第百六十一話 解任
人と小さな分身体相手に、創造神の代わりを務める神とも思えぬ愚行。
思い切り罵ってやりたいが、そんな余裕は無い。
いくら犬神の攻撃で弱体化しているとはいえ創造神代理には違い無いのだ。正面からまともにやり合うのは無謀だろうと、最初の一撃を全力で躱す事に集中し鈴音は身構える。
しかし次の瞬間、何かが視界を遮った。
「へ?」
「何や?」
目を真ん丸にして驚く鈴音と虎吉の前にあったのは、長い黒髪の男神ウァンナーンの背中。
そしてウァンナーンの横にも、見覚えのある神々の姿がある。
猫神信者こと、白猫を愛でるお茶会を開くのが趣味な神々が、ずらり並んで壁を作っていた。
半円を描き創造神代理の男神を囲むような陣形を取った神々は、皆一様に怒気を溢れさせている。
更に壁の向こうからは、もう一段階上の怒りを迸らせている神々が居ると感じ取れた。
背伸びした鈴音は神々の肩越しにその姿を確認する。
「我が盟友の眷属に狼藉を働こうとは。私への宣戦布告か?受けて立つぞ?」
フサフサの尻尾を立てた犬神が鼻筋に皺を寄せ牙を見せている。とても恐ろしい。
「猫ちゃんの分身と神使でアタシの巫女を助けてくれた恩人……あ、虎吉は人じゃないわ。でもまあそういう事よ。アタシの大切な存在に手ぇ出すなら覚悟なさい?」
腰に手を当てたテールが無表情で男神を見つめている。非常に恐ろしい。
「嘘を吐いて俺を利用しようとした上に!あんなに可愛い虎吉と!猫ちゃんのお気に入りの鈴音に!危害を加えようというのか!!キミは何か!?俺をキレさせる為だけに生まれてきたのか!?」
目を見開き口角を吊り上げたシオンが激怒している。極めて恐ろしい。
「うわー、猫愛がどえらい事に。ありがたいけど何やもう、あの代理がちょっとだけ気の毒になってった」
「おう。どう頑張っても勝たれへんもんな。まあ死ぬんがアレの望みやとしたら殺らんやろけど、その分どんな目ぇに遭わされるか分かったもんやないで。怖いなー」
こそこそと会話した鈴音と虎吉は、大人しく成り行きを見守る。
流石に、今にも飛び掛かりそうな犬神とキレた創造神が二柱も居る場所に飛び込む程、鈴音も虎吉も命知らずではない。というより、そこまでして助けてやりたい相手でもない、が正しい。
「ぐ……ッ」
拳に纏わせていた光を霧散させ、青い顔をした創造神代理の男神が後退る。
「どこへ行こうというんだい?殺して欲しかったんだろう?」
「ひやぁあ!?」
何の前触れも無く背後から聞こえた声に悲鳴を上げ、前へ逃れようとした男神だったが、残念ながら一歩も進めなかった。
シオンが男神の後頭部をがっちりと掴んでいたからである。
「離、離せ、クソッ」
両手を後ろに回してシオンの手を外そうと必死に藻掻く男神。
「うん、擽ったいからやめておくれ?それにしても何故抵抗するのかな?死にたいんだろう?もしかして、殺せ殺せと騒げば、キミの望みを叶えたくない我々が命だけは助けるだろうと踏んで、死ぬ気も無いのにそう言っていただけかい?」
声だけは優しげなシオンの問い掛けで、男神の顔から更に血の気が引いた。
「あらやだ図星?殺されて全部無かった事にする、っていうアタシの予想は外れたみたい」
両肩を軽く上げたテールが冷たく笑う。
「ち、違う、本当に死ぬつもりで……」
「よし、じゃあお望み通りにしてあげよう。俺は優しいからね」
そう言いながらシオンは後頭部を掴む手に力を込めたようだ。男神の口から悲鳴が上がる。
「ギャアアアッ!!ま、待ってくれ、待っ、グアァァァア!!」
「どうした?時間を掛けちゃあ痛いだろう。クシャッとやってあげるから、じっとしておいで」
「出来るか!離せ、ギャアァ!!」
ジタバタ暴れる男神と笑うシオンを神々の肩越しに眺める鈴音も、色々想像してしまった結果青い顔だ。
「まさかホンマに殺る気ちゃうやろけど、クシャッととかスプラッタな絵面出て来るからやめて欲しいわー」
「血飛沫どころちゃうわな。おう、こそばいがな」
虎吉の頭に鼻を埋め、どうするつもりかと見学していると、うっかりシオンと目が合ってしまった。
「おや、鈴音に虎吉、そんな所に居たのか。大丈夫、この男はもう何も出来ないからね、安心して一番前で見ているといい」
何が大丈夫で何に安心しろというのか謎でしかないが、激怒中の創造神自らのお誘いを断れる理由がどうしても思い浮かばない。諦めて愛想笑いを浮かべた鈴音は、神々に会釈しながら一番前に出た。
すると、悲鳴を上げていた男神が鈴音に気付いて物凄い顔で睨む。
「おのれ……人の分際でぇぇぇ」
「うん、確かにね。けどアンタのその反応も、小物の悪党感ごっついで?神様いうより人の世界の悪党っぽい」
普通に生活していたらまず関わる事の無かった悪党を色々見てきた鈴音は、この男神を典型的な小悪党に分類した。
「誘拐、殺人、大虐殺を他人そそのかしてやらせるいう、大悪党も真っ青なえげつなさやのに、この拭い切れん小物臭はどっから出てるんやろ?キャンキャン吠えるからかなー?うーん」
不思議そうに首を傾げる鈴音を見て何か閃いた様子のテールが、口汚く喚く男神の背後に立つシオンに声を掛ける。
「ねえシオン、コイツ元は人なんじゃない?」
その発言に対する男神の反応は実に分かりやすかった。
「キサ、キサマッ何を、誰がッ」
これ以上無い程頭に血を上らせ、魚のように口をパクパクと動かし二言三言発するのが精一杯になってしまったのだ。
「うわあ、そうなん!?『何たる侮辱ッ』とかいう反応ちゃうもんねそれ。認めてもうてるやんね。えー、ショックやー。日本の、人から神になった皆様はこんなんちゃうって信じたい」
ガックリと項垂れる鈴音に虎吉が頭を擦りつけて慰める。
「大丈夫や、神さんかてしょーーーもない事で喧嘩しよるし、浮気バレてシバき回されよるし、そんな綺麗なもんちゃうから」
「ああ、そうなんや……て、あんまフォローなってへん気ぃすんねんけど、まあええか」
鈴音と虎吉の会話を聞いていた神々が『言い返せない』と微妙に引き攣った笑顔になる中、咳払いを一つしたシオンが男神の頭を掴む手を光らせ始めた。
「よし、よーく解った。ふふふ。俺はとても良い事を思い付いてしまったよ」
男前の邪悪な笑みは怖いなあ、と遠い目で虎吉を撫でる鈴音の前で、怒りと羞恥から真っ赤な顔をしている男神が、どういう訳か見る見るうちに神力を失って行く。
「く、おぉお!?何だ、何が起きている!」
再びジタバタと暴れる男神と、邪神感全開で笑うシオン。
「不死性は残してあげよう。でも痛みは覚えるから気をつけるといい」
シオンの手から光が消えると同時に、男神の神力も消えて無くなった。
神性を失いそこに立つ男は、鈴音よりも弱い、というよりそれこそ指一本で冥界送りに出来てしまう程に脆い、人そのものである。
ワナワナと震えながら自身の両手を見つめる男に、恐る恐る鈴音は声を掛けた。
「え、大丈夫?人が神界に居って大丈夫?て、私が言うても何の説得力も無かった……!」
天を仰ぐ鈴音へ、楽しげな笑いと共にシオンが答える。
「そうそう、この男も特殊だからね。鈴音と違って目に見えて光ってこそいないけれど、こうして神界に居られる魂の持ち主さ。だから神になれたんだよ」
「あー、そうなんですね、いきなりグチャッとかブシャーッとかならへんのですね、良かったぁ」
ほっと胸を撫で下ろす鈴音を見た男の顔が屈辱に歪んだ。そのまま両手を握り締め、殴り掛かろうと一歩踏み出した所で再びシオンにしっかり頭を掴まれる。
「ははは、何処へ行くつもりだい?キミの行き先はこっちだよ」
そう言いながら通路を開くと、離せと喚く男をグイグイと押して自分も一緒に出て行ってしまった。
「え、今のってここの人界?」
ちらりと見えた景色に驚いた鈴音が、振り向いて空中に浮かぶ映像を見る。
映っているのは、倒れたままの光る巨人の上空を飛ぶドローンや周りを囲む戦車、ベランダや屋上から様子を窺う人々。暴れる中高年の姿は今の所確認出来ない。
「あの巨人、意識戻ったらまた同じ事するんやろか。それとも力与えた神が居らんようになったせいで、もう何も出来ひんのかな」
「一遍取り込んだ力は自分のもんやから、神さんが消えても関係あらへんやろけど、その辺を無視するとんでもないのがまた行ったからなあ」
鈴音と虎吉が会話している間に、その“とんでもないの”ことシオンが空を割って姿を見せる。
一度降臨して神力の調整に慣れたお陰で、圧力によって人々が押さえつけられたり道や窓が割れる事は無かった。
しかし、シオンの姿を見た人々は明らかに恐怖し、その身体から黒っぽい靄を立ち上らせている。
「あれ!?さっきまで向こうの人ら、若手平気で殺した中年職員でもあんな靄出してなかったのに」
ギョッとする鈴音に虎吉が頷いた。
「創造神代理が出したせいや。これでこの世界にもあのモヤモヤっとしたトゲトゲっとした奴が溜まるで。消そ思たらそれこそ、世界を最初から創らなアカンやろな」
「うわー、大迷惑。あの最低男、神様辞めさせられる前に最悪な置き土産してったやん」
この世界の澱が人にどんな影響を与えるかは分からないが、良い方向に働かない事だけは確かである。
鈴音が苦い物を口にしたような顔をしていると、映像を見ていたテールが楽しげな声を出した。
「あら、シオンってば分離するつもりよ。きっと、何らかの手段で世界中が見てるわよねこの巨人の事。その中で正体が明らかになったら、一体どうなるのかしら」
「え?」
何の話だろう、と映像の中のシオンを見れば、男の頭を掴んでいない左手を突き出して、巨人を宙に浮かせている。おまけに浮いた巨人から光を掌に吸い寄せていた。
「えーと、あれは今さっきここでやったみたいに、あの巨人から神の力を引っ剥がしてるんですかね?」
遠い目をしながら尋ねる鈴音を見やり、テールは大変綺麗な笑みを浮かべる。
「その通りよ。みーんなが見てる前で、あの化け物が誰だったのかバレちゃうわ」
「わー、楽しそうやなテール様もシオン様も。いや、でも待って?そんなんバレたら、中高年層がそれこそ大暴れするんちゃう?」
「するやろな。何やったら、あの靄の影響受けて若い世代でもキレる奴出て来るかもしらんで?」
あっさり同意し、更に悪い予想をしてくれる虎吉を見ながら瞬きを繰り返した鈴音は、大慌てでテールを振り向いた。
「駄目ですよテール様、悪いのはあの男で、創造神様は悪ない……こともないけど精々任命責任ぐらいやて解ったやないですか。せやからもう、創造神様が起きるまで世界に関しては放っとかなアカンのちゃいます?巨人の正体なんかバラしたら、あの世界滅茶苦茶なってまいますよ!?」
実に尤もな意見だと思うのだが、綺麗な笑顔のままテールは首を振る。
「これはあの男へのお仕置きだもの、仕方ないわよ」
「鈴音、無駄やで。キレた神さんに人の理屈は通らへん。日本の神さんは祟るし、他所の神さんは呪うし、キレて街滅ぼしたりしとるやろ?わざとやないとか、うっかりやとか、心入れ替えるやとか、そんなん通用せぇへんねん。人が唯一出来る事いうたら、怒らせへん事だけや」
「完ッ全に手遅れですやん」
虎吉の解説を聞いて愕然とする鈴音。その視界に映る世界では、巨人を形作っていた光が消え、異世界人誘拐犯で神の代行者な宗教指導者の姿が現れていた。
「……ん?おお、私は生きているのですか。てっきりあの凶暴な女に負けたかと思いましたが、やはり神に選ばれた私は特別ですね。ふふふ、それでは改めてこの汚れた世界の浄化を……」
上体を起こして頭を振り、手で顔を拭いながらそこまで喋った宗教指導者は、漸く自身が空に浮かんでいる事に気付く。
周囲を飛ぶドローン、上空を旋回する戦闘機、地上に展開する戦車や戦闘用ロボット軍も視界に収めた。
「こっ、これは一体!?」
そこへ、空を滑るようにして顔色を失った生真面目そうな男が近付いて来る。
「誰です?」
男の頭から爪先まで見やり怪訝な顔をした宗教指導者の耳に、シオンの高笑いが届いた。
「ハハハハハ!!誰です?って、そりゃまた随分なお言葉だねえ。キミが崇め奉ってた神だよ。この世界を自分の理想郷に作り変えようとして失敗し、失敗を認めたくないから全て消し去って、初めから何も無かった事にしようとした素敵な神様さ」
「違う!!俺は失敗などしていない!!コイツらが失敗作だっただけだ!!」
シオンの言葉を胡散臭そうに聞いていた宗教指導者も、男の声を耳にした途端顔色を変える。
「わ、私の夢に現れた神のお声だ……何て事だ」
「チッ……!」
神がまさかこんな顔色も口も悪い男だったとは、という表情の宗教指導者と、顔を顰めて目を逸らす男。
「おやおや、感動のご対面だろう?もっと嬉しそうにして欲しいものだねえ。まあ、こんな冴えない男が神だなんて、感動のしようもないか。それで?どうするんだい?まだ世界の浄化とやらを頑張るのかな?」
飛んで来たドローンを捕まえ、物珍しそうに眺めながらシオンが問う。
「当然でしょう!野蛮な者達に乗っ取られるくらいなら、綺麗に掃除して神に新たな世界をお創り頂く方がいい!」
立ち上がって胸を張る宗教指導者に、ドローンを手放しつつ優しいシオンは教えてあげた。
「そうかい。因みにその男に新たな世界を創る力は無いし、キミもあの巨人になれる力はもう無い。世界を浄化して理想郷を作り上げる為には、自分の力だけで何とかするしかないね。精々頑張るといい」
言われた意味が解らないという顔をしている宗教指導者と、憎々しげに空を睨む男を、シオンはもう何も語らず地上へと下ろす。
そのまま後の事など気に留める様子も無く、通路を開いて神界へと姿を消した。