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第百七十六話 ハマグリ危機一髪

 白い背景と、灰色の地面しかない無機質な世界に押し出された超巨大ハマグリは、大いに驚き大いに慌てたらしい。

 ピタリと閉じていた貝殻を少し開け、舌のようにも見える足を出して地面に突き刺すと、目にも留まらぬ速さで潜り始めた。

 普通はこれで逃げ切れるのだろう。

 ただ残念な事に、今回ハマグリを狙うハンターの動体視力は猫神級。おまけに出鱈目な威力の魔法が使えると来ている。

 どんなに速く動こうと丸見えだし、どれ程深く潜った所で何度でも地上へ押し上げられてしまう運命なのだ。


「はい潮干狩り潮干狩り!」

 辺りに鈴音の声が響くと、潜ったばかりのハマグリが直ぐに地面の中から迫り上がって来た。

 再び異世界の女神テールから授かった力を使い、今度は地面全体ではなくハマグリが潜った位置だけを隆起させたらしい。

 そこから、パニックになったハマグリが必死で潜り、鈴音がそれを無かった事にする、というやり取りが数回続いた。

 飽きた虎吉が大あくびした頃、鈴音が地面を凍らせて潜行を阻止。漸くハマグリは大人しくなった。


「おーい、ハマグリ?聞こえる?」

 鈴音の呼び掛けに対し、返って来たのは沈黙のみ。

「聞こえへんのか。ほな対話は不可能いう事で、焼きハマグリ決定で!」

 言うが早いか右手に轟々と音を立てる炎を出した鈴音と、楽しげに拍手する骸骨に恐れをなしたのか、ハマグリの貝殻が薄っすら開く。

 すると、白い背景に様々な幻が浮かび始めた。


『誠に申し訳ございませんでした!』

『この度は誠に申し訳……』

『全ての責任は我々に……』

『不徳の致すところ……』


 現れた幻は、背広姿で頭を下げるオジサマ達。

 どこかの経営陣に政治家に芸能人、それぞれ何をやらかしたのかは知らないが、皆が皆神妙な面持ちで頭を下げまくっている。フラッシュにご注意下さいというテロップが欲しい所だ。

「なんじゃこりゃ」

 唖然とする鈴音の前で、幻は姿を変える。

 オジサマ達が消えたかと思うと、芸能人やアナウンサー等が次々に現れた。


『わざとじゃないんですってぇー』

『あーれは仕方無いわ』

『怖い!マジで怖いんだけど!』

『早めの避難を心掛けて下さい』


 様々なテレビ番組の場面を切り取り繋ぎ合わせたらしい幻を見せられ、鈴音の表情がどんどんとスナギツネ化して行く。

「これ、何か怖い事があって逃げただけで、人を巻き込んだのはわざとやないねん、て言うてる?」

 鈴音は虎吉に話し掛けたのだが、何故か幻に赤い丸印が浮かんで『ピンポン!』と軽快な音が鳴った。

「はい正解、て言うとるな?幻で会話するつもりみたいやぞ。おもろいやっちゃ」

 虎吉は目を爛々とさせて大変楽しそうだ。

「うーん、なんぼ虎ちゃんが楽しそうでも今回はなー。見てよハマグリ。あんたの幻のせいで、あのオッチャン負の感情ダダ漏れやで?どないしてくれるんよ」

 地面に寝かされている中年作業員を指す鈴音の渋い表情を察知したのか、ハマグリはまた次々と幻を生み出した。

 繋ぎ合わせてみると、怖い事から逃げる際に偶然巻き込んだ人の記憶の中で、一番強烈な思いから勝手に幻が作り出されただけで、ハマグリが意図的に見せた訳ではないという事のようだ。


「わざとやない、の一点張り?」

 苛ついた様子の鈴音の背中をポンと叩き、綱木が前に出る。

「調査課の子は何ともなかったのに、俺だけこっちに入ってしもたんは、多分この作業員ら二人の記憶と共鳴したからやな」

 ピンポン、と音が鳴った。

「元になってんのは負の感情の作業員の記憶で、そこにもう一人の中年作業員の記憶、後は土地の記憶なんかも重なって街が再現された。そらもう、若い作業員の記憶では太刀打ち出来へん強さで。そこへ俺が入り込んだ訳やけど、後から来た異分子みたいなもんやから、けったいな位置に俺の記憶が再現されてしもたんや思う」

 綱木の説明を聞き、商店街へ続く道は確かに横断歩道が異様に長かったり、どこか変だったなと鈴音は頷く。


「それを考えると実際、わざとやないんやろな。怖い事から逃げとる最中やったみたいやし、わざわざ人閉じ込めて遊んどる余裕なんかあらへんやろ?」

 幻のオジサマが現れ『そのとーーーりッ』と答えた。

 鈴音がちょっと苛ついた顔をすると、工事現場のお辞儀看板が目の前に現れる。完全に火に油だが、虎吉に大ウケだったので事無きを得た。

「おいおい蜃さんや、鈴音さん怒らしたら俺は知らんぞ?猫神様の眷属をどうにか出来る力なんかあらへんし。何せ大妖怪クラスもビビる存在やで?おまけに大綿津見神も味方につけとると来た。お前さんの本拠地、本来やったら猫に不利な筈の海でも、無敵やな」

 腕組みをして首を振る綱木の脅しとも取れる発言を聞いて絶望したのか、ショパンのピアノソナタ、葬送が辺りに流れる。

 ハマグリの選曲に綱木は笑った。


「うん、そないならんように俺が手助けしたるから。何せ、お前さんのお陰で久々に懐かしい顔が見られたしな」

 寂しそうで嬉しそうな、何とも言えない笑みを見せる綱木を見やり、鈴音は困り顔になる。

 それに気付いた綱木は、頭を掻いて照れ笑いを浮かべた。

「あの電器屋の息子が、親友……いう言い方も恥ずかしいねんけど、そういう奴やってん。ああ、あんな顔して笑てたなて思い出せて嬉しかったわ。あの頃は今と違て、動画やら写真やら直ぐ撮れる訳ちゃうかったし、カメラ出して野郎の写真なんかわざわざ撮らへんし。覚えとるつもりでも結構忘れとるもんやなあ思てね」

「やっぱり……震災で?」

「うん。動くアイツ見て思たわ、俺ばっかり歳取ったなあて。今生きとったらどんな話しとったやろかて考えて、何や切なぁなってしもて。情けないとこ見せてごめんやで」

 そう言って笑う綱木はやはり寂しげに見えるが、それだけでは無いのだなと鈴音は納得し微笑んだ。

 家の前で泣いていたという作業員も、ひょっとしたら動く大切な人の姿を見て感極まっていたのかもしれない。喜びや寂しさ切なさ、様々な感情が涙として溢れたのかもしれない。

 後悔より懐かしさが勝ったのではと考える根拠は、負の感情が立ち上っていない事だ。


「綱木さんもこっちのオッチャンも、このまま現実に戻っても大丈夫そう。切ないけど心が温かなったなぁとか思てくれそう。でも、私が会うたオッチャンは危なそうなんですよね……。奥さんを助けられんかった、いう後悔が目に見える形で出てますもん」

 鈴音の視線の先には、作業員からユラユラと立ち上る黒っぽい靄。

「眠気に負けて倒れんかったら、今頃まだ奥さんに話し掛けてそう……て、そないいうたら眠気は何で?3人揃て爆睡やけど。身体が動かん、眠い、て言うてたよね」

 質問された虎吉は、当たり前だろうという顔をして小首を傾げた。

「そら、霊力の無いもん弱いもんが、こんな妖力の塊みたいなとこ入ったら持たへんて。綱木も言うてたやろ?早よ助けたらなしんどい思う、て」

「あー……」

 そういえば言っていたな、と骸骨を振り向くと、鈴音同様忘れていたらしく手を打って幾度か頷いている。

「まあ俺らには関係あらへんから、忘れんのもしゃあないけどな。最悪オッサンら抱えてここ吹っ飛ばしたら帰れる訳やし」

 虎吉の物騒な発言にハマグリが震えた。

 すかさず綱木がフォローに入る。


「えらいこっちゃ、選択肢の1つにお前さんごと吹っ飛ばす、いうんが有るみたいや。けど、この幻を解除して俺らを帰してくれたら、そんな目に遭わんで済む訳やね。どないやろ、サクッと解除せぇへんか?」

 地面を隆起させる力を持つ神の眷属を敵に回してまで、この幻を維持する意味はないだろう。

 皆そう思ったが、ハマグリは何故か悩んでいる様子だ。

「どないしたんや」

 綱木が心配そうに声を掛けると、ハマグリはまた震えた。巨大なので、カタカタでもガタガタでもなくゴリゴリと音を立てて震えた。

「気になる事があるなら聞くで?俺で手に負えん事やったらほれ、大綿津見神の知り合いも居るし」

 手で鈴音を示しながら説得する綱木を、虎吉が小首を傾げて見ている。

「このままやと神力に吹っ飛ばされて終わるで?俺はお前さんに死んで欲しないねん。気掛かりは何や?さっき言うとった怖い事いうやつか?」

 真剣に向き合う綱木に心が揺れるのか、ハマグリの動きが止まった。けれどまだ、幻は解除されないし、その理由も分からない。

 その時じっと綱木を見ていた虎吉が、何かを思い出したというように開いた目をキラキラと輝かせた。


「そうか、そうかそうか!あの時の若造や!いやー、やっと思い出せたわ。糞詰まりが治るいうんはこんな気分やろか。はー、スッキリした」

 ご機嫌さんで目を細める虎吉を見やり、鈴音が首を傾げる。

「どないしたん急に可愛い顔して。いや普段から可愛いけど。何かええ事思い出したん?」

「おう、綱木と初めて会うた時に、どっっっかで見た顔やなあ思てんな?けど人のオッサンに知り合いおらんしな?どーこで見たんやろかー思ててん。ほんならほれ、妖怪の説得いうアレで何やこう思い出せそうになってな、過去やら歳取ったやらいうんと、今の『お前さんに死んで欲しないねん』いうんでビカッと来たんや」

「へえー、若い頃の綱木さんを見た事あったて事?」

 鈴音の確認に虎吉は頷き、綱木はきょとんとしている。

「そうやねん。山で妖怪の説得しとったわ。デカい熊みたいな妖怪相手に、死んでくれるな、今やったら向こうの山のヌシが受け入れるて言うとる、みたいに言うてな。早よせな大嶽丸が乗り込んで来る、いう脅しも使てたな。熊みたいな奴も納得して引っ越しよったわ」

 楽しげな虎吉の話を聞いて、綱木の顔に驚きが広がった。


「あの時……山の神でも下りて来よるんかいう神力感じとったんですけど……虎吉様やったんですか」

「おお、ふたりの記憶が繋がった。それにしても、若い頃から綱木さんは山のヌシ級の妖怪説得しとったんですねぇ」

 何やらある種の感動を覚えているらしい綱木に、鈴音と骸骨が『良かった良かった』と拍手を送る。

「なあハマグリ。実績ある綱木さんの言う事聞いといたら、悪いようにはならん思うけど。ただ、幻解除する前に、このオッチャンの記憶どうにかする方法考えて。私はこのオッチャンに絶望して欲しないねん。アンタの怖い事いうんが私の力でどうにか出来る事やったら協力したるし、ええ話や思わん?」

 神の眷属の協力を得られるというのが決め手になったのか、悩んでいたハマグリはおもむろに入水管と出水管を出すと、妖力を放出して大掛かりな幻を作り出した。


 先程の街並みのようにリアルに再現されたのは、どうやら海中の映像らしい。

 周囲が砂である事と目線の高さから考えて、これはハマグリが見た景色のようだ。

「ハマグリて目ぇあったっけ?」

 鈴音の疑問に骸骨も綱木も虎吉も首を傾げる。

「妖力で見とるん違うか?」

 虎吉の意見を全員一致で採用し、何が起きるのだろうと映像を眺めた。


 すると、遠くの方から巨大な黒い柱のような物が2本、海水を掻き分けながら近付いて来るのが解る。

 柱は交互に動いてどんどん近付き、それに伴って海水は掻き混ぜられ物凄い水流を生み出していた。

「げ。このままやとハマグリが」

 鈴音が心配した通り、直ぐにハマグリが水流に巻き込まれたらしく、映像が激しく回転する。

 グルグル回って流されて、元居た場所から随分と離れてしまったようだが、取り敢えず海底に辿り着けたハマグリ。

 しかし何やら上の方からほんのりと降ってくる不穏な気配に、とても嫌な予感がする、とばかり妖力の目線が忙しなく動いた。

 悲しいかな予感は的中し、遠くからまたしても巨大な柱が2本近付いて来る。

 ただ、柱が接近する前に強大な神力が迸り、上の方にあった不穏な気配が消えた。

「ワタツミ様?」

 もしやワタツミが謎の澱を消した瞬間の映像か、と瞬く鈴音の目の前に、柱2本と大きな両手が現れた。

 その両手がハマグリを掴んだらしく、映像は一気に海面へと浮上して行く。

 サバ、と海から地上へ出たハマグリを待っていたのは、海水で出来た巨人だった。


「うわ、何なんコイツ」

 恐らく、ハマグリをハンバーガーのように持っているのだろう巨人の顔を見て、鈴音が嫌そうに呟く。

 その呟きに答えたのは綱木だ。

「海坊主やと思う」

 そう聞けば鈴音は何となく解るが、骸骨にはさっぱりである。石板にクエスチョンマークを描いた骸骨に、頷いた綱木が説明した。

「これも海の妖怪。海で亡くなった人の思いの集合体らしいねん。言うてみれば、自我を持って動く澱かな?」

「へぇー、澱が動き出すてよっぽどですね……て、ちょ、こいつ、ハマグリ食べる気!?殻ごと!?」

 綱木の説明に呑気に頷いている間に、ハマグリは大ピンチに陥っている。


 どうするのか、と間近に迫る海坊主の大きな口というか暗い空洞というかを眺めていると、突如映像が激しく揺れ出した。

 グラグラ揺れる視界に映るのは、海坊主の指らしき物。

「あ、ハマグリ噛み付いたった?」

 海中に赤い丸印が浮かび、ピンポンと軽快な音が鳴る。貝殻に指を挟まれた海坊主が、大慌てで手を振っているらしい。

 と、貝殻の間から指が抜けたようで、ハマグリは勢いよく遠くへ飛んで行った。

 やれこれで一安心と思いきや、海に落ちる前にちらりと見えた海坊主の顔は大変な怒りに満ちており、明らかにハマグリ目指して突進する構えだ。

 身の危険を察知したハマグリは、海の底へ沈む前に妖力を放出。どうにか人界と魔界の狭間に逃げ込む事が出来た。

 ところが、何故か景色が一変し、ハマグリは街中に放り出されてしまう。

 作った覚えも無い交差点のど真ん中に呆然と座ること暫し。

 図らずも人を巻き込んだらしいと気付くのに、時間は掛からなかった。

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