第百五十九話 黒点
あちこちで爆発音や怒号が飛び交う街の中、用心棒のマント男が矢継ぎ早に放つ炎の魔法と剣技の全てをひらりと躱し素手で捌き、大変がっかりした顔をしているのは聖騎士シンハだ。
遺跡の管理施設に空けた穴から鈴音が外へぶん投げた男を追いつつ、さあどんな勝負が出来るだろうか、と期待に胸踊らせていたのに。
辿り着いた公園で向き合った相手は、驚く程に弱かった。
聖剣を抜くどころか、鎧すら必要無いくらいに弱かった。
何故こちらの世界の者達に協力する事にしたのか、首謀者はやはりあの声の男なのか等、色々と聞き出すつもりだったが、何だかもう全部どうでもよくなってしまう位に弱かったのだ。
肩を落としたシンハが、時間の無駄だったと首を振りつつ右腕を振ろうとすると、まるでリングに投げ入れられたタオルのように、マント男のそばに異世界への通路が開いた。
降参して帰って来いという神の情けだな、と腕を下ろしたシンハの前で、何故か男が喚き出す。
「な、何だこの見慣れた景色は!冗談じゃないぞ、誰が戻るか!!こっちに居れば無敵の強さだとチヤホヤされて遊んで暮らせるのに、何でわざわざ外道扱いされる場所に戻らなねばならん!!人を殺して物を奪った位で騒ぐ世界になど用は無い!!」
「……いやそれ多分どの世界でも駄目だぞ……」
だからこの世界で用心棒という選択になったのか、と呆れるシンハと通路の両方から逃げようと後退る男へ、後方より大変局地的な突風が吹いた。
神が背中を突き飛ばしたようにも見えるそれに抗える筈も無く、男は通路の向こうへ吹っ飛ぶ。
「うわっ、なんか急に人が!」
「わ、ホントだ……って、あー!!」
「何だよビックリするだろ!?」
「賞金首!!大宝石女神の涙強盗殺人事件の!!」
「マジか!!大人しく捕まれ1億金貨野郎ッ!!」
やたらと賑やかな声を残し、通路は閉じた。
ポツンと残されたシンハが、鈴音の所へ戻るべきかシオンのそばで待機すべきか、この公園丁度中間地点だなあ等と考えたその時、遺跡から光が迸り巨人が姿を見せる。
人の形はしているものの目も鼻も口も無い光の塊だというのに、実に楽しげな笑い声を轟かせて。
「何だあれは。我が命の恩人鈴音様はご無事か!?」
迷わず聖剣を抜いたシンハの視界に、もう一つの光が現れる。
巨人より遥かに小さいのに遥かに強烈な輝きをしたそれは、遺跡から飛び出し付近の超高層建築物の屋上に降りた。
「おお、ご無事だった!よし!」
無論鈴音の姿は確認出来ないが、あんな光を出す人がそう何人も居る筈も無いだろうと判断し、安心して聖剣を構える。
全く楽しめなかった勝負の鬱憤を晴らすかのように、神力を溢れさせている巨人へ向け何の躊躇いも無く力一杯振り下ろした。
遺跡から出て、30階建て位のビル屋上に降り立った鈴音は、巨人の笑い声を聞いて目を丸くしている。
「フハハハーて、口あらへんのにどないなってんの?けど、笑ういう事は喋れる可能性アリ?制御不能では無いっぽいね」
「おう。喋れたからいうて話通じるかは解らんけどな」
「確かに」
虎吉と会話しつつ、さてどうしたものかと考えていると、随分離れた場所から巨人を縦に真っ二つに出来そうな光の刃がぶっ飛んで来た。
「問答無用!?」
驚く鈴音の前で、光の刃は正確に巨人の体を縦に割る位置を通過する。
哀れ巨人は真っ二つ、かと思いきや、どうやら何のダメージも受けていないようだった。
「あれ?効いてへんで?」
首を傾げる鈴音の耳にシオンの声が届く。
「いいかい聖騎士シンハ、ああうん名前ぐらい覚えてるよ嬉し泣きしなくていいから。それでね、いやキミ聞いてる?はいはい。いいかい?アレは光で出来た巨人だね?そしてキミの聖剣が出すのも光で出来た刃だ。そう、そういう事。光同士でもよっぽど力の差があれば別だけれど、アレは一応神の力が元だからねえ。いやいや、キミが弱い訳じゃあないんだよ。相性が悪かっただけさ」
どうやら地上のシンハと会話していたらしいシオンの言葉から推測すると、この巨人に光で攻撃しても効かないという事らしい。
「相性かぁ。まあシオン様なら瞬き一つで消せるんやろねぇ」
「そらそうや」
「ほなシオン様がやる気になる前に頑張らな。おーい!」
思い立ったら即行動。鈴音は巨人に向けて大きく手を振った。
「ぅん?おやおや、いつの間にそんな所へ。それにしても、神の代行者たる私より眩いとはどういう事です?許し難いですね」
鈴音の存在に気付いた巨人は、ビル側へ顔を向けつつ喋れる事を証明する。
「しつもーん!」
すぐさま鈴音は手を挙げ声を張り上げた。
「何です?」
「お、よかった、聞く耳持ってるタイプや。なあなあ、神の代行者て何?世界の浄化と関係ある?」
その質問に、巨人が優越感を隠し切れない笑みを浮かべたと鈴音は感じた。顔はないのだが、滲み出る空気のようなものが明らかにいやらしい。
「フフフフフ、私は神に選ばれし者。神の声を世界に伝える者。この穏やかなる世界を作り上げた立役者」
「うわ、自分で言うたで立役者て」
「他に誰も言うてくれへんからちゃうか?」
神にも聞こえない猫の耳専用内緒話が代行に聞こえる筈も無く、高慢さを垂れ流しながら話を続ける。
「各国首脳と真心を尽くして話し合い、皆さんの賛同を得てこの美しい世界を作り上げた私に、ある日神が仰ったのです。良くやった、素晴らしい。しかし悲しい事だが、いずれ悪の心に抗い切れなくなった者達が暴れ出し、この世界は壊される。私には分かるのだ。正義の鉄槌だけでは目を覚まさなくなるだろう。その時は、そなたが私の代行者として世界を浄化するように、と」
幾度か頷き、鈴音は自分の言葉に変換した。
「宗教指導者として偉い人らに会うて、無意識に神力使て洗脳した。ほんで、この世界のルールが出来上がった後に、創造神の代理が何や要らん事吹き込んだ、いう感じやろか。代理やの代行やのばっかりでややこいなぁもう」
「おう、ややこい上に何でそんな要らん事したんかが相変わらず謎や」
虎吉の言う通りだが、恐らくこの異世界人誘拐犯で神の代行者な男は何も知らないだろうと鈴音は思う。
「悪の心を少しでも抑えられるようにと、神が異世界の生物を呼び出す装置の作り方を御用意下さいましてね。それを世界中に広め、私だけに与えて下すった奇跡の玉から、動力となる神の力を小分けにして与えたのです。お陰様でこの30年ばかり、それはそれは平穏無事に過ぎたのですが……、やはり神の予言は正確なのですねえ。こんな事になってしまいましたよ」
やれやれ、と首を振る巨人。
それを見ながら鈴音は顎に手をやる。
「ふーん。創造神が満足する世界が出来上がった後に、異世界から生き物召喚出来る装置と、人一人あんな巨人に変えられる力を人界に贈ったんか……」
「まあ、こうなってしまった以上、仕方がありません。全てを消し去り浄化して、神に新たな世界を創って頂きましょう」
楽しげな声に思考の中断を余儀なくされた鈴音は、何やら掌に力など溜め始める巨人を尻目に、シオンが目印代わりに作った光の柱の方へ視線を移した。
「シオン様、この世界の動物は……」
「逃したよ。まだ何も居ない星があったから、そっちに引越して貰った」
「仕事早ッ!!あと、普通の声量で聞こえてはる!!」
「ははは!こう見えて神だからね」
「どう見ても神様ですよ」
ただ空に浮いているだけに見えたシオンは、この短時間で人以外の生物全てを転移させていたらしい。
そんなとんでもない神に今もまだ、空と地上の両方からミサイル攻撃なぞ仕掛けている人の何と憐れな事か。
無人機に付けたカメラからの映像により、遠く離れた司令室からでも、高価なミサイルが一発も当たっていない事は見えているだろうに。
信じたくないのか、足留めくらいにはなると思っているのか、どちらにしろ現実が見えていない、と人である鈴音は恥ずかしいような悲しいような微妙な気持ちになった。
「あ、異世界の人らはもう全員帰りましたか?」
動物が無事と聞いて本来の目的を思い出した鈴音に、シオンが笑いながら答える。
「後はうちの聖騎士と鈴音と虎吉だけだよ。帰るかい?」
「いえ、私はこのオッサンぶん殴るいう大事な仕事がありますんで、もう少し待って頂けると」
それを聞いた巨人が、掌にキューブ状の光を出現させつつ大袈裟に驚いた。
「殴る!私を!この、神の代行者たる私を!どうやって殴りましょう?見た所アナタも光の使い手です。光は私に効きませんね?さあ大変だどうしましょう」
この巨人、放っておいたら踊り出しそうだな、と半笑いになりながら鈴音は神力を解放する。
太陽のように輝く魂の光の中で、鈴音の右手が闇に覆われ始めた。
ゆらゆらと揺らめく闇は黒い炎。
地獄の管理者である黒猫に、阿鼻地獄の炎に匹敵すると言わしめた物騒な力だ。
それもその筈、鈴音にこの力を与えたのは、黄泉の国の管理者イザナミ。
夫への絶望から、神を産む生の力を死の力へ反転させてしまった、死そのものとさえ称される恐ろしい女神である。
そんなイザナミが戯れに授けてくれた力の中には黒い炎とは別に、物なら塵へ変え生き物なら魂ごと破壊出来る闇もあるが、うっかり狙いとは違う場所に当ててしまうと取り返しがつかないので使用を自粛している。
そうして、黒い炎を馴染ませ、爪も皺も分からない作り物めいた黒い右手が完成すると、光の中でその黒を際立たせながら、鈴音は『え、魔王?』等と言われそうな凶悪極まりない笑みを浮かべた。
「闇の右手のかんせーい。さあ大変やどないする?……っと、光は消しとかんと危ないかな?」
「どうやろな、人が混じっとるから消滅さしてまうかもわからんな。消しとき消しとき」
虎吉のアドバイスに従って魂の光を消した鈴音が、真っ直ぐに巨人を見る。
「神にそそのかされたにしても、アンタが実行せんかったら大上家の人が泣く事はなかったし、犬神様や陽彦と黒花さんに関わる全ての人が心配してモヤモヤする事もなかってん。依って、私基準で有罪。私怨でアンタをぶん殴るんでヨロシク」
「何の話です?有罪?私に罪など……」
巨人は最後まで話せなかった。
弾丸より速く跳んで来た鈴音の右拳が顔面にめり込み、後方へ倒れ込んだからである。
倒れる際に手から離れたキューブ状の光が、細かいキューブに別れて飛び散り街のあちこちを消した。
破壊したのではない、消したのだ。
消しゴムで擦ったかのように、掻き消したのである。
「うわ、浄化てこういう事か……ホンマに何も無くなるんや」
少し低い別のビルに跳び移った鈴音の呟きに虎吉が頷く。
「創造神やったら一発で全世界ポンと消せるやろけど、代理の代行やしこんなもんやろな」
突然青空が見える事になった建物などから悲鳴が上がり、外へ逃げ出して来た人々はゆっくりと立ち上がった巨人を見てまた悲鳴を上げた。
「お、立った立った、良かった。フルボッコいう約束やからね、一撃で終わってもうたら困るんよ」
口の端を吊り上げて床を蹴り、今度はみぞおち辺りへ右拳をめり込ませる。
言葉一つ発する間も無く吹っ飛ばされる巨人。
落ちた場所が破壊され、悲鳴と怒号が飛び交う。
「んー、異世界人を人として扱わん、人でなし達の街やて解ってても、微妙な気分になるわ」
「ビルの取り壊し現場や思たらどないや」
「そっ……いや、悲鳴が邪魔」
「難儀やなあ」
そんな会話をしている間に、巨人が肘をついてよろよろと上体を起こした。かなりのダメージが蓄積しているようだ。
「あと何発耐えられるやろな、神に選ばれし代行者さん」
言うが早いか巨人の元へ跳び腹の上へ降り立った鈴音は、そこからピョンピョン跳び上がっては顔を殴るという鬼畜の所業を始めた。
一箇所から動かなければ建物が壊れる所を見なくて済むという、鈴音としては実に合理的な考えなのだが、遠くから見ている人々にしてみれば、化け物が化け物をタコ殴りにしているという悪夢のような現実。
恐怖が更なる悲鳴を招き、周囲は正に地獄絵図と化していた。
「ははは、鈴音コワイ。怒らせないように気を付けよう」
言葉とは裏腹に楽しげな笑みを浮かべたシオンは、ついに巨人が顔を上げなくなった事を確認し鈴音に声を掛ける。
「もーぅいーぃかぁーい?気が済んだならこっちまでおいで。特等席で悪趣味な世界が消え去る所を見せて上げよう」
シオンが声を掛けて数秒後、鈴音が近くのビル上に現れ、下の広場にシンハが居ると気付きそちらへ降りた。
「おお、鈴音様よくぞご無事で」
「はい、シンハさんも。因みに何故、様付けで呼ばれているんですかね私」
笑顔で迎えたシンハに首を傾げて見せる鈴音。
「簡単な事、私の命の恩人だからです!」
屈託の無い笑みで言い切られてしまい、流石の鈴音も言い返せなくなってしまった。日本なら命の恩人でも“さん”付けなのになあ、と遠い目をするばかりだ。
「ふふ、うちの聖騎士は可愛いだろう?巫女が気に入る訳だよ。さて、それじゃあこの世界に終わりを与えてあげようか」
鈴音とシンハを纏めて自らの隣まで移動させ、シオンはご機嫌な笑顔を見せる。
地面の遠さに青褪めているシンハをよそに、鈴音は挙手した。
「はいッ!シオン先生!」
「なにかね、鈴音くん」
小首を傾げるシオンへ、顎に手をやって唸る鈴音。
「んー、あのー、ハッキリと考えが纏まってる訳やないんですけど、何か違和感があるんですよ」
「違和感?」
「はい。代理の神は保身の為に人界へ力を与えて、異世界人をオモチャにする事で平穏な世界を保とうとした、とかいう話になってますけど、変ですよね」
「そうかな?」
腕を組み、ここまでの流れを思い返すシオンに鈴音は頷く。
「創造神が寝る前に説明出来た思うんですけど。中年以上の世代が暴れ出さんように、異世界人を憂さ晴らしに使いますね、て」
「反対されると思ったんじゃないかい?」
「そこで反対する創造神なら、起きた時に知っても同じですよ。寝てる間に何さらしとんねん、てブチ切れられる方が怖いですって」
「そうか。確かに俺も、異世界人が血を流しても怒らない神なんだろうと思ったっけ」
そう頷いて、シオンも何やら腑に落ちないという顔になった。
「おまけにあの巨人。代理の神には世界を創り直す力は無いのに、リセット……えーと、初期状態に戻す力仕込んどくとか、それこそ創造神が起きて世界見て更地広がってたらキレませんか?代理の神は創造神が怖いから保身の為に行動してる筈やのに、逆ばっかり行ってるように思えるんですけど」
困り顔の鈴音へ幾度か頷いたシオンは、一度大きく息を吐く。
「一旦戻ってあの男を問い詰めてみよう。シンハは行けないから、もうお帰り。巫女が待っているからね」
すぐ横に通路が開き優しい声で促されたシンハは、慌てて鈴音を見やった。
「鈴音様、お名残惜しいですが……」
「あ、大丈夫ですよ。その内また会えますから。そっちの世界に行く用事があるんで」
「ほ、本当ですか!ではその際は宴の準備をしてお待ち致しますので!」
「あはは、楽しみにしときます」
それはそれは嬉しそうな顔をしながら、シオンに騎士の礼を捧げ鈴音に大きく手を振って、シンハは自身の世界へ帰って行った。




