第百三十五話 頼もーぅ!
翌日、部屋の隅でコンパクトに纏まっている骸骨を起こさないよう気を付けながら、朝のルーティンをこなした鈴音は玄関で愛猫達を撫でまくっている。
「猫と一緒に居る為には仕事してお金稼がなアカンけど、仕事しとる間は猫と一緒に居られへんというこのジレンマ。宝くじとか万馬券とかドーンと当たらへんやろか。どっちも買うた事無いけど」
たっぷりと撫でられて満足したらしい猫達がリビングへ戻って行く姿を、未練たっぷりに見つめてから鈴音は仕事へ向かった。
「おはようございまーす」
いつも通り元気に店内へ入ると、奥に居る綱木が顔を上げる。
表情に暗さは無いが、どこかお疲れ気味だ。
「はいおはよう」
「昨日は虎ちゃんがすみませんでした。ちょっと疲れ残ってそうなんは、多分そのせいですよね?」
申し訳無さそうな鈴音に綱木が笑う。
「最終的にはそうなるかな。結界作るのに霊力ほぼ使い果たしたからなあ。昼と夜で鞍馬天狗の妖力と神の分身の神力を立て続けに浴びるとか、まあ無い体験やね」
「あー、鞍馬天狗。あれも強そうでしたねぇ。佐藤さん小林さんは大丈夫やったんですか?車やったら着いたん夜中ですよね」
ストーカーな烏天狗を鞍馬山まで連行した佐藤と小林を心配すると、困ったような笑みが返ってきた。
「大丈夫いうたら大丈夫やねんけどな。妖力に耐えるのが精一杯で、小天狗が澱に触れた理由やらを聞き出して欲しい、て頼むんは無理やったそうやねん」
「ありゃー。ほな改めて頼みに行かなあきませんか?」
「そうやね」
「行って来ましょか、私」
ひとっ飛びとは言わないが、鈴音にしてみれば近所のスーパーマーケットへ行くのと大差ない距離感だ。
お疲れ気味の綱木も休めて良いだろうと思い申し出ると、ホッとした様子で頷かれる。
「助かるわー、正直しんどかってん。お願いしてええかな?」
「はい、任して下さい。さっそく向かいますね」
ボディバッグから姿隠しのペンダントを出して首から掛けると、『よろしく』と軽く手を挙げる綱木に会釈して、鈴音は店を後にした。
地図アプリを頼りに跳んで走って真っ直ぐ突き進む事、数分。
昨日訪れた鞍馬山の入口が見えて来た。
「さてと。階段のとこから入るんやったよね」
人を避けながら石段の下まで来ると、そこでふと気付く。
「ん?これどうやって開けるん?」
このまま進んでは、普通に寺の敷地内へ入るだけである。鞍馬天狗に会うには魔界への通路を開けなければならないのだが、その方法を聞いていなかった。
「うーむ……電話するか。いや、一応やるだけやってみてから聞こ」
言うが早いか魂を2段回目まで光らせ、神力を少々解放。
すると、目の前の景色がゆらゆらと揺れ始めた。
「お?行けるんちゃう?……頼もーぅ!」
揺れる景色をノックするように右拳で叩いていると、聞き覚えのある声が耳に届く。
「クァー!!道場破りかお前はーーー!!結界がブッ壊れるからやめーぃ!!」
目の前に降り立つ気配と同時に、揺れる景色に通路が開いた。
やはりそこに立っていたのは烏天狗だ。小さな烏の姿から、元の天狗に戻して貰えたらしい。
「あ、烏や。おはよう」
「おはよー。……いや挨拶は大事だけどそうじゃないでしょ今!!何なの、天狗滅ぼしに来たの。結界壊そうとするとか超怖いんだけど」
サッ、と木の陰に隠れ上半身だけ覗かせる烏天狗に、鈴音は頭を掻いて笑う。
「いやー、通路の開け方聞くん忘れとってん。綱木さんは霊力使て開けてたから、神力で行けるかなー思てんけども」
「行けるカァ!!霊力が軽いノックだったら、神力は破城槌だわ!!お前のはもっと酷くて大砲ブッ放してんのと一緒!!」
「うわ、ホンマ?ごめんやで」
「ぐぬぬ、わざとじゃないなら仕方無い。でももうやるなよ、普通に呼べば開けるから」
「解った」
光を消し神力を引っ込めた鈴音を見て安心したのか、烏天狗は木の陰から出て来た。
「それで?何の用だ?」
「昨日の、ストーカー天狗に聞きたい事があるねん。引き渡しの時に鞍馬天狗に伝える筈やってんけど、無理やったらしいから改めて言いに来たんよ」
魔界へ足を踏み入れながら説明する鈴音に、烏天狗は幾度か頷く。
「確かにあいつら真っ青だったもんなー。主様がお怒りだったから余計に怖かったんだろな。あいつらじゃなくて、お前とあの男が来れば良かったのに」
歩きながら首を傾げる烏天狗へ鈴音は緩く首を振った。
「いやー、今回の事件はあの人らが担当やから、どうしても無理やから頼みますとか言われん限り、こっちから言うんはちょっとね」
「面倒臭いなー?でもまあ、主様の御力が凄いって事が広まると思えばいいか。あいつらきっと、恐ろしかった、って喋りまくるだろ?」
「それは言うやろねー。とんでもない妖力で死ぬかと思った、とかなんとか」
鈴音が認めると、烏天狗は胸を張ってご機嫌さんだ。
そんな会話をしている内に、鞍馬天狗の屋敷が見えて来た。
昨日とは違い、今度は真正面の玄関へと案内される。
本来この玄関を使うような存在はお供を連れていて、履物がある場合はそのお供が持って待機するらしいのだが、鈴音は一人だ。
「え、どうする?」
「どないしよ。端っこに置いといたらアカンやろか」
烏天狗と共にうろうろし、結局は式台下の端の方に置く事にする。他の誰かが来ないよう祈りながら、鈴音は鞍馬天狗の居る大広間へ向かった。
「主様、猫の使い……じゃなかった、猫神様の神使が来ましたよ」
烏天狗が声を掛け、円座を用意して鈴音を呼び込む。
すると、慌てた様子で鞍馬天狗が御簾の中から出て来た。
「おお、猫神様の。どうした、何用か?」
猫神、ではなく猫神様、に呼び方が進化している。烏の目を通して、鈴音や虎吉の力を見た結果だろう。
相変わらず豪華な円座に躊躇いながら鈴音が正座すると、鞍馬天狗も目の前で胡座をかく。
「えー、急に来て申し訳ありません。お伝えし忘れた事があるんです」
「伝え忘れた?はて、何を」
首を傾げる鞍馬天狗へ、澱についての説明と最近の悪霊の変化、そしてストーカー天狗が見せた能力に関して話した。
「……という訳で、どうも澱自体に何かあるんちゃうかなぁ思て、あの天狗に聞きたいんですよ。プライド高い天狗が、人の負の感情の塊なんかに触ってみよ思たんは何でか。別の何かに見えたんか、もしくはホンマに別の何かやったんか?澱を取り込んだ後の能力の変化も気になりますよね?犬神様の神使の攻撃、躱してましたからね。勿論、殺さん為に黒花さんは本気出してなかったですけど、それにしたって後ろからの攻撃躱すて中々ですよ?」
鈴音の話を聞いた鞍馬天狗は腕組みをして眉根を寄せ、目を閉じている。
「確かに、妙な話だ。澱、という呼び方は今知ったが、あの赤黒いようなドス黒いような靄はワシも知っておる。当然ながら、醜い争いを繰り広げる人の子らから出た物なぞ、触ろう等とは思うた事も無いぞ汚らわしい。争いは適度に煽って笑いながら眺める物よ」
やはり、人を見下し馬鹿にしている天狗からすれば、人から出た澱など道端に落ちている動物の糞と同じ扱いのようだ。いくらストーカー天狗が切羽詰まっていたからといって、手を伸ばすような代物ではないのが良く解る。となると、別の物に見えていたとしか考えられない。
「よし、今からあの愚か者に聞いてみようではないか。そなたがおる方が話も早かろ」
目を開け膝を叩いた鞍馬天狗に、鈴音はパッと顔を輝かせた。
「助かります!」
「うむ。実の所、ワシも気にはなっておった。天狗にあんな汚らわしい物が纏わり付けるものか?とな。まあ、人のおなごを追い回すわ、汚らわしい物を纏わり付かせるわと、余りの愚かさに腹が立って腹が立って、それどころでは無かったが」
ギリと奥歯を鳴らす鞍馬天狗から漏れ出た妖力を見ながら、綱木より霊力が低そうな佐藤と小林はよく耐えたなと感心する。
綱木が冷や汗を掻いていたくらいだから、彼ら二人なら失神してもおかしくなかったのではないか。お願い事など出来なくても仕方が無いな、と鈴音は納得した。
「では参ろう、彼奴は牢に放り込んである」
そう言って立ち上がり先を行く鞍馬天狗に、入口で控えている烏天狗へ手を振ってから鈴音もついて行く。
大広間から出て外に面した廊下を進み、奥の建物へと入った。寝殿造りなら北対と呼ばれる建物だと思われるが、何せ武家屋敷や寺院も混ぜたような造りなので今ひとつはっきりしない。
母屋とは違い、御簾ではなく障子や襖で仕切られた部屋を横目に、長い長い廊下を真っ直ぐ進む。右へ曲がってまた進み、四つ角で左へ曲がって更に進んだ。
「んー……?」
外から見えた建物の大きさと、廊下の長さが釣り合わない事に、鈴音は首を傾げる。
「これは……妖力で好きなように出来る建物かな?」
呟きが聞こえたらしい鞍馬天狗が振り向き、大きく頷いた。
「左様。ワシの妖力で出来ておる故、広さは自在。烏どもは時折迷うておるわ」
四つ角で『クァー……』とか言いながらオロオロしている烏天狗を想像して鈴音は笑う。
「牢は今少し先ぞ」
鞍馬天狗の声に頷いて、まだ続く廊下を進んだ。
結局5分近く歩いただろうか。
廊下の先に蔵の扉のような物が見え、鞍馬天狗が足を止めたので、漸く目的地に辿り着いたと解る。
鞍馬天狗が手を翳すと分厚い扉が外開きに動き、中にある複数の座敷牢に光が差し込んだ。
小さな通気孔があるだけなので入口付近以外は真っ暗なのだが、猫神の目を持つ鈴音には問題無く見通せる。
通路の左右に3つずつ、合計6つある牢の左手一番奥に、ストーカー天狗と思しき烏天狗の気配があった。
「辛気臭い場所ですまぬが、奥までついて来てくれ」
顔だけで振り向いてそう告げると、鞍馬天狗は中へ入って行く。躊躇う事無く鈴音も続き、揃って奥の牢の前に立った。
「……主様……と……、お、おおおお前はッ」
鞍馬天狗の登場に慌てて正座した烏天狗は、その隣に鈴音の姿を見つけ憐れな程に動揺する。
「来ちゃった、とか言うて可愛こぶったら余計怖がるかな。あ、怖がっとるね、ごめんごめん」
うっかり怒らせたら殺される、と思い込んでいる相手の冗談を笑えるような図太さは、この烏天狗には無かった。豪快にツッコめるのは、鈴音の相方を務めた烏天狗ぐらいかもしれない。
「これ愚か者。猫神様の神使殿がそなたに尋ねたいそうだ。例の、黒い靄についてな」
思い出してまた腹が立ってきたのか、不機嫌そうな顔になった鞍馬天狗に言われ、烏天狗は正座のまま硬直する。
主の妖力でブッ飛ばされたのだろう、よく見ればボロボロなその姿に、極々僅か同情しつつ鈴音は微笑んだ。
「重大な事やから、しっかり思い出して正直に答えて欲しいねん」
優しげな笑みに穏やかな口調、何も怖がらせる要素は無い筈なのに、烏天狗は腿の上で両拳を握り締め高速で幾度も頷く。
「怖がり過ぎな気ぃもするけどまぁええわ。あの澱……黒くてどんよりモヤっとしたヤツの事な。あの澱は普通に逃げ道に溜まってたん?」
大きく頷く烏天狗。それ以上何も答える様子がないので、鈴音は質問を続けた。
「どこにどんな感じで溜まってた?」
「……明かりの下に。街灯、というのだったか、あれの下にあったんだ」
「街灯の下?そんなトコに吹き溜まるかな……。ほんで、それはあの時のアンタの目ぇにどう見えた?」
ギクリ、と肩を震わせた烏天狗は、何度か鞍馬天狗の方へ視線をやってから、観念した様子で口を開く。
「羽団扇のように見えた」
それを聞いた途端、鞍馬天狗の顔が一気に赤くなった。耳や鼻から蒸気でも出しそうな勢いだ。
「ばっっっかもーーーん!!」
怒気と妖力で空間がビリビリと震える。
憐れな烏天狗は座敷牢の奥の壁まで吹っ飛ばされた。
「うわあ。どないしたんですか?ハウチワが何なんか知らんので、何で怒ってはるんか解らんのですけど」
首を傾げる鈴音を見やり、何度か鼻から大きく息を吐いた鞍馬天狗はどうにか怒りを抑え込む。
「ふー、ふー、すまぬな、余りにも愚か者が阿呆な事を馬鹿面で申す故、我を忘れた。そうよな、羽団扇を知らねば何の事やらよな」
「はい。団扇の仲間なんやろなとは思いますけど」
「うむ、団扇だ。但し、天狗の羽根で拵えた団扇だ。依って羽団扇と呼ぶ」
「へぇー、豪華な団扇ですね。扇いで風来るんかな」
平和な想像をする鈴音に鞍馬天狗は首を振った。
「風が来るどころか、竜巻が起きる」
目が点になった鈴音へ、虚空から一本の団扇を取り出して見せる。
縞模様の立派な羽根が複数刺さったそれは、確かに羽団扇という呼称するに相応しい代物だった。
美術品としても価値がありそうだが、竜巻を起こすとなるとそんな呑気な事も言っていられない。
「随分と、物騒な団扇ですね?」
羽団扇を凝視する鈴音に鞍馬天狗は頷いた。
「風を起こし火を煽り空を駆けまやかしを見せる。天狗がやりそうな事がこれ一本で凡そ出来てしまうな」
「天狗なら誰でも持ってるんですか?」
「まさか。ワシや大天狗のみよ。妖力を必要とせぬ故、神使殿には効くまいが、人の子を弄ぶには丁度良い代物でな」
位の高い天狗が暇潰しに人をからかう為のアイテム。烏天狗にしてみれば、一度は触れてみたい憧れの品だろうか。
「ははぁ、成る程そら怒るわ。そんな物騒で大事なもんを、大天狗クラスがその辺にポロッと落っことしとる訳ないですもんねぇ」
やれやれ、と烏天狗を見ると、よろけながら鉄格子のそばまで戻って正座していた。また主が怒り出すのでは、と怯えている。
別に助ける訳ではないが、鞍馬天狗が暴れると面倒臭いので、鈴音は思いついた事を口に出した。
「つまり、そんな当たり前の事も分からん程に追い詰められた者へ、有り得へん光景を見せる力があの澱にあった、いう事ですかね」
その思いつきに、赤くなりかけていた鞍馬天狗の顔が冷静さを取り戻す。
「ふむ、成る程。それではアレは、只の負の感情の塊では無いという事か」
鈴音と鞍馬天狗は顔を見合わせ、揃って烏天狗へ視線を向けた。




