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第十七話 異世界ピヨ

 足から落ちた筈が頭に圧力を感じ、そうかと思えば背中を押され、横からの力に抗うと、また足から落ちる感覚に戻り。

 猫の目でも見えない暗闇の中、捩じれた空間に翻弄されつつも、鈴音はとにかく虎吉を離すまいとしっかり抱え、とても長く感じる落下に耐えた。

 暫くすると、まるでトンネルの出口のように白く小さな光が現れ、それがグングンと近付き大きくなって、一気に視界が明るくなる。


 勢いよく飛び出た先には、青い空が見えた。

 視線を足へ向けると、徐々に穴が閉じつつある地面が見える。

 つまり、地中から大砲の弾のように撃ち出されて、現在は空中にいるという事だ。

「良かった、地面ちゃんとあるわ。出た先がマグマの中とかちごて助かったぁ」

「おう、空気もあるし、大丈夫やな」

 誰かが聞いていたら唖然としそうな会話をしつつ、地上を見回す。

「なーんも無いね?草原と川と山と、遠くの方に海っぽいのが見える。ここ、どこやろ」

 落下し始めた身体のバランスを取り、他にも何か見えないかとキョロキョロするが、人工物は一切見当たらなかった。

 そのまま、何事も無く柔らかな草の上に着地する。


「ん?あれ?どないしたん虎ちゃん、気分悪い?」

 腕の中で虎吉が難しい顔をして固まっているのに気付き、鈴音は慌てた。

「いや、俺は大丈夫や。けど、マズイ状況ではある」

 耳を動かして情報収集しながら、虎吉は表情を変えない。

「……やっぱりや。猫神さんと繋がってへん」

「え?」

「猫神さんの神力が感じられへん。猫神さんだけちゃう、普段は感じる他の神さんや仏さんの力も、ひとっつも無い」

 言葉は分かるが内容が理解できない、という顔の鈴音を見やり、虎吉は首を振る。

「ここ、俺らが普段()る世界とちゃうわ」

「……はい?」

「地球とちゃうとこに来てもうたみたいや」

「……えーと?宇宙人が出て来る感じ?」

「ここでは俺らの方が宇宙人と宇宙猫やな」

 音がしそうな瞬きを繰り返し、上下左右を見回して、鈴音は思い切り首を傾げた。

「ホンマのホンマに、よその星?」

「そうや。俺らは異世界て呼んどる。神界・人界・冥界みたいな地球の異界やのうて、星ごと、なんやったら宇宙ごと異なる世界、異世界な。ほれ、特訓用に神さんらが金属くれたやろ?あの神さんらが居るんも、色んな異世界や」

 虎吉の丁寧な説明を聞いても、鈴音にはどうも実感がわかない。


 もこもこの雲に覆われた白猫の縄張りを初めて見た時は、明らかにおかしいな、と思えた。

 しかし、今居るこの場所は実に“普通”なのだ。

 青い空に白い雲、空気があって引力があって緑が生えた地面があって、山や川もあるこの景色で、異世界ですよと言われても。

 植物学者が見れば、生えている草で何か判るかもしれないが、勿論鈴音にそんな知識は無い。


「大陸のどっか……中国とかモンゴルとかではなく?」

「ちゃうちゃう。ほれ、見てみぃ」

 そう言った虎吉が、左前足で空中を掻く。

 いつもなら、そこに神界への通路が開く筈だが、今は全く何も起こらなかった。

「可愛ッ!……いやいや、デレとる場合ちゃう。猫神様と繋がってへんて、そういう事?通路開かへんの?」

 頷く虎吉を片腕で抱え、荷物からスマートフォンを取り出して画面を確認すると、回線の状態を示すアイコンに、滅多に見ることの無いバツ印が刻まれている。

 神界への通路は開かず、スマートフォンも繋がらない。成る程、これが異世界か、と漸く薄っすら理解する鈴音。

「ありゃー……。どないしたら帰れるんかなぁ」

「たぶん今頃猫神さんが大騒ぎして、鈴音と俺の大捜索が始まっとるやろなぁ」

「あ、猫神様も分かるんや、虎ちゃんどっか行ってもた、て。当たり前か」

「おう。けど、大騒ぎは俺に関してやのうて、鈴音に関してやと思うで?怪我のひとつでもさしてみぃ、二度と縄張りに入れたらへん!!ぐらい言うとるやろなー」

 その言葉で鈴音の顔が青ざめた。

「それは重過ぎるペナルティや」

「せやな、みんな鈴音ばりに猫神さんのファンやからな。ただ、茶ぁシバきに来る神さんの世界やったら、縄張りと繋がる筈やねん。神さんらが遊びに来る時、部屋ドームの入口に通路繋ぎよるから。せやからここ、知らん神さんの世界や思う」

「え?それ、向こうからどないして探すん?」

「神さん数珠繋ぎちゃうか?雉虎の猫連れたビッッッカー光った姉ちゃん行ってへんか、て聞きまくるんやろ多分」

 無関係な神様には迷惑だろうな、と申し訳無く思いつつも、それしか方法がないのなら仕方がないと割り切る。


「それにしても、何で急にあんな穴が空いたんかな」

「俺らの神力のせいで、空間に歪みでも出来とったんやろか」

「うわ、それやったら自業自得?」

「んー、けど片っぽだけではなぁ。こっち側も歪んでな、貫通せえへんと思うねんけど……そんな神力なり霊力なり出しそうなモン、見た感じおらへんしなぁ」

 納得のいく答えが出ない、と唸る虎吉を抱え直し、鈴音は改めて周囲を確認した。

 先程空から見た限りでは、川の周辺には何も無かったし、今居る場所を含めた草原にも何も無かった。

「なあ虎ちゃん、誰かおらへんか、取り敢えずあっちの山の方に探しに行かへん?」

 富士山によく似た形の山を指し、虎吉を見ると、呆れたような視線が返って来る。

「異世界とか聞いてビックリしたけども、猫神さんが探してくれとるなら大丈夫や、せっかく来てんから、こら観光のひとつもしとかな損やでー、いう顔やな?」

 目をキラキラさせ、口角がキュッと上がった顔のまま『なぜバレた』と視線を泳がせる鈴音。

「ホンマ切り替え早いいうか、図太いいうか……。まあええわ、じっとしとっても退屈やしな。行ってみよか」

「やった!さすが虎ちゃんやー」

 大喜びの鈴音は、虎吉を頭上に持ち上げてくるりとターンし、再びしっかりと抱えて駆け出した。



 遮るものが何も無い草原を、気持ち良さげに鈴音は走る。

 誰もいないので、能力全開の爆走だ。

 鈴音の光が見える者がいたら、地上を走る彗星だと思うかもしれない。

 そんな速さでも、鈴音が周囲に起こすのは、夏の夕暮れに吹いたら心地良さそうな、そよ風のみである。


「んー、快適快適。けど、綱木のズレたツッコミが無いんも寂しいもんやなあ」

 虎吉の呟きに鈴音はキョトンとする。

「ズレたツッコミ?」

「鈴音が跳んだ時に、石畳壊れへんのがどうたらこうたら言うとってん。この走り見たら何て言うやろ。地面抉れへんのか、とか靴大丈夫かとか言うんやろか」

 恐らく真っ先に、衝撃波について言及すると思われるが、そこは虎吉と鈴音である。

「ふーん?なんで地面の心配すんねやろ。跳んだ時、普通やったやんね?もしかして着地が喧しかったんやろか」

「いやー?跳んだ途端に言いよったしなー?よう分からんけど、おもろいやっちゃで」

「あはは、虎ちゃんが気に入ったならそれでええわ」

 本人が聞いていたら、ズレているのはそっちだとツッコミを入れるか、諦めた顔で遠くを見つめるか。

 そんな何とも言い難い会話の中、突如鈴音がハッと目を見開いて足を止めた。

「待って虎ちゃん、猫神様が探してくれる言うけど、どうやって他の神様にそれを伝えるん?喋れる虎ちゃんはこっちに居んのに」

「ああ、それは大丈夫や。間違い無く地獄に駆け込んどるから」

「地獄……黒猫様?」

「おう。向こうは普通に喋らはるし、通訳させ……頼んどるやろ」

「へぇー、尻に敷……ゴホッ、仲良しさんやね」

「せやな」

 うふふふー、とお互いに怪しげな笑いで濁し、鈴音は再び走り始める。


 虫の一匹も出て来ない草原を駆け抜け、苦も無く巨大な山の麓へ辿り着いた。

 山は麓から頂上まで、全て緑で覆われている。樹木ではなく、一面が芽生えたての双葉で埋め尽くされているのだ。

 瑞々しい葉が日の光に輝く様は、元の世界で見る山々に負けず劣らずの美しさだった。

「へぇー!こういうのも綺麗やなぁ」

 素直に感動する鈴音に対し、虎吉は小首を傾げる。

「確かに綺麗けど、全部が全部同じ大きさの芽ぇて、どないやねん。こんだけの山やのに」

「あー、ホンマや、全部一緒や。誰かが種まきしたんやろか」

「お、それちゃうか。神さんが作りかけの世界なんかもしらんで」

 虎吉が唱えた説に鈴音は驚く。

「そうなん!?神話の世界やん!えー、凄い凄い!ホンマにそうやったら凄いな!ぐるっと回って山全部こんな感じか確かめてみよ!」

 言うが早いか速度を落として駆け出して、走りながら山を観察し始めた。


「こらまた見事に」

「おんなじ芽ぇばっかり」

 仲良く山を見上げて、同じ感想を抱く。

「神様種まき説に一票」

 人差し指を立てる鈴音に、虎吉は頷いた。

「ん。芽ぇもそうやし、他の生き(もん)何にもらへんのも、そんな感じやな」

「確かに。誰かにうて話してみたかったけど、この感じやとそれは無理っぽいね。……ん?」

 少しがっかりした鈴音の語尾に被って、何か小さな音が耳に届く。

「なんや?」

 位置を特定しようと、忙しなく耳を動かす虎吉と、頭ごと動かす鈴音。すると。

「ピーーーヨ!!」

 微かな物音を探るまでもなく、甲高い鳴き声が響いて来た。

「鳥!?生き物おったんやね!」

「ヒナか?小鳥か?それにしては声デカないか?」

「行ってみよ!」

 鳴き声の方向へ走る鈴音へ、虎吉が釘を刺す。

「ええか鈴音、ここは異世界やからな、勝手に触ったり餌やったりしたらアカンで?食うてもアカンで?生態系っちゅう言葉があるやろ?俺らは組み込まれてへんからな?」

「あはは、食うとかいう発想は猫ならではやなぁ。解ってるよ、見るだけ見るだけ」

 笑いながら了承し、スピードを落として忍び足に切り替える。

 周りに森などの遮蔽物がないので、緩やかなカーブの先に、いきなりそれは現れた。


 巨大な鳥だ。3、4メートル程の体高で、ずんぐりとしている。鈴音や虎吉の常識では雛鳥に見えるが、この世界でもそうなのかは分からない。

 山から草原へ切り替わる場所に、でん、と座って空を見上げている。


「何してんねやろ」

 鈴音達が息を殺して観察する中、鳥はヨタヨタと体の向きを変え、山を登り始めた。

 けれど、ほんの数メートル登った所で、見事にひっくり返り、コロコロと転げ落ちて来る。

 再び、でん、と座る形になった鳥は、空を見上げて鳴いた。

「ピヨー!ピーーヨ!」

 何とも愛嬌のある姿に笑いを堪えながら、鈴音と虎吉は頷き合う。

「巣が山の上にあって、落ちてしもたんやね、きっと」

「ほんで親鳥を呼んどるんやな」

 助けてやりたいところだが、人が触れた事で育児放棄に繋がっては元も子もない。

「……ていうか、雛があのサイズやと、親は?」

「嫌な予感しかせぇへんな。とっとと逃げとこか」

 鈴音の疑問に虎吉が頷き、その場を去ろうとした、まさにその時。

「ビヨーッ!!ビョッ!!ビョーーー!!」

 騒ぎ立てる雛鳥とほぼ同時に、鈴音と虎吉も感じ取った。

 とても強い神力だ。

「どこや!?」

 虎吉は耳と鼻を使い、鈴音は空を見上げる。親鳥かと思ったのだ。

 しかしそれにしては雛鳥の様子がおかしい。

「地面!?」

 漸く力の出所を探り当て視線をやった瞬間、雛鳥のそばの地面が音を立てて盛り上がり、地中から何かが姿を現した。


 巨大な蛇だ。

 大きな雛鳥でさえひと飲みに出来そうな口に、鋭い牙、二股の長い舌、アナコンダがミミズに見えそうな巨体。

 チロチロと舌を動かしながら、雛鳥の遥か頭上で鎌首をもたげるその姿は、化け物だとか怪物だとかいった表現では生易しいと感じる程の迫力だった。


「えぇー?蛇って地面突き破って出て来る生き物やったっけ?」

 思い切りズレた感想を述べる鈴音の腕から、勢いよく虎吉が飛び出す。

「え!?虎ちゃん!?」

 驚く鈴音を置き去りに、蛇へ近付いた虎吉はびっくりする程全力の威嚇をぶちかました。

「なんやワレやるんかゴルァー!!」

 鈴音にはこう聞こえたが、蛇と雛鳥には『シャーーー!!』としか聞こえないだろう。

 ただ、神力も全開なので、とんでもない相手に思い切り絡まれた事だけは理解出来た筈だ。

 雛鳥は驚きか恐怖かは定かでないが、見事に固まった。

 だが、蛇はそうはいかなかった。こちらもまた『シャーーー!!』で返して来たのである。

 神力も全開で。


 殆ど同レベルの神力がぶつかり合い、空間が不安定になるのが分かる。


「ちょ、ちょ、虎ちゃん!?生態系とか言うとったん誰!?どないしたんよ」

「喧しい!!蛇は、敵じゃーーー!!」

 完全に喧嘩モードである。

 素早く懐に入り込み、跳び上がって頭に猫パンチ。吹っ飛ぶ蛇。地面がボコボコと割れて、巨体が全容を現した。

「なっっっが!!」

 1000メートルはありそうな蛇を見て、さすがの鈴音も唖然とする。

 吹っ飛ばされた蛇はその場で鎌首をもたげ、一気に飛び掛かる噛み付き攻撃。

 すんでの所で躱し、ステップを刻む虎吉。

 素早さでは虎吉が勝っているようだが、攻撃は然程効いていないように見える。

「やっぱり大きさかなぁ。神力同じくらいやったら、でっかい方が……て、呑気に見とる場合ちゃうよ!そう、神力やんか出てんの!その蛇も神様か神使ちゃうん!?」

 大声で呼び掛けるが、虎吉は聞く耳を持たない。猫にとって蛇は天敵なので、本能のままに動いてしまっているのかもしれない。

「うわー、どないしょー。……鳥ちゃん、キミのお父ちゃんかお母ちゃん、何とかしてくれへんやろか?」

 困った鈴音は振り向いて雛鳥に話し掛けた。

「ピヨ、ピーヨー」

 何となく人語は通じているようだが、残念ながら鈴音に鳥語が分からなかった。

「うーーん、取り敢えずあの蛇さんにどっか行って貰えるように頑張ってみるわ。もし、親鳥さん帰ってったら、私鈴音とあの小さい生き物、猫の虎吉て言うねんけど、敵やないから襲ったら駄目て言うといてくれる?」

「ピヨ!」

 わざわざ頷いて鳴いてくれたので、了解の意味だと受け取った。

 頷きが否定のジェスチャーだった場合は、危険が増えるわけだが、それはまたその時に考える事にする。

 とにかく今は、この世界を壊しそうなあの喧嘩を止めなくては。

「よっしゃ、覚悟決めて行くでー!!」

 改めて魂の光を全開にし、猫神の力も解放して、大暴れする二体へ向かって地を蹴った。

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