第百七十三話 一大事
一時停止が解けると同時に、澱の着水を見届けた犯人が海に背を向けて走り出す。
鈴音と骸骨は勿論後を追った。
時刻は早朝5時過ぎ。昇り始めた朝日が街に陰影を生み出して行く。
そろそろ過去視の範囲から出てしまうので、再度この辺りでかけ直さなければならない、と骸骨が石板を見せ鈴音が頷いた所で、犯人の姿が消えた。
「……は?」
足を止め周囲を見回した鈴音は、ほんの一瞬目を離しただけなのにと頭を掻きつつ、骸骨に巻き戻しを頼む。
頷いた骸骨が映像を巻き戻すと、後ろから来た犯人がふたりの横を通過して行った。
よし今度こそと追い掛けたが、角を曲がったと同時に姿を消され、揃って首を傾げる。
その場に留まって巻き戻してみるも、犯人が角を曲がった途端に幻の如く消え去る、という事実を突き付けられただけで終わった。
「えーと?これは?犯人も澱でパワーアップしてるパターン?いや、身体から黒い靄出てなかったけど?」
先日捕まえたストーカー天狗は、謎の澱に触れた後は体に黒っぽい靄を纏っていたと記憶している。ここで消えた犯人にその現象は見られなかった。
「元々何か瞬間移動的な技が使える人?超能力者とか?」
そんな力がこの世界に存在するのかは、綱木や大嶽に尋ねるとして、今はとにかく犯人の行方に関する手掛かりを探さねばならない。
落ち着け、と自身の両頬を引っ張る鈴音。その肩を骸骨が叩いた。
示された石板を見ると、あの犯人から火の玉の気配がしたと描かれている。
「うわ、やっぱり関わりがあるんやね。犯人の家にでも隠れとるんやろか。んー、もし瞬間移動出来る奴やったら結果は同じかもしらんけど、犯人がここへ来る道程を遡ってみる?」
今見た光景とは逆に、ここへポンと現れるだけかもしれないが、全く違う行動を取っている可能性も無いとは言えない。
鈴音の提案に頷いた骸骨は一旦過去視を解除し、ふたり揃って元の砂浜へ戻る。
再び青白く光る円で自分達をガードしながら、骸骨は過去視を発動した。
一度大雑把に巻き戻し、どちらから現れたかを把握して順番に辿って行こうと考えていたのだが。
「え。松林から湧いて出たで」
鈴音の言う通り、犯人は砂浜に沿って植えられた松林からいきなり出て来た。
そこから更に巻き戻して周辺を確認しても姿は無く、街中で消えた時とは反対に突如として林の中に現れるのだ。
「意味解らん。こんな近くに出られるんやったら、帰る時もこっから帰ったらええやん。何で住宅街の方まで走ったんよ」
猫なら瞳孔全開で尻尾が床を叩いていそうな鈴音を、骸骨がまあまあと両手を上下させて宥める。急いで石板を取り出して、行きと帰りで何か違う所が無いか調べよう、と間違い探しのような絵を見せた。
「そっか。確かに、こっちから帰られへん理由があったんかもしらんよね。骸骨さんナイス」
ハイタッチを交わし、まずはこのまま再生して一連の流れを見る事にする。
暗がりから現れた犯人は素早く周囲を見回して砂浜へ走り出ると、右手に持っていた澱を海へ向かって投げた。
投げ終えた直後、一瞬何かを警戒するように横を向いてから、海に背を向けて走り出す。
それとほぼ同時に、砂を踏む軽快な足音と規則正しい呼吸が近付いて来た。
「早朝ランニングやね。犯人は松林に入り込む不審者として記憶に残りたなかったんかな」
そう呟きつつ後を追うと、先程は犯人に集中していた為見落としていたものが、次々と目に留まる。
「他にもランナー居るなぁ。お、車や。あっちは犬の散歩してはるわ、早起きなわんこやなー。成る程、意外と多い他人の目ぇを気にしてるんか。確かに朝日も昇ってったし、人前でフッと消える訳にもいかんよね。散歩中の犬もビックリして臭い覚えそうやし」
小さく笑う鈴音の言葉に、犬との相性が悪い骸骨が思い切り頷いた。姿を隠していても吠えられたり追い掛けられたり、碌な目に遭わないらしい。
犯人も同じように考えたのかは解らないが、角を曲がり人や犬の目が無くなると、片足が建物の影を踏んだ瞬間にその場から姿を消した。
「んー、妖怪にまで影響及ぼせる澱が作れて、瞬間移動まで出来るのに、人目を気にして動く犯人かぁ。何か理由あるんやろか。私やったらあの格好に眼鏡とマスク追加して、家から直接砂浜に出て澱投げてそのまま家に戻るけどなぁ。もし砂浜に人がおって大騒ぎなっても、顔わからん限りバレへんやんねぇ」
この犯人もキャップを目深に被っているし、パーカーのフードも被っているから、薄暗ければ顔は殆ど分からない。澱を投げ終えた段階ならランナーはまだ遠かったのだし、何故気にせず瞬間移動しないのかと鈴音は不思議に思う。
そこまで考えてから、嫌そうに眉根を寄せた。
「ああそうやった、顔や顔。顔がハッキリわからんかったんや。多分、10代後半の男の子やとは思うねんけど、眉毛隠れとるし喉も隠れとるし……あ、手ぇ見てへんかった。骸骨さん、もっかい頼んでええかな?」
両手を合わせる鈴音に勿論だと頷いた骸骨が過去視を掛け、角を曲がる直前で止める。
「ありがとう。どれどれ、ああ、うーん?……微妙。手首はしっかりしてるけど、指は細いし爪もキレイやし。えーと肩幅は?うん、男っぽい。けど、そう見えて実は、いう事もあるしなー」
要するに、男性だと思われるが女性である可能性を完全に排除出来る程の特徴が無い、というか隠されてしまっている状態だった。
「ごめん骸骨さん、せっかく見せて貰たけど、多分男やと思うとしか言われへんわ」
謝る鈴音に、この服装では仕方無いと言うような仕草をして骸骨は過去視を解く。
「結局ハッキリしたんは、瞬間移動出来る人と火の玉が関わってる、いう事だけかぁ……て思たけど瞬間移動なんて私らでも出来ひんねんから、かなりの特徴やんね?」
凹みかけるも持ち堪えた鈴音に拍手しながら骸骨は頷き、犯人と火の玉に繋がりがあると確定したのも大きい、と描いた。
「うん、ホンマや。あいつ見つけたら同時に火の玉も捕まえられるもんね。よし、後は澱の分析で何か分かるかもしらんし、この結果を課長に報告しよ。あ、そうや骸骨さん犯人の姿をスケッチ出来ひん?過去の映像写真に撮れたらええねんけど、無理やんね?せやから絵を写真に撮って送りたいねん、頼まれへんやろか」
骸骨は任せろと親指を立てて、サラサラと犯人の前、横、後ろ姿を描き上げる。
写真かと見紛う程の出来に鈴音は大興奮だ。
「天才?凄いわー、普段の可愛い絵とのギャップがまたええわー、絵心あるって素晴らしいなー」
褒めちぎられて照れまくる骸骨が石板だけを実体化させて地面に置き、鈴音はそれをスマートフォンのカメラで撮影した。
「オッケーありがとう。ほんならこれと犯人の様子を課長に送って……よし。また地道に謎の澱探して犯人がボロ出すんを狙います、っと」
メッセージを送信すると、直ぐに返信が来る。
「瞬間移動は超能力者でも使えない、火の玉か神力が影響してるのかも、引き続き頑張ろう、焦らなくてOK、絵ウマすぎてビビる、やて。ありがとうございます頑張ります、と」
大嶽にまで絵を褒められて骸骨は更に照れた。それを微笑んで眺めつつ、鈴音は今後について考える。
「んー、思てんけどさぁ、犯人が瞬間移動使いやったら、謎の澱はもっとあっちこっちでアホ程見つかるんが普通ちゃう?せやのに、それっぽい悪霊がちらほら出るとか、全国の海に浮いてたいうても人の目には留まらん程度とか、数少なない?あんまり一遍に作られへんのかな。となると、ばら撒いてみたものの効果が薄かった海とか、街中の変な場所にはもう置かへんかもしらんよね」
確かに海にケーキが浮かんでいても取ろうとは思わないだろうし、人目につき易い街中に金の延べ棒が落ちていても、一般人が反応しなければ霊力のある者も引っ掛からないだろうから、効率の悪さは解った筈だと骸骨も同意した。
「あの犯人に意思があるなら最初に意見してる思うねんけど、してたら海に澱は浮いてへんやろから、操られてるか乗っ取られてると考えた方がええやんね。となると、今後もまだ変な場所に仕掛けられるかな?どこが有力やろ。海の次は山ん中とか?そんな人が寄り付かん場所に仕掛けてくれたら、虎ちゃんや黒花さんに頼んで臭い覚えて貰うとか出来そうやねんけどなー」
黒花さんは犬神様の神使ね、と説明する鈴音に成る程と頷いた骸骨は、自分が住む世界やそこに暮らす人々の様子を思い浮かべる。
そういえば山にある遺跡を巡るのが人気だったような、と石板に描いて見せた。
「おー、山の遺跡ね!それやったら城跡とかが狙われるやろか。後はー……異世界人からしたら山ん中にある廃墟も似たようなもんかな?」
廃墟は廃墟と認識するだろうが、何らかの意味があって残していると思うかもしれない、と骸骨は描く。
「そっか、ほな仕掛ける場所として狙うかもしらんね。よーし、そしたら他の場所は全国の職員の皆さんに探して貰て、私らは城跡やら廃墟やらを中心に探そ。いや、課長にも言うとこかな。山に城跡や地元で有名な廃墟があったら、幻見ても触る心配の無い人に見に行って貰て欲しい、とか」
それは良い考えだと骸骨にも勧められたので、鈴音は早速メッセージを送った。直ぐに、実力者達に指示すると返信が来る。
「よっしゃ、これで今出来る手は打ったやんね?ほなこの後は通常の澱掃除しつつ山の様子も見て回る事にするわ」
では自分は別の地域を探してみる、と骸骨が頷き、成果は帰宅してから話そうという事で、それぞれ別の山を目指して一旦別れた。
さてそうは言ったものの、街中に吹き溜まる澱は大量で、いくら鈴音でも昼までに片付けて午後からは山、といった具合には行かない。
午後4時頃まで掛かって澱掃除を済ませ、漸く近場の山へ行く事が出来た。
この山にあるのは有名な廃墟ホテルだ。しかしここは防犯対策等も施しきちんと管理されている為、もし瞬間移動で内部に不法侵入した犯人が澱を仕掛けても、引っ掛かる人はいないだろう。
それでも一応、と外から気配を探ったが、怪しい反応は無かった。
では隣の山のロープウェイ跡だな、と山道を物ともせず走ったものの、見事に迷う。
「うーん、山なめとった。もう時間も時間やし明日出直すんが正解やな」
普通の人なら完全に遭難と呼べる状況も、鈴音なので勿論問題無い。その場でピョンと飛び上がって街の方向を確認すると、イノシシが避ける勢いで駆け下りて行った。
跳んで走って骨董屋に戻った鈴音は、店のシャッターが下りている事に目を丸くする。
「あれ?まだ17時前やんね?どっちの仕事か分からんけど、遠出せなアカン用事でも入ったんやろか」
スマートフォンで生活健全局アプリのマップを開き、綱木のアイコンを探した。
「えーと、あった。午前中、私らが地下の検査所に居る頃に悪霊退治して澱ひとつだけ掃除して……その後一切何の動きも無いやん」
綱木は骨董屋としての仕事もこなさなければならない為、澱掃除の量が少ない日もあるにはある。ただそういった日はだいたい店に居るし、買い付けに行く場合は鈴音にそう伝えてから出掛けるのだ。
中途半端に澱のひとつを掃除して、何の連絡も無しに店を閉めたまま戻らないなど、心配しろと言っているようなものである。
17時になるまで待って出退勤管理へ退勤のメッセージを入れた鈴音は、画面を見つめたまま悩む。
「さあどないしよ。朝もバタバタしとったし、綱木さんは18時頃まで仕事の日もあるし、私に直帰せぇよて言い忘れただけかもしらんし。……でもなぁ」
何となくモヤモヤするので、メッセージを入れてから帰る事にした。
「お疲れ様です、今朝の件は明日報告します、お先に失礼します、これで送信。……て、あれ?送れてへん?」
未送信の状態が暫く続き、再送するかどうかの選択肢が出る。黙って削除しアプリを閉じて、迷わず電話を掛けた。だが返ってきたのは『お掛けになった電話は……』という音声。
「うわ久々に聞いたこれ。いやいや感動してる場合ちゃうがな。ネットも電話も繋がらんて何?電源切ってんのかな?それか充電切れた?」
明るく言ってみるものの、直ぐに『ちゃうやろ』と心の声がツッコむ。
「悪霊とか澱関係なら負けへんよな……。最悪なんは交通事故とかそっち系か」
もしかしたら本当に、スマートフォンの電源が落ちているだけなのかもしれない。けれどどうにも胸騒ぎがするので、鈴音は再び大嶽にメッセージを送った。
「綱木さんと連絡がつかないのですが大丈夫でしょうか」
すぐに、調べてみる、と返信があったので少し安心し、猫達の世話をする為大急ぎで自宅へ跳ぶ。
帰宅した際の鈴音の様子から何かを察したのか、『ドウシタ?』と心配してくれる猫達を大喜びで撫で回し、餌をやりトイレ掃除をしと動き回っていると骸骨が帰って来た。
「骸骨さんおかえりー。なあ聞いてー、綱木さんと連絡つかへんねん」
これには骸骨も驚き、状況を詳しく聞くと腕組みをしてウロウロと落ち着かなくなる。
「何事もなければええねんけど、なんかこう、このへんが」
鈴音がみぞおち辺りを撫でる仕草をした時、スマートフォンが着信を知らせた。
「課長や。……はい、夏梅です」
「大嶽です。ごめんね、残業としてちゃんとつけるから、この後ちょっと出て貰える?」
「やっぱり何かあったんですか」
「うん。部下に聞いてみたら、俺達が地下に居る間に調査課から要請があったそうでね。作業員が複数名行方不明になった工事現場に妖怪の気配があるから人を寄越してくれって。それで綱木が向かったらしいんだけど、その後の連絡がまだ無いんだよね」
「え?いやいやいや、そんなん、午前中から今ですよ!?ほったらかしにも程がありませんか!?」
「全く以てその通りだね、返す言葉もないよ。あいつ優秀だから、綱木さんが行ったんならもう安心って皆揃って油断してたんだね。報告書に目を通さなかった自分にも腹が立つよ。でもここで自分や部下を責めてても事態は何も変わらないからね、一番速くて最強の戦力に行って貰う事にした。頼めるかな?」
「解りました。マップ送って下さい、直ぐ向かいます」
「ありがとう、綱木をよろしくね」
電話を切った鈴音は骸骨に事情を説明し、まだ大分早いが白猫と虎吉のオヤツを用意しに行く。
「虎ちゃーん」
開いた通路から白猫の縄張りへ入り、こちらでも事情を説明した。
「そら難儀やなー。オヤツ早よ食えるんは嬉しいけど。で、どんな妖怪やろな?俺も見に行ってええか?」
ペロリとオヤツを平らげて、虎吉が耳を前に向け目をまん丸にした興味津々の顔をする。
「おー、心強い!私妖怪とかあんまり知らんから、来てくれたら助かるわー」
「よっしゃ。ほな猫神さん、ちょっと行ってきます」
「虎ちゃんお借りしますー」
ひょいと跳んで腕に収まった虎吉とお辞儀する鈴音へ頷くと、白猫はせっせと洗顔を始めた。ボウルは後で回収する事にして、鈴音は自室へ戻る。
「はいただいま、よし行こ。あ、ねーちゃん今から狩りやねん。留守番お願いね?」
愛猫達と子猫を撫でてから鈴音が顔を上げると、骸骨はまるで一緒に行くのが当然かのように部屋の外で待っていた。
「ありがたやー。また美味しいクッキー買うとくね」
くるくる回る骸骨に微笑んで、母親には友達から呼び出されたので出るとメッセージを送信。
「さて。私の上司にいらん事したらどないなるか、困ったちゃんに教えに行こか」
真顔で前を睨み付けると、鈴音は夕暮れ時の街へと駆け出した。




