第十二話 マユリ様
謎の存在の周りで揺らめく空気に、鈴音は強い力を感じ取る。
「あ、この感じはあれや、神様系。つまり味方かな?綱木さ……」
確認しようと綱木へ目をやれば、とんでもないものを見た、という驚愕の表情で、だるまさんが転んだ宜しく固まっていた。
「つ、綱木さん!?えぇーー……?鬼さん……は息しとるか怪しいなアレ」
くるみ割り人形とだるまさんが転んだ。頼みの男達が何故か大変残念な状態だ。
勝手に対応して良いのか鈴音は悩むが、虎吉は欠伸をしているし、謎の存在は鈴音と会話するつもりらしいしで、選択の余地は無さそうだった。
「ふふふ。面白いねぇ。そうだ、私を覚えていないかい?私とキミは1度会っているんだよ?」
「え?ホンマですか?」
驚きながらも普通に会話する鈴音に、綱木が信じられないものを見る目を向けている。
「うん。キミが産まれた時に。私以外にも、今あそこを飛んでいる彼も来ていたよ。あと、あっちに居るのとか、そこに居るのとかも、母親に抱かれて建物を出たキミを見に来ていたね」
空を指し、植込みを指し、あちこちを指す謎の存在。言われてみれば、周囲から仄かな神力を感じるが、鳩やカラス等が居るばかりでよく判らない。
空へ視線をやれば、遥か上空に羽の生えた光のようなものが飛んでいた。
「天使……」
そう呟いたのは綱木だ。
「天使?うーん、産まれた直後の記憶は流石に……。なんで、色んな神様系の皆さんが私を見に?」
首を傾げる鈴音に、謎の存在は笑顔を向ける。
「そりゃあ、あんな魂の輝きを見てしまったら当然だよ。人が新たな神を産んだのかと思ってビックリするよねぇ。でも、キミに神性は無かった。ああこれは、高位の神の気まぐれか手違いかで、強い輝きの魂になっただけか、と皆納得して帰ったんだけど」
「だけど?」
「何だか突然、神性を帯びたよね?これは一大事、どんな理由をつけて会いに行こうかな、と考えていたら、掃除屋さんの所へ行ったと知らせが来てね。それなら堂々と事実を話して会えばいいや、と思って。ちょうど……と言ってはいけないけれど、悪霊も出たし、ここに来るんじゃないかなぁと、待っていたんだよ」
「掃除屋?……そっか澱の掃除が仕事やったっけ。あー、なんというか、大変お手数をお掛けしました。別に眠っていた何かが目覚めた、とかではなく、ご縁があって猫神様のお力を頂戴したので、こうなってます」
ぺこりと頭を下げる鈴音に、謎の存在は幾度も頷く。
「うん、しっかり会って話して、よく判ったよ。安心した。それにしても、あの猫神様が人を可愛がるとはねぇ。あ、そうだ、今からあれを綺麗にしに行くんだよね?私も参加して良いかい?」
鈴音としては『あの猫神様』という呼び方が気になったが、今はそれどころではないと思い直し、綱木を見た。
「もしもーし、悪霊退治、参加してええか聞かれてますよ?」
「え!?あー、えー、はい、だ、どうぞ、ごしゃ、御参加下さい」
「噛みッ噛みですやん!」
容赦ない鈴音のツッコミに謎の存在は楽しげに笑い、虎吉は顔を伏せてプルプルしている。
「しゃ、しゃーないやんか、フツーに会話出来る方がおかしいて!」
「そうですか?結局お名前教えて貰てないし、緊張する理由が解らへんのですけど」
なぁ虎ちゃん、などと言いながら口を尖らせる鈴音に、綱木の顔から血の気が引いた。
「ちょ、アホな事、何ちゅ……」
「そうか、名乗り忘れていたね?私はマユリ。悪いモノをやっつけるのが得意なんだ」
人の反応など特に気にする様子も無く、柔和な笑みで応じるマユリ。鈴音も自然と笑顔になる。
「ありがとうございます、マユリ様ですね!改めまして、私は夏梅鈴音と申します。今日は仮採用の職場体験でこちらへ来ました」
「うんうん、成る程。じゃあせっかくだから鈴音があれを綺麗にするといい。おーい、そこの鬼の子」
「はイ!!」
突然声を掛けられた、くるみ割り人形いや鬼は、気の毒になる程の緊張っぷりで声を裏返した。
「この子が攻撃をするから、キミは手を出してはいけないよ?見ているだけにしなさい。巻き込まれたら危ないから」
「ハいィッ!!」
敬礼でもしそうな勢いだな、よほど位が違うのかな、と眺める鈴音の前で、マユリは次に綱木を見る。
「キミは防御担当かな?普段は、鬼の子がするような強い攻撃で周囲に被害が及ばぬよう、守っているんだね?」
「そ、そうです」
鬼よりは幾らかましだが、こちらもいつの間にか直立不動。カチカチの表情で頷いている。
「今回は、もしもに備えて私がその役目を代わるよ。鈴音の力をしっかりと覚えて、次回からに活かすといい」
「あ、ありがとうございます」
でも、も、何故、も無かった。あっさり頷く綱木の様子に、こんなに優しいマユリ様の何にそれほど緊張するのだろう、と鈴音は不思議がる。
本来、鬼と会話し共闘まで出来る綱木は、霊力は勿論、素晴らしい胆力の持ち主として、仲間達から尊敬を集める存在だ。
只の“緊張しい”などではなく、相当優秀な人物なのである。
優秀な人物であるからこそ、虎吉やマユリの力をきっちりと感じ取り、度肝を抜かれているわけなのだが、それを鈴音に説明したところで、正しく理解する事は出来ないだろう。鈴音もまた、人の度肝を抜く側だからだ。
「よし、それじゃあ、憐れな魂を救いに行こうか」
「はい!」
元気に続く鈴音と、ぎこちない動きで続く綱木と鬼。鬼に至っては右手と右足が一緒に出るパターンである。
「あ!そうや。マユリ様、これ着けんでええんですか?」
公園に足を踏み入れた所で、不意に立ち止まった鈴音が自身のペンダントを持ち上げた。
「ん?ああそうか、今、私だけが周囲から丸見えか。ふふふ、時折目が合う人が慌てて目をそらして離れて行くのは、一人でお喋りしている何だか不思議な人だと思われていたからだったんだねぇ」
それで立ち話の間、誰にも激突されなかったのか、と納得する鈴音の後ろで、慌て過ぎて巾着袋からペンダントが取り出せず、更に慌てるという悪循環に綱木が陥っている。
鬼も手伝ってどうにか取り出し、捧げるようにして渡した。
マユリは礼を告げてペンダントを身に着け、皆で頷き合って今度こそ公園内へと歩を進める。
レンガ敷きの小道に、緑も美しい木々。
目を楽しませてくれる、色とりどりの花壇に、様々な芸術作品。数多くのベンチに芝生の広場まで備えた公園は、正に憩いの場と呼ぶに相応しく、平日でもそれなりに人は訪れる。
訪れる筈なのだが。
怪異初心者の鈴音でも、この異常な状況はすぐに理解出来た。
人の姿が見当たらない。
「綱木さん、人が居らんのですけど、何か理由が……?」
「え?……ああそうか、強い輝光魂やと影響無いんか。まだ本体見えてへんのに、既に結構な負の力が漂って来とるわ。霊感有る無しに関わらず、大体の人が無意識に、本能で避けとるんやろ。野性の勘いう奴やね」
「へえー!人の本能も捨てたもんやないですね」
と感心しているのは、鈴音だけでなく虎吉もマユリもである。『人に野性なんか残っとったんやな』『人にはやはり見所があるね』等と笑う尊い存在達。
「……うぅ、俺だけごっつ場違いな奴に思えてった……」
本職である筈の綱木の小さな小さな呟きに、鬼が肩へポンと手を置き首を振る。顔を見合わせ、小さく小さく頷きあった。
「それにしても、悪霊のヤツはここがどんな場所か解ってないんか?」
「ですよねぇ……。事と次第によったら、手加減出来へんかも」
少しは緊張が解けた様子の綱木と、何やら物騒な物言いの鈴音の会話に、虎吉とマユリが首を傾げる。
「なあ鈴音。ここ、何ぞ特別な場所なんか?」
「ん?ああ、うん。私が生まれる前にあった、大きい大きい震災で亡くなった人を想う、慰霊のモニュメントと、希望を象徴する灯火があるねん」
それを聞いたマユリが、成る程と頷いた。
「当時、それは多くの魂が押し寄せて、あの世も大騒ぎだったと聞くね。そうか、ここに満ちる祈りは彼らを想うものか」
相変わらずマユリに緊張しながら、鬼も遠慮がちに口を開く。
「あの時は僕達も、迷子の魂が出ないように、この世に遣わされました。僕ら鬼や天使達が到着するまでは、綱木さんとお父上がその役目を担ってくれてたんですー」
当時まだ生まれていない鈴音と、基本的には神界に居る虎吉は『へえぇー』と感心しきりだ。
「俺に出来るんは、そのくらいやったから。あっという間に澱も出来るし、あの時は悲しんどる間ぁもなかったなぁ」
「たしか、遅れて到着した僕が綱木さんを探していたら、なんだか見た事ないキラキラを纏った人がいてー」
「そう、そうそう!必死で走り回っとったら、普段は他の神仏信じる奴には見向きもせぇへん天使が、スーッと下りてって黙って頭の上に手ぇかざしてくれて。ほんなら霊力グワー回復して、おお、これが天使の祝福か凄いな、思たら……まさかのキラキラ」
「お若かったとはいえ、精悍な見た目の綱木さんがキラキラですからねー」
「ギャップが素敵やったて言うといて下さい」
綱木と鬼の思い出話から、当時の状況は、己の想像を遥かに超えるものだったのだと鈴音は理解した。
本来は人など無視しなければならない天使が、思わず手を差し伸べずにはいられない程、綱木はボロボロだったのだろう。
ある種の興奮状態で、心と身体の限界を超えてなお、人々や魂を救おうと奮闘していたに違いない。自らの悲しみはどこかに仕舞い込んで。
きっとあの暗く寒い朝には、他にも、そんな人が大勢居た。
「っしゃ!!」
ばし、と音を立てて自らの頬を叩き気合を入れた鈴音に、綱木は軽く飛び上がる勢いで驚く。
「ど、どないした?急に。大丈夫かな?」
「そら、気合い入るわな。俺抱えてなかったら両頬にかましとったやろ」
「ふふ、そうだね」
「解りますー」
「悪霊がいらん事しとった時は、あの世の果てまでぶっ飛ばすつもりで行きますんで」
「ええ?ああ、そう?うん、悪霊が気の毒なってったのは何でかな?」
気合い充分の鈴音を、にこやかに見守る神聖な存在達と、火をつけたのが自分だとは思わず戸惑う綱木。
「まああれや、この公園に来とるだけで、慰霊のモニュメントやら灯火やらが目的とも限らんわけやしね」
そう気負わずに、と宥める綱木の言葉にそれもそうかと鈴音は納得した。
しかし、こういう時なぜか悪と名の付くモノ達の多くは、よせばいいのに、と呆れられる行動を取る傾向にある。
そういうわけで、綱木が漂って来る負の力を、鬼が魂の痕跡を追い、一行が辿り着いた先は、やはり人々の想いと祈りが満ちる場所だった。
少し広さのあるその場所で、水に赤黒いインクを垂らしたような、ゆらゆらモヤモヤした物と、それが結晶化したような刺々しい粒を自身の周りに漂わせた男が一人、赤煉瓦とコンクリートで出来たモニュメントに殴り掛かっている。
だが、満ち満ちている想いの力がそうさせるのか、モニュメントはびくともせず、殴り付けて来た力をそっくりそのままお返しするかのように、男を弾き飛ばした。
背中で勢いよく石畳を滑り、泥酔者のようにふらつきながら立ち上がる男の顔は、血の気も艶も失せ、白目は濁り黒目に光は無い。
悪霊というより動く死体のようにも見えるそれは、今度はガラスケースに守られた灯火へ殴り掛かり、同じように弾き飛ばされた。
「虎ちゃんどないしょ、めっちゃ腹立つ」
何かを堪えているような声に鈴音を見れば、魂から出る光が弱まったり強まったり、随分と落ち着かない事になっている。
輝光魂が揺らぐ様子など初めて見た綱木と鬼は絶句し、マユリは興味深そうに見守った。
「あー、ええか鈴音、まずは深呼吸や」
「うん」
虎吉の声に素直に従う鈴音。揺らぎは幾らかましになったが、それでも完璧では無い。
「アカンな。かなり頭に来とるな。このまま殴りに行ったら、澱?やったか?あの黒いのん。あれだけ違て、あの魂ごと消してまうわ多分」
信じ難い言葉に綱木は目を点にして固まり、それは困ると鬼は大慌てだ。
「けど、ぶっ飛ばしたいねんもんな?」
「うん」
「ほな、苛々せんと、頑張って“ゼロ”まで持って行き」
「わかった」
頷いた鈴音は迷い無く虎吉の頭に鼻をくっつけて、そのまま深呼吸を開始。
「頭スーッとしてモァーとなってスーッとしてモァーとなって、て何やねん!この状況でどんな発作や!」
ツッコミは入れるものの、虎吉はスナギツネ顔で耐えている。
猫を嗅いで落ち着こうという、鈴音としては実に正しい作戦を決行しているだけなのだが、見守る皆の表情は言わずもがなだ。
そんな中、何の前触れも無く鈴音から光が消えた。
「……!?」
思い切り『はあ!?』と叫びそうになって、綱木は自身の口を塞ぐ。鬼は口をポカンと開けていたし、流石のマユリもこれには驚いた様子で、瞬きを繰り返していた。
「ふー、こそばかった。よし、ほんなら後は、そのままヤツに近付いて、殴り飛ばしたれ。爪使わん限り消してまう事はないやろけど、一応加減して子猫レベルから試すんやで?トドメは至近距離で“5”や。ビッッッカー光ったったらええねん。澱だけ綺麗に消えるわ。ホンマは“1”でも多いぐらいやねんけどな、初陣記念大サービスや」
「わかった。ありがとう虎ちゃん。ちょっと行ってくるわ」
アドバイスに大きく頷いた鈴音は、虎吉をそっと地面に降ろす。
ジャケットを脱いで荷物と共にベンチへ置くと、不気味な声で喚きながら暴れている悪霊の方へ、ずんずんと歩いて行った。