第百四十八話 行方不明
翌朝。
出勤前の日課を全てこなし猫達と遊んでいる鈴音の元へ、その知らせは届く。
「いいね、いいね、ここでジャンプ!くぁー、かわええのぅー……っと、メッセージや」
猫じゃらしを置きスマートフォンを手にした鈴音は、朝も早くから何事かと画面をタップした。
「えーと、ハルが昨夜から行方不明?黒花さんも一緒に?なんじゃそら」
安全対策課のグループへ送られたメッセージの内容は、大上陽彦と黒花の神使コンビが昨日20時頃の澱掃除を最後に行方が分からなくなっている、というものだ。
眉根を寄せた鈴音は澱の場所が示されるマップを開き、関東方面まで画面を動かして拡大。アイコンの中に黒花の顔を見つけたので確認すると、やはりこれが陽彦のものだった。
高校生の陽彦は昼間は学校なので、掃除は17時頃から始めているようだ。アイコンを順に追うと、道すがら目についたものを片付けているといった様子で、勿論同僚達よりも遥かに多い澱を消してはいるものの、やる気はあまり感じ取れない。
「手抜きやな完全に。それに比べてツキはまあ凄いな」
三日月のアイコンが18時頃から参戦し、陽彦とは別のエリアを物凄い早さで片付けていた。
そんな月子が仕事を終え帰宅したと思われるのが22時前。本来なら陽彦も、帰り道にでも適当に澱を消して、その時間帯まで働いたという証拠を残している筈だ。だが昨夜の陽彦のアイコンは、20時頃に歓楽街近くの澱を消去して以降動きを止めている。
「これだけ見たら、急に体調悪なって帰ったとかでもおかしないけど、帰ってへんから騒ぎになってんねんな」
月子によれば、陽彦は幼い頃から変質者やストーカーに狙われていたという。彼がただの超絶美形なら、誰もがそちらの線を疑ったに違いない。
だが現在の陽彦は犬神の神使である。人がどうこう出来る存在ではない。
もし仮に薬物などを使って陽彦の動きを封じる事が出来たとしても、怒り狂った黒花に八つ裂きにされて終わるだろう。
「うん、そこや。黒花さんも一緒に行方不明いうんが謎や」
別行動を取っていたならどちらかは帰宅しそうだし、共に動いていて陽彦に何かあったのなら、やはり黒花だけでも知らせに戻るだろう。
「神使ふたり相手に喧嘩して勝てるような奴が出たら、安全対策課にしろ調査課にしろ偉い人が気付くやんねぇ」
謎の澱でおかしくなった人や妖怪が現れたとしても、神使であり輝光魂である陽彦と、それに勝る攻撃力を持つ黒花が負けるとも思えない。万が一にも手子摺るようなら、一度引いて応援を呼べば済む話だ。
「さっぱり解らんわ。ツキや暁子さんは大丈夫やろか。家族が行方不明とか心配で寝られへんよな……」
この時刻以降彼らを目撃した者は上司に報告するようメッセージは締め括っているが、輝光魂が動き回っているエリアを掃除しようとする者はまず居ないだろうし、陽彦自身が目立つ事を嫌う性格なのも災いして、恐らく誰の目にも留まっていないものと思われる。
「ここはやっぱり、犬神様に相談して助けて貰うしかないんちゃうかなぁ」
既に月子は犬神の神使だから、訴え掛ければ声は届くだろう。父親が元神使なのでその辺は抜かりない筈だ、と鈴音は自身を納得させる。
「ホンマ何があったんやろな?落ち着かへんわ」
スマートフォンを置いて猫達をそれぞれ撫で回し、ニャン太の腹に顔を埋めさせて貰って精神を安定させてから、いつもより少し早く鈴音は仕事に向かった。
地下鉄の駅から骨董屋までの道のりも、考えるのは消えたふたりの事だ。
「んー、骸骨さんにも聞いてみたらよかったな」
そんな事も思い付かない程度には動揺しているらしい、と小さく笑いながら店の扉を潜った。
「おはようございますー」
普段とは違いあまり元気の無い鈴音の声に、事務スペースに立つ綱木は眉を下げる。
「はいおはよう。流石に鈴音さんでもそないなるか」
「人を何や思てますのんと問い詰めたい」
「ははは、ごめんごめん」
スナギツネな鈴音に笑って謝る綱木自身も、陽彦と黒花を心配してか表情は冴えない。
「どこ行ってしもたんやろな、陽彦。黒花も一緒いうんがなあ」
やはり考える事は同じだなと鈴音は頷く。
「ツキが神使なったんやし俺サボれるやーんとかハルが考えたとしても、黒花さんは真面目に仕事しはるでしょうし」
「そうやねん。あれがヤンキーやったらフラッとどっか行くんも解るで?けど、家に篭ってゲームしときたいタイプやしな?もし陽彦がサボって遊びに行っても黒花が居場所知らせに戻るやろしな?」
「つまり、誰かが何かせん限り、ふたり同時に行方不明なんかならん、いう事ですよね」
「そういう事や。けど、神使ふたり同時に消せるような妖怪やら悪魔やらの気配は無かったらしい。そもそもそんなんと出くわしたら、陽彦も黒花も強い神力出すから本省のもんが気付かん訳がない」
綱木の息子は本省に居るので、その辺りの報告は貰っているのだろう。
「ホンマ、何がどないなってんのか謎過ぎて、上のもんはみんな一睡もせんと必死で探しとるそうや」
綱木よりも強い霊力の持ち主達による、千里眼など持てる能力全てを駆使しての大捜索。
それでも未だ手掛かりすら見つからない異常事態。
「まさか私と虎ちゃんみたいに、時空の歪みに落ちて異世界に飛ばされたとかちゃいますよね」
冗談めかして言う鈴音に、綱木は目をぱちくりとさせた。
「そういや、何か言うとったね?あの時はバタバタしとったしサラッと流したけど……いつの話やった?」
「職場体験の帰りです。公園から出たとこでスコーンと落ちまして。虎ちゃん曰く、私と虎ちゃんが出した神力でこっちの空間が揺らいどったんと、向こうでも同じような事が起きてたんが偶然ピタッと重なって、偶々繋がってしもたんちゃうかいう事で。かなり珍しい事みたいです。骸骨さんも、猫神様の夫で地獄の管理者の黒猫様もビックリしてはったし」
実際の所どうだったのかはよく解っていないが、そう遠く外れてもいないだろう。
淀みなく説明した鈴音に幾度か頷いた綱木は、拳で顎を叩きつつ唸る。
「うーん、あの時のとんでもない神力かあ。仮に陽彦と黒花が神力全開で何かと戦うとったとしても、あっこまで強烈な力にはならへんやろなあ。まあ、昨日はそもそも澱掃除しかしてへん訳やし。もしや、思たけど違うみたいやね」
「そうですよね。そんな簡単に壁壊れる世界ばっかりでも困りますし」
顔を見合わせ頷き合って、結局何も分からないなと溜息を吐いた。
「まあ大上君がアドバイスして、犬神様に連絡しとるやろから。俺らはただ待つしかないやろな」
「はい。いつも通り謎の澱が無いか確かめながら掃除しときます」
「ん、頼んだ。俺も買い取り行きがてら目に付いたん消しとくわ」
「お、何かええ品が手に入るんですか」
「亡くなったお祖父さんのコレクション売りたい、て依頼があってな。何ぞ掘り出し物があったらええなあいう感じやね」
敢えて明るく、無関係な話をして気を紛らわせる綱木と鈴音。
「出るか奇跡のゼロ6個以上!」
「巡り会いたいねー!」
はははと無理に笑い合い、晴れぬもやもやを抱えたまま、鈴音は澱掃除へ綱木は骨董屋の仕事へ向かう為、それぞれ店を後にした。
疾風迅雷を地で行く勢いで澱掃除に励んだ鈴音は、昼休みに入ると同時に家で昼食を済ませ、猫オヤツ補充の為ホームセンターへ走る。
袋いっぱいに買い込んで、倉庫のプラケースへ置かせて貰おうと虎吉を呼んだ。
直ぐに通路が開いて、鈴音は白猫の縄張りへ足を踏み入れる。
「うはは、オヤツか!ああー、しもた。まだ昼やな?昼やねんな?」
キラキラした目でタワーから降りてきた虎吉だったが、人界が昼だと気付いてガッカリである。
「そやでー、まだお昼やからダメ。また夜にね」
笑いながら虎吉を撫でていると、入口から続々と神々が入って来た。
「あれ、お茶会?」
「おう。また虹男に虹色玉探しさせるんやと」
よく飽きないなと鈴音が半笑いになる中、神々は白猫を探してキョロキョロと周囲を見回している。
「猫ちゃん?」
「猫ちゃーん」
「ん?上か!」
「おおッ何と」
タワー天辺のサークルベッドから顔だけ覗かせている白猫に気付き、神々がわらわらと根元付近に集まった。
「可愛い、ほっぺムニッて!可愛い!」
「我らを見下すあの視線……!堪らんッ」
「ああッ、手を伸ばした!」
「肉球、肉球!」
「もう、全てが可愛いで出来てると思うの」
白猫を見上げる神々が、樹上の神獣を崇め奉る部族的な何かにしか見えず、鈴音は笑いを堪えるのに必死である。
「猫神様と虎ちゃんだけやのうて、神様方にも喜んで貰えたみたいやね。タワー作った甲斐があるわ」
「そうやな、貢物も増えそうな勢いやな」
楽しげな神々に目を細め、たっぷり虎吉を撫でて、さあ仕事に戻るかと立ち上がった瞬間、凄まじい圧力を感じ鈴音は身構えた。
白猫も虎吉も毛を逆立て、神々も真顔でドームの入口を睨んでいる。
そこへ現れたのは、怒気を漲らせた男神シオンだった。
薄紫の目は怒りに燃え、普段はヘラヘラとした笑みを浮かべている口は真一文字に結ばれている。
「フシャーーーッ!!」
一体どうしたのだと神々が問う前に、白猫本気の威嚇がシオンを直撃。立派な体躯はもこもこ平野の遥か彼方まで吹っ飛ばされてしまった。
「私の縄張りまで来て喧嘩売るとはええ度胸じゃブッ飛ばしたる、てキレてはるで」
先にキレられた事で冷静になった虎吉の通訳を聞き、慌てた神々は全力でご機嫌取りへと回り、鈴音は『猫神様カッコイイ!!』と目を輝かせて白猫を見る。
サークルベッドから飛び降り今にも巨大化しそうな白猫を神々が宥めている内に、もこもこ平野を歩いて戻って来たらしいシオンが入口からそろりと顔を見せた。
途端にボンと毛を膨らませる白猫。
「ああっ、落ち着いて猫ちゃん!」
「美味しい肉を持って来たよ、食べる?」
「魚が良いならこちらにある、どうだ?」
やっと機嫌が直りかけていたのにどうしてくれる、と神々の視線がシオンに刺さる。
「うう、ゴメンよ。わざとじゃないんだ。とても腹立たしく許せない事が起きていて……」
「フッ!ブフッ!」
シオンの話なぞ聞く気も無いのか、白猫は鼻息荒く尻尾を振りまくる。
これは本気で危ないなと小さく息をついた鈴音は、倉庫から琥珀玉と翡翠玉を持って来るや、まずは白猫の前を横切るように琥珀玉を投げた。
「!?」
釣られた白猫が横を向いた隙にシオンの姿を隠すような位置に立ち、今度は翡翠玉を投げる。
完全にそちらへ気を取られた白猫を見て、神々も理解したらしい。転がった玉を手に取ってあっちへこっちへ投げ始めた。
体勢を低くし目を爛々とさせ、右へ左へ素早く顔を動かす白猫。どうやらシオンの事は忘れてくれたようだ。
「よし。神様方、少しの間お願いしますね」
そう拝んでから鈴音はシオンの元へ駆け寄った。
「一発ブン殴ってええですか?」
「やめて欲しい。猫ちゃんに嫌われて既に死にそうなんだ」
素敵な笑顔で拳を握る鈴音に緩く首を振り、入口の壁に凭れ掛かるシオンは何だか萎んで見える。
「自業自得ですね。で、どないしはったんですか?ホンマ殴り込みか思いましたよ?」
「ああ、悪かった。実はどこの誰だか分からん奴に喧嘩を売られてね。心当たりが無いかみんなに聞こうと思ってたんだけど、あんまり頭に来たもんだから、色々と抑え込めなかったみたいだ」
「えぇー……、シオン様に喧嘩売るて、そんな神様居てはるんですか」
この男神、白猫を慕う神々の中でもトップクラスの強さだと鈴音は感じている。周りも皆神だとはいえ、普通に考えれば怒らせたい相手ではないだろう。
そんな強者に一体どこの誰が何をしたのか。
「うん、俺の世界から人を攫ったんだ。それも、聖騎士。俺の可愛い巫女を守る聖騎士だ」
「……あ、巫女さんに当たりそうになった虹色玉を叩き斬った……いうか叩き落とした人ですか」
以前聞いた話を思い出した鈴音が言うと、シオンは大きく頷く。
「その聖騎士だよ。巫女の目の前で謎の光に包まれて消えたらしい。何も出来なかった、って泣くんだ俺の可愛い巫女が」
ギリ、と音を立てて歯を食いしばるシオンの気を逸らそうと、鈴音は顔の前で手を振った。
「はい落ち着いて。次やらかしたらもう猫神様に申し開き出来ませんよ?」
我に返ったシオンは深呼吸をして気持ちを鎮める。
「ふー。ええと、俺の世界では神術や魔術で好きな場所に移動する事が出来るんだ。けどそれは術師が共にあってこそでね。狙った誰かを勝手に移動させるなんて術は無い。それに巫女があの光は神術でも魔術でも無かったって言ってる。実際、世界を隈無く探したけど聖騎士は何処にも居なかった。死んだ訳でもなかった」
「そんな、創造神が探しても見つからんて……」
そこでふと鈴音は、今現在自分達も同じような状況にあると気付いた。
「あの、シオン様。私の居る世界で、犬神様の神使2名も昨夜忽然と姿を消してるんです。千里眼いうて、遠くまで見通せる目を持つ人が探しても、何処にも居らへんのです。生きてるかどうかは犬神様なら解る思うんですけど……」
その訴えに驚いたシオンは、白猫と遊ぶ神々に声を掛けようとしてやめ、鈴音を見やる。
「まずは犬の神に話を聞きに行こうか。喧嘩売られたのは俺だけじゃなかったみたいだしね」
怒りを抑え込みながら低い声を出すシオンに圧倒されつつ、頷いた鈴音は虎吉を呼んだ。
「シオン様んとこの聖騎士と、犬神様の神使がどっかの神様に誘拐されたかもしらんねん。今からシオン様と一緒に犬神様んとこに話聞きに行ってみる」
「ええ!?そらえらいこっちゃ。解った、もし猫神さんが聞いてったら言うとく」
「うん、お願いします。ほな行きましょかシオン様」
虎吉を撫でてから振り向き、シオンが頷くのを確認して鈴音は走り出した。
サブタイトルを付ける事にしました。
改稿マークは付きますが、お話の内容は弄っておりません。
今日明日で片付けてやるぜヒャッハー!(フラグ)




