第百二十九話 ツキ
女性の部屋なので遠慮して動かない綱木と佐藤の代わりに、高橋が鈴音と夏姫に近付く。
「何してるんですか?」
「え?や、ドラマの放送日調べようと思ったら違うトコ開けちゃって。そしたら実家の犬の写真ばっか出て来たから、私って馬鹿でしょーって見せたら……」
「私のフォトフォルダには猫しか保存してへんから、馬鹿具合なら負けてへんで、いうて見せてました」
スマートフォンを見せ合って笑う二人に、高橋は困り顔で微笑んだ。
「ペットの話もいいけど、もうすぐツキちゃんが来るから、警護関係の話しましょ?」
「しもた、ついうっかり」
仕事だった、と慌ててスマートフォンを仕舞う鈴音と、頷きつつもカメラ機能で烏を撮影する夏姫。
「あ、写んない。やっぱこの鳥、ただの鳥じゃないんだ」
左腕しか写っていない画面を見せられた鈴音は、興味深げに烏と見比べた。
「あんた写真に写らへんの?」
鈴音に尋ねられた烏は首を傾げる。
「分からん。撮られたの初めてだし。今は主様の御力も働いてるから、フツーの天狗とは違うのかも?」
右へ左へ首を傾げる烏を見て、夏姫が目を見開き口元を押さえた。
「喋るのこの鳥」
「うん、まあ、例のストーカーを捕まえる為に、見張りとして派遣された特別な存在やから」
鈴音が答えると夏姫は身を乗り出して烏を見る。
「この子、自分のこと天狗って言った。見た目全然違うけど、アレの仲間なの?」
「そうか、一遍姿見て悲鳴上げてんのやったっけ。ほな隠しても意味無いですね?」
確認された高橋は頷いて答えた。
「夏姫さんは、自分を狙っているのが小天狗だと知ってます。最初はそのままの姿で現れてるし、その後も追い払われて逃げる時に正体現してるんで」
それを聞いた鈴音は怪訝な顔になる。
「目撃者めっちゃ出そうですけど、そんな話は流れて来ませんね?太秦ん時に、何か居るんちゃうかて噂になったとは聞きましたけど」
「ああ、最初は我々が関わってませんからね。関わってからは、一般人の目に留まらないように、毎回周囲に結界張ってます」
笑顔でVサインを出した高橋が、その結界の担当者なのだろう。
「そんなんも出来るんですか、頼もしい。ほな多少暴れても大丈夫そうですね」
「ふふふ、そちらこそ頼もしい。思い切りやっちゃって下さい」
目を見張った鈴音に笑って答える高橋を眺め、綱木が『あちゃー』という顔をした。
恐らく高橋も佐藤も、鈴音の実力を陽彦と同程度だと勘違いしている。どう伝えようか、といった具合だ。
綱木の苦労など露知らず、鈴音は夏姫に烏を示しながら説明している。
「烏天狗は、鞍馬天狗いう偉い天狗の家来やねん。せやから偉い天狗に『アナタとこの家来、ストーカーしてますよ』て教えてあげたんやんか。そしたら、『そいつボコって捕まえてきて。ワシがボコってええ言うた証拠にコレそっちに行かすわ』て別の烏天狗を烏に変えて、人の世界に送り込んできてん。せやからこの烏も烏天狗やけど、ストーカーの仲間では無いよ」
鈴音の説明を聞いた夏姫は、烏を見て頷いた。
「ストーカー退治のための、偉い天狗の許可証がこの子、って事だ」
「そういう事。ほんで、ボコる為の切り札が私」
自身を指して笑う鈴音に、頷く高橋と感心する夏姫。
「じゃあ次にアレが出て来た時が、お別れのチャンス?」
目を輝かせた夏姫の問いに鈴音は悪い笑みで応える。
「うん。鞍馬天狗の許可が出た以上、逃してやる必要あらへんからね」
烏が怯えて震え、それを誤魔化すように羽繕いする中、部屋のドアがノックされた。
「はい。ああ、ツキか学校お疲れー」
ドアのそばに居た佐藤が対応し、ツキと呼ぶ人物を招き入れる。
「ホント疲れるー。佐藤さんが代わりに出て……って、あ、綱木さんこんにちは」
「こんにちは、久し振り。あれ、陽彦は?」
「ハルは夏姫さんに近付けて変な写真撮られたらダメだから、ロビーで待機」
「成る程ね。確かにそういう輩にも狙われそうや」
「でしょ?マネージャーさんも社長さんも警戒するよねー」
落ち着いた声で綱木と会話しながら入って来たのは、夏姫の美貌を軽く上回るとんでもない美少女だった。
身長は鈴音と同じくらいか。透き通るような白い肌にポニーテールにした黒髪。猫のように大きな目は、隙間無く生えた長い睫毛が天然のアイライン宜しく縁取っている。
口紅やグロスを塗らずとも綺麗なコーラルピンクの唇を笑みの形にして、ツキは鈴音の前に立った。
「初めまして、大上月子です」
自分の表情が相手の心理にどんな効果を齎すか、正確に理解し計算し尽くされた微笑み。
少し前の鈴音なら、呆気に取られた後『めっっっちゃキレー!!』等とはしゃいだかもしれない。
そう、飽くまでも、少し前の鈴音なら。
「わあ、めっちゃ美少女や。初めまして、噂の輝光魂で神使な夏梅鈴音です」
屈託なく笑って自己紹介を返した鈴音に、何その薄い反応、とばかり月子の方が衝撃を受け瞬きを繰り返している。
鈴音が淡白な反応をする理由は実にシンプルで、これまでに月子と同レベル及び月子を上回る美貌の持ち主達と深く関わって来たからだ。
艶やかに咲き誇る幻想的な桜の精や、死して尚気高い美しさを失わない女神や、神々の中でも群を抜く超絶美形女神を蹴落とさない限り、容貌の美しさで鈴音を驚かせるのは無理である。
となると実質、人の身では不可能と言わざるを得ない。
何だかよく解らないが鈴音には美形オーラが通用しないらしい、と悟った月子は小さな溜息を吐いた。
「ハルと同じ輝光魂で神使だっていうから、ちょっとからかってみようと思ったのに、フツーに返されたムカつく」
「あれ?美少女ちゃんもしかして、めっちゃええ性格の持ち主?」
口角を吊り上げる鈴音に、月子は澄まし顔で応じる。
「さあ?身近な輝光魂がムカつくバカだから、輝光魂てみんなそうなのかなーって確認したかっただけだけど?」
「うわ、犬の神使さんもお気の毒に。バカとそれにムカついて当たり散らすお嬢ちゃんのお守りとか、私には無理やわぁー。ブラックな環境でよう頑張ってはるんやなぁー」
鈴音が綺麗な笑みで毒を吐くと、月子の眉間に皺が寄る。
「別に当たり散らしてないし」
「そうかそうか、当たり散らしてへんな、うんうんごめんごめん、ツキちゃんはええ子やな」
幼子をあやすような鈴音の態度を見て、苦虫を噛み潰したような顔となった月子は漸く理解した。
喧嘩を吹っ掛ける相手を間違えた、と。
「終わった?私そろそろ移動しなきゃだし、着替えていい?マネージャーさんももう来ると思うんだ」
いきなり始まった謎の小競り合いに動じる事も無く、夏姫がクローゼットから春らしいワンピースを出す。
動揺しまくっていた高橋がハッとして男達に退室を指示した。
こちらもまた動揺しまくっていた男達が慌てて外へ出てから、鈴音は月子へ向き直る。
「何であんなバカが輝光魂で、私は違うん?何であんなバカが長男いうだけで神使で、私はアカンの?とかがいきなり噛み付かれた理由やろか」
全てを見透かすような目で真っ直ぐ見つめられ、月子は絶句した。
「当たりかー。光る魂に関してはただの偶然らしいからどないも出来ひんけど、神使に関しては犬神様に聞いてみたらどない?私もなれませんか、て」
「……は?犬神様に聞く?何言ってんの?」
怪訝な顔をする月子に鈴音は首を傾げる。
「言葉通りの意味やけど?御供え物捧げて、私にも神使の力が欲しいです、て頼んだらええやん」
「御供え物とか頼むとか、そんな事でなれる訳ないでしょ!?」
「え、もう試した?」
「試さなくても解るし!!」
「嘘ぉん。ツキちゃんは神様やったん?試さんと解るとか凄いなぁ?」
また嫌味か、と鈴音を睨んだ月子は、思いの外鋭い視線に射抜かれて硬直した。
「ホンマ、試しもせんと偉そうによう言うたな。犬神様さぁ、長い事あんたらの家に御加護を授けてんのにさぁ、御供え物貰た事無いねんてね。まあファンの神々から山のように貢物貰てはるやろから?別に困ってはらへんやろけど?やっぱり地球の食べ物が一番お口に合うやろなぁー。食べたいやろなぁー美味しいお肉とか。そんなん供えてくれた子の願いとか、聞き届けてやりたなるんちゃうかなぁー」
鈴音の口調に苛々しながらも、その内容を理解した月子は真顔になる。
「夏梅さんは会ったんだ、犬神様に」
「うん、会うたよ?当たり前やん、仕事紹介して貰たお礼せなアカンでしょ?」
「猫神と犬神は仲いいもんな。共に人界を……」
余計な事を話しそうな烏の嘴を摘み、にこやかな顔を作る鈴音。
その様子を見て月子の表情から反抗期のような棘が消える。
「ホントに御供え物して祈れば届く?黒花みたいな犬の神使まで欲しいなんて言わないから、私にもハルみたいな力が欲しい」
「何でそんなに力が欲しいん?」
「助けたいから。望んでもないのに悪霊になった魂や、人の行動のせいで荒ぶってしまった妖怪を。ハルにはその力があるのに、ちゃんと使おうとしない!今回の天狗だって、ハルが本気出せば話し合いに持って行けたかもしれないのに、アイツが不貞腐れてるせいでこんな事に……」
握った拳を震わせる月子を見て、意外と熱血型だった、と鈴音は微笑んだ。
「鞍馬天狗に許可とらな本格的な攻撃は出来ひんらしいのに、えらいのんびりしてんなぁ思たら、話し合いの道を探ってたんや?」
「そう。言葉が通じるんだから説得すれば魔界に帰ってくれるかもって皆頑張ったんだけど、加減しながらじゃ小天狗を抑えられなくて。ハルが本気で威嚇すれば違った結果になったかもしれないのに、アイツほんと……!」
先程までの月子が可愛く思えるレベルの反抗期少年らしい。
「そういや犬神様も寂しそうに言うてはったな。今の神使はやる気が無いみたいやから、長い付き合いもここで終わるかもしらん、て」
鈴音の言葉を聞いた月子は目を見開き、慌てて首を振る。
「そんなのダメ!ねえ、どうしたらいい?お供えってどこにするの?」
「神社とか無いん?」
「お社はあるけど、あそこに供えた物は黒花にあげる用だし……」
「ほな、直接持ってったげよか?」
その申し出に月子は身を乗り出して頷いた。
「お願いします!!やっぱりお肉がいいのかな?」
「うん、牛モモ肉喜んでくれたよ。ただ、量がハンパない。犬神様がサラブレッドの大きさで、普通の大きさの犬の神使が側近として10匹。そっちには犬用オヤツ渡した。勿論、神様にだけ御供え物しても怒られる事は無いけど、その場に居るとめっちゃ気まずいよね。涎垂らしそうな顔で見てるからね犬達」
サラブレッドと10匹の犬、と確認するように呟いた月子は幾度も頷く。
「この騒ぎが終わったら用意するから、お願いします!」
「オッケー、任しといて。その時はお社でお祈りしときよ?犬神様に願いが聞こえるように」
「うん!」
頷く月子を見ながら内心ガッツポーズの鈴音。
詐欺師っぽくも取り立て屋っぽくもならずに、大上家から犬神への供物が手に入る事となったのだ。してやったりである。
「準備出来たよー」
その声に振り向けば、ポイントメイクをしたワンピース姿の夏姫が微笑んでいる。
「うわ、フツーにCM出られる完成度やん」
「まあねー。何処で撮られるか分かんないからちゃんとしとけ、っていうのがウチの社長の口癖だし」
悪戯っぽく笑う夏姫と感心する鈴音達の耳に、ノックの音とマネージャーの声が届いた。
「はーい、今行きまーす。……じゃ、ストーカーとオサラバ出来るようにお願いします」
ペコリとお辞儀する夏姫に鈴音達もお辞儀を返し、高橋が先導して部屋を出る。
「あのさ、夏梅さん」
不意に月子に声を掛けられ、鈴音はそちらを見やった。
「さっきはごめんなさい。輝光魂が羨ましくて八つ当たりしちゃった。もう絶対しないから、鈴ねーさんって呼んじゃダメ?」
小首を傾げながらのお願いにスナギツネ全開になった鈴音だが、特に断る理由も無かったので頷く。
「別にええよ」
「やった!私の事はツキって呼んでね?鈴ねーさんっ」
浮かれた様子で笑い夏姫を追う月子を眺め、えらく懐かれたな、と思ってから妙な既視感に鈴音は眉根を寄せた。
「年下に噛み付かれてから掌返しで懐かれる……最近どっかであったなコレ。そういう星の下に生まれたんやろか私」
懐くなら普通に懐いてくれ、最初の噛み付きいらん、と遠い目になりつつ鈴音も夏姫を追った。




