第十四話 犬神猫神連合と安心設計な地獄
足にまとわりつく動きが愛猫達を連想させ、鈴音の意識が虎吉へ向く。
「虎ちゃん、コイツ……!!」
怒りのあまり震えすら混じる声に、後足で立ち上がって前足を鈴音の脚に突っ張り、その顔を見上げながら虎吉は頷いた。
全て解っているというように、頷いた。
「いやー、それにしてもごっつい光やなー。いつものんが全開ちゃうかってんなぁ。その光やと、指でチョンと突いただけで消えてまうわ、そいつ。けどな、そいつは今から、永遠に終わらん恐怖と痛みの地獄に行くからな、消したらアカンねん。消滅なんか一瞬やで、楽な思いさしたらアカンアカン」
「……永遠に終わらん地獄」
「そうや。猫神さんが拵えた地獄や。泣こうが喚こうが悔やもうが謝ろうが、何をどないしたって出られへん。エグいでー。迎えは今さっき呼んだから、そのうち来るやろ」
とても悪い笑みを浮かべているような虎吉の様子に、ゆっくりと瞬きをした鈴音は、捕えていた下種の魂をゴミのように投げ捨て、光を鎮める。
鎮めたといっても5段階の5、思い切り全開状態だが、激怒中の光と比べれば遥かに柔らかく見えるから不思議なものだ。
綱木など、最初に見た時は腰を抜かしかけていたそれで、今は胸を撫で下ろしていた。
鈴音が虎吉を抱き上げ、それぞれの強烈な力が収まると、周囲は安堵の空気で満たされる。
それと同時に、皆の冷たい視線が投げ捨てられた魂へ突き刺さった。
「まさか、猫殺しだったとはねぇ」
「さようならー」
マユリと鬼の言葉に、鈴音は虎吉を見る。
「猫神様の地獄に行くから、鬼さんの居る地獄には行かれへんて事?」
「そういうこっちゃ。スマンな鬼、ホンマは正式な手続きあるんやろ?」
虎吉に詫びられ鬼は大慌てで両手を振る。筋骨隆々のままなので、実にコミカルだ。
「問題ありません!猫神様の神使様がその場で裁かれたと報告します!確認が入るかもしれませんので、その際はお願い致します!」
先程感じ取った神力で虎吉も格上認定したのか、鬼の態度は上官に報告する一兵卒のようである。
「さっきから、何の話だ……地獄?なんで俺が」
澱が消えてから無口だった下種の魂が、ここに来て喋った。
危険な状況では無くなった、と思ったようだ。
「猫を殺した?証拠は?人が死んだ後は裁判があるんだろ?そ、それ受けさせろよ」
舌が滑らかになりかけたところで恐ろしい鬼を視界に認め、目を逸らしながら尻すぼみになる。
「証拠?何でそんなもんが要んねんな。俺には判る、それだけや。あと、ウチには裁判無いで」
「はあ!?猫の分際で何言ってんだテメェ!?あんだけ殺しても警察が何も掴めなかった完全犯罪が、猫如きにバレてたまるかバァァァカ!!」
逆上して顔を真っ赤にし、それこそ猫相手に馬鹿な内容の話をまくし立てる様子は、その場に何とも言い難い空気をもたらした。
「うわ、物凄いアホや自白しとる。しかも完全犯罪て……腹立つけど、猫殺しは人殺しと同じレベルでは調べてくれへんのに。年上に見えるけど中身小学生なんやろか。あ、もう既に中身だけになっとったわ。オッサンやのにアホなだけやった残念」
鈴音の棘だらけの声に、下種の魂は目を剥いて吠える。
「はあァァあ!?誰か喋っていいっつった!!女の分際で勝手に喋んなクソが!!」
「え、殴ろか?それとも蹴ろか?」
「ヒッ。言葉で勝てないから暴力か、やっぱり女は馬鹿で程度が低い」
どの口が言っているのだろう、という全員の視線も無視して、証拠がない、裁判だ、と喚く下種の魂に、一番穏やかそうな存在がキレた。
「そもそも野良猫なんてクッソ迷惑なもん、殺されたのなんだの騒ぎす……ッギャアァァ!!」
突如上がる悲鳴に驚いた綱木がよく見れば、下種の魂の足の甲に孔雀の尾羽根が突き刺さっている。
「うるさいよ。また猫神様が激怒して、人類皆殺し計画が再燃したら困るじゃないか、全く。喚きたいなら別の内容にするといいよ」
小さな溜息を吐くマユリを、鈴音は真顔で見つめた。
「猫神様が、人類皆殺し?」
「……おや?」
鈴音の問い掛けを受けて、マユリは虎吉を見やる。虎吉は半眼でマユリを見返している。
「……ああ、私はどうやら、やらかしてしまったようだね?」
「おう、やらかしよったな。まだ話してへんねん。見ての通り鈴音は、猫の事になると我を忘れよるからな。仕事決まって、色々落ち着いてから話そ思とったのにやな」
「これは、申し訳無い事をしたね」
「いやまあ、一発目にいきなり猫殺し引き当てるあたり、とっとと教えといた方がええいう事なんやろ。かまへんよ」
頷いた虎吉は、腕の中から鈴音を見上げた。
「今からしよ思てる昔話、猫殺されるねんけど、我慢出来そうか?無理そうやったら、猫神さんの縄張り帰ってからするけども」
ほんの少し考えた鈴音は、抱えている虎吉の頬あたりの毛に、予備動作無しで鼻先を突っ込んだ。
「ぎゃー!またやられた!!スーッとしてモァーとする!!」
「ふう、これで良し。心の安定に効果抜群や。暴れ出しそうになったら吸うから、よろしくね虎ちゃん。さ、いつでもどうぞ」
笑顔を作る鈴音に、嫌だとも言えず渋々頷いた虎吉は、鬼と綱木を見る。
「どっちでもええから、取り敢えずその喧しいのん、踏んどいてくれ。話の邪魔や」
尾羽根が刺さった足を抱えて、喚き散らし転げ回っている下種の魂は、虎吉の要請に素早く応えた鬼によって頭を踏み付けられ、もがくことしか出来なくなった。
「ほな、始めるで」
緊張の面持ちで虎吉を抱え直し、鈴音は頷く。
「その昔、猫神さんは夫婦で神界の縄張りに居ってん。ようさん子供が出来て、やれ手狭になってったぞ、思た頃に、人界で暮らしてみたい言う子供らが出て来てな。それもええな、ほな俺が連れてくわ、言うて父猫が一緒に人界へ行ってん」
「猫神様が白猫やから、ひょっとしてお父ちゃん、黒猫やろか」
「おう、黒猫や。ええ勘しとるな。ほんで暫くしたらその黒猫が、魂だけになって神界へ帰ってってな。犬の一族と喧嘩して負けたー言うて。同じ頃に犬神さんとこの子供らも、人界に来とってんな」
「犬とまともにやり合うたら、さすがに無理やわお父ちゃん」
「せやねん。黒猫父ちゃん復活するまでの間、人界には子供らだけになったけど、それなりにうまい事やって、数も増えてええ感じやったんや」
事の顛末を知っているのはマユリだけらしく、綱木は勿論、下種の魂を踏んづけている鬼も興味津々の様子で聞いている。
「けど、その頃から猫神さんの耳には、子孫らの悲鳴がやたらと届くようになった」
「悲鳴が耳に届く?」
「猫神さんは全ての猫の声が聞こえるんや、四六時中な。おもろい、嬉しい、そんなんばっかりやったらええけど、子猫のうちは足滑らして落ちて、とか、強い生き物に食われて、とかで命落とす事もあるから、辛い声も聞くわな。ただそれは、しゃあない事や。辛かったな、一旦神界で休んで、また人界行きたかったら行ったらええ、て言えるねん」
膝枕で喉を鳴らしていた時や、特訓に付き合ってくれていた時も、それが聞こえていたのか、と鈴音は声も無い。
「食われたり事故で死ぬんは、しゃあない。けど、それとは違う悲鳴が届くんや。なんや?思て神界へ帰ってった猫に聞いたら、人や。人にやられた、言いよる。人、言うたら持ちつ持たれつ仲良う共存しとったんちゃうんか。そうや、その筈やったのに、石投げ付けられた、いきなり蹴り飛ばされた、捕まって……えげつない方法で殺された。口々にそない言う」
ここで一旦鈴音は虎吉の頬に鼻を埋めた。そろそろ危険だと思ったのだ。
「人なんか、鈍臭い猿みたいなもんや言うてたやん、犬相手ならともかく人相手なら勝てるやろ。猫神さんはそない言うたけど、人界で数増やすうちに、どんどん神力は弱まって、道具使う奴らに勝てるような、そんな力はもう猫には無かった。全員に神使の力渡すんは数が多過ぎて無理や、逃げなしゃあないか。いや待て、そもそも、何で猫を殺すんや、食う為にしてはやり方おかしいやろ。そない思た猫神さんは人界を覗いた。覗いたら、“けったいな儀式に使う為”、“加工して売ったら儲かる”、“憂さ晴らしに丁度ええ”、そんな理由で猫殺すヤツがようさん居った。何も分からん子猫なんか、格好の餌食やった」
歯を食いしばって鈴音は耐える。光が強まっているように見えるが、爆発的な輝きには至らず持ち堪えている。
「猫神さんはキレた。ブチ切れた。おんなじ目ぇにあわしたる、食うてもやらん、生きたままハラワタ引きずり出して野ざらしにしたる、皆殺しじゃ」
鬼の足にも力が入り、下種の魂の頭が今にも潰されそうだ。
「そん時に、それやったら一緒にやろうや、て声掛けて来たんが犬神さんや。向こうも同じやってん。犬も大概な虐待受けて殺されとった。黒猫の父ちゃんは復活待ちで参加出来んから、俺の分も頼む、喧嘩に負けた遺恨なんか無いし、言うて、犬神猫神連合の誕生や。さあ困ったんは他の神さんや」
ちらり、と視線を寄越す虎吉に、マユリは盛大な溜息で応じた。
「大変だったよ?それはそれは。人類皆殺しなんて、して貰っては困るからね?とにかく様々な神々が説得にあたったけれど、当然聞いてはくれないし。これはもう、戦うしかない、ということで武闘派は総員戦闘態勢で待機、だよね。天使軍なんかズラッと並んで壮観だったよ」
「さすがの犬神猫神連合でも、全ての神々を向こうに回して勝てる見込みは無い。けど、犬神さんは考えとった。とにかく一点突破で人界に突っ込んで、片っ端から犬猫に神使の力を与えられるだけ与えまくって、全員で協力して、負けるまでに出来る限り殺そう、言うてな。この辺、群れで狩るタイプと単独で狩るタイプの違いやろな。因みに、俺が生み出されたんはこのあたりや。神さんが交渉に来るから、その相手をな。喋っとる暇があったら力溜めて、全部攻撃力に注ぎ込みたかってん、猫神さんは」
「自分で喋るん面倒臭いからやいうてたん、嘘やったんや」
「ある意味横着やろ?帰れ、言うだけでええのにそれも嫌とか。まあええわ、それでもう全面戦争待った無しのとこまで来て、なんと、犬神猫神連合の怒りの炎にバシャーっと水掛ける奴らが出て来てな」
「え、神々でもあかんかったのに……」
ボソリと呟いたのは綱木だ。全員の視線を浴びて、慌てて両手を使った『どうぞどうぞ』のジェスチャーをして先へ進めるよう促している。
「止めたん、誰か判るか?」
鈴音をじっと見つめて虎吉は問う。
脳をフル回転させて考えるが、鈴音には神々より上の存在がまるで思い付かなかった。
「ふふ、鈴音も庇われる側やで」
「え?」
「止めたんは、人界に居る猫、主に飼い猫や。勿論、飼い犬もな。全力で命乞いしよったぞ、飼い主の」
「飼い主の、命乞い」
「おう。……殺された奴らの恨みは勿論解る、けど、俺んとこの同居人は割と結構それなりにええヤツやねんで?せっせと飯貢いで来るし、甘ったるい声で鳴きながら撫でて来るし、その手がまた気持ちええし、寝床温いし。ほらアレや、下僕やねん!こっちの言う事何でも聞きよるから、害は無いよ。せやから俺んとこの同居人だけは殺さんとって、頼むわ!……と、まあ、こんな感じや」
愛猫達を思い浮かべたのか、鈴音の目は優しく細められている。
「寿命で神界へ帰ってった猫も、ウチのは私が添い寝したらな寝られへんような弱い子やから、殺したらアカンよ、ああ急いで戻ったらなあの子寝不足なってまうわ、とか言いながら慌てて人界へ向かったりなぁ。慌て過ぎて自分の柄忘れて、全然ちゃう見た目で戻ってもうてたわ」
「愛されとるなぁ、飼い主さん」
「な。そんな勢いで訴えて来る奴らが、わんさと出て来るもんやから、猫神さんも犬神さんも呆然としてもうて。そこで、よっしゃ今や、とばかりに余所の神さんらが妥協案出して来てな。皆殺しはやめてくれ、その代わり、犬猫を傷付けたり殺した者が死んだ後の事は、そちらに全て委ねる。つまり、犯人の魂はくれてやるから、煮るなり焼くなり好きにせえ、こっちは一切手ぇ出さんから、て言わはったんやな」
「それで、猫神様は地獄を作った……?」
「はい正解。犬神さんもやで。永遠に終わらん地獄を拵えたんや。例えば鬼んとこの地獄なんかは、いわゆる刑期があって、気ぃ遠なる長さの刑やとしても最終的には出られるやんか?」
虎吉の視線に、鬼は大きく頷いた。
「全て終えれば次の世へ転生します」
「これが、猫神さんの地獄にも犬神さんの地獄にも無いねんなー。終わらへん。ずーーーっとや。ずーーーっと地獄」
鬼に踏まれている下種の魂を見ながら、虎吉は出られない事を強調する。
「死んだ方がマシや、思ても、もう死んどるからどないも出来へんし」
「どんな罰がある地獄なん?」
鈴音の問いに虎吉は、瞳孔をまん丸にし、広げた髭を前へ出して、その付け根を膨らませた。獲物に狙いを定めた時の猫の顔だ。
「真っ暗闇ん中で、猫に襲われるねん。ただの猫ちゃうで?神使の力持っとる猫が、四方八方から襲うねん。爪なんか全部、刀みたいな切れ味やで?それでズタズタにされても、魂やから死なへんやん。傷も治るやん。まーーた襲われるねんなー。暗闇に目が慣れる事もないから、どっから来るか分からんし。いやー、怖ッ。しかも、待ち構えとるんはソイツが殺した猫やで、うわー、どないなるんやろなー恐ろしー」
「猫さん達、疲れへん?」
「大丈夫や。鈴音も特訓の時、疲れへんかったやろ?あれと一緒。猫が飽きたり満足したりして、遊びたがったり人界行きたがったりしたら、それも好きに出来るし。まあ、遊んだ後、また戻って罪人ボコる子ぉも居るけどな。あ、地獄の管理しとるんは、黒猫父ちゃんや。もし、猫が皆満足して居らんようになっても、地獄で一番強い黒猫が全力でボコりまくってくれる安心設計やねん」
当社が自信を持ってオススメする商品です、などと言い出しそうな勢いで虎吉は胸を張る。
「黒猫様にも差し入れせなアカンなぁ」
「お!そら喜ぶで!俺らが貰たやつか?ちゃうやつか?アレ美味かったなー」
地獄の話をしているようには見えない虎吉と鈴音、丸く収まって良かったとにこやかに見守るマユリと鬼、犬猫関係にはそんな経緯とルールがあるのか、と驚きながら納得している綱木。
先程までの緊張感が嘘のような和やかさの中で、下種の魂だけが唯一、今頃になって事の重大性に気付き、焦燥感に駆られていた。




