第百九十一話 ついて来るんかい
それから暫くの間アイとお茶を楽しんだ鈴音がそろそろ部屋へ戻ろうかという頃に、リーアンが勝手口から帰って来る。
「おかえりお父さん!」
「ただいま」
顔を輝かせて駆け寄るアイを見て、親子の会話の邪魔になってはいけないなと鈴音は立ち上がった。
「ほな私は晩御飯が出来るまで部屋に居りますね。アイさん、お茶ごちそうさまでした」
リーアンに会釈し、振り向いたアイへ手を振って階段を上がる。
「あ!こちらこそ楽しいお話をありがとうございます!後で新しいお水持って行きますね」
笑顔で頷いて2階へ向かった鈴音は、あれっきり姿を見せない神官軍団が何をしに来たのか考えた。
彼らが探していたのは間違い無く自分だが、探される理由が解らない。
神官に対しアイがわざわざ『創造神様の神殿』と言っていたから、他の神を祀る神殿も存在して、それとの差を付ける為に“神の客”を利用するつもりだろうか。
だがそもそも他の神の話など、創造神ウァンナーンから聞いていない。女性だからと気を使って治安の良い街を選んでくれるような優しい神なので、他の神が存在するなら一応は教えてくれると思う。
ただ、当初は貝を手に入れたら直ぐに帰る予定だったし、港町から出る必要も無かったので、そこまで細かい事を伝えなくても良いだろうと判断された可能性はある。
「あのコント集団から悪意は感じひんかったしなぁ」
大神官と呼ばれているらしい老人と、それを追って来たらしい神官達は、世間の常識には疎そうだったが悪い人物には見えなかった。
「どうも大神官て聞くと、大悪党か思てまう」
そっちの方が珍しいのに、と笑いながら部屋の扉を開ける。
「おお、やっとお戻りか」
虎吉とシィしか居ない筈の室内に何故か、椅子に腰掛けた金糸刺繍の白マント老人が居た。
扉を開けた格好のまま固まった鈴音は、ベッドの上でスナギツネ顔になっている虎吉へ視線を移す。
「とーらちゃんっ。この人だあれー?」
「あー、窓から外眺めとったら『神の客人が連れているという縞模様の動物!』とか空飛ぶ爺さんに言われたから」
「ほう?」
「そんな事デカい声で言われるんもあれやし、しゃあなしに窓の鍵開けて中へ入れてやったんや」
「ほほーう?」
半眼で小さく幾度か頷く鈴音へ、老人が立ち上がって歌舞伎の見得かのように掌を突き出した。
「待たれよ!そちらの動物は悪くないのだ、責めてはいかん!」
「当たり前やん猫がする事は全て正義やで責める訳ないし」
息継ぎ無しの早口で言い切られ、掌を突き出したまま老人は固まる。
「問題はお宅や。空飛ぶ爺さんに神の客がどうのこうの言われたら目立ってしゃあないから、部屋に入れたっただけやて虎ちゃん言うてるやん。何で居座るんよ。私が下に居る事ぐらい聞いたら分かるねんし、さっさと下りて来んかいな。ええ歳して常識の無い人やな」
鈴音にギロリと睨まれた老人は、固まったままダラダラと冷や汗を流し始めた。
まだ叱られるのだろうかといった様子で身構える老人を無視し、鈴音は虎吉に近付く。
「ところで虎ちゃん、どないして窓の鍵開けたん?」
「ん?簡単やったで?」
小首を傾げた虎吉は窓辺に跳び、伸び上がって閂型の鍵へ前足を伸ばした。チョイチョイと軽く触れて、器用に開けて見せる。
「あああ可愛いぃぃぃ天才やなあぁぁぁ」
仕草の愛くるしさに目尻を下げまくりつつ、鈴音は窓を開けた。
「あのー!創造神神殿の神官さん居てませんかー!」
下の路地へ向け叫ぶ鈴音に老人は『何故!?』と目を丸くし頭を抱える。
「あ、居りました?ほな探し物はここにあるて伝えて貰えます?はーい、すんませーんありがとうー」
窓を閉めて鈴音が振り返ると、老人はどうやって逃げようかと慌てていた。
「逃しませんよー。全員集めて事情説明して貰うから」
目ヂカラ全開の鈴音に逆らえず、萎萎と椅子に座る老人。
それとほぼ同時に1階から賑やかな声が聞こえて来た。
「虎ちゃん、爺さんが逃げんように見張っといてな」
「おう。動いたらゴーンいっとくわ」
頼もしい虎吉に頷いて、鈴音は1階へ。
受付前では、壁のようなリーアンを見上げて若い男性神官達がポカンとしていた。
「リーアンさんごめんなさい、その人らの探し物が何でか私のとこに来てまして。ちょっとお話しする必要が出来ました」
階段を下りながら鈴音が声を掛けると、リーアンが大丈夫かと言いたげに視線を寄越す。
「いざとなったら全員纏めて氷漬けにしますから平気ですよ」
笑顔で怖い事を言う鈴音に、ポニーテールの神官ラーが驚いて口を開いた。
「わ、我々は決して怪しい者ではなく、大神……」
大神官をと言い掛けた所で、鈴音の『余計な事は言うな』な鋭い視線に射竦められて黙る。
「とにかく上でお話ししましょか。玄関先は邪魔んなりますからね」
鈴音が掌で2階を示すと、神官達は頷いて大人しく移動を始めた。
主導権は鈴音にあるようだと理解したリーアンは安心して厨房へ戻り、こっそり覗いていたアイの肩を『大丈夫だ』と叩く。
「ホントに大丈夫?神官様が悪い事する筈無いけど、強いんでしょ?強盗とは訳が違うよね?」
手伝いに戻りながらも不安そうなアイへ、リーアンはニヤリと悪い笑みを見せた。
「あの姉ちゃんに喧嘩吹っ掛けて勝てる奴なんざ居ねえよ。なんせ商船程もありそうな船食いを一瞬で凍らせちまうんだから」
「ええ!?何それ!!そんな大きいのが出たの!?それを鈴音さんがやっつけたの!?お父さん達がやっつけたって言ってたけど違うの!?凍らせたって鈴音さんは氷の魔導士なの!?」
色んな意味で驚いたアイが幼い子供のようにリーアンに纏わり付く。
「あー、分かった分かった話してやる。だからほれ、とっとと刻め」
口が滑った、と渋い顔をしながら玉ねぎのような野菜を渡し、リーアンはアイに今日の出来事を話して聞かせた。
2階では、部屋に入る前に鈴音から注意事項が言い渡されている最中だ。
「私の連れが体調不良で寝てますんで、大声禁止。虎ちゃんが大声嫌いなんでそもそも禁止ですけども、今は特に禁止。破ったらつまみ出します」
虎ちゃんとは誰ですかと聞ける雰囲気でもないので、神官達は神妙な面持ちで頷いた。
「ほな入りますよ、静かにね」
人差し指を口の前に立てながら鈴音は扉を開けて先に入り、続いて神官達もゾロゾロと中へ入って行く。
椅子に座っている老人を見たラーは、思い切り叫びたい所をどうにか堪え、青筋を立てつつも抑えた声を出した。
「大神官様、上手い言い訳は思い付きましたか?」
その問い掛けに老人はそっぽを向いて下唇を突き出す。
瞬時にラーの青筋が増えた。
「御自分の、お立場を、考えろと、あれ程ッ」
怒りの滲む小声や、握り締めた拳がプルプルと震えている様子からも、この人はこの老人に随分と振り回されているのだな、と理解した鈴音だが、それはそれこれはこれ。
「はい、爺さんと孫の喧嘩とか付き合うつもり無いしそこで終了。で、サクッと説明して貰えます?何で私を探してたんですかね?」
「え、孫?こんなクソジジイの孫などお断りで……」
「ワシはこんな大きな孫を持つ程の歳では……」
同時にどうでもいい部分に食い付いた2人へ、鈴音は絶対零度の視線を送る。
「どっちが説明してくれるんですかね。お兄さんの方が解り易そうかな?」
ひんやりと微笑まれ、縮み上がった2人は黙って幾度も頷いた。
「大神官が神よりお言葉を頂戴したのです。縞模様の小動物を抱いた女性がガアンの街へ降り立つが、その人は神の大切な客である。彼女の行動の邪魔をする事なかれ、と」
説明を始めたラーに、似たような事を老人からも聞いたと鈴音は頷く。
「私などは、神のような力を持った女性が現れるが干渉せず好きにさせよ、という意味だろうなと受け取ったのですが、大神官は違いました。神の客人の邪魔をする不届き者が現れぬよう、おそばで見守らねば!と言い出したのです」
「え、迷惑。お兄さんの解釈が正しい」
鈴音の呟きにラーは小さくガッツポーズだ。
「筆頭神官のラーと申します、お見知り置きを。因みに大神官はシエンと申します」
「鈴音です。縞々の超絶可愛い動物が虎吉、寝てる子がシィ」
「は、心得ました鈴音様。して大神官ですが、ふらふらと出歩かれては人々を驚かせてしまいますし、何より仕事が山積みですので我々は全力でお止めしたのですが、聞く耳を持たず。結果このような事態と相成りました。誠に申し訳ございません」
胸に手を当て顎を引くラーに、鈴音も虎吉も憐れみの目を向ける。
「何となく解ったわ」
「おう、俺もや」
鈴音と虎吉は顔を見合わせ頷いた。
「結局は、仕事サボりたいお爺ちゃんの大脱走!いう事やんね?神様が私の手伝いを頼んだ訳ちゃうし」
「そういう事や。鈴音はええように使われたんやな」
会話の内容に我が意を得たりなラーに対し、大神官シエンは慌てて首を振っている。
「なんと!鈴音様を利用せんと近付く悪しき輩からお守りせねばという、ワシの純粋な気持ちを……」
「んー、間に合うてます。神様から、邪魔する奴はブッ飛ばしてよし、言われてますんで」
鈴音がグッと拳を握って見せると、シエンは遠い目になった。
「神よ、もうちょっとこう、か弱きおなごは居りませなんだか」
「あははー、よしブッ飛ばそう」
「うぐ!持病の腰痛がッ!か弱きジジイ故ご容赦!」
何だかとても残念なやり取りに、ラーを含めた神官達が恥ずかしそうに顔を覆っている。
「やれやれ。ラーさん達も大変ですね」
「ご理解頂けて嬉しいやら恥ずかしいやら」
溜息と共に肩を落とすラーが気の毒で、クソジジイ呼ばわりも仕方無いよなと納得する鈴音。
その時ベッドが軋んで、寝返りを打ったシィから心地良さそうな声が漏れた。
「……ふふ。あ、そうやラーさん、魔物の王て何かご存知ですか?」
シィが酷い目に遭わされた元凶を思い出した鈴音は、創造神の神殿なら全世界に情報網があるだろうと尋ねてみる。
しかし返って来たのはクエスチョンマークを浮かべたきょとん顔だ。
「魔物の王?はて、王を戴くような知性のある魔物など私の記憶には無いのですが。単なる群れの話でしょうか?」
「あれ?あの子、シィ君は、王様の命令で魔物の王を倒す戦士になる為の訓練いうのを受けさせられたらしくて、そこで宮廷魔導士いう奴に才能無して判断されて、森に捨てられたそうなんですけど」
子供を森に捨てるという行為に神官達が眉を顰め、ラーも厳しい表情になる。
「子供を戦士にとは……。そもそも魔物の王というのも我々には何の事やらで。鈴音様はその調査の為にいらしたのですか?」
「いえいえ。元々は主に捧げる美味しい貝を手に入れる為に来たんです。ただ、シィ君と出会うて復讐の手伝いするて約束したんで、彼を鍛えて才能開花させてから、例の宮廷魔導士をブッ飛ばしに行く予定です。せやから魔物の王とかぶっちゃけどうでも良かったんですけど、ここの街の人らがええ人やったんで、もし害になるようやったらついでにブッ飛ばしとこかなー、思たんですけど……居らんのかぁ」
異世界人の鈴音の反応はこの程度だが、この世界に生きるラー達からするとそうもいかない。
「どうもキナ臭いですね。これは調べ……」
「よし!神の客人鈴音様と共に現地へ赴こうではないか!それで万事解決!」
黙り込んでいた大神官シエンが、ラーを遮り活き活きとした顔で提案した。
「却下」
即座に首を振った鈴音にシエンが食い下がる。
「便利ですぞ、大神官。街へ入るのに並ぶ必要無し!神殿へご寄付をとかいう輩も寄って来ない!屍鬼に亡霊一撃必殺!実に快適な旅をお約束!」
「うん、でも目立つん嫌なんで。そんな派手なカッコした人とゾロゾロ歩くとか無理。あと、魂の浄化は私も得意です」
バッサリ。音が聞こえて来そうな程のバッサリっぷりにラーが『ザマァ』な顔になり、シエンは苦虫を噛み潰したような顔になった。
だがここで引き下がるような人物なら、神殿から逃げ出したりしない。
「ふふん、わかり申した。目立たなければ良いのですな?」
言いながら立ち上がったシエンは、金糸刺繍マントを脱ぐやいそいそと裏返し、再び羽織った。
「これで大神官とは分かるまい!」
どや、と胸を張る白マントのサンタ髭爺さん。
「……大神官て分からへんかったら、さっき言うてた特典がほぼ無くなりますやん」
「……しまったあ!」
冷静な鈴音のツッコミに頭を抱えるサンタ髭爺さん。
見守っていたラー達は何だかとても悲しげで、今にも辞表を提出しそうな顔をしている。
「あー、あれだ、魔法を教えるのが得意ゆえ、シィ少年を鍛えられますぞ!」
「魔法は私が教えられますね。体術は虎ちゃんが。あと欲しい先生は剣術、それも短剣を使った戦い方教えてくれる人かなぁ」
「短剣!ラーが得意ですな!よし、ワシとラーがお供すれば復讐も捗るというもの!決定!」
大神官が何言ってんだ、という皆の視線など気にもせず、シエンの中では決定事項となった模様。
「ラーさん、下で縄貰て来て縛り上げましょか?」
「いえ、ああなるともう、手遅れと申しましょうか。連れて帰っても直ぐにこちらへ舞い戻るでしょう。あれでも大神官ですので、魔法を使われたら我々に勝ち目はありません」
「え。ほな絶対ついて来るんですか?私らの行く先に?」
「はい。申し訳こざいません」
何てこった、と顔を引き攣らせる鈴音の前では、今の所残念なお姿しか拝見していない大神官様が得意気に胸を張っていた。




