第百六十五話 そろそろ帰……あ、まだかー。
二度、三度と元神に石を振り下ろす狂信者から目を逸らす鈴音と、こういった行為を野蛮な行いと呼ぶのではないのかと開いた口が塞がらない神々。
特に、一度は神にまで取り立てた男の憐れな末路を、この世界の創造神レピは複雑な表情で見ている。
「なんや可哀相いうか、残念な奴やったな」
すりすりと頭を擦りつけながら言う虎吉に、頬擦りを返して鈴音は頷いた。
「うん。女神様がこのタイミングで起きるんやったら、神様方怒らして世界消し去って貰ても即バレて意味なかったし。そもそも神様方に世界消すだけで満足して帰って貰うには、女神様のこと悪ぅに言い過ぎな気もするし。もし主神が悪い、て女神様に矛先が向いて部屋から無理矢理引きずり出されたりしてたら、あの男が思うよりえげつない騒ぎになったやろし」
実際に神々はそのつもりだったのだが、部屋の鍵が思いの外頑丈だった為、未遂に終わっただけである。
「急に神様方に殴り込まれてパニクったんやろなぁ。咄嗟に吐いた嘘を上手い事利用してどないかして誤魔化そ思たけど、女神様への逆恨みが酷過ぎるから要らん嘘まで盛り盛りなって、結局は方向性が定まらんかった、いう感じかなぁ。アホ過ぎる嘘吐きや、て言いたいとこやけど、誰も傷つかへん誰も傷つけへん世界を作りたかったいうんだけはホンマやと思う」
「そうか?神さんごっこしたかっただけちゃうんか?」
虎吉の容赦ないツッコミに鈴音は笑った。
「最終的にはそんな感じになってたけど、最初は本気で、誰も傷つかへん世界を作る気やったんや思うよ。人やった時代から、そういう理想を掲げてたんちゃうかな。真面目な……真面目過ぎるぐらいの人やったんちゃうやろか。そうやなかったら、神様にして貰われへんと思うねん」
「そらそうか。権力に固執する奴やら遊んでばっかりの奴やらを、自分の代理にはせんわな」
「うん。でも政治家なんかと同じで、理想の実現に燃えてキラキラ光ってた目ぇが、いざ権力を手にしたらもう、ビッッックリするぐらい濁ったんやろねぇ。恐怖による支配やのに穏やかな世界や言うてみたり、人の分際で、とか言うてまう奴になり下がるとは、女神様もポッカーンやろなぁ。アタリと見せ掛けた大ハズレやもん完全に。なんぼ神様でも見抜くんは至難の業やで」
気の毒に、とレピに同情する鈴音を見ながら、虎吉は何故かニンマリと得意げな顔だ。
「……うわ可愛ッ!!どないしたーん?」
デレ、と一瞬で表情を崩した鈴音に顎を撫でられて目を細め、虎吉はご機嫌さんで口を開く。
「猫神さんの目ぇに狂いは無かった、思てなー、ドヤりたなったんやー」
「ふーん?まあ、猫神様は常に正しいからね。猫神様のなさる事が正義やから。いや間違えた、猫神様の存在自体が正義やから。当然、猫神様の子孫である猫も正義やし」
キリ、と一瞬で表情を引き締めた鈴音の猫贔屓に笑い、『何の事か解ってへんのもまた良し』と頷く虎吉。
「ほなそろそろ、その“存在自体が正義”んとこに帰るか?どうせ後は誘拐犯とその信者が死んで終わりやろ?」
「そうやんね、もうハルと黒花さんは取り戻した訳やし」
言いながら視線を犬神に向けると、尻尾を振りながら頷いていた。
では犬神共々帰る旨を誰か、シオンにでも伝えねばと顔を上げた時、テールから鈴音に声が掛かる。
「ちょっと鈴音、信じられないわよアイツら!死体ほったらかしよ?いくら道具が無いから埋められないっていったって、せめて木のそばにでも移動させるとか出来るでしょ!?」
映像を手で示しながら憤るテールを見やり、帰るなんて言い出せる雰囲気ではなくなってしまった、と遠い目をしながら頷いた。
「しかも、死体から大して離れてないさっきの場所から動かないで、神に祈るだとか言ってるのよ意味解んないわ!」
両手で自身を抱きしめて嫌そうに首を振るテールと、『ナメられてるなぁ私』と苦い顔のレピ。
ここで、『そうですかムカつきますね、ほな、私らは帰りますー』等とかませるような強心臓持ちではないので、鈴音は神々に溜飲を下げて貰うべく、あの宗教指導者と信者達がこの後どんな酷い目に遭いそうか、解るように説明しなければならなくなった。
「遺体をどうするかは私の住む世界でも色々やり方があって、野ざらしにして自然に任せる風葬いうんもあるんですけど……」
風葬の習慣の有る無しでまた、神々が頷いたり驚いたり情報交換したりとザワザワする。
「鳥や獣に食べて貰う事を前提に野ざらしにする方法と、それは無しであくまでも風……実際は微生物の力を借りてる訳ですけど、風にまかせて自然に骨になるんを待つ方法なんかがあります。やり方によって呼び方が変わる事もありますね。でも今回の場合はテール様の仰る通り、ほったらかしにしただけでしょうねぇ」
「へぇー、風葬!埋めたり焼いたりする方法しか知らなかったわ」
感心した様子で頷いたテールだが、そこでふと、鈴音が何を言いたいのか気付いたようだ。
「鳥や獣って……人の死体に寄って来るの?」
「はい。人も動物ですから、彼らから見たら死んだ動物、労せず手に入る肉でしかない訳です。土葬の場合でも鼻のいい獣は寄って来たりするんで、墓地には獣避けの工夫がされてますね」
淡々と答える鈴音から、神々の視線はレピへ移る。
「この辺、肉食、雑食の獣は居るのかい?」
シオンの問い掛けにレピは頷き口を開いた。
「群れで動く割と獰猛な肉食獣がいますねぇ。木登りも得意だったりするんですよぅ」
やっちまったぜ、な笑みで頭を掻くレピと、満足気な様子で頷くシオン。
「そう……、成る程ね。でも、生きてる人まで襲うかしら?」
腕を組んで首を傾げるテールに、鈴音は困り顔で答えた。
「人の味を覚えると、襲うんやそうですよ。せやから人を襲った動物は殺されてしまうんですけど、今のこの世界にそんな決まりは無い……というか有ったとしても実行出来ませんので、逃げるしかないですね。ただ、既に相当近い所まで来てる筈なんで、果たして人の足で逃げ切れるかどうか……」
「え?さっき殺されたばっかりよ?もう近くに来てるの?」
目を丸くしたテールに答えたのは、つまらなそうに映像へ目をやった虎吉だ。
「血の臭いや。殺されたあの男、服が元々血塗れやったやろ?そらあんな大量の血の臭い振り撒いてみぃ、瀕死の動物がここに居てますよーて言うてんのとおんなじや」
「ああ、そういう事!じゃあもう……」
時間の問題かと言いかけたテールの目に、死体へ近付く獣の姿が映った。
ブチハイエナとヒグマを混ぜたような四つ足の大きな獣が一頭、周囲を警戒しながら死体に近付いて行く。
フンフンと鼻を動かし、いけそうだと判断したのか腹に齧り付いた。不味くはなかったようで、二口目に突入する。
すると、周囲の木々の間から同種の獣が続々と姿を見せ、慌てて死体に群がった。瞳孔全開の虎吉が見つめる中、どんどんと胃袋に収めて行く。
「最初のんが切り込み隊長やったんやな。あれは群れの仲間か。うわー、ようけ居るなあ。あの図体に数や、あっという間に無ぅなってまうで」
何故急に虎吉が喋り出したのだろう、と鈴音を見たテールは、そういえばそうだった、と納得して映像へ視線を戻した。
勿論鈴音は映像から目を逸らしており、解説など出来る状態ではない。
「終わった?終わった?」
鈴音の確認に虎吉が『うーん』と悩みながら首を傾げる。
「肉片の残った赤い骨が転がっとる。髪の毛もガッツリ残っとるし、やめといた方がええんちゃうか?」
「ヒィィィ」
幾度も頷いた鈴音は映像に背を向けた。その左肩に両前足を置いた虎吉がヒョコっと顔を覗かせ、代わりに見るらしい。
するとこの体勢が一部の神々に大好評。
「きゃあ可愛いわ!虎吉がすっごく可愛いわ!!」
「ああ本当に!愚かな人攫い共等どうでもよくなる可愛らしさだね!!これはもういつまででも見ていられるよ!!」
「誰か、絵心のある神は?この姿を写し取ってくれないか?」
テール、シオン、ウァンナーンらが口々に言い、猫神信者の神々が鈴音の背を囲むように陣取って、これで彼らの手にカメラがあれば撮影会そのものである。
愛する動物が居る神々は『気持ちは解る』と頷き、それ以外の神々は呆れたり首を傾げたり興味を持ったりと、反応は様々だ。
丁度その頃人界では、神に祈ると言いながら特に何をするでもなく宗教指導者が岩に腰掛け、それを囲んで信者達が地面に膝をつき手を合わせて頭を垂れていた。
「さあ祈るのです。新たなる世界に相応しい我らがここに居ると、神が気付いて下さるように」
優しげに言う宗教指導者のそばに居る者達は熱心に祈っているが、離れた位置に居る者達は頭を垂れているだけで祈っている様子は見られない。
彼らの脳裏には、時間経過と共に状況は悪化すると言っていた、元神アロガンの声が蘇っていた。
実際、世界がこのように変化してそれなりの時間が経ったが、神が現れる様子はない。
緊張も手伝って喉が渇いてきたというのに、コップ一杯の水もない。水の代わりになりそうな果実等もない。
これはいよいよ不味いのではないか、とは思うものの、狂信者達が怖くて身動きが取れなかった。迂闊な真似をすればアロガンの後を追う事になる。
どうしたものかと悩む信者達の耳に、ガサガサという不自然な葉音が届いた。
誰か来たのかと振り向いた者達は、茶色とも灰色ともつかない斑模様の大きな獣を見て硬直する。
獣の方も人の出方を窺っているのか、じっとして動かない。
この間、ほんの1、2秒の事だった。
鼻筋に皺を寄せた獣がその大きな口を誇示するように牙を剥いた途端、驚いて固まっていた者達は恐怖の余り悲鳴を上げて逃げ出す。
しかし、獣相手に背中を見せて逃げる者の末路は言わずもがな。
彼らの悲鳴で顔を上げた者達は、森から次々飛び出して来る獣にそこで漸く気付いたが、その時にはもう、牙の並ぶ口が目の前に来ていた。
あの凶悪な狂信者でさえあっさりと餌食になる中、宗教指導者はいち早く手近な木に登って難を逃れている。
岩に腰掛けて適当に周囲を見ていたので、獣の姿に直ぐ気付けたからだ。
「……っはぁ、はぁ、何です?これは。神よ、あなたの選んだ者達が、ケダモノ風情に、ああ何という事でしょう、うぷ……ッ」
人を銃で撃ち殺す事は何とも思わない男も、獣に食い荒らされる人を見るのは耐えられないらしい。
目を逸らし口で呼吸しながら惨劇の終演を待つ。
だが、自分は観客だと思っていた男は、ギシリ、と木が揺れた事でそれが大きな間違いだと知った。
「ま、待ちなさい、何故その巨体で登ろうとするんです!?大人しく諦めて……、は?」
後足で立ち上がった獣は、鋭い爪と逞しい四つ足を器用に使い、力強く木に登る。
「そんな、そんな馬鹿な。逃げなければ、逃げなければ!!」
こんな惨たらしい場面を演じる側に回るつもりなど無いと、逃げ場を求めて下を見た。
待ち構えているのは人の味を覚えた獰猛な獣達だ。まだ信者の全てを食い尽くした訳でもないのに、木の上の獲物が落ちて来るのを今か今かと待っている。
「かっ、神よ!!平穏なる新しき世界の民を導けるのは私だけですよ!?どうなさったのです神よ!!」
空へ向かって叫んでも、一切何も起こらない。
木登り上手な獣はどんどんと近付いて来る。
「そんな筈はありません、私は神に選ばれし者、愚かなる者を罰し正しき者を導くという役目があるのです、こんな所でケダモノ風情に……」
何としても逃げなければと更に登り、登り、登る。
悲鳴を堪えて登り続け、下から迫り来る獣の鼻息に震え上がり、もう隣の木へ飛び移るしか、と覚悟を決めた所で枝が折れた。
この世の物とも思えぬ程の悲鳴を上げながら、神の代行者を名乗った男は落ちて行く。
待ち構えていた爪と牙の群れに飲み込まれ、あっという間に男の姿が見えなくなると、後には機嫌良く食事する獣達の咀嚼音だけを残して、自然界の理を示した出来事は幕を下ろした。
「やーん、虎吉可愛いこっち向いて」
「いや、こっち。こっちを見てくれ」
「いいなぁ、私もトカゲとああいう事したいなぁ」
虎吉観賞会を始めてしまった猫神信者の神々と、それを観察する神々とで神界は大変な盛り上がりを見せている。
そんな中、じっと映像を見ていた虎吉が一言。
「おう、終わったで」
それだけで鈴音はホッと肩の力を抜き、神々は『何が?』と首を傾げた。
「けど映像が固定されとるから、見ん方がええのはええな。遠目やけど分かってまうからな」
「そうなんや、解ったありがとう」
「神さんらがワイワイ言うてたお陰で、えげつない悲鳴もあんまり聞こえんかったんちゃうか?」
「うん。人の耳モードで神様方の声に集中しとったからね。トラウマにならんで済んで良かった」
虎吉と鈴音の会話を聞いて、漸く神々は思い出した。
慌てて映像を見るも時すでに遅し。
「うわあ!全部終わってるぅ」
レピが両頬に両手を当てて目と口を開けば、シオン達は目を点にして瞬きを繰り返している。
「うーん、まあ大体何となく解るし、気にしない気にしない。可愛い虎吉見る方が大事だからね」
世界を消す、とキレまくっていたとは信じられないシオンの切り替え振りに、やれやれと呆れながらも神々は同意した。
ただ、レピだけはこの世界の創造神として一応知っておきたいと言ったので、虎吉は懇切丁寧に説明してやる。
当然鈴音が『ギャー無理ぃぃぃ』だの『ハイエナグマ無敵か怖ッ』だのとビビり倒すので、臨場感たっぷりだったとレピに喜ばれた。
明日土曜日にワクチン2回目行ってきます。
もし更新が乱れたらお察し下さいませ。




