第百二十三話 糞野郎の正体
食後に華やかな香りのするお茶で喉を潤しながら、鈴音は特訓の成果を皆に報告する。
「……いう訳で、猫より小さい犬がお手するイメージでやったらダメージ抑えられてん。でも、よう考えたらあんだけ吹っ飛んで内臓大丈夫な筈ないよな?思て。自動で修復される罪人やから問題無かったけど、生身の人やったら下手したら死んでまうかもしらんし。せやから最終的に“チビ犬の子犬のお手”に落ち着いてん。お陰で平均的な見た目の罪人が動かれへん程度の威力に出来たわ。ただ、どっかの騎士とか将軍とかみたいに猫の力で吹っ飛んでも大丈夫な人とかやったら、もうちょい力込めな効かんかもしらん」
話を聞いた白猫と虎吉は目を細め、骸骨は拍手する事で鈴音の工夫を褒めた。
「凄いやないか、これで暴れ放題やな!異世界はこっちとは色々違うから、まず今回身につけた一番弱い力で殴って、効かんかったら一発毎に威力上げたらええんや。そしたら死なす心配もないし、思い切り殴れて気持ちええし」
完璧やな、と口角を上げる虎吉に鈴音と骸骨はデレデレだ。
デレているせいで、異世界へ行くのが前提になっている事には気付いていない。
「あ!大切な事忘れるとこやった」
異世界行き関連には気付かなかったが、何かを思い出した様子で鈴音は居住まいを正した。
「イメージとはいえ犬にお世話になったんで、就職先の紹介の件と合わせて、犬神様の所へお礼しに伺いたいんです」
正座した鈴音に見つめられ、そういえばそんな話をしていたな、といった様子で白猫は頷く。
「いつでも連れてったる、言うてはるで。どないする?」
虎吉の通訳を聞き、少し考えてから鈴音は白猫を見た。
「お礼の品として、オヤツ代わりのお肉を持って行くつもりなんで……あれ?今何時?夜やんね?ほな、明日でも良いですか?」
骸骨とふたり、仕事が終わって帰宅後に黒猫の居る地獄へ行き、猫まみれで癒され罪人殴り放題でスッキリした後に、白髭の神の世界へ行く事になったのだ。
今から買い出しに行っても肉屋は閉まっているだろうし、夕飯時を過ぎた近所のスーパーマーケットにキロ単位の肉が売られているとも思えない。時間も時間なので遠くの大型店舗へ行こうという気も起こらない。
依って、明日の昼休みに買いに行き、犬神の許へは夕方帰宅後に連れて行って貰おうと鈴音は考えた。
その申し出に、目を細めて白猫が頷く。
「ありがとうございます!よし、財布に万札入れとかな。……いや、カードやないと無理か」
目を輝かせて白猫に礼を告げた直後残念なお財布事情を呟く鈴音に、骸骨は小さく頷きながら肩を揺らした。
それを見た鈴音がふと気付く。
「そういえば、骸骨さんどうやってお買い物して来てくれたん?姿見られずに買い物すんの難しそうやし、失礼やけど、人界のお金とかどうやって手に入れるんかな思て」
他所様の懐に関して尋ねるなど無礼千万だが、好奇心には勝てなかった。別に『給料いくら?』と聞いた訳ではないから問題あるまい、と開き直る鈴音。
すると、石板を取り出した骸骨は気を悪くするでもなく答えてくれた。
「んー、骸骨神様の前に、お賽銭箱。ん?ああ!そっちの世界にも神様にお金奉納する風習があるんや?それを使う訳ね。地獄の神様なら『罪を軽くして下さい』とかで結構集まりそう」
その通り、と大きく頷き続きを描く骸骨。
「で、買い物は……パネル?押して、お金入れたら勝手に出て来る……自販機?無人販売所みたいな感じやろか。あ、せやから全部、真空パックっぽかったんや!」
正解、と拍手する骸骨に胸を張りつつ、文明の進み具合が地球に近い世界なのかもしれないと鈴音は一人頷いた。
「無人販売所なら姿見られる心配無いしええね。でもあれやね、今後電子マネーが当たり前になったら、お買い物出来んようにならへん?」
似たような世界なら、と思い言ってみると案の定、力一杯頷いた骸骨は頭を抱えている。
「奉納金やめてお供物にして貰うとか?」
それだと神殿が資金難に陥る、と石板の中の骸骨の絵がどんよりしている。
「ほなもう、骸骨さん達用の端末をどないかして手に入れて貰わんと。私もまたあの“白玉団子に見せかけて実はカレー”みたいな食べ物味わいたいし」
鈴音が悪戯っぽく笑うと、顔を上げた骸骨は親指を立てた。自分の世界の食べ物が気に入られて喜んでいるようだ。
「俺もあの肉のやつまた食べたいなあ。お、猫神さんも気に入ったらしいで?」
虎吉と白猫へ光の速さで顔を向けた骸骨は、お任せあれとばかり胸を叩く。
取り敢えず電子マネー問題は忘れ、今後のお土産の為にそれぞれの好みを話した。今更ながらの『好きな食べ物は何ですか』である。
揃って甘味も酒もいける甘辛党であると判明した鈴音と骸骨は、この先も美味しい物はシェアしようと誓い合った。
「ほな、いっぺん人界に戻りますね。また明日お願いします」
ゴミを纏めボウルを回収し、鈴音と骸骨がお辞儀すると、白猫は鷹揚に頷く。
「犬神さんに渡す肉、置く場所無かったら預かるで?デカいやろ、多分」
小首を傾げた虎吉の心遣いに、鈴音は感激の表情を作り万歳した。
「神!ありがとう、実は困っててん。冷蔵庫には入らんのちゃうか思て。昼休みに買う予定やから、また声掛けさして貰うね」
「おう、また明日なー」
笑顔で虎吉と白猫を撫で、開けて貰った通路からふたり仲良く自室へ戻る。
戻るや否や靴をヘッドボード横に吊るした袋に入れ、母親が戻る前にと急いでボウルを洗い再び自室へ戻ってベッド下収納へ隠し、外出着から部屋着に着替えた。
バタバタする鈴音を、骸骨にくっつきながら不思議そうな顔で見守る愛猫達へ『猫神様の為やから』等と説明していると、帰宅した母親の『お出迎えがないー!』という絶望の声が聞こえて来る。
「みんな、行ったってくれへん?」
「ンー、シカタナイ」
「ナデサセテヤルカ」
「ネムイ」
鈴音の頼みに、ニャン太もヒスイも子猫も骸骨から離れ階段を下りて行った。直ぐに『あー、ただいまぁー』とデレデレした声がする。
やれやれ、という顔の鈴音を、似たもの親子だなあという空気を出しながら骸骨が見つめていた。
翌朝。
火の玉探しに向かう骸骨を見送り、猫達の世話とランニングの日課をこなした鈴音は仕事へ向かった。
駅から歩いて店へ向かい、多分また何か驚かせてしまうんだろうなあと思いつつ扉を開ける。
「おはようございまーす」
「はいおはよう。出勤しましたでいうてメッセージ入れときよー。今日は……」
パソコンのモニターを見ていた綱木は顔を上げ、スマートフォンで出退勤管理に連絡している鈴音を見てからまた画面へ視線を戻した。
「今日はまた澱を……」
言いかけてから再び鈴音を見やり、目を凝らす。
首を傾げ、上を見、下を見、頭を掻いて、最終的に溜息を吐いた。
「えー、気のせいやったらゴメンやけど、鈴音さん、また何か変わった?」
「あはは、やっぱりバレましたね。実は、不慮の事故で黄泉の国に飛ばされまして」
「はい?」
「そこでお会いしたナミ様いうめっっっちゃ強い女神様と、その息子さんのヒノ様いう子供の神様から御力を頂戴しました」
器用に片眉だけ上げた綱木は、中途半端に挙げた右手を上下させつつ、話の内容を理解すべく脳をフル回転させているようだ。
「んぁー、まず、不慮の事故とは?」
「異世界で即死攻撃食らいました」
「へぇー……。死んでしもたんかな?」
「今生きて目の前に居りますやん。即死攻撃は効かへんけど、弾みで何故か黄泉の国に飛ばされてしもたんです」
「ははぁ。そこで誰に会うた言うたかな」
「ナミ様いう虎ちゃんがビビるクラスの女神様と、息子さんのヒノ様です」
「ほほぅ」
そこまで確認した綱木は、ゆるゆると首を振り大きな大きな溜息を吐いてから、大きく大きく息を吸い込んだ。
「それ伊耶那美命やーーーッ!!」
「うわびっくりした。誰ですかイザナミノミコトて。どっかで聞いたような気はしますけど」
「火之迦具土神まで居るんかーーーい!!」
「おっとまだ続きがあった。ヒノカグツチノカミ?」
ゼイゼイと肩で息をする綱木を尻目に、名前にナミとヒノが入っているなあと呑気に考える鈴音。
「ちょっとごめん」
軽く手を挙げてから、綱木は事務スペースの奥へ消える。直ぐにジャブジャブと水音が聞こえて来た。心を鎮める儀式を始めたようだ。
「綱木さんが朝洗たばっかりの顔また洗わなアカンぐらい大変な事やったんかぁ。まあ虎ちゃんが怖がる神様やもんねぇ」
事務スペースの棚にバッグを置き、骨董品を眺めながらのんびりと待つ。
余程の衝撃だったのか、5分ばかり掛かって漸く綱木は戻って来た。
「はーーー。いやもう、猫神様の眷属で神使やいうだけでも一杯一杯やのに、イザナミて。日本神話知らん?国産み神産み」
濡れた生え際をタオルで押さえつつの綱木に言われ、漸く鈴音も思い出す。
「ああ、日本神話!それで聞いた事あったんですね。そうやそうや、火の神を産んだせいで女神が死んでもうて……うわ、そのまんまやん!」
仲の良い母子を脳裏に浮かべ、神話に出て来るような神様だったのかと改めて驚いた。
「え?ほな、ナミ様の言う糞野郎て」
「く、糞?」
「はい。元旦那さんについて、息子殺した上に腐った自分見て逃げ出した糞野郎。絶対コロス。言うてましたよ」
それを聞いた綱木の顔から血の気が引いていく。
「まさか協力するとか言うてへんよね?」
「え?あー……」
あらぬ方向へ視線を逸らした鈴音の表情で全てを悟った綱木は、ガクリと項垂れた。
「あぁぁ、えらいこっちゃ……」
「糞野郎さん殺されたらマズいんですか」
「イザナギな、伊邪那岐命。人の誕生を司って守護しとる神様。殺されたら日本の出生率が壊滅的な事になる。少子化どころの騒ぎやないで」
衝撃の事実に鈴音の目は点である。
「ちょ、大変な事やないですか。私が糞……イザナギ様を探し当てたら日本の未来が壊滅?えー、それはアカンて」
「ん?探し当てたら?イザナギは神界やら神社やらに居らへんの?それやったら探すフリだけして、適当にのらりくらり寿命まで乗り切ってくれたら何とかなるんちゃうか?」
やらかしてしまった、という顔で固まっている鈴音に綱木が提案するも、返って来たのは苦笑いだ。
「実は私、ナミ様に頂いた糞野郎センサーを内蔵してまして。私が普段通りに生活する中で、これは!いう手掛かりなんかがあれば、ナミ様がガッッッ!!と来られるっていう」
「いやそれどんな罰ゲームや」
ドン引き状態の綱木に鈴音は半笑いで首を振る。
「即死攻撃反射いうめっちゃありがたい機能付きなんで、罰ゲームではないんですけどね。まさか糞野郎が人を作る方の神様やったとはなー……それ知っとったら……いや、あの状況で断るんは無理ですね。怒らせたらそれこそ即死やし」
「……ああそうか、そら黄泉の国でイザナミの機嫌損ねたら終わるわな」
ははは、と虚しく笑い合ってから、真っ暗な顔で何か良い方法は無いかと必死に考えた。
「アカン何にも浮かばへん」
頭を抱える綱木に対し、顎に手をやった鈴音は冷静さを取り戻している。
「よう考えたら、私に会うまでの間もずっと、それこそツシコさん達も協力して探してた筈ですよね?せやのに見つかってへんいう事は、そんな簡単な場所には居らんいう事や思います」
「うん、まあそうやけど、鈴音さんは神界いう難しい場所にも行けるやん?」
神界の造りを知らない綱木が口にした不安は、幸いにも鈴音が取り除ける程度のものだった。
「神界には神様それぞれの縄張りがあって、神様でなければ通路が開けられません。つまり、私がいくら出歩いた所で他の縄張りに入る事は無いので、出会いようが無い思います。そもそも猫神様や犬神様みたいな人気ある神様んトコには、誰に会うか分からんから近付かんやろし。ナミ様の手先が紛れてるかも、思て私なら避けますね。せやから、今ん所慌てる必要は無いんちゃいますか」
結局問題を先送りしただけだが、神界では出会いそうもないと知った綱木はいくらか安心出来たようだ。
「そうやな。それにどっちみち、イザナミが本気出したら俺らではどないしようもないし、これはあれや、上に丸投げ案件や」
開き直って悪い笑みを浮かべる綱木を見ながら、どうにかイザナギが半殺しぐらいで赦して貰えるように、イザナミが人は可愛い生き物だと認識するよう努力せねばと鈴音は拳を握る。
「んー、サファイア様ん時と違て援護射撃は無し。……いや、最強のカードはあるなぁ。絵本でも手土産にちょこちょこ通うか」
それこそ生きている間にイザナギと出会うかどうかも分からないが、万が一に備えて打てる手は打っておこうと鈴音は絵本を検索し、綱木は上司に報告する為の文書を作り始めた。




