほんなら水切って網の上にザラーッと載せましょか」

 鼻息が目に見えそうな勢いの鈴音に笑い、シャンズが桶を両手に持つ。

「ホントに大丈夫なんだな?魔導士様が凄えのは知ってっけど、数が数だからよ」

「大丈夫です。完璧に防いで最高の焼き貝にします」

 一応虎吉を地面に降ろし、竈の前に仁王立ちして自信に満ちた笑みを浮かべる鈴音。

 よし、と頷いたシャンズは、桶を傾け水を切る。

「行くぞー!」

 ひと声掛けてから布巾を捲り、ガラガラと網の上に貝を落としながら竈の前を走り抜けた。


 直後、100個ばかりある貝が揃って出水管を出し、直径15cm程の水の玉を一斉に発射する。

 てんでバラバラの方向に。


「あ、管が向いてる方にしか攻撃出来ひんのや」

 だから余計に厄介なのだろう。

 このままでは、組合事務所や竈周りの壁などが穴だらけになってしまう。これが家のキッチンなら大惨事間違い無しだ。

 だが鈴音が居ればその心配は無い。

「見た目は小振りのホンビノス貝?大きさハマグリやけど丸っこいもんなー」

 呑気に観察しながら挙げた右手へ、貝が放った水の玉がどんどんと集まって行く。

 まるで掃除機に吸い寄せられる塵のように、逆方向へ放たれた玉もおかしな曲線を描いて鈴音の元へ飛んで行った。

「こっちに来い、てイメージしとるんか?」

 見上げて来る虎吉に目尻を下げつつ鈴音は頷く。

「ここでデッカい玉になれ、みたいな感じ」

 実際その通りに、大きな大きな水の玉が目の前に浮いている。

 まだ続くだろうかと待っていた鈴音だが、貝は皆力尽きたらしい。水の玉の乱舞が幻だったかのように静かになった。

 集めた水を消し去って竈へ近付く鈴音に、シャンズの感心し切った声が届く。


「ひゃー、やっぱ凄えわ!ホントに何の心配もいらなかったな!」

「えへへー、やれば出来る子なんですよー」

 悪ガキのような笑みで応えつつ、火バサミを手にした鈴音は口が開きかけた貝の上下を揃えて行った。

 最初に溜まる汁は海水なので捨てるべし、というテレビ番組からの情報を守り、せっせと捨てて次に美味しいダシが溜まるのを待つ。

 その間に手から出した海水で桶を洗っておいた。

 綺麗に口を開けた貝の身がぷっくりと膨れ、周りでダシがクツクツと沸騰しているのを見てから、桶へと順番に取って行く。

 火バサミを持った鈴音の手が動くたび、虎吉とシャンズの視線が一緒に動いた。

「……ん?」

 鈴音が顔を上げるとシャンズは慌てて目を逸らしたが、虎吉は鼻をふんふんと動かし口周りを舐めてアピールする。


「あ、そうか、味見せなアカンね?」

「おう。マズい筈は無いけどな、一応な」

 明らかに嬉しそうな表情になった虎吉にデレデレしつつ、鈴音は初めの方に取った貝の温度を指で確かめた。

「お、ええ感じやわ。ちょっと待ってよ?ほい」

 人肌程度に冷めていたので、殻から身を外して差し出す。

 殻を皿代わりにして食べた虎吉は目を輝かせ、おかわりを要求するように鈴音を見つめた。ジッと、ジーッと見つめた。

「美味しかったんやね。でもほら、猫神様のんやから。そんな可愛い顔で見てもアカンよ?」

 猫のおねだりを断るのはメンタルへのダメージが強烈だからやめて頂きたい、と目を逸らす鈴音。

 そのままシャンズに1つ差し出し、結局虎吉にももう1つ渡した。

「お、ありがとよ魔導士様。そんじゃ遠慮無く」

「熱いから気ぃつけて、汁ごと食べて下さいね。虎ちゃん、それで最後やからね」

 虎吉を見ないようにしながら念を押す。

 その代わりにシャンズの様子を窺うと、下の貝殻の熱さを確かめてから恐る恐る口に運んでいた。


 貝の攻撃を防げないなら、焼き貝は生まれて初めて食べるのだろうかと見守る鈴音の前で、ダシを含み身を噛んだシャンズはそのどんぐり(まなこ)をカッと見開く。

「なんじゃこりゃ!?ムチャクチャ美味いな!!」

 もぐもぐと咀嚼しつつ鈴音を見やる顔は、驚きと喜びに満ちていた。

「アレだ、飯というより酒の肴に良さそうだ」

「ですよね!ま、主はお酒を飲まないので、オヤツなんですけどね」

 せっせと桶に焼けた貝を取る鈴音と手に持った貝殻を見比べて、シャンズが羨ましそうに首を振る。

「こんな美味いもんを腹一杯食えるたあ、主様は幸せだなあ」

「ふふふー、これで最後ですよ?」

 もう1つシャンズに渡して笑い、鈴音は全ての貝を桶に移した。

 幸せそうな顔で『悪いなあ』と言いながら焼き貝を頬張るシャンズと、どうにかして掠め取れないかと桶を凝視している虎吉を横目に、どんどんと貝殻から身を外して行く鈴音。

 山と積まれた貝殻はシャンズが引き取ってくれた。専門の業者が買い取っていて、土壌を改良する粉に化けるらしい。


「よし出来た!虎ちゃん、通路お願い」

 剥き身だけになった桶を抱えて立ち上がった鈴音が頼むも、虎吉は不満そうな半眼で耳を後ろへ向けて反らし、尻尾で地面を叩いて返事をした。

「げ。拗ねてるやん。メッチャ可愛いやん。そんなに美味しいんやこの貝。でも私からこれ以上あげるんはなぁ……。猫神様にちょっと頂戴てお願いしたら?」

 目尻を下げた鈴音がそう言った時、虎吉は何もしていないのに通路が開く。

「うおッ!?何だこの強烈な力の渦!?」

 シャンズがギョッとして2、3歩後退り、鈴音は目をぱちくりとさせた。

「わあ、向こうから開いたで。お待ちかねやん」

「くそー、見とったか。しゃあない、猫神さんに頼んでみるわ」

 悔しそうに呟いた虎吉が通路へ飛び込み、鈴音も後を追う。


 縄張りでは早速、虎吉と白猫による話し合いが行われていた。

「ちょっとくれ」

「ンナーゥ」

「ええやないかケチ」

「ニャッ」

「ケチケチケチケチぃ」

「ンニャー!」

 神とその分身による話し合いという名の口喧嘩。

「どないしよ、可愛過ぎて辛い」

「解る。呼吸が怪しくなってくるのは何故だろう」

 ウァンナーンと頷き合った鈴音は、今の内にと桶からボウルに剥き身を移し替える。

「まだ掛かりそうだから座って待つといい」

「そうですね、失礼します」

 ポフポフともこもこ床を叩いて勧めるウァンナーンの隣に、ボウルを抱えて正座する鈴音。

 ケチとニャーの応酬を、庭で遊ぶ孫を縁側で日向ぼっこしながら見守る老夫婦のような表情で楽しんだ。

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