第百五十三話 キレてるキレてる
話は、鈴音が大上家への報告から縄張りに戻った時まで遡る。
不安や恐怖、苛立ちなどの負の感情が庭にまで漂い出てしまう程、息子の身を案じていた陽彦の両親。兄は勿論、両親も心配だと言いたげだった月子。
その様子を思い出すだけで、鈴音の眉間に皺が寄る。
よくもやってくれたな、と。
絶対に赦さんブン殴る、と。
「ただいまー。なあ虎ちゃん、もし今回の件の実行犯が神様やったとしたら、私が殴るんは無理かなぁ?他の神様方に紛れたらいけるやろか」
右手を結んで開いてしながら隣に座って呟く鈴音に、虎吉が首を傾げた。
「おかえり。神さんが先に殴っとったら、その時点で終わってもうてるんちゃうか。鈴音が殴るんやったらいの一番にかまさな無理や思うで。こっち側の神さんでキレて手ぇ出そうなん、創造神ばっかりやろ?相手の格によったらデコピン一発で消し飛ぶ」
「うわあ、神様より先に動いて殴るとかハードル高いな!犬神様もかなり怒ってはって噛み付く気満々やったけど、シオン様と打ち合わせ済みなんやろか。そこに混ぜて貰われへんかなー。いや、もしも神様が関わってたら、の話やけどさ」
「せやなあ、犬神さんより先に殴らして貰て、その後に好きにして貰うぐらいやなあ。けど、神さんやのうて人がやらかしとった時は、俄然鈴音が有利になるで?」
にんまりと笑う虎吉に、鈴音も悪い笑みで応える。
「神様方は変身したり力抑え込んだりする時間が要るもんね!そのまま向こうの人界に飛び込める私が一番早いやんね!」
「おう。人が勝手にやった事やとしたら、その世界の神さんを殴る訳にもいかんし、人界を滅茶苦茶にする訳にもいかんから、むしろ鈴音しか行かれへんかもしらんなあ」
いっひっひ、と笑い合う鈴音と虎吉はまだ知らない。今回の一件、もう少しだけ面倒臭いという事を。そして、キレた神に理屈は通じないという事を。それを知るのは、もう直ぐだ。
神様数珠繋ぎの結果や経過を教え合う為、神々が続々と戻って来た。
犬神も鈴音のそばへ来てお座りしている。
「あの、犬神様。往復しはるん大変ちゃいますか?皆様をこちらへお連れした方がええんちゃいます?」
間違い無く白猫と双璧をなす人気者なので、信者、いやファンの多さも似たようなものだろう。だがこちらと同じで、一度に全員が集まる訳ではない筈だ。だからここを拠点にしてはどうか、と提案したのだが。
「ありがたい話だが、今日は本来、とある神の結婚記念も兼ねた茶会だったそうでなあ。数えるのが面倒になってやめたぐらい、うじゃ……大勢来ているのだ」
ちょっと遠い目をしながら笑う犬神。
鈴音もまた同じような表情になる。
「あらー……。ほな無理ですねぇ」
「ああ。ギュウギュウに詰まったりしたら、猫神が怒るしな」
白猫のファンだけでなく犬神のファンも、彼を囲んでお茶しながら勝手にイベントを開催するのか、と半笑いで頷く鈴音。もしかしたら、他の動物神の縄張りでも似たような事が行われているのかもしれない。
そんな風に呑気に笑った時、血相変えた神が飛び込んで来た。
「怪しいっていうか殆ど間違い無い奴見つけた!シオンがキレかかってて危ないから早く来て!」
それを聞いた神々は続々と、ドーム出入口から繋がった何処かの神の縄張りへと移動する。
虎吉を抱いた鈴音と、表情を険しくした犬神も続いた。
出入口を抜けた先は、パルテノン神殿を彷彿させる、白い円柱がずらりと並ぶ巨大な部屋だ。
黒大理石のような床はツヤツヤとして綺麗だが、靴によっては滑りそうである。
そうやって鈴音が部屋を見回している間に、神々はそこかしこで通路を開き仲間を呼び寄せていた。
「猫神様の家やと出入口にしか通路繋がへんのに」
ポカンとする鈴音に虎吉が笑う。
「そら普通は許可も取らんとこんな事せぇへんて。ナンボ友達でも嫌やろ?玄関以外から勝手に家ん中入って来られたら。窓から入ってもええで、て約束しとったら別やけども」
つまりこの行動は相当なマナー違反のようだ。
ただ、出入口が空くのを待って順番に繋いでいたのではいつ終わるか分からないので、やむを得ず強行突入を選択したらしい。
あちこちに開いた通路から、どんどん集まる神々。
鈴音が見知った顔もあれば、初めましての顔もある。
普段は只の猫好きとしてニコニコ優しい神も、皆が皆、とても怖い表情をしているのが印象的だった。
そしてそんな恐ろしい神々よりも更に、一際、別格の恐ろしさを漂わせているのが、部屋の突き当りにある祭壇のような場所で誰かに詰め寄っているシオンだ。
彼より先に動いて対象に一発食らわせるなど、夢のまた夢だなと鈴音は菩薩顔になる。やはり事前の打ち合わせが必要不可欠だが、もはや手遅れかとシオンの吊り上がった口角を見ながら後悔した。
取り敢えず、包囲網を作りそれを狭めて行く神々と共に移動し、シオンともう一柱のそばへ寄る。
「ひー、笑いながら怒ってんで。怖すぎやわ」
頭に鼻を埋められた虎吉は、半眼になりつつ頷いた。
「これはちょっと、俺らが近寄るんは危ないな」
格が違えばデコピン一発で消滅。
こちらは消滅する側だものな、と虎吉越しに呼吸した鈴音は納得する。
犬神は勿論、多くの神々が一定の距離を保って事の成り行きを見守る中、平気で近付く神々も居た。
長い赤髪の女神テールを含む、創造神達である。
「ちょっとシオン。コイツがアタシの可愛い子達を攫った奴なの?」
テールにコイツ呼ばわりされたのは、焦茶色の髪と白い肌をした見るからに文系の男神。現在着ている司祭のような服ではなく、スーツ姿でパソコン画面とにらめっこしている方が似合いそうだ。
「ほぼ間違い無いんだけどねえ。認めないっていうか、見せようとしないんだよねえ、世界をねえ」
怒りに燃える目と弧を描く口元のセットで男神を見やったまま、シオンは質問に答える。
今にも爆発しそうなシオンや不機嫌極まりない創造神達に囲まれ、ダラダラと冷や汗を流す男神はそれでも白を切った。
「だから、お見せ出来るような状態じゃないんですって。グチャグチャなんですから。こんな恥ずかしい状態を他所様に見せていいものか、私では判断が出来かねますから、主が起きてからまた来て下さいよ。何度も言ってるじゃないですか」
質の悪い酔っ払いに絡まれた飲食店店員のような男神の言い分を聞いて、鈴音の頭上にクエスチョンマークが踊る。
「はいッ!シオン先生!」
ビシ、と右手を挙げた鈴音に周囲の神々は驚愕した。当の鈴音はといえば、膨らんだ疑問が恐怖を押し退けてしまったようで、平然とシオンを見つめている。
「なにかね、鈴音くん」
シオンも、幾分穏やかな顔で鈴音を見やった。
白猫の縄張りで行われるお茶会に参加した事の無い神々は、『どういう関係だ?』『そういえば何故に人が居る?』と今更ながら首を傾げる。
そんな事には構わず、鈴音は疑問をぶつけた。
「主が起きたら、て言いはったんですけどその神様。創造神様は別に居てはるんですか」
「そうらしいよ?今、衣替え中なんだってさ。衣替えは、肉体を着替える事ね。俺達みたいに不滅な肉体を持つ神と、時間と共に劣化する肉体を持つ神とが居てね。劣化する方は時が来たら、元気な内に創っておいた新しい肉体に乗り換えなきゃあならないのさ」
「その間、こないして部下の神様に一旦世界を任せる、いう事ですか」
「そうだね」
ふむふむ、と頷いた鈴音は更に質問を続ける。
「ほんで、その任された世界がグチャグチャてどういう事なんですかね?戦争でも起きました?それか世界規模の大災害?」
質問されたのはシオンではなく、冷や汗が止まらない男神の方だった。
何故自分が人ごときの質問に答えねばならない、という顔をしてはいるが、シオンが親しげに接したのが効いているらしく無視出来ないようだ。とても嫌そうに口を開く。
「戦争だ。この世界の兵器は全てバイオロイドや無人機だからな。ゲーム感覚で操り争った結果、人類はほぼ滅びた。文明も滅び、バイオロイド等ももう動かない。残ったほんの数十名が肩を寄せ合い、原始人のような暮らしをしている。そんなみっともない世界を他所様にお見せ出来る訳が無いだろう」
「……ふーん?ゲーム感覚ねぇ……」
明らかな疑いの眼差しを向ける鈴音に男神が眉を上げるが、それより先にシオンが割って入った。
「何か気になるかい?俺に人の感覚はよく解らないからね、疑問があるなら聞かせておくれ?」
「んー、そこまで発展した文明やと、人類滅ぼす程の戦争にはならへんのちゃうかなぁ、思て。まだその水準に達してへん私の故郷でさえ、世界規模の戦争はもう無理ですもん。ホンマに滅んでまうから。一発撃ったら終わりの兵器があるんですよ。それが世界に何発も、やられたら即やり返せる状態で。そんなん怖ぁて殴り合える訳ないですよね?異世界やろうと人が考える事なんてどうせ似たりよったりやから、そっちの世界にも同じような兵器なりシステムなりが有る思うんですよ。せやから、更に文明が進んだ世界の人類でさえ制御出来ずに滅ぶとしたら、大規模な自然災害か、それに伴う食糧難、水不足、疫病あたりやろな思たんですけど……ゲーム感覚で戦争ですかぁ」
一気に喋り倒し、意味深長な黙り方をする。
そんな鈴音から男神へ視線を移したシオンの目の冷たさは、先程までの怒りに燃える目の方がどれだけマシだったか、と思い知らされる恐ろしさだった。
「……主神に遠慮して礼儀を守ってたんだけど、もうやめる事にするよ。俺の可愛い巫女のお気に入りに何かあってからでは遅いからね。キミの言う事が正しいか、鈴音の言う事が正しいかは世界を見てみれば解る。こちらが間違っていたら、勿論俺が主神に謝罪するから安心するといい」
言うと同時にシオンから強烈な神力が溢れ出る。恐らくほんの少し力を解放しただけだろうが、創造神以外の神々や鈴音はとんでもない圧迫感に襲われた。
「な、何を、なさる、お、おつもり、ですか!」
圧力に耐えながら必死に声を出す男神へ、シオンは優しげな笑みを浮かべる。
「世界を見るのさ」
その一言の直後、空間がミシミシと音を立てているような感覚と、何かが弾け飛んだような感覚がその場に居る全員に訪れた。
無言のままシオンが前方へ力強く手を突き出す。
すると、空中に青い星の姿が浮かび上がった。
「は……?な、なん、なに」
大混乱に陥る男神へ、相変わらずの冷たい目でシオンは笑う。
「権限を奪っただけだよ。そんなに驚く事じゃあないね」
「そん、そんな、許され」
「だから主神には後で謝るって言っただろう?もう忘れたのかい物覚えが悪いねえ」
やり取りを見ていた鈴音は、猫の耳専用内緒話で虎吉に尋ねた。
「ホンマはあの神様が許可せな世界は見られへんのに、シオン様がその権限を乗っ取ったいう事?」
「ちょっとちゃう。乗っ取ったんは創造神の権限や。衣替えの最中で力が弱っとるから簡単に出来たんちゃうか」
「そんなん出来るんや……ハッキングみたいなもんなんかな。前にテール様がお友達の神様の世界を見せてくれて、通路も繋げてくれたやん?あれは?」
スーパーコンピューターが虹色玉を取り込みロボットが暴れていた世界に送ってくれたのは、あの世界の創造神ではなく女神テールだ。
「あれは許可を貰とるからやろ。いつでも好きに見られる遊びに行ける権限を、創造神が与えたんやな。それ使て俺らを送り込んでくれたんや」
「向こうの創造神様がテール様用のアカウントとパスワード作ったった、みたいな感じかぁ。成る程。仲良し同士ならそういう穏やかーなやり取りになる訳ね」
冷え切った笑みを浮かべるシオンと、その視線を浴びたせいで凍りついたかのように固まっている男神を見やり、鈴音は溜息を吐く。
「さあ、どんな世界なのか見せて貰おうじゃないか」
他の神々にも聞こえるように大きな声で告げたシオンが手を軽く滑らせるように動かすと、地球儀のようだった映像が適当な大陸へとズームし始めた。
雲を突き抜け街らしき物を捉えると、更に拡大を続けて大きな都市を映し出す。
高いビル、洗練された建物群。自動制御されている様子の車と、お洒落な服を着て街を行く人々。
みんな絵に描いたように幸せそうで、戦争に破れ原始的な生活を送っている人など何処にも見当たらない。
「……へぇ……」
そう言ったきり黙ってしまったシオンは怖いが、今は陽彦達を探すのが先である。
「テール様、攫われた人の気配とか分かりますか?」
「あ、そうね。唖然としてる場合じゃなかったわ」
鈴音に頷いて、テールもまた支配者権限を手に入れると、映像に手を翳して意識を集中した。
「多分こっちね……」
テールが指先を動かし、別の大陸を拡大する。
どんどんと街へ近付き、巨大闘技場を映し出した。
「あら、ちょっとズレたわ」
そう言いながら微調整をすると、近くにあった味も素っ気もない建物がアップになる。やたらと広い敷地が印象的だ。
「この中に居るみたいよ」
ほほうどれどれ、と鈴音や神々が興味津々の顔を映像に向けた時、シオンの口から地を這うような重低音の笑い声が響いて来た。
「滅びていない、滅びてはいないねえ!!そうかいそうかい、キミは俺に、この!俺に!嘘をついたのか!!ッフハハハ!!いい度胸だ。お礼に、嘘を現実にしてあげるよ」
低く甘く宣言し、何やら身体を発光させ始める。
「いやいやいやいやアカンアカン、どう見てもアカンやつや。世界滅ぼす気満々やな!?……て、ハル!黒花さんも!」
シオンに滅ぼされそうな世界へ目を移すと、今まさに陽彦達が建物から飛び出して来た所だった。
『マジで来た。戦闘機だろあの音』
陽彦の声が聞こえ、ギョっとした鈴音はテールに頼んで映像の高度を上げて貰う。
すると陽彦の言う通り、真っ直ぐ彼らの居る場所を目指している戦闘機らしき物が映った。
「嘘やん!!アカンアカンアカン!!テール様、今すぐ、今すぐ私をこの世界へ行かして下さい!ミサイルぶっ放されたら皆死んでまう!!」
「えっ?ええと、ええ!?」
鈴音の慌て振りに慌てたテールがおろおろし、急ぐ鈴音は更に慌てる。
「あの空飛ぶ三角を消し去らんと、皆殺しにされてまうんです攫われた人らが!!とにかくあの三角の近くに通路開けて下さい!!早よ早よ!!」
「は、はい!……開けたわ!」
「ありがとうございます行ってきます!!」
気迫に圧倒されたテールが慌てながら開けた通路に、躊躇う事無く鈴音は飛び込んだ。
出た先は空の上。
驚きはしたものの、確かに“三角の近く”だと鈴音は笑う。
「来た!戦闘機!」
「下向きはアカンで、街が吹っ飛ぶ!高さ合わすか上向きで狙い!」
「了解!」
落下しながらも冷静に虎吉のアドバイスを聞き、戦闘機に狙いを定める鈴音。
その時、地上から強烈な光が走り、それを直前で戦闘機は回避した。
「コンピューターの指示かな!あんなん躱すとかえげつないな!」
「躱されへんもっとえげつないヤツぶっ放したれ!」
「よっしゃー!!消え去れ三角ーーーッ!!」
鈴音が右手を突き出すと、“巨大火炎放射・超高温青白い炎バージョン”が戦闘機目掛けて空を走る。
異世界の魔導人形や舟を跡形も無く消し去ったその炎は、最新鋭の戦闘機もまた、同じ末路へ導いた。
「いっちょ上がりー!!ヒノ様ありがとうございまーす!!飴ちゃんと本とカレールー差し入れますー!!」
「改めて近くで見たら、おっそろしい火ぃやな!火薬が爆発する音もせんかったで!ごっついわー!」
「さすが火の神様の御力やね!」
間に合った喜びで御機嫌に会話する鈴音と虎吉が、地上にも轟く悲鳴と水音を上げて池に落ちるのはこの数秒後の事である。




