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第百七十五話 辛いね

 商店街を出て北へ向かった鈴音は視界に広がる幻を眺め、もしもこの中に港町全体が再現されていたら、見知らぬ作業員を探し出すのは一苦労だなと渋い顔をする。

 綱木の居た商店街のように、明らかにおかしな場所が無いと厳しそうだ。

「うーん、やってもうた。街をあんまり知らん骸骨さんには、私より更にハードル高い人探しやん。早よこっち片付けて合流せな。でもこっちもそう簡単には……」

 周辺を見回しながら走っていた鈴音が、目を丸くして立ち止まる。

 飲み屋街の大きなアーチの下に、負の感情をユラユラと立ちのぼらせた作業着の人物が倒れていたからだ。


「虎ちゃん、あれ多分そうやんね」

「おう、周りの奴らと違て実体があるな」

 慌てて駆け寄った鈴音は膝をついて声を掛けた。

「あの、大丈夫ですか!聞こえますか!」

 すると、うつ伏せに倒れている中年作業員の目が薄っすらと開く。

「んん……、寝たらアカン、早よ教えたらな……」

 掠れた声に鈴音は首を傾げた。

「え?教える?」

「おぉ、あんた、俺が見えるんか……あのな、信じられへんかもしらんけど、俺は、未来を知ってんねん。95年の1月17日、朝5時46分、大地震が起きて、この街は滅茶苦茶んなるんや」

 上体を起こし、閉じかける瞼を何度も持ち上げながらどうにかこうにか口を動かす作業員。

 その話の内容に鈴音は息を呑んだ。


 珍しく言葉が出て来ない鈴音の辛そうな表情をどう受け取ったのか、作業員は慌てて話を続ける。

「いや、このオッサン、頭打ちよったな、思うんも解るけど、ホンマやねん。……そうや、信じんでもええから、頭おかしいオッサンが、変な事言うてた、て広めてくれへんか?若い子が、ネットに書き込んだら直ぐ……あ、アカン、この時分、まだポケベルや。うわー、どないしたらええんや」

 鈴音をこの時代の人物だと思い込んでいるらしい作業員は、眠そうな顔で必死に喋りながらも、先程からずっと誰かを探すように行き交う人々へ目を向けていた。

 何かあるのかと辺りへ視線を巡らせる鈴音へ、ギュッと強く目を瞑っては開けして眠気と戦いながら、作業員は胸ポケットの手帳に忍ばせていた写真を出して見せる。


「俺のヨメやねん。こいつにだけは、どうしても、伝えたいねん。けど、俺の事見えてへんし、声も聞こえへんみたいなんや。他の奴らもそうやけど、幽霊みたいに、すり抜けよる」

 そこまで言ってから、眠そうな半眼で鈴音を見つめた作業員は、泣き笑いのような顔になった。

「……もしかして、幽霊は俺の方か?」

 その質問の答えを鈴音は持っているが、それこそ言った所で信じはしないだろう。

 どこの誰が『ハマグリが作った幻に閉じ込められてます』と言われて『おおそうやったんか!』と納得するというのだ。

 どうするのが正解か、と悩む鈴音を時折ウトウトとしながら見つめた作業員は、唐突に持っていた写真を突き出す。

「頼むわ、おねぇちゃん。ヨメに、この写真見して、95年の1月16日の夜は実家に泊まれ、て、伝えてくれ。そしたら……死なんで済むから」

「……死なんで済む……」

「そうや……家は、潰れてまう……俺は何であん時……出張なんか……頼むわ、ヨメに、もうすぐ、ここ通るから……ああ何で、動かんの……や、俺の……身体」

 一遍に喋って限界が来たのか、作業員は気絶するように眠りに落ちた。倒れる上体を慌てて支えた鈴音は、取り敢えず地面に寝かせつつ写真を手に取る。

 写っているのは、透き通った海を背景に、日差しを浴びて幸せそうに笑う若い女性だった。


「……家潰れてしもたんやったら、この写真も貴重なもんなんやろね。昔の写真は、サーバーにデータ保存しとる訳ちゃうやろし」

 呟くように言いながら虎吉を一旦地面へ降ろし、作業員の手帳に写真を返す。

「大丈夫か鈴音」

「え?ああ、うん」

 心配そうに見つめてくる虎吉に微笑んで、作業員を右腕だけで抱えても問題無いか試そうと立ち上がった。

 するとそこに、写真で見た女性らしき人物が通り掛かる。


 長い髪を揺らし、腕時計を確認して駅へと急ぐスーツ姿の若い女性は、この後何か楽しみな事でもあるのか、どこか嬉しそうな様子だった。

 そんな女性の通り道には、中年の作業員が負の感情を立ち上らせ倒れている。

 視線をほんの少し下げれば、視界に入る距離。

 けれど当然、過去の映像でしかない女性が、作業員に気付く事など無い。

 無表情の鈴音がじっと見つめる中、写真より少しだけ大人びた顔をした女性は、弾むような空気だけを残しあっという間に雑踏へと消えて行った。


「……そっか。会社の行き帰りで奥さんここの道を通るんか。せやからこのオッチャンは、ここで待ってたんや。昨日話し掛けてアカンかったから、今日もっかいチャレンジしよ思て」

 女性が消えた方へ視線を固定し立ち尽くしたまま呟く鈴音を、地面に座った虎吉が見上げている。

「無駄やのにね。声なんか届く訳あらへん。テレビに話し掛けるんとおんなじやで。もし姿が見えても誰やねんこのオッサン言われて終わりやん。言うてる事も無茶苦茶やし。誰が信じんねん街が壊れる大地震なんか言われて……ッ」

「……鈴音」

「……過去や。私が生まれる前の話や。でもあの女の人はああやって生きてて、オッチャンの奥さんで……幻やけど幻やないねん。辛いわ」

「そうか」

「オッチャン、夢かタイムスリップか解らん状況なっても、自分の事より先に奥さん助けたい思て行動してまうぐらい、心に深い深い傷あんのに……あんなハッキリした映像見てしもて大丈夫やろか」

 スン、と鼻を啜り目元を拭ってしゃがんだ鈴音は、虎吉を抱え上げて頬擦りした。慰めるように虎吉もスリスリと頬擦りを返す。


「放っといたらええのに、ホンマしゃあないやっちゃ。オッサン次第やろ、また会えただけでも嬉しい思うんか、やっぱり助けられんかった悔しい思うんかは」

 そう言いながら虎吉が下げた目線の先では、作業員の身体から負の感情の靄が揺らめいている。

「助けたいのに出来ひん何でやねん、いう焦りやら苛々かな。このままやと、現実で目ぇ覚ました後どん底に落ちそうな気がする」

 じっと靄を睨んだ鈴音は、よし、と大きく頷いて作業員を右腕に抱えた。

「ハマグリ脅してどないかさせよ。どないも出来ひん言うたら焼きハマグリや」

「おう、ええやないか焼きハマグリ」

 虎吉の目が獲物を狙う時のそれになり、ペロリと舌舐めずりをする。

「うわ可愛い。いやいや、猫に貝類は毒やねんで?まあ虎ちゃんやから関係ないけど……て、食べる前提になってもうてるやん!アカンアカン、オッチャンらの見た幻をどないかして貰いたいのに」

「うはは、調子戻ってったな?よしよし、ほな早よ駅にオッサン運んで、後の二人探すん手伝うたり」

「……うん、そうする」

 照れ笑いのようなものを浮かべた鈴音は、どうやら虎吉を随分と心配させたようだと反省し、今度美味しいホタテ貝柱でも焼いてオヤツに出そうと決めた。



 鈴音が駅に戻ると、作業員を抱えて飛ぶ骸骨が視界に入る。

「え、凄いやん骸骨さん、もう見つけたんや」

 骸骨も鈴音に気付き、こちらへ近付いて来た。

 ぐったりとした中年作業員を並べて地面に寝かせ、ハイタッチを交わす。

「こっちは偶然すぐそこで見つけてんけど、骸骨さんの方はどこに居ったん?てか、よう見つけたよね、映像とはいえ人だらけやのに」

 鈴音の質問に骸骨は石板を取り出し、さらさらと絵を描いた。

 骸骨の目には魂の有る無しが見えるので、上からザッと眺めるだけで過去映像と生きた人との違いは一目瞭然なのだそうな。

「そんな便利機能があったんや」

 驚く鈴音に頷き、更に続きを描く。

「えーと、こっちのオッチャンは……、下町の住宅街で家の前に座り込んで泣きながらウトウト……」

 そこが自宅だったのか、愛しい誰かの家だったのか。鈴音が見つけた作業員同様、四半世紀を過ぎて尚涙してしまう程の思いが、そこに詰まっているのだろう。

「辛いね……。この人もどないかして貰わな」

 鈴音の言葉に首を傾げる骸骨へ“何とかしなければ焼きハマグリ計画”を話すと、親指を立てて思い切り頷かれた。骸骨もやはり、この幻には思う所があるようだ。

「ほな後は……、綱木さんにココに居って貰て、私らで残る一人を探そか」

 賛成、と手を挙げた骸骨に留守番を頼み、鈴音はまず綱木を探しに商店街の方へ向かった。



「虎ちゃんどう?」

「近付いとる近付いとる。このまま真っ直ぐや」

 綱木は既に商店街を後にしていたが、微かに残った霊力を辿って、虎吉ナビの言う通り鈴音は西へと移動している。

「あ、居った」

 鈴音にも霊力が分かるようになった頃、中華仕様のド派手な門の手前で、無事に綱木を発見した。

「ん?あれ、鈴音さんや。どないした?もう作業員見つかった?」

 振り向いた綱木に近付き、鈴音は状況を報告する。

「……いう訳で、残りの一人は私らでザーッと探そかな思いまして」

「そうか、そら助かるわ。周りは幻やけど歩く俺の足が疲れるんは現実やからなあ。歳は取りたないでホンマ、大嶽の事えらそうに言われへんわ」

 そう言って笑う綱木は普段通りに見えなくもないが、やはりどことなく寂しそうだ。

 恐らく最初に見ていたあの電器店がそうさせているのだとは思うが、作業員達の表情を見た後では、たとえ空気の読めない馬鹿の振りをしたとしても聞く勇気は無い。

 そしてもしこの幻が、震災当時は生者も死者も助けようと霊力が尽きるまで奔走していたらしい綱木の、未だ癒えていないであろう傷口に塩を塗るような事態になっているのなら、原因の妖怪は問答無用で焼きハマグリにしてくれると怒りに燃える鈴音だった。



 綱木と連れ立って駅へ戻り、今度は骸骨と連れ立って駅を出る。

「さてと、山側はまだ殆ど見てないから、私はさっき行く筈やった異人館の方とか見てみる」

 了解したと頷いた骸骨が、空を飛べる上に魂の有無も分かる自分が他の範囲を全て受け持つ、と描いた石板を見せた。

「わあ、ええの?ありがとう!その分ハマグリは私がサクッと探し出して見せるから」

 いいね、とお互いに拍手し合ってから、それぞれ先程とは別の道を行こうとした正にその時。

 手を叩いて鈴音の注意を引き付けた骸骨が、慌てた様子で近場のビルの陰を指す。

 鈴音の位置からでは死角になっているので少し移動すると、若い作業員がへたり込んでいるのが見えた。

「え!?もう居ったやん!もしかして、さっきから居ったのに私らが気付かんかっただけ?」

「動き回っとったんちゃうか?若い分オッサンらよりは体力あるやろし」

 虎吉の予想を聞いた鈴音と骸骨が『それだ』と同意し、急いで保護しに向かう。


「おーい、聞こえるー?聞こえたら返事してー」

 膝をつき顔を覗き込みつつ19、20歳くらいに見える作業員へ声を掛ける鈴音。骸骨は作業員を驚かさないよう、ステルスモードで鈴音のそばについている。

「……だれ、や?」

 項垂れていた作業員は鈴音の声に反応し、顔を上げた。

「通りすがりの良い人です。で、何があったん?」

 他の二人同様眠そうな顔をした作業員が、緩く首を振り分からないと答える。

「仕事しとったら、急に目の前、真っ暗なって。気ぃついたら、こんな変なとこに居って。何でか、人も物も触られへんし、帰りたいな思てウロウロしとったら、めっちゃ眠たなって、身体動かんようになるし、ワケ分からん」

「あー、成る程。ほんならもう、寝たらええよ」

「え?」

 驚く作業員に鈴音はあっけらかんと言い放つ。

「だってこれ、夢やし!眠いなら寝るでええやん」

「夢……?え、あー、夢か。そっか……ほな眠いから寝るわ。起きとっても、どうせ何も触られへんし……」

 眠気が限界だったのか、若い作業員は鈴音の言葉をあっさり受け入れ、そのまま眠りに落ちた。


「おー、素直。……いうか、疲れ果ててたんかな。昨日から何も食べてへんやろし。しんどかったやろなぁ」

 骸骨に抱えられて浮き上がる作業員を見ながら、鈴音は気の毒そうな顔になる。

「唯一不幸中の幸いかな思えるんは、震災前の街に思い入れとか無いみたいやから、この人はこのまま起きても問題無さそうやいう事ぐらいかなぁ」

 確かに、と頷く骸骨の後について駅へ戻ると、待っていた綱木の目が点になった。

「早ない?」

「はい。直ぐそこに居ったもんで」

 頷く鈴音と骸骨が寝かせる作業員とを見比べ、綱木は遠い目になる。

「知らん間に、任意の人を引き寄せる力とか身につけてるん違う?」

「あはは、何ですかそれ」

 無い無い、と笑ってから、鈴音が表情を引き締めた。


「ほな、作業員さんらの安全は確保した訳ですし、ハマグリ狩り……呼び出しましょか」

「狩る気ぃやったんかい。因みに、呼び出すてどうやって?」

 場合によっては止めなければと身構える綱木と、興味津々な様子で答えを待つ骸骨。

 虎吉を撫でつつ、鈴音は悪い笑みを浮かべる。

「この中で神力をちょっと使うくらいは大丈夫ですよね?」

「ちょっと、がどのくらいかにもよるけど、大丈夫やとは思うよ」

「ふふふ。ほんなら問題無くいけそうです。ハマグリが隠れる場所いうたら砂の中ですよね?それは、この幻の世界でも同じや思うんですよ」

 笑う鈴音から漏れ出る神力。

「なあハマグリ、幻の世界なら安心や思たら大間違いやでー。イメージの具現化なら負けへんのや!」

 そう叫んだ鈴音が右手を突き出すと、街中の地面が一斉に隆起する。

 それと同時に、行き交う人々も夜景を作り出していた建物も、正に幻の如く消えて無くなった。

 視界に広がるのは一気に嵩上げされた平らな地面。

 そこに、平均的なコンビニエンスストアぐらいの大きさがある巨大ハマグリだけが、ポツンと取り残されていた。

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