第十ハ話 虹色玉キエェェェエ!
地面ひと蹴りで二体の元へ辿り着いた鈴音は、神力がぶつかり合い振動する空間へ迷わず飛び込んだ。
攻撃を食らわぬよう、両者の動きを猫の目で耳で追い、飛び散る小石を躱しつつ、機会を窺う。
ボカスカと連撃を繰り出す虎吉と、時折吹っ飛ばされるもそれを物ともせず飛び掛かる蛇。
やはり素早さは虎吉に、耐久力は蛇に軍配が上がるように思える。
そんな二体の間にほんの一瞬出来た隙を突き、鈴音は見事なスタートダッシュを決めた。
光の帯を残す速さで近付いて、蛇の目の前から虎吉を掻っ攫う。
小脇に抱えられた虎吉はキョトンとしてから、すぐに状況を把握しジタバタと暴れた。
「こらーッ、何すんねん!」
「それはこっちの台詞やわ!」
蛇との距離をしっかりと取り、虎吉を両手で持ち上げた鈴音は、素早く額同士をくっつける。
「生態系乱すどころか、この世界自体終わらす気ぃですか虎吉さんはー」
「へ?いやそこまでには……」
「なりかけとるよ!!言い訳しない!先に喧嘩吹っ掛けたんは虎ちゃんやからね!?アカンよ!?」
「ぐぬぅ」
不満そうな虎吉に厳しく言い切って強引に抱え、蛇の様子を窺う。
雛鳥とは意思の疎通が出来たので、蛇もいけるかもしれないと考えたのだが、よく見れば目つきがどうにもおかしい。
「なんやろ……酔っ払い?目ぇ座ってもうてる感じや」
シューシュー言いながらこちらを見ていた蛇は、当初の目的を思い出したのか、おもむろに顔の向きを変え、でんと座ったままの雛鳥に狙いを定めた。
「ビヨ!?」
マジで!?とでも言っていそうな雛鳥の様子を見て鈴音は慌てる。
「ちょちょちょ、アカンアカンアカン!!」
当然、目の座った酔っ払いにそんな制止は通じない。
蛇は巨体をくねらせ移動を始めた。
「虎ちゃんはここに居って!!」
降ろした虎吉に荷物を任せ、一気に蛇との距離を詰めようと、強めに地を蹴る。
すると、間合いに入った鈴音の体温を感知したのか、前触れも無く蛇が体を起こしこちらへ動いた。
超高速で移動する鈴音の進路に、突如として巨大な柱が出現したような形になる。
「うわ!!嘘やん!!」
最早回避出来る距離でもなく、咄嗟に両腕を交差させて頭部を守り、そのまま蛇の腹あたりに砲弾紛いの威力で激突。
貫通こそしなかったものの、随分と深くめり込んだ。
「グォェ……ッ」
呻きと共に大きく開いた蛇の口から、小さな何かが飛び出すが、鈴音にそれを見る余裕は無かった。
「ぎゃー!!うわー!!やってもた!!どないしょ、生きとる!?」
分厚く硬い鱗を纏った巨大蛇にめり込んでおきながら、全くのノーダメージで立ち上がった鈴音は一人で大騒ぎだ。
神力のぶつかり合いによる空間の不安定化を止め、愛嬌ある雛鳥の危機は救ったが、神かもしれない蛇を伸してしまった。
遠くから『あちゃー』という視線を送る虎吉と、慌てふためく鈴音を心配そうに見つめる雛鳥。
その雛鳥がふと、草の禿げた地面に視線をやると、そこには謎の物体が転がっていた。
ヨタヨタと歩いて近寄り、小刻みに首を傾げながら観察する。それは、今しがた蛇の口から飛び出した物で間違い無かった。
「ピヨ、ピーヨ!」
ただ、見た事のない物だし妙な力は感じるし、こういう時は強い奴に頼るに限る、とばかり雛鳥は鈴音を呼ぶ。
心音を確かめようと蛇の腹に耳をつけ、何も聞こえない上に冷たい、という状態に愕然としていた鈴音は、雛鳥の声で我に返った。
「あ、そうか変温動物や。この世界でもそうやとええなぁ。んー、鱗も分厚いし、音聞こえんでもおかしないか。気絶しただけっちゅう事でどうかひとつ……、ん?どないしたん鳥ちゃん」
鳴き声に加えて、羽をバタバタ足をジタバタさせていた雛鳥は、鈴音の注意を引けて満足したらしく動きを止める。
「ピヨ!!」
嘴で転がっている物を指し示し、どや、とばかりふんぞり返った。見つけた事を褒めて欲しいのかもしれない。
「んー、なになに、何か見つけたん?どれどれー?」
駆け足で近付き、雛鳥が示す先を確認した鈴音は、目を見開いて三秒程固まった。
その後、ゆっくりと雛鳥に顔を向ける。
「ゴメンやけど、そのまま、そこで待っとって?くれぐれも、コレに触ったらアカンよ?」
何だか様子のおかしい鈴音に首を傾げるも、雛鳥はコクリと頷いた。
「ありがとう、すーぐ戻るから」
雛鳥へニッコリ笑ってから、真顔で虎吉の元へ戻る。
「虎ちゃん!!」
「なんや?やってもうとったんか?」
「そっちは大丈夫て信じたい。それより、あっちで鳥ちゃんがエライもん見つけてもうた」
何の話かと聞かれる前に、荷物共々虎吉を抱えて雛鳥の元へ取って返した。
「鳥ちゃんただいま。虎ちゃん、ほらアレ」
鈴音が指差す先にある物を見て、虎吉も目を見張る。
「……何であのけったいな玉が、ここにあるんや?」
そう、そこに転がっていたのは、鈴音に直撃し彼女を神界へ導く事となった、あの虹色玉だった。
近くでよく調べようと、虎吉は鈴音の腕から降りる。すると雛鳥は二、三歩後ろへ下がる。
「ん?ビビっとんのか?」
「いきなりキレて喧嘩売ってくる怖い奴、て思てるんちゃう?」
「ぐぬぬ、しゃあないやろ本能や!人界の猫の情報が猫神さんに蓄積されて、俺にも受け継がれとんねん。蛇とカラスは敵や」
他は時と場合による、と言いながら虹色玉へ近付き、じっくりと観察し始めた。
「ふーむ?んーんー、んー?」
首を傾げた虎吉が前足で触ろうとすると、雛鳥がバタバタと羽を動かして止める。
「どうしたん?」
鈴音の問い掛けに雛鳥は嘴で倒れている蛇を指し、次いで玉を指し、その後吐き戻すような仕草をした。
「……蛇がゲロったんか。見てへんかったわ。けど、臭いせぇへんな」
「私のせいやなー……。臭いせぇへんのはやっぱり神様やから?やとしたらホンマやってもうた……。あ、教えてくれてありがとう」
礼を告げながら手近の草を毟った鈴音は、葉先で虹色玉を突付いてみる。
「強力な消化液でジュワー!とかはないみたいやね」
「ピヨ」
良かった、と言っているような雛鳥に微笑み、虎吉を見やる。
「でも一応濯いで来よか?」
「おう、頼むわ」
頷いた鈴音は幅広の草を毟り、それで挟むようにして虹色玉を持った。そのままひとっ走り、川へ洗濯に向かう。
と言っても、浅く流れの緩い所に落とし、その場で毟った草で挟み軽く振り洗いしただけだが。
「はい、お待たせー」
心持ち艶を増したように見える虹色玉を、虎吉の前に置き詳しい鑑定を待つ。
今度こそ前足でチョンチョンと叩いた虎吉は、幾度か首を傾げた。
「うーん?なんやろな?同じ神さんの神力やねんけど、何やちょっとちゃうねんなー?」
「え?ほんなら、私にぶつかったんとはちゃう玉なん?」
驚く鈴音に、虎吉は頷く。
「猫神さんの縄張りからココへ飛んだわけではないみたいや。なあ鳥、こんな玉どっかで見た事あるか?」
虎吉の視線を受けて更に一歩下がりながら、雛鳥は首を振る。
「首振ったらイイエ、か?見た事無いんやな?」
雛鳥はコクリと頷く。
「そうか、無いか。ほんならここの神さんの物でもないんか……?」
その時、考え込む虎吉と見守る鈴音の後方で、音も立てずに巨大な蛇がゆっくりと体を起こし始めた。
ギョッとした雛鳥は『うしろー!!』とばかり大慌てだ。
ただ、人の耳では聞こえなくとも、猫の耳には鱗が立てる微かな音が聞こえているので、雛鳥に頷いてみせた鈴音がホッとした様子で振り向く。
「よかったぁー、生きてはったわー」
その声にか、それとも体温にか、とにかく生き物がいるという事に反応した蛇は、ぼんやりした顔で下を見た。
徐々に意識がはっきりしてきたのだろう。
虎吉を認識すると嫌そうな雰囲気を醸し出し、鈴音を認識した瞬間にオロオロと落ち着きを無くした。
「うはは、俺より怖がられとるやないか鈴音」
「うぅ……不可抗力や……でもやってもうたんは事実やもんね……ホンマすんません」
頭を下げる鈴音を不思議そうに眺める蛇からは、目の座った酔っ払いのような異常さは感じ取れない。
「あれ?蛇さん正気に戻ったような感じ?」
「ん?なんぞおかしかったか?」
「いやいや、さっきは目ぇ座ってもうてたやん。今と全然ちゃうかったで?どこ見とったんよー」
呆れる鈴音に『蛇の事なんか知らん』と開き直りながら、何かに思い当たったのか虎吉は幾度も頷く。
「ひょっとして、あのけったいな玉が関わっとるんちゃうか。おい、蛇ぃ!オマエ、あの玉……」
「キエェェェエ!!」
虎吉が蛇に尋ねようと上を向いたのと同時に、上空から甲高い鳴き声が地上へと降り注ぎ、巨大な鳥が羽を畳んで垂直に急降下して来た。
「ピヨー!」
途端に大喜びする雛鳥を見て、ついに親鳥が現れたと理解する。
しかし、それにしても。
「でっっっか!!」
蛇の頭上で羽を広げホバリングするその鳥は、両翼合わせて三百メートルはありそうな巨大さだ。
純白の羽に金の嘴と鉤爪という実に神々しい姿なのだが、その巨大さ故に残念ながら怪獣にしか見えない。
「なにラとなにラの戦いなんやろ」
鈴音の呟きは、巨大な鳥の羽ばたきによって巻き起こる暴風に消された。
この暴風に蛇は体をぐらつかせているが、鈴音と虎吉は家庭用扇風機の強めの風に吹かれている程度で平気な顔だ。
そんな中、意外な存在が一番影響を受けていた。
「ピ、ビヨ、ビヨーーーッ!?」
踏ん張り損ねた雛鳥が、コロコロと転がって行く。
「えぇーーー!?親の起こした風、防ぐ方法ないのん!?アカンやん!!」
助けるべきかと思ったが、親鳥のする事だ、何か理由があるのかもしれない、と思い直した。
例えば、蛇から遠ざける為であるとか、得体の知れない生き物達から遠ざける為であるとか。
「いやその場合大ピンチやな!?」
敵ではないと説明してくれる存在を遠ざけてどうする。
思い直すのを思い直し、慌てて鈴音は雛鳥の元へ走った。
その間に、親鳥は蛇を掴もうと鉤爪で攻撃し、それを躱しながら蛇は方向転換を図っている。
「ん?逃げる気か?おーーーい蛇ぃ!!逃げる前に教えんかい!!この玉に、見覚えないかーーー!!」
大声で呼び掛ける虎吉へ、それどころではない、という視線を寄越した事で隙が生まれ、蛇は鉤爪に捕まった。
「あ。あーあ。鈍臭いやっちゃなー。ほんで、見覚えあるんかー!?」
鈴音から受けたダメージが残っているのか、鳥に巻き付く事もせず、だらりと持ち上げられる蛇。
虎吉の問いは無視したまま親鳥に運ばれ、遥か離れた場所でポイと捨てられていた。
「くっそー、返事ぐらいしてから行けっちゅうねん。なあ鈴音。……あれ、どこ行った」
そばに鈴音が居ない事に漸く気付き、少し慌てて周囲を見回すと、随分と離れた位置で雛鳥と一緒だった。
「大丈夫かー!?なんでそんなトコ居んねんなー!」
「鳥ちゃんが飛ばされてーん。大事な保証人……人ちゃうわ、保証鳥やから、安全確保しとかんとー!」
保証鳥?と首を傾げる虎吉の背後では、親鳥が厳しい表情で羽ばたいていた。
「虎ちゃん、後ろ後ろ!!」
「ん?うわ、顔怖ッ!!」
「キ、キィィェェエエエエーーー!!」
猛禽類も猫の天敵なので、ついうっかり出た言葉なのだろうが、親鳥の怒りに火をつける結果となったようだ。
「わあ、いらん事言うたらアカン!!早よ早よ、こっち!!」
雛鳥もピヨピヨ鳴いてくれているのだが、何せ暴風の逆風である。遠く離れた距離ではまるで声が届かない。これでは雛鳥が助けを求めているかのようで、こちらが誘拐犯に見えてしまうのではないか。
全速力からの急ブレーキで、スポンと胸に飛び込んで来た虎吉を抱えながら、どうやって雛鳥の声を届けようか、鈴音は必死に考えた。
「あ、そうや!鳥ちゃん、私が持ち上げて跳ぶから、お母ちゃんの前に行ったら、命の恩人やでーってアピールしてくれへん?……あれ、お母ちゃんやんな?顔怖い言われて怒ったし」
鈴音の提案と確認に雛鳥はコクコクと頷き、さあどうぞ、とばかり立ち上がって胸を張る。
「虎ちゃんは……鳥ちゃんの背中にでもくっついとく?」
「ビョッ!?」
「……いや、ここで待っとくわ。またいらん事言いそうやし」
「ピヨー」
あからさまにホッとする雛鳥に笑いながら、鈴音は雛鳥の両足を掴んだ。
「ほな、ちょっと行ってきますー!」




