第百七十一話 秘密の地下施設
上司に電話が繋がり事情の説明に入った綱木は、異世界から来た骸骨が、異世界の地獄の使いが、異世界の犯罪者が、と異世界を連呼している。
「異世界て聞くだけで遠い目になってはったのに、人って慣れる生き物なんやなぁ」
うんうんと頷く鈴音も骸骨も、自分達のせいだとは少しも思っていない様子だ。
「まあ、ハルと黒花さんも異世界に飛ばされたりしたから、生活健全局内では皆さん信じるようになって来てるんちゃうかなーと期待してんねんけど、どうやろ」
しかも、関西を担当する実力者の綱木が説明しているのだから、割とすんなり許可が下りるのではないかと鈴音は見ている。
案の定、『直ぐに出たら10分と掛からずに到着する』等と聞こえてきた。
「はい、解りました。ほな、検査所の方で。はい、直ぐ向かわせます。失礼します」
電話を切った綱木が、スマートフォンのマップを開きながら戻って来る。
「許可出たから。ただ、行き先は厚労省が入っとる合同庁舎やのうて、別の施設やねん」
「そうなんですか」
行き先が、人という名の魑魅魍魎が跋扈すると噂の霞が関ではないと聞き、鈴音はホッとしたようなガッカリしたような微妙な気分になった。
「ここやねんけど……」
そう言って綱木が指差す先は公園だ。
「公園。位置関係がよう解らんのですけど、本来のお役所からは結構離れてます?」
「そうやね。ここには呪われた物を運び込む専用の施設があんねん。何でわざわざ別に作ってあるか言うと、本省の場所は皇居に近過ぎるんよ。あんなとこで呪われた物なんか出されへんやろ。もし箱から出したり封印解いたりした途端に呪いが発動して何かあってみ?以後気をつけますー、で済む話ちゃうからね」
「うわー、それは確かに怖過ぎますね」
顔を引き攣らせつつ、鈴音は自分のスマートフォンにも同じマップを出し、住所を打ち込んだ。
「ほんでこの公園の中に結界で囲った入口があるから、後は向こうの職員と一緒にドア開けて入って階段下りるだけ。結構人が多い公園やから、ペンダント忘れんように」
綱木の説明を聞いた鈴音は不安そうな表情で首を傾げる。
「結界てどんなんですか?スルッと入れます?鞍馬天狗んとこみたいに自分で開けるタイプやと、私めっちゃ相性悪いんですよ。ノックしただけで、結界壊す気か!て烏に叱られましたもん」
「あんな核シェルターばりに頑丈な結界がノックで壊れる……?おっと危ない、現実逃避するとこやった。多分この結界は大丈夫や思うよ。ある一定レベル以上の霊力の持ち主やないと扉が見えへん近付かれへん、いうだけの結界やから」
所謂“見えるだけ”の人が間違えて入らないように、セキュリティゲートの役割をしている結界なのだそうな。
「それなら大丈夫かな?もし何か解らん事が出てったら、電話して聞きます。いらん事して重要設備とかうっかり壊す前に」
「是非ともそうして。何となくで行動せんようにくれっっっぐれも気ぃつけて」
真顔で言う鈴音に真剣な顔で頷く綱木。まるで“初めてお使いに行く子供とその親”かのようなやり取りが面白いらしく、骸骨は肩を揺らしている。
「ほな行きましょか骸骨さん。10分以内に着かな綱木さんが嘘つきになってまう」
姿隠しのペンダントを首に掛けニヤリと悪い笑みを浮かべる鈴音と、手を挙げてくるりと回転する骸骨。
「あ、うん、どうせ向こうの職員も公園まで15分20分掛かるやろし、そない急がんでええよ?俺は別に嘘つき言われてもかまへんから、急ぎ過ぎて通り道の建物とか間違うて吹っ飛ばしたりせんようにな?」
ハラハラした様子の綱木に笑顔を向けて、ふたり揃ってお辞儀する。
「ちゃんと周り見ながら走りますって。ほな行ってきます」
「はい行ってらっしゃい」
まだどこか心配そうな綱木に見送られ店を出た鈴音と骸骨は、東を向くと同時にその場から姿を消した。
この国の首都は、ビルが林立する大都会の割に緑が多い。
鈴音と骸骨が目指す公園もまた、都会の中にあって人々を癒す存在の1つである。
昔ここにあったのは拘置所と刑場だ、と言われても全く想像出来ない程、整備された広い公園は美しく訪れる人々ものんびりと過ごしていた。
そんな穏やかな場所へ、つい数分前まで関西に居た鈴音と骸骨が、まるで当たり前のように空から降ってくる。
「ぃよっと。とうちゃーく。わー、人けっこう居るなぁ。平日の午前中やしスカスカか思たけど、そんな事もないんやね」
顔を見合わせ頷き合ってから、鈴音も骸骨もキョロキョロと周囲を見回した。
「結界結界……あっちかな?」
気配を感じた方へ歩き出した鈴音と骸骨だったが、少し進んではデレデレと目尻を下げ、少し進んではクルクルと回り、何やら妙に浮かれている。
それもその筈。
「猫や猫、ほらあっちにも、わあこっちにも」
猫バカ2名にとってこの公園はパラダイスだったのである。
「ダレダ?」
「ナデルカ?」
「イイニオイスル」
猫達は皆、猫神夫婦の子孫。当然の事ながら姿隠しは通用しないので、鈴音と骸骨を見つけた数匹の猫が興味津々の顔をして近付いて来た。
「うわ可愛いぃ」
人懐っこい猫の姿に鈴音の口から魂の呟きが零れ落ちる。
出来る事なら撫でくり回したいが、休憩時間でもないのに猫と遊ぶのはどうかと思うし、浮気がバレると愛猫達及び子猫に激怒され距離を置かれる危険性が高い。そんな事になったら『猫ちゃんに嫌われた恨み』という呪文を唱えつつ澱や悪霊に八つ当たりするしかなくなるので、鈴音は泣く泣く已む無く仕方無く諦めた。
「こんにちは、猫さん達。声掛けてくれてありがとうなー。めっちゃ嬉しいねんけど、今から仕事せなアカンねん。働かなゴハン食べられへんからさぁ」
この上なく残念な表情と声音で語り掛けると猫達は理解してくれたらしく、ふたりに一声掛けのんびりと去って行く。
「ガンバレ」
「ゴハンダイジ」
「マタナー」
「ありがとう頑張るわー」
礼を言って未練たっぷりに猫達を見送り、仕事モードに切り替えようと頬を軽く叩く鈴音と、両拳を握って気合を入れる骸骨。
そこへ、スーツ姿の中年男性が歩み寄って来た。
「いやー、猫好きなのに触るの我慢するなんてえらいねえ。流石は猫神様の神使と異世界の神使だねえ」
急に話し掛けられてギョッとした鈴音は、反射的に男性をまじまじと見つめる。
歳は綱木と同じ50代前半ぐらいか。これといった特徴の無い顔に中肉中背。グレーのスーツも相まって、どこにでも居るサラリーマンのおじさんといった感じだ。
しかし鈴音と骸骨の姿が見える上に、神使だという事まで知っているので、彼は普通のおじさんではなく厚労省生活健全局の職員なのだろう。
鈴音は素早く背筋を伸ばしてお辞儀した。
「初めまして、夏梅鈴音です。こちらは異世界の神使で地獄の使者、私は骸骨さんて呼んでます」
紹介を受け頭を下げる骸骨に会釈を返した職員は、柔らかな笑みを浮かべて自らも名乗る。
「初めまして、夏梅さん、骸骨さん。私は大嶽始です。安全対策課の課長をしています」
課長と聞いて、欲望に負けて猫と遊ぶ選択をしなくて良かった、と鈴音は心の中でガッツポーズだ。
「因みに、おじさんの祖先はなんと、あの大嶽丸です」
何やらまだ自己紹介には続きがあったようだが、『なんと』だの『あの』だの言われても、鈴音の脳内資料室の検索結果は“思い当たる有名人は見つかりませんでした”“もしかして:漁船”である。
「へぇー……」
知りませんと言っていいものかどうか判断がつかず曖昧な笑みを浮かべる鈴音に、どや顔を決めていたおじさんこと大嶽が目を見開く。
「え?あれ?知らないかな、大嶽丸」
「……はい。すみません」
物凄く言い難そうに答える鈴音を見つめながら、高速で瞬きを繰り返した大嶽は流れるような動きでポケットからスマートフォンを取り出した。
「ごめんね、ちょっと待っててくれるかな」
「はい」
何事だろう、と骸骨と顔を見合わせた鈴音の視界で、大嶽は誰かにメッセージを送っているようだ。
『おい』
『何や?』
『大嶽丸知らないっていうんだけど』
『は?ああ鈴音さんか。そらそうやろ』
『何で?』
『玉藻の前知らんかったし』
『嘘だろーじゃあ酒呑童子も?』
『さあ?聞いてみたらええがな』
がば、と顔を上げた大嶽は、笑顔で口を開いた。
「酒呑童子って知ってる?」
「あー、鬼ですよね?平安時代に都を荒らし回ったとかいう」
「何故だ。いやごめん、正解。ははは、ちょっと待っててね」
再びスマートフォンを操作し始めた大嶽。
『酒呑童子だけ知ってるの何で』
『へぇ知っとったか。関西の鬼やからかな』
『酒呑童子ムカツク』
『はいはい。今から原状回復やねん』
『頑張れ』
『はいよ』
スマートフォンをポケットに戻し、大嶽は咳払いをした。
「待たせて悪かったね、検査所に案内するよ」
笑顔を作って先に歩き出す大嶽の後を、今のは何かのテストだったのだろうかと首を傾げながら、同じく不思議そうにしている骸骨と共について行く鈴音。ただ他人様のご先祖にあまり興味は無いので、聞かれた内容は直ぐに忘れた。
代わりに、気になっていた事を尋ねる。
「その検査所いうんが、呪われた物を調べられる施設なんですね。それにしても課長、着くん早かったですね?15分から20分は掛かるて聞いてたんですけど」
「たまたま出先がこの近くでね。ちょうど手が空いたし私が行くよって立候補したんだ」
ニコニコ笑って言いながら、大嶽は植え込みの一角に建つコンクリートで出来た小屋へ向かって行った。その小屋の近辺だけ誰も寄り付かないので、結界があるのだなと解る。
大事な結界との相性を心配し一瞬躊躇した鈴音だったが、綱木が言っていた通り、骸骨共々問題無く通過出来た。
「わざわざありがとうございます。で、このドアしかない建物が入口ですか」
鈴音の言う通り、その四角い小屋には重そうな鉄扉が1つあるだけで、明かり取りの小窓さえ見当たらない。
首を伸ばして小屋を観察する鈴音を眺め、ポケットから鍵を出しつつ大嶽は微笑む。
「そう、ここが入口。ここから深くふかーく潜るからね、膝が大笑いするかもしれないよ。覚悟してね」
「解りました」
あっさり頷く鈴音と骸骨に『本当に解ってるのかな?』と若干の不安を覚えつつ、大嶽は重い扉を押し開けた。
「ごめん、ちょっと休憩しない?」
階数にして15階弱程度、50メートルと少しばかり下りた所で、踊り場の壁にもたれ掛かった大嶽が泣き言を口にする。
「構いませんけど、まだ先なんですか?検査所」
足を止めた鈴音と骸骨は心配そうに階段と大嶽を見比べた。
「あと半分ぐらい。下りって結構膝にくると思うんだけど、何で君達は平気なのかな。若さ?」
床に腰を下ろしながら尋ねる大嶽に、ふたりは仲良く首を振る。
「骸骨さんはそもそも膝あらへんし」
その通り、とローブの裾を持ち上げて浮いている事を見せてやる骸骨。
「私は猫神様の御力いうドーピングかましてますんで、この程度では何とも。若さは無関係です」
どや、と胸を張る鈴音と骸骨に見下ろされ大嶽はガクリと項垂れる。
「うう飛ぶとかドーピングとか羨ましい。俺、体力面は先祖返りしなかったんだよねえ」
「普段の一人称は俺なんですね課長。因みにご先祖様はそないに体力お化けやったんですか」
「うん、お化けっていうか、鬼だね」
「体力の鬼ですか。一日中走り回ってそうですね」
鬼、は言葉の綾ではないと説明すべきか考えた大嶽だが、そうするとそこそこ長い昔話をしなければならない。それをこの体力お化け達が座って聞くとも思えず、あと半分下りながら喋り続けるのは辛過ぎるのでやめた。
「一日中走ってたかは解らないけど、伝説級の強さだったのは間違い無いねえ。よっこいしょっと。はあ、それじゃあ行こうか」
掛け声と共に立ち上がった大嶽は、後ろからふたりに責っ付かれ、いや励まされながら頑張って、どうにかこうにか長い長い階段を下り切った。
最下階にあったのはこれまた重そうな扉で、それをヘロヘロの大嶽が押し開ける。
扉の向こうに見えるのは、太い柱が何本も並ぶ30畳程の広さの部屋だ。
蛍光灯が照らす打ちっぱなしのコンクリートが寒々しい部屋に、今入って来たのとは別の扉が1つだけ。
「何ですかこの無駄に広い部屋。ホンマはここにも何かあったんですか?」
横の壁にある扉へ向かおうとしながら尋ねる鈴音を見て、大嶽が感心したように幾度か頷く。
「ここ、目眩ましの部屋なんだよ。侵入者を足止めしたり、もし職員が呪いでおかしくなっても逃げ出せないようにする為の、時間稼ぎの部屋」
「目眩まし?」
きょとんとした鈴音が骸骨を見ると、骸骨も首を傾げていた。
「成る程、神使クラスになると効かないみたいだね。良いデータをありがとう。幸い、現代に入ってから強力な呪いが掛かった物は出てないけど、念には念を入れてもっと強い目眩ましを掛けるよう提案しておくよ」
課長らしくキリリとした表情で語る大嶽だが、足が産まれたての子鹿状態なのでちょっと残念である。
そんな大嶽子鹿は覚束無い足取りで扉へ近付き、身体を預けるようにして開けた。
次の部屋もどうやら時間稼ぎの目眩まし部屋らしい。
これを繰り返す事3回。
「はい、この先が検査所。今は謎の澱と分析専門の職員が何人か居るよ」
言いながら扉を開けて大嶽が中へ入ると、若い職員達の声が鈴音の耳に届く。
「うわ大嶽課長!?ヘロッヘロじゃないですか」
「え!?何しに来たんですか?ちゃんと帰れます?」
「上りほぼ修行ですよ?今日より明日がヤバそう」
次々と飛んで来る容赦ない声がザクザク刺さり、弁慶の立ち往生よろしく動かなくなってしまった大嶽。その背中を押して、鈴音は骸骨と一緒に中へ入った。




