第百七十二話 謎の澱を調べよう
大嶽の後ろから現れた鈴音と骸骨を見て、若い職員達は驚いた様子で黙り込む。
安全対策課の課長自ら案内して来たのだから、人に害を与える存在ではないとは思うものの、やはり死神にしか見えない骸骨の姿は衝撃的なのだ。
そんな緊張感を解そうと、大嶽が努めて明るい声を出す。
「言いたい放題だね君達。せっかく頼もしい助っ人を連れて来てあげたっていうのに」
ヨロヨロと脇へ移動し、微笑んで鈴音に自己紹介を促した。
頷いた鈴音は骸骨と共に一歩前へ出て会釈する。
「おはようございます。安全対策指導室の夏梅鈴音です。輝光魂で猫神様の神使て言うた方が分かり易いですかね?」
鈴音が挨拶すると職員達の顔に『あー、噂の!』という表情が広がって行った。
「で、こちらは骸骨さん。異世界の神使で地獄の使者です。今回は、謎の澱から骸骨さんが追ってる犯罪者の魂の気配がするいう事で、確認の為に来て貰いました」
頭を下げる骸骨と、鈴音と大嶽とへ視線を彷徨わせた職員達は、何とか話の内容を理解しようと頑張る。頑張るが、異世界という単語でいきなり躓いてどうにも先へ進めなかった。
「あのー、異世界の地獄って言われても、そのー、ピンと来ないっていうか……。何で犯罪者の魂がこっちに来るのかなーとか」
言葉を選んだ職員の質問に、説明を端折り過ぎたかと反省した鈴音も言葉を選びつつ答える。
「えー、1から説明すると、まず、地球とは違う別の星で、とある神が殺される所から始まります。殺された神は小さい玉になって弾け飛んで、色んな世界に隕石のように降りました。骸骨さんの世界の地獄にも降ってきて、犯罪者に罰を与える施設をドカンと破壊。犯罪者の魂達は、大喜びで隕石が空けた穴を通って異世界へ逃亡しました。なんと、逃亡先には地球も含まれていました」
おとぎ話が始まってしまった、という顔をしている職員達を眺めつつ鈴音は続ける。
「地球に入り込んだ逃亡者の捕獲は、地獄の神様の命を受けて追って来た骸骨さんが担当する事になりました。その後骸骨さんは世界中を飛び回り、複数の魂を捕まえる事に成功します。残るは後1体。楽勝かと思いきや、そいつが滅茶苦茶手強かったんです。どういう訳か不自然なぐらい全く気配を感じさせへん。そんな中今回やっと、ここに運ばれた謎の澱と接触したみたいやいう事が分かったんで、確認しに来ました」
困ったような表情をしている職員達一人一人の目を見てから、鈴音は骸骨へ視線を移した。
「骸骨さん、捕まえた魂持ってへん?この人らにも見せたげて欲しいねんけど」
頷いた骸骨が、床に指で直径30センチ程の円を描く。円は青白く光って縦に伸び、高さ1メートルくらいの円筒となった。
「神力だ……」
「小型の結界かな」
「かなり高度な技じゃない?」
興味を持った職員達が小声で会話する中、骸骨はローブの中から大鎌を取り出す。ギョッとして身構える大嶽や職員を気にする事無く、そのまま鎌の先を円筒に突き刺した。
途端に、奇妙な色合いの火の玉が円筒の中を上下し始める。
「うわー、なにこれ。ピンクに緑とセピアの斑模様?こんな色なのに炎とか意味不明なんだけど」
驚いた職員達が興味津々で円筒へ近付き、火の玉の動きを観察しようとしゃがみ込んで顔を近付けた。
火の玉は威嚇するようにボンと火力を上げるが、誰一人怯えない。それどころか『どういう仕組み?』と目を爛々とさせる始末だ。
「そっか、謎の澱とか場合によっては呪いなんかを調べる人らやから、変な火の玉なんかええオモチャなんや」
職員達の様子に半笑いの鈴音と、お仕置き代わりに丁度いいと頷く骸骨。
最終的に、ギラギラした目で凝視され続けた火の玉の方が、怯えたように円筒の隅にへばりつき動かなくなってしまった。
がっかり、と眉を下げて立ち上がった職員達は、互いに顔を見合わせ頷いて、鈴音と骸骨へ向き直る。
「……これが、異世界の犯罪者の魂なんですね」
「私達が普段接する霊力とは違うものを感じました」
「異世界なんて何かの間違いじゃないかって思ってたけど、こんなの見せられたら認めるしかないですよね」
そう言って笑う皆から骸骨への警戒心が消えた事が解り、鈴音はホッと息を吐いた。
「ほな、謎の澱見せて貰えますか?」
「はい。ちょっと待って下さいね」
頷いた職員の一人が、背後にあるアイランドキッチンのような台へ向かう。
鎌の先で火の玉を突いて仕舞い青白い円筒も消した骸骨の元へ、金とも赤とも白ともつかない色の金属の箱に入った澱が運ばれて来た。
「あ、クーラーボックスに入ってた箱や。こっから出さへん方が安全やからですか?」
鈴音の問い掛けに箱を持った職員は頷く。
「それに、出しちゃうと帰る時に仕舞うのが大変でしょ?私達はコレに触れませんから」
成る程と納得した鈴音は、骸骨の邪魔をしないよう一歩下がって黙った。
ありがとうと言うように会釈した骸骨は、澱に顔を近付けてじっと見つめる。
凡そ1分程そうして、幾度か頷きながら鈴音の隣へと後退した。その後おもむろに澱を指差し、大きく頷く。
「やっぱり火の玉の気配がするんやね」
鈴音の声を受けて職員達や大嶽は、『神力に加えて異世界の魂とは……』と随分ややこしい澱に渋い顔だ。
その顔を見るともなしに見ながら顎に手をやって、どうしたものかと考えていた鈴音はふと、骸骨の特殊能力を思い出した。
「なあ、骸骨さん。この澱の過去を見る事は出来ひんの?」
何の話だ、と瞬きする皆への説明は後回しにして骸骨を見ると、残念そうに首を振っている。
石板にせっせと描いてくれた絵によると、過去視を掛けて再生されるのはこの空間全ての記憶なので、見えるのは澱がここへ運ばれて来てからの映像だけなのだという。
「澱の記憶だけを再生は出来ひんのかー。……ん?でもそれ、ずーっと遡ってったらいずれ澱作った奴んとこ辿り着くんちゃう?」
ふと顔を上げた鈴音の思い付きに、骸骨はパカッと口を開いた。何故そんな初歩的な事を忘れていたのかとでも言いたそうに、頭を抱えている。
それもその筈、地道で気の遠くなるような作業には違い無いが、あてもなく世界中を飛び回るよりは余程マシだからだ。
「しかもあれやで、コレが見つかった海の上からスタートしたら、仕掛けた奴の姿見えそうやん?」
続く鈴音の言葉で骸骨は万歳してくるくる回りだした。
「えーと、どうしたのかな?おじさん達にも解るように説明して貰える?」
困り顔で笑いながら恐る恐る話し掛けてきた大嶽に、すっかり忘れていた事を愛想笑いで誤魔化しつつ、鈴音は骸骨の能力について話して聞かせる。
「はー、流石は神使というか、とんでもない能力持ってるんだねえ。反則級だよねえ」
「羨ましいですよね」
唖然とした顔になった大嶽達に同意してから、鈴音はやる気満々になっている骸骨に笑い掛けた。
「ほな早速、澱が浮いとった海に行ってみる?」
頭骨が飛んで行きそうな勢いで頷いた骸骨は、早く早くとウズウズしている。
「えー、そういう訳なんで、邪魔しに来ただけみたいになってすみませんけど、私らはこれで失礼さして頂きますね」
申し訳無さそうに頭を下げる鈴音へ、職員達はとんでもないと手を振った。
「さっき見せて貰ったお陰で異世界の魂の気配は覚えたんで、それに頭を悩ませなくていいのは大きいですよ」
「他の霊力なんかが紛れてないかに集中出来ます」
「こっちはこっちで引き続き調べてみますね」
「わあ、ありがとうございます。お願いします」
いい人達だなあと感動する鈴音と骸骨を、大嶽が何とも言い難い表情で見ている。
「あのー、おふたりさん。ちょっといいかな」
何事だ、と全員の視線を集めた大嶽は、何故か小首なぞ傾げて可愛こぶった。
「脚が言う事きかないからさあ、上まで連れてってくれないかなー?えへ」
瞬時に全員がスナギツネと化したのは言うまでもない。
「はい着きましたよ、おじいちゃん」
鉄扉を開けて公園へ出た鈴音が振り向くと、死神に取り憑かれたおじさん、いや、骸骨に背後から抱えられて浮いている大嶽が眩しそうな顔をしていた。
「いやー、すまんのー、足腰がすっかり弱ってしもうてのー」
おじいちゃん呼ばわりにノリ良く応える大嶽を、再度スナギツネ化しつつ鈴音は眺める。
こんな風にすっとぼけているが、このおじさん実戦となったら物凄く強いに違い無い、と思いながら。
何となくそう感じただけでなく、以前綱木が鞍馬天狗の話をしてくれた時に、あの大妖怪が本気を出した場合対応できるのは西日本担当、東日本担当、課長の3人だと言っていたのを思い出したのだ。
「フツーに考えて部下より弱い訳ないもんねぇ。鞍馬天狗の攻撃にギリギリ耐えられるんが西日本担当やったっけ。てことは、課長なら耐えつつ反撃ぐらいは出来るんかな?」
骸骨に地面へ下ろして貰って『自重が辛いッ』とか言っているヨレヨレな姿からは想像もつかないが、鈴音は綱木の言葉と自分の直感を信じる事にした。
いつか実戦モードも見てみたいなと考えてから、そんな強い人物が戦わなければならない悪霊や妖怪が出ては不味いではないか、今の無し、と思い直す。
「ほな課長、私らは関西に戻りますんで」
「え、せっかくだから庁舎にも寄って行けばいいのに。車で送るよ?」
「いえいえ、用事無いんで。駐車場まではご自身の足でどうぞ」
「うわ、バレてるよ何でだろうねえ」
骸骨に運んで欲しかったらしい大嶽は首を傾げ、鈴音は楽しげに笑った。
「ま、足腰の鍛錬や思て頑張って下さい」
「うーん残念。頑張るから、何か分かったら教えて頂戴よ?犯人がいるなら捕まえなきゃならないし」
「はい、分かり次第連絡します。ではそろそろお暇させて頂きますね。今日はありがとうございました」
鈴音のお辞儀に続いて骸骨も頭を下げる。
「気を付けて帰るんだよー」
手を振る大嶽に笑顔で会釈を返し、ふたりはその場を後にした。
5分程で謎の澱が浮いていた海に到着し、鈴音は砂浜から指を差す。
「このライン上に浮いててん。せやからまずは、この角度で視るんがええと思う」
アドバイスに頷きながら、骸骨は空中に円を描き過去視の準備に入った。
「ところで、実際に現場見て何か感じたりせぇへん?せっかくの澱を、浅瀬やのうて沖に浮かべた理由がずっと気になってんねん」
やはりいくら異世界人でも、沖より砂浜に置く方が人の手に触れ易い事ぐらい、周囲を見回せば簡単に解る筈なのだ。それなのに敢えて沖に浮かべた理由とは何か。
特に理由など無いのかもしれないが、異世界から来た骸骨なら現場を見れば何か思い付くのでは、と尋ねずにはいられなかった。
そして、そういった事を聞かれるだろうなと予想していたらしい骸骨は、自分達を円の中に入れつつ石板を取り出し、今しがた気付いた事をさらさらと描く。
「んー……?海が引っ込んで砂浜が増えて?そこへ人がゾロゾロ?あ、これ、干潮なんかな?つまり、骸骨さんの世界の海やと、時間が来たらあの辺まで地続きになるんや」
だから沖に仕掛け、時間がくれば取りに行ける特別なお宝感を演出した。
「でも残念な事に、この海岸ではそこまでの引き潮は起こらへんから、只々海に浮かべるだけになったんかな」
少し観察すれば分かっただろうにそれをせず、他にも幾つか人が取りに行けない海に浮かべたようだ。
「ありがとう骸骨さん。敵が割とマヌケっぽいて分かってホッとしたわ」
鈴音の正直な感想を聞き骸骨は楽しげに肩を揺らした。その後ゆっくりと眼窩に青白い光を灯し、過去視を始めるぞと合図する。
「おっしゃ、犯人探しやね!」
気合の入った鈴音に頷き骸骨が海の方を向くと、徐々に見える景色が巻き戻り始めた。
海に昨日の鈴音が現れ、ドタバタが繰り広げられている。それが終わると海上に黒い靄の塊が浮かんでいた。
そのまま暫く巻き戻しを続け更に1日遡ると、協力者が黄金の仏像を見たと証言した時間帯を過ぎる。
「こっからは情報の無い部分やから要注意」
鈴音の声に骸骨が頷いたその直後、不意に視界から澱が消えた。
「おっ!」
もう少しだけ巻き戻し、海に何も無い状態で再生に切り替える。
どこから来るのかと目を皿のようにして待つ事数分。
ふたりの背後から放物線を描いて澱が飛んで来た。
音も無く海に落ちると、その場所から動く事無くプカプカと浮かんでいる。
やはり吹き溜まった物でも急に湧いて出た物でも無く、人為的に置かれた物だった。
犯人はどんな奴だ、とふたりは同時に振り返る。
視線の先、砂浜に立っているのは、キャップを目深に被り更にその上からパーカーのフードを被った人物。
「うわ、男か女かも分かり難いなー」
映像を一時停止して、ふたりは犯人の元へ近付く。
横に並んでみると、背丈は鈴音よりほんの少し高い程度だ。
「んー?男の子……?」
下から顔をよく見たが結局ハッキリしない。
「まあ、どっちでもええやんね。後追っ掛けてったら何処の誰か分かる訳やし」
ニヤリと悪い笑みを浮かべて親指を立てる鈴音へ頷いて、骸骨は映像を動かした。




