第百八十七話 鉄壁お父さん
そういえばこの辺りに服屋はあるのだろうか、等と考えながら窓辺の椅子に腰掛けた鈴音が顔を上げると、何か言いたげに自身を見るシィと目が合う。
「どないしたん?しんどい?」
「いや、平気。それより、さっきの魔法が気になってて」
「んー?何やろ?変な事したかな」
はて、と不思議そうな鈴音にシィは信じられないという顔をした。
「いやいやいや、人ぶん投げる身体強化魔法とか、手とか足だけ凍らせる氷魔法とか、凄過ぎだって。先生はもしかしてどっかの国に仕えてんの?島出身とか言ってたけど、ホントは凄ぇ国で、先生は宮廷魔導士とかいうやつ?先生の主って、どっかの王様?」
「あははー、無い無い。もしどっかの王様に仕えてる魔法使いやったら、他所の国でプラプラしとられへんて。魔物の王様とやらが居るんやったら、何が何でも国を守れ!て言われるやん」
鈴音が笑顔で否定しても、シィは今ひとつ納得していないようだ。
「俺を森に捨てた奴が自分は宮廷魔導士だって言ってて、確かに結構凄い魔法使ってたけど。先生がやったみたいな、一瞬で凍らせたり凍らせたものを元に戻したりとかは見た事ねぇし。たぶん人投げたりも無理だし」
「成る程。お国に仕える専門家より凄いから、どっか別の国の専門家なんちゃうか思たんやね。解らんでもないけど、強い人が全員どっかの国に仕えとるとは限らんやん?」
膝上の虎吉を撫でながら言う鈴音にシィは瞬きを繰り返す。
「王様の家来になったら食い物に困んねぇし、服は貰えるし、デカい家に住めるし威張れるのに?」
「ふふ、威張る以外は私も出来るで」
「……あ、そうだった」
言われて初めて鈴音が手にした大金を思い出したようだ。
「な?王様なんかに偉そうに命令されて、よう分からん相手と戦うとか嫌やん。アイツらは悪い奴やいうんを鵜呑みにして全滅さした後で、悪いのは王様の方でした、とかなったら目も当てられへんし。魔物狩って好きに生きてる方が楽しいやん」
「そっか……」
素直に頷くシィを見て鈴音は胸を撫で下ろす。
魔法がある世界だといっても、体格差のある相手を片手で投げ飛ばすのは無理があるらしい。どうやら強化魔法には元々の身体能力が大きく影響するようだ。
シィには瞬間移動紛いの速さも見せてしまったし、田舎の島に生まれ育った者だけが使える特殊な魔法だとでも言って誤魔化しておくか、と考えた鈴音はふと気付く。
「そないいうたらシィ君も、気配探る能力やら相当な素早さやら持ってるやん?攻撃力が無い魔法も弱い言うてたけど、気配探って不意打ちするとか素早さ使てチマチマ何回も当てるとか、戦い方は色々ある思うねんけど、アカンかったん?」
鈴音の問い掛けに、シィは唸りながら天井へ視線をやった。
「訓練が、1対1で向かい合って始めるやつだったから、気配とか関係なくて。連撃はやってみたけど、当たっても効かねぇんだ。あいつらの身体強化魔法が強くて、俺の身体強化魔法が弱いから、棒切れで岩叩いてるみたいでさぁ」
それを聞いた鈴音は呆れ顔で首を振る。
「うわー、指導しとった奴アホやなー。この子に真正面からの戦いは向いてへんて。その代わり色んな役割こなせるのに」
「おう。攻撃は当てられるねんから、相手の居場所探って気配消して忍び寄って、一撃必殺したったらええねん。うはは、猫やな」
「ホンマや。人やったら何?忍者とか暗殺者とかかな。魔力はどうなんやろ?虎ちゃん分かる?」
問われた虎吉は大きな目でじっとシィを見つめた。
「んー……、綱木ぐらいあるで?」
「え?それ、めっちゃ強いやん」
ポカンとする鈴音と、キョトンとするシィ。
「シィ君、魔力めっちゃあるみたいやねんけど。魔法弱いって何でやろか。誰も教えてくれへんかったん?」
目をぱちくりとさせたシィは首を振る。
「習ったよ?その宮廷魔導士に。でも俺だけ薪に火がつくぐらいだったり、ゆるい風が吹いたりするだけだったんだ」
「生きて行くには充分やけど、戦いには向かへんね。あれー?おかしいな?教え方が下手くそなんかな」
顎に手をやった鈴音が納得のいかない表情をした所で、扉をノックする音が響いた。
「はーい、どうぞ。……まずはゴハンや、後の事は元気なってから考えよ」
「うん、わかった」
シィが頷くと同時に扉が開き、お盆を持った看板娘の小柄なアイと、彼女の父で宿の主で料理長の大男リーアンがベッドテーブル片手に入って来る。
「お待たせしましたー」
笑顔のアイはナイトテーブルにお盆を置き、シィの上体を起こしてやろうと近付いた。が、それを押しのけてリーアンが代わりにその作業をする。
丸太のような腕でシィをヒョイと起こし、腰と背中にクッションを挟んではい終了。ベッドテーブルをセットしその上にお盆を置いて、釣り鐘のような銀の蓋を開ける。
出て来たのは、ホカホカと湯気を立てる白っぽいスープだった。潰した芋のとろみとコンソメのような出汁の香りが食欲をそそる。
蓋をアイに渡したリーアンは何故かベッド脇に椅子を引いて座り、太い指でちんまりとスプーンを持った。
どうやら食べさせてくれるようだ。
「へっ?いや、自分で、自分で出来るから」
鈴音が鬼瓦熊蔵と名付けてしまうような厳ついおじさんに『あーん』させられそうになったシィは慌てふためき、スプーンをくれと手を出した。
無言で差し出したリーアンから無事にスプーンをゲットしたシィは、目を輝かせてスープを見つめる。
逸る気持ちを抑えつつスープにスプーンを入れるも、空腹と疲労で手が小刻みに震えて上手く掬えなかった。
見かねたアイが手伝おうと近付いた途端、くわ、と目を見開いたリーアンがスプーンを取ってスープを掬い、シィの口元に持って行く。
タスケテー、と横を向いたシィの視界では、鈴音が笑いを堪え切れず肩を揺らしていた。
「笑ってないで何とかしてくれよ先生」
「あっはっはっは!アカン、オモロ過ぎる!どんだけ鉄壁やねんお父ちゃん……!」
大笑いしだした鈴音を見てキョトンとするアイに対し、リーアンはムスッとしている。
「っふふ、私がやりますから、料理長はお気持ちだけで結構ですよ。ぶふふ。この子まだ15歳やし、娘さんとどないかなるとは思えませんけどねぇ」
椅子を片手にベッド脇へ寄り、フットスローの上に虎吉を降ろして笑う鈴音。
ムスッとした顔のまま鈴音にスプーンを渡すリーアンを見やり、アイが唖然としている。
「おとーさん……バカなの?」
「まあまあ。娘に悪い虫がつかんように必死なだけやから。……いうても15歳の男の子は対象外でええとは思うけど」
スープを掬ってシィの口に運んでやりながらの鈴音に、リーアンが首を振った。
「俺が15の頃はもうカミさんを意識してたからな。ガキでも油断ならねえ」
ジロリと見られたシィは食べることに集中し、雑音をシャットアウトしている。
「もー!信じらんない!女の人はお父さんの見た目で逃げちゃうから、男の人しかお客さんとして当てに出来ないのに!これじゃ常連さんが出来ない訳だよー」
とほほ、と肩を落とすアイの背中を、自分は何も悪くないという顔でリーアンが慰めるように叩いた。
アイの苦労を憐れみつつも、凸凹親子が揃う方が面白いので、このままの方針で続ければいいのになと鈴音は無責任に笑う。
そうこうしている内に、シィがスープを平らげた。
「はぁ、美味かった。ありがと。少ないかと思ったのに腹一杯だ」
「腹ペコ時間が長かったから、お腹がまだ慣れてへんねん。あと何回かこんな感じの食事で慣らして、ちょっとずつ固形物食べるようにしてったら元通りなるから」
クッションに凭れ掛かり幸せそうな表情をするシィに微笑み、急な頼みを聞いてくれたリーアンとアイに鈴音は立ち上がってお辞儀する。
「ホンマに助かりました、ありがとうございます。お手数掛けますけど、もう暫く療養食を作って貰えますか」
客に頭を下げられ、慌てたアイが胸の前で両手を振る。
「き、気にしないで下さい!勿論お客さんが元気になるまでちゃんとしますから!ね、料理長!」
「ああ。任しとけ。あんたは普通のメシでいいんだよな?」
リーアンに尋ねられた鈴音は、虎吉を手で示しつつ笑った。
「私だけやのうて彼も。虎吉も普通のゴハンを食べますんで」
「おう。食うで。熱いのんは無理やから冷ましてや。けど冷え過ぎも嫌やで」
ちょんと座って得意気に胸を張る虎吉を見て、リーアンは目を丸くする。
「ほう……!喋る個体だったか。こりゃ珍しい。熱くもなく冷たくもなくがご希望だな。解った」
「ね、いいよねー、私も虎吉みたいな動物と暮らしてみたい」
褒められた虎吉は、髭の付け根をふくふくと膨らませてご満悦だ。
「晩飯は鐘5つの頃に出来上がる。下の食堂まで来てくれ」
「解りました」
お盆とベッドテーブルを片付けるリーアンに頷いてから、はたと思い出し鈴音はアイに声を掛ける。
「そうやアイさん、この辺に服屋さんてあるかな?」
「服屋さん、どんな服を……あ、彼の?」
「そうやねん」
察しの良いアイに微笑んだ鈴音がシィを見ると、満腹になってウトウトしていた。
「あ、こらこら、ちゃんと横にならな風邪引くで」
言うが早いかシィの上体を支えながらクッションを抜き、横にならせて布団を被せる鈴音の手際の良さにアイが目を細める。
「お母さんみたい」
「ええ!?そ、そら乳幼児ならおってもおかしない歳ではあるけど、こんなデカい子供は流石に」
オバサン臭いとはよく言われるが、お母さんは初めてだ、とショックを隠し切れない鈴音にアイは大慌てで手を振った。
「違うんです違うんです、私のお母さんもよくお布団掛けてくれたなって思ったから!ええと、服屋さん、服屋さんでしたよね!店の前の道をもう少し奥に入った所に、服っていう看板出してるお店があります!行けば直ぐに分かりますから!」
必死に話題を変えるアイを遠い目で見ていた鈴音は、亡くなった母親が若かったに違い無いと無理矢理自分を納得させる。
「服、ていう看板ね。ありがとう、行ってみる。あ、そうや宿代とゴハン代はいつ払たらええかな」
「お立ちの日に纏めてで構いませんよ?」
「そうなん?」
客も禄に居ないのに大丈夫なのか、と顔に出てしまったようで、アイが悪戯っぽく笑う。
「父は腕の良い漁師でもあるので、収入はちゃんとあるんです。ウチが潰れない理由です」
「おー、漁師さん!それであんな強そうなんや。こら失礼しましたー」
おどけて笑いながら、やはりか、と虎吉とアイコンタクトを取り、折を見て美味しい貝とそれを大量に入手する方法を聞こうと頷いた。
「それでは、私は下に居ますので、何かご入用の際はお声を掛けて下さいね。お部屋の鍵はお持ちになって頂いて構いませんが、失くすのが不安でしたら受付でお預かりします」
「はい、ありがとう。出る時にアイさんが受付に居ったら預けるわ」
軽く頭を下げて出て行く親子を見送り、暫しシィの様子を観察する。
どうやら深い眠りに入ったようで、規則正しい寝息を立てていた。
「これなら大丈夫かな?トイレに起きるとしても何時間かは掛かるやんね」
「せやな。もし鈴音が居らん時にションベン言い出したら、俺がオッサン呼びに行ったろ」
「あ、見とってくれる?ありがとう。ほな大急ぎで服屋行ってくるわ。鍵は開けとくね」
よろしく、と虎吉を撫でくり回してから鈴音は部屋を出て階段を下りる。
受付にアイの姿は無かったので、そのまま宿を出た。
鈴音が服屋に向かっている頃、入れ違いで宿に人が飛び込んで行く。
「リーアン居るか!大変だ!」
厨房へ歩を進めながら声を張るのは警備隊のゴウだ。
「どうした」
のっそりと現れたリーアンを見上げながら、ゴウが外を指差す。
「船食いが出た!」
「なんだと」
リーアンの表情がそれこそ鬼瓦のように険しくなった。
「海賊船がこっちに向かってるっていうから警戒してたら、奴ら船食い引き連れてやがって。港の船に注意を向けさせて自分達はとんずらするつもりだったんだろうけど、しくじって食われた」
「船食いはそれで満足しなかったのか」
「しなかったみたいだ。遠見した漁師によれば、港の船が見つかったみたいでこっちに向かってるらしい」
ゴウの説明を聞いたリーアンは深い溜息を吐く。
「船が無くなりゃ商売あがったりだ。ったく何てモンを連れて来やがるクソ共め。アイ!ちょっと出て来る!」
大きな声を出すまでもなく、アイは受付近くに佇んで青褪めていた。
「船食いって聞こえたよ?大丈夫なのお父さん」
震える手をギュっと握り締める姿に、優しげな表情を作ったゴウが宥めようと近付く。
「大丈夫だよ、警備隊もいるし……」
「おいゴウ、何どさくさ紛れに近寄ってんだ。魚の餌にされたくなきゃ離れろ」
エプロンを外したリーアンに頭を掴まれ、今度はゴウが青褪めた。
「待て。やましい気持ちはこれっぽっちも無かった」
「ああ?アイみたいに可愛い娘に何も感じねえなんて、お前若いのに大丈夫か」
「……誰か正解を教えてくれ……」
頭を鷲掴みにされたまま遠い目をするゴウにアイが小さく笑い、父親を見上げる。
「お客さんに鐘5つには夕食が出来るって言っちゃったんだから、早く戻って支度してね?」
「おう、分かってる」
その会話を聞いてゴウは思い出した。
「そうだ、少年と小動物を抱えた鈴音という女性が来なかった?彼女、物凄い強さなんだ。あの投擲能力はきっと役に立つから、是非とも協力を願いたいんだけど」
「うん、いらっしゃったよ。2階にお通ししたけど、警備隊がお願いするぐらい強いの?そんな風には見えなかったなぁ。今はお出掛け中だから、お帰りになったら聞いてみる」
「頼んだ」
アイに笑顔を向けるゴウの頭をリーアンが引っ張る。
「よし、行こうか」
「ちょ、頭もげるから。もげたら死ぬから。おーい離してー」
「ふふ、いってらっしゃい、気を付けて」
軽く手を挙げて宿を出た2人は暫くその滑稽な姿で歩き、アイの姿が遠ざかるや真顔になった。
「いくら強くても客の手を煩わす訳にゃいかねえ。総力戦でとっとと終わらせるぞ」
リーアンの声にゴウも頷く。
「宿に居たなら話は別だけど、出掛けてるなら仕方無い。夕食遅らせちゃいけないし、大急ぎで片付けよう」
早足で路地を抜け大通りに出ると、ゴウが停めておいた2頭立ての馬車に飛び乗り2人は港へと急いだ。




