第百九十話 千客万来……?
貝、の一言でシャンズは黙り、場を支配していた畏敬の念のようなものも消え去り、鈴音はホッと息を吐く。
その様子を見ながら、怪訝な顔でリーアンが口を開いた。
「姉ちゃん、かい、ってのはあれか?貝殻に挟まってて砂に潜ってるあれか?」
漁師がカイと聞いたらこれしか思い付かない、と大きな両手を合わせて貝殻のようにパカパカと動かすリーアン。
「そうですそれです。私はこの街にそれを買いにきたんです」
幾度も頷く鈴音へ、リーアンと顔を見合わせたシャンズが申し訳無さそうに眉を下げた。
「魔導士様、すまねえ、この港じゃ貝の水揚げはねえんだ」
「……え?」
目をぱちくりとさせる鈴音を見ながらシャンズは頭を掻く。
「この街の隣にある漁村で採れるんだよ。そこの朝市に並ぶのを、近くの街の料理人達は買いに行ってる」
「朝市。つまり今から行っても無い。うわー、明日の朝なら買えますかね?大量に要るんですけども」
「大量って、どんくらい要るんだ?」
シャンズの問い掛けに答えようとして、鈴音ははたと気付いた。
貝の大きさが分からないので、個数では答えられないと。
立派なホタテなら50個もあれば足りそうだが、アサリだとそれではまるで足りない。
どうしたものかと考えて、結局は氷で作った洗面器を出した。
「これに剥き身で1杯」
「うおぅ、中々の量だな。そうか、あれか、城で出す食事か何かに使うのか」
「城?いえ、主が食べます。なので品質の良いものが欲しいんですよ。いわゆる高級品というか」
鈴音をどこかの国に仕える大魔導士だと思い込んでいる人々は、『立場を明かせないんだよ』『魔法使ってくれたのは緊急事態だからだろ』『察しなよ、ホントにもぉー』とコソコソヒソヒソ、シャンズに駄目出しをする。
そもそも国お抱えの大魔導士は買い出しのおつかい等しないと思われるが、その辺の事には気付いていないらしい。
皆の声を受けて『いけねッ』と肩を竦めたシャンズは、咳払いをひとつしてから頷いた。
「よし、そんじゃ俺が今からひとっ走り行って、明日の朝の分を予約して来る。ホントは俺らが採れたらいいんだけどよ、漁具も無きゃ貝に砂吐かせる技術もねえからよ。すまねえな」
「いえいえそんな、ええんですか?場所さえ教えて貰たら自分で行きますけど……」
「何言ってんだ、港の恩人の為ならお安い御用だよ。それに、俺が行った方が事の重大さが伝わるからな。任してくれ」
ニカッと歯を見せて笑うシャンズに鈴音も笑顔となり、軽く頭を下げる。
「ほな、すんませんけどお願いします」
「おう!で、明日の朝買って来た貝は何処へ持ってったらいいんだ?」
「え?いや、それは自分で買いに……」
「ウチの客だ。どっちみち姉ちゃんとその連れしか客は居ねえから、表から入りゃいい」
鈴音の言葉を遮ったリーアンを見てシャンズは目を丸くしつつ頷いた。
「へぇ!おめぇんとこに泊まってんのか。そりゃ話が早くていいや」
「おう、キッチリ目利きして来いよ」
予約から受け取りまで全てお任せになってしまい、鈴音は『何から何まですみません』と頭を下げまくる。
「でもまあこれで貝は確実に手に入る訳やから、甘えさして貰うとして。問題は猫神様に明日の朝まで待って貰わなアカンいう事やな……。魚でも買うて繋いで貰うか?」
そこまで考えて、ふと、異世界まで貝を探しに来る羽目になった理由を思い出した。
白猫は、虎吉にだけ美味しい物を食べさせた、と言ってご機嫌斜めになってしまったのだ。
にも拘らず、この後お宿に帰れば、リーアンが腕を振るった夕食をまたしても虎吉だけが食べる。
「しもたぁ!!また拗ね……ゲフンごふン。お叱りを受けてまうやん。あー、リーアンさん!」
さっそく隣村へ行くと走って行ってしまったシャンズ組合長に代わり、買取り所職員から巨大船食いの係留について相談を受けていたリーアンが、鈴音の声に顔を上げた。
「何だ?」
「夕食、もう1食分増やして貰えませんか。動物用のお皿で、虎ちゃんに出すのと同じ内容のものを」
早足で近付いた鈴音は手を合わせて頼み込む。
「別に構わねえが、あの小っこいのが2食分も食うのか?」
「いえ、別の場所でお待ちになってはる方が召し上がります。サッと移動出来る方法があるので、お料理の品質を落とす心配はありません」
鈴音が何を言っているのかリーアンには今ひとつ解らなかったが、恩人の頼みなので深く考えるのはやめて了承した。
「わかった。動物用の皿でもう1食だな」
「ありがとうございます!」
お辞儀した鈴音は胸を撫で下ろし、これでひと安心と微笑む。
「ほな私は宿に戻りますんで、魔物の解凍が必要になったらいつでも言うて下さい」
軽く手を挙げアピールすると、警備隊と話をしていた買取り所職員が鈴音を振り向き慌てて頷いた。
「2、3日の内にはお伺い出来ると思いますので、それまでお待ち頂いても?」
「問題無いですよー。連れの回復に1週か……7日位は掛かる思てますんで」
「ありがとうございます、速やかに本部と話をつけて御覧にいれます!」
「あはは、頑張れー!」
キリ、といい顔をする魔物オタクな職員に笑い、リーアンに先に戻ると会釈して、鈴音は港を離れる。
その背中へ向け、鈴音が正体を隠している偉い魔導士だと信じて疑わない港の人々や警備隊が、控えめな声で『ありがとう!』と次々に声を掛けていた。
「あー、照れ臭かった」
当然お礼の声が聞こえていた鈴音は、照れ過ぎて赤い顔に眉根を寄せてへの字口という謎の表情になっていた顔を叩いて戻し、元気に宿の入口を潜る。
「ただいまー。漁師さんらも警備隊の人らも無事やったよー」
声を掛けながら中へ入ると、食堂内をウロウロしていたらしいアイがすっ飛んで来た。
「おかえりなさいっ!無事ってことは、船食いをやっつけたんですね!」
「うん。何やメッチャでっかい魔物やったけど、みんなで協力して倒してたわ」
頷く鈴音にアイが長く大きく息を吐く。
「良かったぁー。いくらお父さんが強くても、船食べるような魔物相手だと何が起きるか分からないから、心配で心配で」
確かに、海の上に立てる鈴音ならともかく、普通は沖で船を失えばそこで人生終了だ。
「そうやんねぇ、あんなデカいのんと戦うとか、家族は怖過ぎて見てられへん思うわ。港で漁師の奥さんらが見守ってはったけど、生きた心地せぇへんやろねぇ」
「うん、怖かったと思います。今日はどこのお家もちょっといいお酒が出たり、お肉が出たりするかも」
悪戯っぽく笑うアイに、魔物に勝つとお父ちゃんの株が一時的に上がるのかと鈴音は納得した。
「あ、わざわざ様子見に行って貰ったのにお礼も言わずにごめんなさい!ありがとうございました!お茶を淹れますから、休憩しませんか。美味しい焼き菓子もあるんですよ」
「おー、このせか……国のお茶は初めてやから楽しみ。ありがたく頂戴しよ。まずはシィ君の様子見てくるね」
厨房へ向かうアイに階段を指差し微笑んでから、鈴音は2階へ上がって行く。
「ただいまー」
扉を開けて部屋に入ると、熟睡中のシィの足元で虎吉が腹を放り出して寛いでいたので、神速で駆け寄りモフモフの腹毛に顔を埋めた。
「おう、こそばいがな」
頭だけ起こした虎吉は怒るでもなく、発作の一種と割り切って好きにさせている。
がっつり深呼吸してから顔を上げ、満足気な笑みを浮かべる鈴音。猫成分の補給が完了したようだ。
「ふう、スッキリした。ありがとう。シィ君は変わらず爆睡中?」
「ずーっとこの調子や。森ん中やとまともに寝られへんかったんやろな」
毛繕いしながらの虎吉に頷いた鈴音の中で、シィを捨てた輩への怒りが再度燃え上がる。
「シィ君の次に私も殴ろ、宮廷魔導士とかいう奴」
「うはは、そいつ身体に穴空いて真っ二つに千切れるんちゃうか」
「ぎゃー、なんちゅう怖い事を……て、そうや」
虎吉の言葉で上下半分に別れた巨大船食いを連想し、そこから貝の事を思い出した鈴音は、シャンズやリーアンとのやりとりを話して聞かせた。
「へぇー、海やったら何処でも採れるっちゅう訳ちゃうんやな。まあ、朝には手に入るんやったらええやろ」
「うん。ほんで、リーアンさんに猫神様の分の夕食も頼んどいた。虎ちゃんのと同じで、て言うたから、猫神様にしたら少な目のオヤツにしかならんやろけど」
「ええんちゃうか?俺だけ食うんがズルい、いうだけやし同じもん渡しといたら怒らへんて」
「良かった」
お墨付きを貰ってホッとした鈴音は虎吉の頭を撫でる。
「ほな休憩がてらアイさんがお茶淹れてくれる言うから、行ってくるわ。お菓子もあるらしいけど、虎ちゃんはどうする?」
「茶ぁと菓子か。肉が無いんやったら俺はええわ」
「そっか。ほんなら悪いけど私だけ頂いてきまーす」
「おう、行っといで」
寝転んだまま伸びをして脱力する虎吉に手を振り、鈴音は1階へ下りた。
食堂では既に厨房寄りのテーブルにティーポットとカップ、クッキーのような焼き菓子が用意されており、アイが笑顔で迎えてくれる。
「お待たせー。お、ええ匂いがする」
「えへへ、外国の人のお口に合うといいなぁ」
鈴音が席に着くのに合わせてお茶を注いだアイは、向かい側に腰を下ろした。
「どうぞ召し上がれ」
「はい、いただきます」
手を合わせてから鈴音がカップを持つと、飲食の前にお祈りがあるのかとアイが感心している。
何か聞かれたら、神への祈りではなく島特有の習慣だとでも答えようと思いつつ、カップを口元へ運んだ。
花のように柔らかな香りのする、渋みの少ない紅茶のような味だったので、鈴音の顔に自然と笑みが浮かぶ。
「あー……染み渡るー……」
「ふふふ、気に入って貰えて良かったぁ」
こちらもまた幸せそうな笑みを浮かべたアイが、サクサクと良い音を立ててクッキーを食べた。釣られるように手を伸ばした鈴音もワクワクしながら齧ってみる。
ミルククッキーのような優しい味だが、甘味が砂糖のそれとは違うようだ。
「蜂蜜?いや、メイプルシロップかな?んー、ちょっとちゃう」
「あっ、これはティエンの木から採れる蜜を使った焼き菓子なんです。私達はこれが普通なんですけど、外国の人はやっぱり気になりますか?」
口に合わなかったか、と心配するアイに鈴音は慌てて手を振る。
「嗅いだ事ない香りやったから、何やろなーて思ただけ。私らも樹液から作った蜜食べるし、これも美味しいよ」
「えへへ、良かった」
笑顔で平らげた鈴音に嬉しそうな笑みを見せるアイと共に、のんびりと穏やかなティータイムを楽しんでいると。
「頼もう!こちらに神のお客人が居られる筈!」
宿の入口を勢いよく開き、白地に金糸の刺繍が入ったマントを纏った、何やら賑やかな老人が姿を現した。
急いで口の中の物を飲み下し立ち上がったアイが、小走りで近付いていく。
「いらっしゃいませ!ええと、どちら様……」
どちら様ですか、と尋ねかけたアイは老人の服装を見て固まった。
「え……?創造神様の神殿の神官様……?」
「左様!神よりお言葉を賜った。この地に神の大切な客人である女性が降り立つので、その行動の邪魔をせぬようにと!」
ババーン、等という効果音が付きそうな勢いで胸を張る老人を見るアイの顔が青褪めて行く。
「か、神のお言葉、賜るって、まさか、だ、だだ、大神官様ですか!?」
「あ、しまった。それは気のせいである。ワシは只の神官である」
短めのサンタ髭をモシャモシャと触りながら、目を泳がせる老人。
ここまでのやり取りを見ていた鈴音は、仄かに神力を感じ取った事もあり、創造神ウァンナーンが神託を降ろした神官というのがこの老人かと納得した。
しかし何故わざわざ自分の元へやって来たのかが解らない。だがここで尋ねると、神の客人云々でアイを混乱させそうだ。
さてどうしよう、と鈴音が密かに唸っていると、老人がカッと目を見開いた。
「いかん!!お客人、暫しお待ちを!!直ぐに戻りますゆえ!!」
ビシ、と掌を見せてから老人は身を翻し宿を飛び出して行く。
アイと鈴音が唖然としていると、直後にまた勢いよく扉が開いた。
「失礼!こちらに、我らとよく似た格好の、白い髭が特徴的な老人が訪れなかっただろうか!」
入って来たのは、老人と同じような服装の若い男性数人。
先頭に立つ長めの茶髪をポニーテールにした生真面目そうな男性は、厳しい表情でアイに尋ねる。
「え、あの、はい」
驚いてオロオロとしているアイに代わり、鈴音が外を指差した。
「何や、『いかん!!』とか叫んで飛び出してったけど?」
「くッ!入れ違いか!おのれクソジジイ仕事は遅いくせに相変わらず逃げ足だけは速いな!!」
「ラー様、お言葉が乱れております」
部下らしき男性に小声で指摘され、ハッとした先頭の男性ラーが咳払いをする。
「いかん、クソ大神官様のせいでつい」
「ラー様、未だ余計な冠が」
「……すまない。未熟な自分が嫌になるな」
緩く首を振るラーを眺めつつ、何のコントを見せられているのだろうと鈴音は呆れ顔だ。
それに気付いたラーが胸に手を当て顎を引く。
「お騒がせして申し訳ありません。因みにですが、クソジ……っゲホ。髭の老人は何か申しておりましたか?」
「さあ?急に入ってって、彼女が創造神様の神殿の神官様ですかて聞いたら、そうや言うて。誰ぞ探してるみたいやったけど、何や慌てて飛び出してったよ?」
鈴音が適当に答えると、ラーは幾度も頷いた。
「どこか、この近辺で見つけたのかもしれないな。……せっかくのお茶の時間を邪魔して申し訳ありませんでした。失礼致します!」
全員が胸に手を当て顎を引く動作をしてから、来た時同様唐突に出て行く。
「……え、と。何だったんですかね?」
「何やったんやろねぇ。お爺ちゃんはまた戻って来るつもりみたいやったけど。あの人らに捕まったら無理かもわからんねぇ」
他人事のように言いながらお茶を啜り、美味しそうにクッキーを食べる鈴音。
まさかの大神官来訪かとパニック寸前だったアイも、マイペースな鈴音を見て『そうだ、そんな偉い人がウチに来る訳が無い』と落ち着きを取り戻した。
「よく分かんないから、父が帰って来たら変な人が来たって報告しときます」
まさかの不審者扱いをするアイに鈴音は笑いが止まらなくなる。
「ぶふふふ、うん、それでええと思う。っくく、あんな訳分からん行動取ったらどう思われるか、ちょっとは俗世間の事も知って貰お」
もしもリーアンに突っ掛かるようなら、それこそ鈴音にとって“邪魔”でしかないので、纏めて縛り上げて神殿に送り返そうと笑いながら決めた。