第百七十七話 海坊主vs凶暴神使
映像からハマグリが置かれた状況を理解し、綱木が頷く。
「何で急に海坊主に襲われたんかも解らんし、人は勝手に巻き込まれよるし、どないなってんねん!て腹立てとったんか」
ピンポン、正解を告げる音と共に海の映像は消えた。
成る程なと鈴音も頷く。
「更に後から人増えたし、何でやねんてビックリするのも解るかなー」
その言葉を聞いたハマグリは、またテレビ番組の場面を切り取って、綱木はともかく何故鈴音達が入って来られたのかと質問する。
首を傾げる鈴音達に代わって答えたのは虎吉だ。
「俺を連れた鈴音が綱木を探しとったからや。ああ俺な、猫神さんの分身やねん。分身と眷属が霊力強いもんを探しとるんやから、向こうの方から霊力感じるなあ思たらそら、妖力で出来た壁ぐらい越えるて。当たり前やないか。あ、骸骨は異世界の神使な。俺らについて来るぐらい朝飯前や」
なー、と骸骨に微笑む虎吉を前にハマグリは沈黙した。
当たり前やないかと言われてもどこら辺が当たり前なのかさっぱり解らないし、化け猫か何かだと思っていたのにサラッと神の分身だ等と明かされても。
怖過ぎる、と怯え切ったハマグリがまたゴリゴリ震え始める。その気持ちは痛いほど解るぞ、と憐れな妖怪に頷きつつ、綱木は眠る作業員達を見た。
「まあ海坊主は倒したらええから問題無いとして、この負の感情が出とる作業員の記憶を、鈴音さんはどうにかしてやりたいんやね」
綱木に頷いた鈴音は、ゴリゴリゴトゴト喧しいハマグリへ顔を向ける。ハイすみません、とばかり静かになるハマグリ。
「何かええ考え無い?夢やったんか、では落ち込んだままになる思うんよ。オッチャンが奥さん助けられたら良かってんけど……、いや、でもそれも夢やと余計辛いか」
今は亡き愛猫が病を克服し走り回る夢を見た朝の、言葉にならない虚しさを思い出し鈴音は首を振った。
すると何かを思いついたのか、ハマグリが映画のような映像を流し始める。
「んー?何やろタイムスリップ物かな?」
「ああホンマや、俺の若い頃に流行った映画やね。お、これは割と最近のやつちゃうか?」
1作品だけでなく、様々なタイムスリップ系の映像が流れ、それぞれから意味深長なセリフが次々と抜き出された。
『過去を変える事など出来はしない』
『お前が奴を殺してもお前の世界に変化はないぞ』
『枝分かれするんだよ。ここが分岐点さ』
『並行世界、パラレルワールドよ』
『あの方が幸せに生きられる世界があるのなら』
黙ってセリフを聞いていた鈴音は、顎に手をやり考え込む。
「今のオッチャンの人生に変化は無い。けど、パラレルワールド、もう一つの世界のオッチャンと奥さんの未来は変化した。私が未来のオッチャンからやて奥さんに伝言した事で、奥さんが生き残る世界が出来た……」
与えられたヒントを元に嘘の物語を作り出す鈴音。
あまり得意ではないが、どうにか手伝うべく綱木も考える。
「でもそうなると、それを信じさせる状況が要る思うよ?目ぇ覚めて、ああ何や夢かい虚しいな思てるとこへ、パラレルワールドが何たら言われてもなあ。陽彦やあるまいし、そうですかそら良かった、とはならんわ。俺らから上の世代は特に。怪しい宗教や思われて追い払われるんがオチやろ」
異世界大好きオタク少年な犬神の神使を例に出され、確かにこの手の話をあっさり信じるのは彼ぐらいだろうと鈴音は頷いた。
「て事はー……、並行世界について語るんは、まるで並行世界から来たみたいな、明らかに特殊な能力を持ってる人物やないとあきませんね」
にやりと悪い笑みを浮かべる鈴音を見て、綱木は楽しげに笑う。
「そうやね、瞬間移動にしか見えへん動きする女性なんか居ったら、もしかして……て思うかもしらんね」
「ですよねー。よっしゃ、後はどんだけそれっぽいセリフを言えるか……。ハマグリ、タイムスリップに関して喋ってる部分もうちょい見してー」
鈴音に請われるままハマグリが映像を出し、暫しセリフのお勉強タイムと相成った。
「……うーーーん、普段使わへん言葉ばっかりや、早よ喋ってしまわな忘れる……!」
血走った目をカッと開く鈴音を見て、ハマグリが震え骸骨が肩を揺らす。
「大丈夫か鈴音。まず海坊主やらなアカンで?地上やったら俺が代わったるけど、海やからなあ」
濡れるのはまっぴら御免だと顔に書いてある虎吉に代わり、骸骨が自身を指しながら『やろうか?』というように首を傾げた。
「あー、いやいや大丈夫やでありがとう。協力する言うたん私やし、責任持ってやるわ。それに、もしオッチャンらが現実戻って直ぐ目ぇ覚ましたら、私が海の上で暴れとる方が別世界の人っぽく見えそうやし」
鈴音の言葉にそれもそうかと納得した骸骨は、頑張れと親指を立てる。
「うん、ありがとう。ほな綱木さん、ペンダント持っといて貰えますか」
姿隠しのペンダントを鈴音から受け取った綱木が、それをそのまま首に掛けた。
「俺まで居るとややこいから、隠れとくわ」
「そっか、その方が話がシンプルですね」
頷いた鈴音がハマグリを見やり、悪ガキのような笑みを浮かべる。
「ほな、人界へ戻ろか」
その言葉を合図にハマグリが妖力を引っ込め、幻を解除した。
戻った先は、港町と人工島を繋ぐ赤い橋の近く。幸い周囲に人影は無い。
作業員達が背後の地面で眠り、ハマグリが目の前の海にザバンと大きな音を立てて落ちて行く中、虎吉を降ろした鈴音は美しい夜景には目もくれず、敵の気配を探っていた。
「今は隠れんぼ中かな?それにしても、どこの海からここまで追ってったんやろ。普通の澱ちゃうから、霊感無い人でも異様な高さの波とかに見えるやんねぇ。騒ぎになってへんやろか」
今頃ネット上は海坊主の目撃例で溢れ返っているのではと心配する鈴音に、足元の虎吉は大あくびで応える。
「誰かが何かしらの理由拵えて、珍しい現象とかなんとか言うて纏めよるやろ。妖怪やなんてまともな大人は思わへん思わへん」
虎吉の意見に、綱木も作業員達のそばへ移動しつつ大きく頷いた。
「作業員が一時行方不明になったんも含めて、ちょっと間オカルト的な騒ぎにはなるやろけど、みんな直ぐ飽きるから大丈夫やで」
自然現象で誤魔化せるこの手の妖怪の場合は、下手に隠蔽しようとしない方が早く忘れて貰えるらしい。
そういうものか、と鈴音が納得していると、東側の海が風も無いのにうねり始め、岸壁に高波が当たり飛沫が舞い出した。
「おおー、来た来たー。大型台風が東から西へ移動してるみたいやなぁ」
笑う鈴音の視界では、そこから水が湧いているかのように盛り上がった海面が、ライトアップされた橋の下を通過している。
あれが頭の天辺か、と思っていると、海面がどんどんと盛り上がり巨大な人らしき形になって行った。丁度ヘソより上が海上に出ているような格好だ。
「んー、坊主頭やから海坊主?髪の毛作るん面倒臭かったんかなぁ。もし髪の毛長かったら何て呼ばれとったんやろ」
呑気な独り言を呟く鈴音の前で、身を屈めるようにして海坊主が海中を探り始める。
直ぐに探し当て持ち上げたのは、やはりあのハマグリだった。
「はい、漁業法違反の現行犯……にはならんか?海から持ち上げただけやもんな。珍しいな思て見てただけーとかいう言い訳がまだ通用しそう?」
腕を組んで首を傾げる鈴音の声が聞こえた訳ではなかろうが、早く助けろとばかりハマグリが震える。
「あはは、ごめんごめん、ふざけとる場合ちゃうかった」
笑った鈴音が地面を蹴ると、次の瞬間ハマグリは海坊主の手を離れていた。
何処へ行ったかといえば、鈴音の右手の上。鈴音がその細腕一本で、コンビニサイズのハマグリを自身の頭上に掲げているのである。勿論、海の上で。
「情報量が多過ぎてツッコミが追いつかへん」
遠い目をする綱木の足元では、作業員達が目を覚まし始めた。
肘をついてゆっくりと身体を起こし、瞬きを繰り返しつつ辺りを見回している。夢か現か、といった様子だ。
そうして三者三様に見回しながら、偶然同じタイミングで視線を上げた。
視線の先にあったのは、一部分だけ異様な高さに盛り上がった海と、白っぽい巨大な何かが宙に浮いているような光景。
「……!?」
全員声も無く、ただポカンと口を開けて固まった。
直後、ハマグリを奪われた海坊主が両腕を振り上げながら何かを叫ぶ。
「おー、海鳴り……てこういう音かな?」
言葉でもなければ声ですらない低い音の響きに、鈴音は首を傾げつつ距離を取った。
「この感じやと、会話とか無理っぽいなぁ。何でハマグリ食べよ思たんか聞きたかったのに。まあええか、後でワタツミ様に聞こ」
頷いた鈴音はハマグリを海へ戻し、両腕を振り下ろして暴れ始めた海坊主と向き合う。
が、公園から聞こえてきた虎吉の悲鳴に気を取られ、そちらを向いた。
「ぎゃー!!水が掛かる水が掛かる!!うわー!!こっちまで来るんかい!!」
海坊主の大暴れで押し寄せた波が岸壁を越え、飛沫となって作業員達の位置まで濡らしている。
物凄い勢いで逃げた虎吉は骸骨の腕に跳び乗り事無きを得たが、作業員達は頭からずぶ濡れだし、綱木もそれなりに濡れてしまったようだ。
台風でもないのに局地的というかほんの一部分だけ大荒れの海と、有り得ない速度で走った上に何故か宙に浮いている猫。
やはりまだ夢の世界に居るのか、と作業員達は遠い目になった。
「うわわ、虎ちゃんが!……良かった無事や。ちょっとアンタ、何してんの。攻撃するなら私やろ?そんなトコで水遊びして無関係の人巻き込んどらんと、真面目にやりんか。何がしたいんか意味解らんわ」
何故か説教されているが、勿論海坊主は鈴音を狙って攻撃している。
先程から鈴音には数メートルの高さの波をぶつけているのだ。公園はその余波を被っただけである。
海坊主からすれば、大波に攫われる事も無く水に濡れる事も無く、海面に立ち続けている鈴音の存在こそ意味が解らない。
仕方がないので再び海鳴りのような叫びを響かせ、振り上げた拳で直接鈴音を殴りつけた。
バシャン、と水音を立てて海坊主の拳の中に入った鈴音は、周りに蠢く黒い靄を見てこれが只の海水ではない事を改めて認識する。
「海で亡くなった人の辛い思いか……。魂は冥界に行っても、念みたいなもんは残るんやなぁ」
天国や極楽と呼ばれるような場所で穏やかに暮らしていたり、既に生まれ変わった人もいるかもしれないのに、こんな悲しい思いだけが残るのは本意ではないだろうと鈴音は溜息を吐いた。
「サクッと片付けるか。……にしても、ワタツミ様に頂いた御力が強過ぎて、まるで勝負にならんかったなぁ。そらそうか、海の神に勝てる海の妖怪なんか居らんよね」
うんうん、と幾度か頷いた鈴音は、再度拳を振り上げる海坊主の前で魂の光を全開にする。
夜景を掻き消し海の底まで照らし出すようなその光に、振り上げた拳を解いて両手で両頬を押さえた海坊主は、今日一番の海鳴りを轟かせながら密漁船もビックリの速さで後退を始めた。
「まさか目の前に居るんが天敵やとは思わんかった?ごめんやで、ワタツミ様の御力が実戦やとどんな感じか試したかったから隠しとってん」
悪い等とはこれっぽっちも思っていない顔で笑い、鈴音は海を駆ける。
「ハマグリに手ぇ出さんかったら、こんな事にはならんかったのにね」
海を蹴って橋を跳び越え、海坊主の背後へ降り立った鈴音は握り締めた右拳を引き絞ると、目前へ迫り来る黒い靄混じりの海水を見据え、容赦無く全力で打ち抜いた。
鈴音の拳が触れた途端、海坊主の輪郭が一瞬光る。
間髪を入れず、海水ごと爆散するようにして巨大な妖怪の姿は消えて無くなった。
「ん何事だぁーーー!?」
すっかりサッパリ穏やかになった海に、若い男性の声が響き渡る。
遥か彼方から海面を滑るようにやって来たのは、ワタツミこと大綿津見神だ。
「うわ鈴音だよく会うな。で、お前か?いま何かとんでもない力で海を震わせたのは」
鈴音の前でピタリと止まったワタツミは、周囲の様子を確認しながら尋ねた。
対する鈴音は怪訝な顔で顎に手をやる。
「海を震わせた……?いえ、海坊主ブッ飛ばしただけですけど」
「ブッ飛ばした?どうやって」
「この通り魂の光全開で、思っっっ切りゴーンと」
「それだな!!それ以外無いな!!何で自分関係無いッスーみたいな顔出来るのか疑問しか湧かないな!!」
拳を振り抜く鈴音を見たワタツミが素早くツッコんだ。
「キレキレですねワタツミ様」
「嬉しくないッ!」
地団駄を踏むワタツミに拍手しながら鈴音が笑い、公園から見守る綱木は、虎吉、孔雀明王以来の衝撃に直立不動で固まり、作業員達は神力の強さに耐え切れず気を失った。




