第十九話 開けるトコ間違えたー!!
羽ばたいて空高くまで上がり、そこからこちらへ向け滑空して来る母鳥に合わせ、鈴音は雛鳥と共に跳び上がった。
雛鳥の両足を掴む為に両腕を目一杯開いているので、バランスを取るのに思いの外苦労する。
ずんぐりとした見た目の割に、雛鳥が軽かったのがせめてもの救いだ。
「丸っこいのは殆ど羽毛なんやな……て、鳥ちゃん暴れたらアカン、うわわ」
まるで空を飛んでいるかのような高さに、まだ飛べない雛鳥が大はしゃぎしている。
嬉しそうにバタバタと羽を動かすので、鈴音は空中でリアルバランスゲーム状態だ。
「ピヨッピヨッピヨヨ」
大変といえば大変だが、耳に届く楽しげな鳴き声に、まあいいかと小さく笑った。
しかし、迫り来る巨鳥と自分達の高さが近付くにつれ、何かが変だ、と違和感を覚える。
「えーと、お母ちゃん真っ直ぐ飛んでくるー、私ら真っ直ぐ跳び上がっとるー、交わる点でドーン。ぶつかるやん。……アカンがな!!」
母鳥は上空で静止しているわけではなく、こちらへ向かって滑空している。
その進路上に真っ直ぐ跳び上がったのでは、先程の蛇の二の舞を演じる事になるではないか。
自身のとんでもない失敗に気付き、どうにかしなくてはと脳を働かせるも、雛鳥を連れた状態で出来る事など何も思い付かない。
「羽の無い生き物にとって、空中て絶望的な場所やねんな」
ふ、と格好をつけている間に、母鳥はもう目の前と言って良い所まで迫っていた。
「避ぉぉーけぇぇーてぇぇぇーーー!!」
鈴音、魂の叫び。
こちらに出来る事は何も無いので、完全に向こう頼みである。
必死の形相で訴える鈴音と、ピヨピヨ嬉しそうに鳴く雛鳥の両方を視認し、母鳥は体を横へ傾け、十分な距離を保ったまま華麗に回避して行った。
そのままゆっくりと旋回し、雛鳥と鈴音の着地点そばへ降り立っている。
「おお!!セーフ!!心配する必要無かった。お母ちゃんさすがやね!」
「ピーヨー」
「降りたって事は、説明は地上で聞いたる、て感じなんかな。頼むね鳥ちゃん!」
「ピヨ!」
結局わざわざ跳び上がった意味はあったのか、と自身の行動に疑問を持った鈴音だが、雛鳥が喜んでくれたのでよしとした。
地上では、虎吉と母鳥が緊張感を漂わせながら睨み合っている。
地球に生息する多くの猛禽類と同様、この母鳥も驚異の視力を有しているようだ。小さな虎吉をその目で正確に捉えている。
母鳥とすれば、雛鳥と仲良さげにしていた生き物はともかく、自身に暴言を吐いたこの生き物は許し難い、といったところだろうか。
そこへ、雛鳥と鈴音が帰って来た。
雛鳥の重さがある分、普段より着地の音が大き目だ。
「ただいまー。はい鳥ちゃん降ろすよー」
「ピヨ」
両足をそっと地面においてやると、雛鳥は母鳥の元へ駆けて行く。
「頼むでー……て、あれ?お母ちゃん縮んだ?」
本来なら高層ビル程はあるだろう全長が、三階建て家屋くらいになっていた。
「おう、降りてくる時に小っさなったで。ほんで何やごっつ睨まれとる」
「あはは、そら顔怖いとか言うから」
ムスッとしている虎吉を抱き上げ、雛鳥の説明で解って貰えなかった場合は全力で逃げよう、と身構えておく。
ピヨピヨと甘える雛鳥から話を聞きながら、母鳥は時折こちらを見て頷いたり首を傾げたり。
「鳥ちゃん頭良さそうやから、大丈夫とは思うけど」
「アカンかったら猫神さんと繋がるまで、逃げ回るんか?」
「そうなるよね。まさか鳥ちゃんのお母ちゃんブッ飛ばすわけにいかんし。そんな事したらまた空間がおかしなるかもしらんし、何の為に蛇さん止めたか分からんようになるもん」
コソコソと会話しながら、蛇の話が出た事で、虎吉が思い出す。
「そういや、あの玉どこ行った?あの鳥の風で飛ばされてもうたんか」
「ホンマや…………あーーー!?」
「うわビックリした何やどないした」
猫のそばで大声を上げる程、鈴音は愕然としていた。
虹色玉は暴風で飛ばされた。さて、荷物は。
雛鳥を持ち上げて跳ぶにあたりさすがに邪魔だったので、この場所へジャケットを丸めて詰めたバッグを置いて行った。それが、今は見当たらないのである。
母鳥が着地する際の羽ばたきで飛ばされたか。
「荷物もどっか行った!財布とスマホがッ!!機種変したてやで!!」
えらいこっちゃ、と虎吉を降ろして周囲を探し始める鈴音。
「カバンから飛び出してなかったら大丈夫やろ」
付き合って探す虎吉。
万が一の時は全力で逃げよう、と言っていた相手に背を向け、揃って警戒心ゼロの完全無防備状態である。
雛鳥から話を聞き終えた母鳥が顔を上げると、視界に映るのは下を向いてウロウロする挙動不審な生き物達。
何事かと目を見張る母鳥の元を離れ、雛鳥が鈴音に近付いて行く。
「ピーヨ?」
「あ、鳥ちゃん。この辺で私の荷物見ぃひんかった?ほら、カバン持っとったやろ、私」
「ピヨー」
一緒に跳んで一緒に帰って来て、その足で雛鳥は母鳥の元へいったのだから、当然見ている筈はないのだが、そんな事にも思い至らない程動揺しているらしい。
大切な物なのだろうな、と理解した雛鳥は、振り向いてピヨピヨ鳴き母鳥へ訴える。
すると、一声鳴き返した母鳥がおもむろに飛び立った。
飛ぶと同時にその鋭い目を地上へ向けた母鳥は、ほんの僅かの後、鈴音達が居る場所より随分と離れた場所の上空を、繰り返し旋回し始める。
「ピヨヨピヨッ」
雛鳥に呼ばれ、嘴が指す場所の意味を考えた鈴音は、パッと顔を輝かせた。
「あの下に落ちてるよー、て事?」
「ピヨ!」
「ありがとう!行って来る!!」
母鳥の示す円の下を捜索する事数分。
あてもなく探すより遥かに早く、鈴音は荷物との再会を果たした。
「鳥ちゃんのお母ちゃーーーん、見つけましたー!ありがとうーーー!!」
両手をブンブンと振る鈴音を確認し、母鳥は雛鳥の元へ戻って行く。
バッグに丸めたジャケットを突っ込んでいたのが幸いしてか、スマートフォンも無事だった。ホクホク顔で戻ろうとする鈴音から離れた場所で、虎吉がなにやらゴソゴソやっている。
「虎ちゃん?」
「んー?いやー、こんなトコに落ちてへんかったら、ほっといてもええかなぁとも思てんけど。まあ、今回の事もコレが原因やろし、見て見ぬ振りもなぁ思て」
言いながら前足で叩いて転がして来たのは、例の虹色玉である。
「うわ。何で荷物の近くにあるんやろ」
「何ぞ縁でもあるんか?」
「えー嫌やー、ぶつかった方はともかく、コレとは初めましてやで」
からかう虎吉に、額を押さえながら口を尖らせる鈴音は、虹色玉を拾おうと手を伸ばす。
「触るんは平気やんね?猫神様が打った凄い速さのん受け止めても大丈夫やったし」
「おう、触ったぐらいでどないかなりそうな神力はコレにも無いで」
お墨付きを貰ってから拾い、まじまじと見つめた。
「綺麗は綺麗ねんけどな。ホンマ何なんやろこの玉」
「雛は知らんでも、親は知っとるかもな?」
「よし、聞いてみよ」
鳥親子の元へ戻り、母鳥に虹色玉を見せながら尋ねたが、静かに首を振られるだけだった。
「ほなやっぱり、蛇さんしか知らんのかなぁ」
巨大蛇がポイと捨てられた方向を見ながら悩む鈴音に、虎吉はうーんと唸る。
「鈴音と同じ状況かもしらんで?鈴音は偶然当たられて、壁ぶち破った。蛇は偶然……飲み込んだ?あのデカい口やし、ポロッと入り込む事もある……かぁ?いやまあ、あったとして、玉に入っとる神力の影響受けて、凶暴化したとか。そん時に出した神力で、空間に歪みが出来て」
「虎ちゃんと私が出した神力で歪んでた、あの場所と繋がってもうた?」
「うーん、それか……蛇にも玉がぶつかっとって、鈴音ん時と一緒で魂と反応して壁ぶっ壊したんかもしらん。空いた穴のサイズと場所によったら、蛇が向こうに出て来よったんちゃうか」
虎吉の仮説に鈴音は、地面に置いた虹色玉に目をやりながら叫びのポーズだ。
「大パニックやで!怪獣映画やんそんなん。でも、後の方の仮説やと、私らの神力は関係ないやんね?」
「どうやろ。普通、成熟した世界の壁て簡単に壊れるもんちゃうからなぁ。やっぱり俺らが空間歪ましとったかもわからん」
結局自分達も原因のひとつではありそうだ、と理解し鈴音は項垂れる。
「ピヨー?」
母鳥のそばで、心配そうにこちらを見る雛鳥に、鈴音は大丈夫だと笑ってみせた。
「うっかり世界を壊す手伝いしかけた、と思て一瞬凹んだだけ。まあ、実際は蛇さんが私らの世界に行ったわけちゃうし、問題無い筈」
「ピヨ!」
よかった、と言ってくれたらしい雛鳥に頷いてから、母鳥に言わなければならない事があったのを思い出す。
荷物探しまでして貰って、このままというわけにはいかない。
「虎ちゃん虎ちゃん。鳥ちゃんのお母ちゃんに、謝っとき?」
「ん?何を?」
「もう忘れたん!?めっちゃ怒らしたのに。顔怖いて失礼な事言うたやんかー」
鈴音の指摘で漸く虎吉が『あー』と反応した。
「怖いもんは怖い」
サッと顔を横へ向ける虎吉と、イラッとした様子の母鳥。
慌てた鈴音は持ち上げた虎吉の頭に己の顎を載せ、強引にお辞儀させる。
「ぐぬぬ」
「あはははは、すんません。実は私らの住む世界では、猛禽類……鳥ちゃんのお母ちゃんのような大きい鳥さんは、この猫いう生き物の天敵で。場合によっては捕まって食べられてしまうんで、怖いんです」
鈴音の説明を幾度か頷きながら聞いていた母鳥は、理解した、とばかり、先程までとは打って変わって何だか優しい目で虎吉を見る。
「何やこらーッ!怖ないわ!俺が本気出したらどないなる思て……」
尻尾をブンブン振りつつギャーギャー喚いてはいるが、耳が伏せられているのと、蛇の時のように飛び掛かって行かないのとで、鈴音には虎吉の強がりが手に取るように解った。
実際に戦って虎吉が負ける事は無さそうだが、そういう問題ではないのだろう。
これも、人界の猫達の情報がもたらした本能なのだろうな、と母鳥共々優しい目で見つめた。
「何なんや鈴音までー!!」
癇癪を起こしたような虎吉を宥めていると、不意に馴染みのある気配に包まれる。
「あ!!」
「おッ!!」
同時に反応し、安心感のある気配が強く感じ取れる空を一緒に見上げた。
空にはポッカリと穴が空き、そこから真っ白な猫の右前足が出ている。
何かを探すようにジタバタと動いた後、スルリと引っ込んで、今度は金色の目が見えた。
穴の向こうからこちらを覗いているらしい。
どうやら鈴音達から遠い場所に通路を開いてしまったと気付いたようで、にゃー、と甲高い声が響いて来る。
「うはは、『開けるトコ間違えたー!!』て吠えてはるわ」
「かッ可愛ッ可愛いいぃぃー」
白い前足が見えた辺りから挙動のおかしかった鈴音が、完全にデレてグネグネし始めた。
鳥親子が何事かと目を真ん丸にして、不思議そうに見ている。
「どないする?通路開け直すか?」
「いや、せっかく猫神様が開けてくれはってんから、跳ぶ。あっこから帰る」
鼻息荒く空を見上げる鈴音に、虎吉はただ『おう』とだけ答えておいた。うっかり刺激すると、どさくさ紛れにまた頭やら頬やらで深呼吸されかねない。
「ピヨヨー?」
空にある通路との距離を目で確認していた鈴音は、雛鳥の声に慌てて振り向いた。
「あ、ごめんやで。お迎え来てくれはったから、帰るわ」
「ピヨ」
しょぼん、とした声で鳴き、母鳥の腹に顔を突っ込む雛鳥。寂しがっているようだ。
「わー、そんなん、こっちも寂しなるやん」
言葉通りの表情になった鈴音は、何か思い出になるような物は、と考えるが、現在の持ち物の中に渡せるような物はなかった。
「……あ!そうや、山の上が家やんね?そこまで、さっきみたいにして跳ぶ?鳥ちゃんをおウチに送ってから帰るわ」
鈴音の提案に雛鳥は素早く顔を出し、母鳥を見上げる。母鳥は優しい顔で頷いた。
「ピヨ!」
「よっしゃ!ほんなら、行こ!猫神様、もうちょっとだけ待っとって下さーい!虎ちゃん、荷物よろしく」
「おう」
近付いて来た雛鳥の両足を持ち、鈴音が大地を蹴る。
「ピヨー!ピヨー!」
猛スピードで空高く上がるのが楽しくて仕方無いらしく、雛鳥は大はしゃぎである。
何度かジャンプを繰り返して、山の麓に辿り着いた。山頂では、先に到着した母鳥が巣に降り立って待っている。
「よし、ほんならこれがラスト!それ!」
最後のひと蹴りで一気に山の天辺まで跳んだ。
バタバタと羽ばたきの練習をしながら、雛鳥は飛行しているような感覚を存分に楽しむ。
「はい、とうちゃーく」
頂上に着地し、雛鳥を巣に降ろして鈴音は笑った。
「もう落ちたらアカンで?」
「ピヨッ」
「あはは、ごめんごめん。でも、直ぐに飛べるようになるから大丈夫や。ね、お母ちゃん」
鈴音の笑顔を受けて、母鳥は大きく頷く。そして、嘴で自らの羽をゴソゴソと探り、抜けた羽根を一枚咥えて差し出した。
「え、くれるんですか?わあ、ありがとう!」
純白の大きな羽根を手に、鳥親子へ別れを告げる。
「ほな、帰ります。鳥ちゃん、またね!」
「ピヨー!」
手を振り跳び去る鈴音に、雛鳥もバタバタと羽を動かして、いつまでも見送っていた。
「はい、お待たせ!」
通路のそばへ戻った鈴音は、バッグを肩に掛け、虎吉を抱える。羽根は大きいのでそのまま手に持った。
「猫神様ー、行きますよー!」
「いつでもええで、て言うてはるで」
「ではまいります、とう!!」
掛け声と共に跳んだ鈴音は、空に開いた通路へ見事に一度で入ってみせた。
通路を抜けた先は、すっかりお馴染みのもこもこ雲。
「ただいまー!!」
虎吉を降ろして万歳した鈴音の腹筋に、大型虎サイズの白猫の頭突きが決まる。
「ぐはッ!愛が激しいです猫神様。でも嬉しいー」
喉を鳴らす白猫をデレデレしながら撫でる鈴音は、縄張り内に馴染みの無い気配がある事に気付いた。
「ん?」
「誰や?」
誰が居ても初めましての鈴音とは違い、神々と面識のある虎吉がこの反応である。
鈴音と虎吉が見つめる先には、背中に銀色の羽を生やした小柄な少女が、申し訳無さそうに立っていた。