第百二十一話 焼き魚
漁師達を見送ってから、鈴音は虹色玉を取り出す。
「虹男、はいこれ。ほんでちょっと手伝うて欲しい事があんねんけど」
「わーい、ありがとう。ん?何を手伝ったらいいの?」
嬉しそうに受け取った虹男は、虹色玉を胸元に当てて吸収した。
神人一行とクリビアや罪人達は、謎の現象を目の当たりにして驚く。
まあ驚くよなと思いつつも特に説明はせず、魚を指差した鈴音は虹男に頼み事をした。
「あれ焼きたいから、空中に浮かしといて欲しいねん。あ、その前に血ぃとか草とか落としたいし、湖で洗って貰てええ?」
「いいよー」
頷いた虹男が指を動かすと、巨大魚が宙に浮き湖へと移動する。水中で泳がせるようにしたり回転させたりして濯いだ後、湖上に浮かせた。
「はい、出来たよ。森の近くだと燃えたら危ないから、このままここで焼く?」
「ありがとう。そうやね、そこが一番安全かな」
そう言いながら掌を上に向けた鈴音は、細長い炎を出して魚へ放つ。
炎は魚に巻き付くように螺旋を描き、頭から尻尾まで満遍なく焼き始めた。
「あ、湖に脂が落ちたら水が汚れるかな?氷で受けとこ」
魚の下の水を凍らせて氷の脂受けを作り、尻尾に焦げ目が付いたらそこから炎を外し、隙間から焼き加減を窺って炎の強弱を調整し、と遠隔調理を頑張る鈴音。
香ばしい匂いにフンフンと鼻を動かした虎吉は、食べてもいないのに口周りをぺろんぺろんと舐めている。
「くーッ、可愛いなあ。あ、そういえば虎ちゃん。この鯛……やないわ金魚、普通はどのぐらいの大きさなん?」
「んー?今まで貰た中で一番デカかったやつでも、あれの半分ぐらいや」
「そうなんや!はー……、やっぱり虹色玉を取り込むと訳わからん変化が起きんねんなぁ」
「流石の猫神さんでも食い切らんのちゃうか」
脳内で白猫と魚を比べた鈴音は確かにと納得し、それならばとある提案をした。
「ほな半分を黒猫様に差し上げるんはどない?半分いうか半身?地獄で練習したい事があるから、手土産に丁度ええねんけど」
「おお、そら喜ぶやろな!猫神さんもこんだけデカい魚やったら嫌やとは言わんやろ」
普段の大きさだと虎吉に分ける位で後は独り占めなのか、と白猫の食い意地に笑った鈴音は炎を消し、魚を岸へ寄せて貰って焼き具合を確認する。
「よしよし、ええ感じ。ただこのままやと熱々やから、ちょっと冷まさなアカンね」
「せやな。猫舌やからな。程良くな」
「ん、任せてー」
会話を聞いていた虹男が柔らかな風を起こし、焼き上がった魚を冷まし始めた。脂を受けた氷は骸骨が大鎌の先を掛けて引いて来てくれたので、魂の光を全開にした鈴音が爪を立てて消す。
これで、虎吉の鼻センサーが良い温度だと判断したら、いつでも帰れる状態になった。
空中で作られる焼き魚、という不思議な光景を、半ば呆れた様子で眺めていた神人一行とクリビア。
精霊術で焚き木に火をつけることはよくあるが、あんな大きな魚を焼く為の炎など出せないぞ、と精霊術師三人は緩く首を振っている。
巨大な炎の術を使ったら、魚は黒焦げどころか灰も残さず消えてしまうだろう。
どうやればあんな繊細な加減が出来るのか、想像もつかなかった。
「母が余計な事をして彼らを敵に回していたらと思うと、今更ながらにゾッとしますね」
クリビアが言えばイキシアとサントリナも頷き、タイマスとアジュガは半笑いだ。
「最初、喧嘩売ったような格好になってるんですよね俺ら」
「骸骨さんを悪霊だと思ってやらかしてます」
男達の声にクリビアは愕然とする。
「よ、よくご無事で」
「ええ、本当に。叱り飛ばされた程度で済んで良かったと心から思います」
大きく頷くサントリナを見ながら、イキシアが真顔になった。
「もしあの時、私が意地を張って引き下がらなかったら……」
恐ろしい想像に全員が青褪める。
「是非、助かった命を大切にして、伝説に残るような神人に」
眉を下げて笑うクリビアに、皆が黙って頷いた。
深刻な表情をしてどうしたんだろうと首を傾げつつ、虎吉を抱えた鈴音が骸骨と共に神人一行とクリビアへ近付いて行く。
「魚もええ感じに冷めたんで、そろそろ帰ろうと思います」
その声にハッと顔を上げたイキシアは、それはそれは寂しそうな顔をした。
「また、会えますよね?」
「……んー……」
真剣さの滲む問い掛けに適当な返事は良くないかと唸る鈴音に、口を尖らせたイキシアが抗議する。
「そこは嘘でも会えるって言いましょうよ」
「え?そうなん?ほな会える会えるー」
「嘘つきー!」
「ええ!?どないせぇっちゅうねんな」
おかしなやり取りに皆が笑い場が和んだ。
「あなた方がいらっしゃらなければ、母の暴走と悲しい悪霊によってこの国は滅んでいたかもしれません。どれだけ感謝しても足りない程です。本当にありがとうございました」
穏やかな笑顔でクリビアが頭を下げると、イキシアも表情を引き締めて倣った。
「私も、何が大切なのか解らないまま悪名だけを轟かせる所でした。壊してしまった街や村の人達には、必ず謝りに行きます。教えて下さってありがとうございました」
「骸骨さん、悪霊扱いして申し訳ありません」
サントリナが続き、タイマスもアジュガも頭を下げる。
急に持ち上げられ感謝されて、こういった空気に慣れない鈴音は居心地が悪そうだ。骸骨も同じらしく、両手を振って慌てている。
「えーと、何ていうか、あー、偶然の産物……ちゃうな、んー、あれや!神様のお導き!そう、お導きですよ神様の。せやから気にせんとって下さい。なるようにしてなっただけです」
よし上手い事言った、という顔をして胸を張っている鈴音に皆は小さく笑い、幾度も頷く。
「そうですね、神にも感謝を。……いつかまた、こちらへお越しになった際は、是非ともお立ち寄り下さい。国を挙げて歓迎致します」
国は挙げない方向で、と思いながらも鈴音は営業用スマイルで頷いておいた。
「わ、私は……、そうだ!正式に神人になった後、縞模様の獣を抱いた光り輝く女性を見掛けたら教えるようにって、世界中の精霊術師達にお願いしておきます!」
「おたずね者やないかい」
「ちゃんと私の恩人だって伝えますっ!」
スナギツネと小型犬がじゃれ合うような会話に皆が笑っていると、空間が歪む気配と共に虹男の声が届く。
「魚が冷えちゃうから、運ぶよー?」
巨大魚が通れるサイズの通路を開けた虹男に手を挙げて応え、鈴音と骸骨は皆へお辞儀した。
「そういう訳なんで、もう行きますね。皆さんお元気で!」
「え、あ……、す、鈴音様もお元気で……っ!」
笑顔で手を振る大人達と、涙目のイキシアに手を振り返し、骸骨と一緒に通路へ駆けて行く。
神界へ戻る直前にふと足を止めた鈴音は振り向き、声を張った。
「イキシア!辛い思いようさんするやろけど、あんたなら乗り越えられるから!ええ神人になりよ!」
涙に濡れた目を見開いたイキシアは、顔をクシャクシャにして頷く。
「はい!!必ず!!」
それを見届け再度笑顔で手を振った鈴音は、今度こそ神界へと戻って行った。
強烈な力の渦が閉じた場所を、イキシアはじっと見つめる。
「名前……呼んでくれた。ちょっとは認めて貰えたのかな」
呟きが聞こえたサントリナは、イキシアの背中をポンと叩いて微笑んだ。
「期待していない相手にあんな事は仰らないですよ。立派な神人になって、次にお会いした時に驚かせて差し上げましょう?」
「そう……ですね。うん、そうだ。頑張ろう。まずは、リラのお世話の仕方を勉強しなくちゃ」
振り向いたイキシアにクリビアが頷く。
「それでは、城へ参りましょう」
最後に一度だけ鈴音の消えた場所を見たイキシアは、力強く頷いてから皆の元へ歩み寄った。
すぐさまクリビアが転移の術を発動させ、人も馬もその場から姿を消す。
誰も居なくなった岸辺には、湖面を渡る風が優しく吹き抜けた。
白猫の縄張りでは、最初に通路から現れた魚の大きさに神々がどよめいている。
次いで虹男、骸骨、鈴音と虎吉が戻ると、やんやの拍手で出迎えた。
腹筋で白猫の頭突きを受け止めた鈴音は、神々に会釈しつつ辺りを見回す。
「ふヌッ!ただいま戻りました!猫神様、お魚どこに置いて貰いますか?」
鈴音の手と腹に頭を擦り付けていた白猫が、ドームの奥へ視線をやった。
「あの辺のスペースに置いとけいう事ですね。虹男、あの広く空いてる辺りにお願い」
「ん、解ったー」
焼き魚が宙を泳ぎ、もこもこ雲の上に横たわる。
「はい出来た」
「ありがとう。サファイア様はあっちやで」
言われるままに振り向いた虹男は妻の姿を見つけ、目を輝かせて飛んで行った。
「ねーねー、見た?僕の活躍見てたー?」
優しい笑みで虹男を迎えるサファイアに会釈してから白猫を撫でていると、白髭の神が近付いて来る。
「いやー、すまんかったのう。何やら色々と面倒事を押し付けてしもうて」
髭を引っ張りながら笑う神に、鈴音は手を振って笑い返した。
「いえいえ、結構面白かったですよ。一部を除いてええ人ばっかりやったし。買い物も楽しかったし美味しかったし。あ、そうやった、残ったお金お返ししますね」
バッグから巾着袋を出そうとする鈴音を白髭の神は止める。
「いやいやいや、それはお前さんの物じゃ。また魚でも肉でも買うて楽しんでおくれ」
「え?でも……」
鈴音が何か言うより先に、顔を上げた白猫が耳を後ろへ向けた。すかさず虎吉が通訳する。
「鈴音、猫神さんがな、肉食べたかったいうて拗ねてんで。俺ばっかりズルいとか言うとる。いや、ズルい言われてもしゃーないですやんか」
「え、肉!?あれは村のご厚意なんですよねー……どっかに似たような肉の串焼きとか売ってんのかなー」
「ほっほっほ、やはり小遣いは必要じゃろ?美味い肉を探して猫ちゃんに買うてやらねばの」
「あー、ホンマですね。ありがたく頂戴します」
満足そうに頷く白髭の神と、買って来てくれるならいいやとばかり目を細める白猫。
ご機嫌さんな今がチャンスだと鈴音は巨大焼き魚を指差した。
「猫神様、あれの半分を黒猫様と地獄の猫さん達へのお土産にしたいんですけど、構いませんか?」
問われた白猫は暫し魚を見つめ、おもむろに頷く。
結構悩まれてしまったぞと内心焦った鈴音は、白猫の気が変わらない内に地獄へ運ぶ事にした。
「ありがとうございます猫神様。虎ちゃん、ここのもこもこ雲は地獄に持ってっても問題無い?魚の半身を運ぶのに使いたいねんけど」
「おう、大丈夫やで。向こうではゴミになるから、持って帰って来なアカンけども」
「解った。ほなお髭の神様、失礼します。骸骨さん、ごめんやけどちょっと手伝ってー」
白猫の姿をうっとりと見つめていた骸骨は、我に返って会釈してから鈴音の後について行く。
ふたりが焼き魚のそばでもこもこ雲を板状に固め始めたのを見やり、白髭の神は白猫に頭を下げた。
「ありがとう猫ちゃん。お陰で問題はすっかり解決じゃ。ほんに良き神使よのう。多少凶ぼ……いや野性的な面もあるがご愛嬌じゃの」
微笑む白髭の神の後ろから、ぬっと男神シオンが顔を出す。
「やっぱりそういう話になってた訳か」
「ぬぉ!こ、これ、年寄を驚かしてはいかん」
胸を押さえる白髭の神と、尻尾をバタンバタンと振る白猫に悪い笑みを向けつつ、シオンはその場に腰を下ろした。
「いやー、変だと思ったんだよねー、いきなり鉱山の中に放り込んだり、そこに神人だっけ?が偶然やって来たり。全部あの子の教育を鈴音にさせる為に仕組んだ事だったのかー」
薄紫の目を細めるシオンに、白髭の神は急に咳き込み白猫は何故か爪研ぎを始める。誤魔化すの下手糞選手権が開幕してしまったようだ。
「虎吉は知ってたのかい?」
「いや別に視野が狭なってしもとる神使をどないかしたってくれへんかとか頼まれてへんで」
誤魔化すの下手糞選手権優勝候補による暴露に、デレデレと目尻を下げながらシオンは笑う。
「可愛いなあ虎吉。……危なッ!ちょっと撫でるぐらいいいじゃないか」
どさくさ紛れに触ろうとして殴られかけたシオンは、爪が出ていない猫パンチはご褒美、という鈴音の言葉を思い出し当たればよかったと悔やむ。
「ま、結果は大成功だから良かったね。出会い方最悪だったけど。鈴音か虹男がキレてたら助けるの間に合わなかったよねあれ」
虎吉の隙を窺いながらツッコむシオンに、白髭の神はついつい頷いていた。
「確かにのう。鈴音は可能な限り人殺しは避けるようじゃし、虹男は人に攻撃されたくらいで我を忘れるような性格では無いようじゃから助かったのう」
「成る程、計算尽くかー。虹男の立場に居たのが俺だったら今頃大惨事だもんね」
「そなたが鈴音と虎吉と骸骨に殴り飛ばされて、かの?」
「……うわ、そっちか。うーーーん、実際そういう場面になったらどうなるのか、試してみたいような気になったじゃないかどうしてくれる」
ヘンタイが居るぞ気味が悪いな、という白髭と白猫と虎吉の視線を物ともせず、シオンは鈴音と骸骨の方を見る。
「俺が降臨するのは冗談としても、いずれ俺の世界には来て貰わなきゃなんだよね。虹男に大冒険して貰わなくちゃならないからね。何せあの玉2個あるから」
悪巧みをしている顔で笑うシオンへ、白猫が真顔を向けて尻尾でもこもこ床を打った。
「誰も鈴音を貸すとは言うてへん、やて」
虎吉の通訳に愕然とするシオン。
「うわあ何でそんな意地悪言うんだい猫ちゃん!?肉と魚をまだ持って来ていないせいかい!?急がせるから機嫌を直しておくれー!!」
「せやから声がデカい言うてんねん!動きもデカい!」
「ほっほっほ、ほっほっほっほっほ」
バタバタしているシオンとシャーッとやっている虎吉をちらりと見やり、楽しそうだなと笑った鈴音は、骸骨と力を合わせてもこもこ雲の加工に励んだ。