第百七十八話 漁船ちゃうかった……
鈴音と海上で立ち話をしている青年だか少年だかを見やり、綱木の喉は緊張でカラカラだ。
神力に当てられた作業員達の事は心配だが、高位も高位、海を司る大綿津見神と思われる存在を前に、許しも無く勝手な行動を取れる程強い心臓は持っていない。
早々に立ち去ってくれるよう祈りつつ動向を見守った。
「それで?何でまたこんな所で海坊主と戦ってたんだ?本来アレが出るような場所じゃないぞここ」
普通はもっと広い海に出るんだ、と辺りを見回し不思議そうなワタツミに、鈴音はハマグリに見せて貰った映像の情報も交えて事情を説明する。
「……いう訳で、海坊主の一方的な行動に、ハマグリも私ら人も振り回された形なんですよね」
話終えた鈴音がワタツミを見ると、上下の唇を内側に巻き込みパチパチと瞬きを繰り返しながら、視線を彷徨わせていた。
「どないしはったんですかオモロイ顔して。イケメンが台無しですよ」
笑いを堪えながら尋ねる鈴音をチラリと見やり、ワタツミは頭に手をやる。そのままショートボブの黒髪を指に巻き付けつつ、口を尖らせた。
「だってさー、しょーがないじゃん、海坊主は潜っちゃったら気配とか分かんないしさー。べーつにワザと見逃したワケじゃないしー」
何か拗ねてるぞ、と首を傾げた鈴音は自身が話した内容を遡り、成る程、最初にワタツミが海坊主を片付けていれば何も起こらなかった、と聞こえなくもないなと反省する。
「ですよねー。さっき私もアレが姿現すまで、何処に居るかさっっっぱり分かりませんでしたもん。海に溶け込まれたら色んな気配と混ざってしもて、見分けるのは無理ですよねぇ。ホンマ面倒臭い妖怪や思いますわ」
渋面を作って頷く鈴音に、パッと顔を輝かせたワタツミが腕組みをして胸を張った。
「そうだよなー!俺でも見つけられないんだから、鈴音が見つけられないのは仕方無いんだ、落ち込む必要はないぞ。で、蜃の幻に巻き込まれた者達は無事なのか?」
すっかりご機嫌さんになったワタツミの様子に小さく笑いつつ、鈴音は公園の方を手で示す。
「作業員さん達も上司も無事です。この後作業員さんを騙す芝居打って、上司に謎の澱の報告したら今日のお仕事終わりですね」
「ちょっと待て。何だ、騙すって。神の前で堂々と不穏な発言するなよビックリするだろ」
言葉通り目を丸くしているワタツミに、それもそうかとまたしても反省した鈴音は、一人途轍もない後悔に囚われている作業員の話と、自分の計画を話した。
「まあ、このまま放り出すんが嫌やいう私のエゴでしかないし、自分の横に奥さんが居らんのやったら意味なんかあらへんて言われるかもしれませんけど、やってみな分かりませんやん、どないなるかなんて」
微笑む鈴音を見て、ワタツミの目がキラキラと輝く。
「いいな!やろうやろう!」
「はい……、ん?やろう?」
「俺の役は?」
鼻息も荒く前のめりな神に鈴音は慌てた。
「いやいや、ワタツミ様がいらっしゃるとは思てなかったんで、登場人物は私だけです」
「じゃあ作ろう今作ろう直ぐ作ろう」
そんな無茶な、と思った鈴音はどうにかして話題を変えるべく脳をフル回転させる。
「ま、まだ作業員のオッチャン起きてへんみたいなんで、取り敢えず先に謎の澱の話を上司にしたいんですけど駄目ですかね?異世界の犯罪者が関わってたりしそうなんですよ興味無いですかワタツミ様」
一気に畳み掛ける鈴音にワタツミは目をぱちくりとさせた。
「異世界の犯罪者?何でそんなのが地球に居るんだ?」
「ほなその事情も含めて喋りますんで、向こう行きましょ?」
一本釣り成功、とほくそ笑みながら綱木の方へ歩き出す鈴音の後を、ワタツミが素直について行く。
どうやら重要な話があるようだ、と思った骸骨も虎吉を抱えたまま綱木の元へ飛んだ。
目的地にされた綱木はといえば、『何故!!こっちに連れて来る……!!』と目を見開いて固まっている。
上司の心情なぞ知る由もない鈴音はズンズン近付き、ワタツミは海水に濡れたまま直立不動の綱木を興味深そうに眺めていた。
綱木のそばへは先に骸骨が到着し、その腕に抱かれた虎吉が顔を上げると、丁度ワタツミと目が合う。
「……んん?」
何かを感じ取ったのか、虎吉を凝視するワタツミ。すると、時間経過に比例して虎吉の黒目がどんどんと面積を広げて行く。
「あれ、虎ちゃんご機嫌斜め?何でやろ……て、ワタツミ様!何してはるんですか、あきませんよ猫の顔ジッと見たら!見つめたなる可愛さなんは解り過ぎますけども!」
半歩程後ろを歩くワタツミの様子に気付き、鈴音は慌てて注意した。
「え?ああ、駄目なのか?何か気になる猫だなあと思っただけなんだ。因みにあのまま見つめ続けたらどうなった?」
「飛び掛かって来る、に一票。何せ喧嘩番長なんで」
「喧……」
聞き覚えのある単語を耳にした途端、サッと素早く鈴音の背後に隠れるワタツミ。身長差がほぼ無い上に鈴音は細身なので、何とも微妙だ。
「なんぼシュッとしてはるいうても無理がある思うんですけど」
半眼になる鈴音へ、ワタツミは後ろから小声で抗議する。
「しょーがないだろ!猫神だぞ猫神!人類皆殺しとか言い出すおっかない奴!母上が猫に化けたのかと思ったわ!説得しに行った神を視線だけで石にしたとか聞くし無理無理無理!」
「どっかの神話とゴッチャなってますよ!?猫神様に石化能力なんか無いですって!……多分」
恐らく、激怒モードの白猫の眼力に射竦められた神が居たのは事実だろう。そしてその神が他の神々に『身動き出来ぬ程に恐ろしかった』等と話した結果、派手な尾鰭の付いた話が広まったのだと思われる。
ただ、本当に石化能力を持たないのかなど鈴音自身も確かめた事はないので、逃げ道は作っておいた。
「うわ、多分て言った!眷属が多分て言った!」
ジタバタして丸見えになるワタツミに『子供か!』と心の中でツッコミつつ、大切な事を教えるべく鈴音はそっと振り向く。
「何にせよ、虎ちゃんは猫神様やのうて猫神様の分身なんで、そんな意味不明な力は持ってません」
「あ、そうなんだ?そういやそんな話チラッと聞いたっけ。何だよー、ビビって損したじゃんかー。てっきり猫神が神力抑えて顕現してんだと思ったわー。つか、分身には石化能力無いって断言するんだな」
明らかに脱力し隣に並んだワタツミへ、鈴音は真顔で頷いた。
「そんな力あったら、高層ビルみたいな大蛇に喧嘩売ったあの時に使わん筈ないですもん。蛇とカラスは敵や言うてたから、手加減する訳あらへんし。只の殴り合いしとったとこから考えて、虎ちゃんにそんな変な力はありません」
キリッと言い切られ、勢いに押されたワタツミは黙って頷く。ビルみたいな大蛇なんて何処に出たんだろう、と少しばかり疑問は持ったが、石化される心配が無いならいいやと直ぐに忘れた。
鈴音が綱木の前まで来ると、骸骨が虎吉を返しに近寄る。
その際に首を目一杯伸ばしてワタツミの匂いを確かめた虎吉は、満足そうに頷いて鈴音の腕に収まった。
「兄ちゃんがワタツミやな?鈴音の味方してくれてありがとうなあ。喧嘩売られとるんか思て飛び掛からんで良かったわ」
ニッコリ目を細める虎吉の発言に、『ほらね』と鈴音が視線を送ると『ホントだ』とワタツミは冷や汗を拭う仕草をする。
「悪かったな、見つめたら駄目だって知らなかったんだ。鈴音に力を貸すのは自分の為でもあるから、気にしなくていいぞ」
神と神の分身の挨拶が終わったので、作業員が目を覚ます前に謎の澱に関する報告を済ませよう、と鈴音は綱木を見た。ここで漸く、己の上司がガチガチに固まっている事に気付く。
「うわあ、そうやった。マユリ様ん時も固まってたやん」
呟いてアチャーと頭を掻く鈴音だが、今更ワタツミに他所で話しましょうと言える筈もない。
悩んでいても仕方が無いので、このまま進める事にした。
「ほな、謎の澱に関してワタツミ様の為に、もっかい最初から説明しますね」
笑顔で話し始めた鈴音へ向けられる、『嘘やろ!?』という綱木の視線は、残念ながら全力でスルーされた。
「ほえー、神殺しの影響がそんな形で異世界に及ぶとはなあ。じゃあ謎の澱ぶん投げた犯人か火の玉を見つけりゃ、マルッと解決って事だな」
掌と拳を打ち合わせて口角を上げるワタツミに鈴音は大きく頷く。
「ただ犯人が何処の誰か分からんので、ワタツミ様の仰った通り謎の澱消しまくって、苛つかせてボロ出させるつもりです」
拳を握って自分も頑張るとアピールする骸骨へ、ワタツミは柔らかい笑みを向けた。
「別にお前のせいじゃないんだから、あんまり気負い過ぎるなよ?」
優しい言葉を貰った骸骨は、胸を押さえて遠くを見る仕草をする。感動したらしい。
「お気遣いありがとうございますワタツミ様。疲れ気味やった骸骨さんの心に染み渡ったみたいです」
「うむうむ、苦しゅうない」
「ふふふ。そういう訳なんで、もしまた海で謎の澱が見つかったら教えて頂けますか。骸骨さんの力で過去を見たいんです」
「よし、任せろ。けど、そんな力があるなら、今まで消したヤツも場所覚えときゃよかったなあ」
腕組みをして口を尖らせるワタツミに、いやいや、と鈴音は手を振る。
「そう言って頂けるだけで充分です。徐々に正体も見えて来てる訳ですし、犯人が澱を撒き散らすん止めへん限り、捕まるんも時間の問題ですよ。私以外にも神使は居るし、強そうなオジサマも居るし、逃げられる思たら大間違いや」
ニタリと悪い笑みを浮かべる鈴音を見たワタツミは少しだけ犯人に同情しつつ、直立不動の綱木を指した。
「強そうなオジサマってコイツか?全ッッッ然動かないけど。置物じゃないよな?」
「偉大な神様を間近に見て緊張してるんです」
鈴音の答えにワタツミはご満悦だ。
「で、この綱木さんも強いんですけど、その遥か上を行くんやろな、いうオジサマに今朝お会いしまして。まあそれも上司にあたるんですけど。ご先祖が何か凄いらしいです」
「どんな先祖なんだ?」
「いやそれが、有名らしいんですけど私は知らんかったから、あんま覚えてへんのですよねー。何やったかな、漁船みたいな名前でした。ナントカ丸」
首を傾げたワタツミは『ナントカ丸ナントカ丸』と呟き、思いついた名前を口にする。
「牛若丸」
「流石に知ってますわそれやったら」
「そうかー、じゃあ何だろうなあ」
そこへ虎吉が割り込んだ。
「さっき思い出した記憶にあるで、大嶽丸や」
「おお、多分それ!いや、絶対それや、課長の名字大嶽さんやったわ」
「それでどないして忘れんねん、器用なやっちゃな」
笑う虎吉の頭を嬉しそうに撫でる鈴音を、ワタツミがポカンとした顔で見ている。
「鈴音お前、大嶽丸知らないの。妖怪ブッ飛ばすような仕事してて」
「え、この仕事してる人が知らんのはマズいお方なんですか?……あ、せやからあの時なんやスマホ弄り倒してどっかと連絡取ってたんかな!?」
ヤバいぞ何らかの査定に響くのか、と悪い顔になる鈴音に優しい海の神は教えてくれた。
「妖怪。つか、鬼。悪鬼。悪逆無道の限りを尽くして、英雄に討たれた化け物」
耳を疑う内容に鈴音の目が点になる。
「えーと、悪霊退治する人のご先祖にしては、だいぶアレな感じですね?」
「かなりアレだな。でも味方につけたら心強いんだから、別に良いんじゃないか?」
成る程、と頷いてから鈴音はハッと気付いた。
「そうか、課長は今みたいな反応が欲しかったんや。大悪党の鬼ですやん!からの、そう思うだろう?実はねえ、とかやりたかったんやわ。うわー、正体聞いた今となったらめっちゃ気になるやん。何でそんな悪い鬼の子孫が人の味方になってんの!?そもそも一族郎党皆殺しにされへんかったん何で!?国の仕事すんのに先祖が悪鬼ですとかバラして大丈夫なん!?」
鈴音の口から次々出て来る疑問に、変なスイッチ押しちゃったなあと遠い目になりつつ、一応ワタツミは答えてやる。
「一族郎党皆殺しにはなってる。でも攫われた女に罪は無いから助けただろうし、英雄が来る前に自力で逃げ出した者もいたんじゃないか?その女達が身籠ってた可能性は高いよな」
「攫われた……あぁ、そうか、そうですね。産み捨てんと育てた人もおったんですね」
「鬼の子なんか捨てたら呪われそうだから仕方無く、かもしれないけどな。まあその辺の細かい話は上司とやらに聞けばいいんじゃないか?喋りたくて仕方無いんだろソイツ」
「ええ、間違いなく」
思い切り頷く鈴音に笑い、海が震えた理由は解ったし謎の澱の話も聞いたし、切りのいい所でそろそろ帰るかとワタツミは海を見た。
「んー……、帰ろうかと思ったけど、何か忘れてる気がするんだよな」
そのまま忘れて貰おうと、鈴音は急いで新たな質問をぶつける。
「そないいうたら、何で海坊主はハマグリ食べようとしたんですかねぇ?最初は見向きもせんいうか蹴散らしとったのに」
「え?ハマグリ?あー……。ホントだな、何でだ?海坊主が蜃を食うなんて聞いた事ないぞ。ちょっと待ってろ、前後関係思い出してみる」
腕組みをしたワタツミは目を伏せ、暫し記憶の海に潜った。




